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第1話 真珠と海と誇りと
①エラ・スミスと大島高志はブルームの街で恋に落ちた
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大昔から捕鯨で栄えた和歌山県太地町とオーストラリアのブルームは不思議な縁で結ばれている。
ダンピア半島の西の付け根に位置し、インド洋に面した西オーストラリア州キンバリー地区にある町、ブルーム。州都パースから飛行機で約二時間半、赤道に近く一年中暑い熱帯性気候で、雨季には大量の雨が降る。
太地町は紀伊半島の南西部、熊野灘に突き出た二股の埼に位置し、昔から捕鯨で全国的に知られた町であり、日本の古式捕鯨発祥の地である。海岸線はリアス式で気候は温暖、漁港の町として大規模な集落が発展している。
太地から多くの契約移民がブルームへ向かったのは、一八七八年(明治十一年)に起きた捕鯨船の大量遭難がきっかけだった。
当時、ブルームや木曜島では、高級ボタンの材料となる真珠貝を採取する潜水士を募集していたが、優秀な日本人は歓迎され、船を失った太地から大勢の船員が押し寄せた。
ブルームでは最盛期には約三千五百人が採取に携わり、その内、約二千人が太地出身などの日本人だった。
第二次世界大戦での対日開戦やプラスティックの普及による需要減で業界は一時廃れたが、一九五〇年代に日本の技術がもたらした真珠養殖で息を吹き返した。ブルームと太地は一九八一年、姉妹都市の提携をした。
だが、二〇〇九年(平成二十一年)、その関係に大きな波風が立った。
太地のイルカ漁を批判的に描いたアメリカ映画「ザ・コーブ」がその起因だった。反捕鯨団体「シー・シェパード」の扇動で、世界中からブルーム当局に提携断絶を迫る数万本のメールが殺到し、音を上げた町議会は提携停止を決めた。が、それを許さない大勢の人々が居た。日系二世や三世だけでなく、イルカ漁に理解を示す先住民アポリジニの怒りも爆発した。
「白人中心の町議会は傲慢だ。太地からの移民がこの町の繁栄の基盤を築いた歴史を忘れたのか!」
二か月後、姉妹都市提携は復活した。
「月の涙」・・・オーストラリア先住民アポリジニの言葉で「真珠」のことである。
明治の昔から、オーストラリア北部の群青の海に、日本の男たちが真珠貝を求めて命懸けで潜った。水潜りと貝捜しの唯一の適格者かと思われた日本人は、卓越した潜水技術と熱心さで、他民族の追随を許さなかった。
潜水病に命を奪われた者、大金を手にした者・・・真珠産業に引き寄せられ、あらゆる民族が行き来した町ブルーム、肌の色を越えた愛の物語も此処で生まれた。
「エラ」・・・「光」という意味とギリシャ神話の「月の女神」という意味を併せ持つエラの名前。シンデレラの本名と言われる「エラ」の名前が運命の赤い糸を手繰り寄せた。
アポリジニの血を引くエラ・スミスは五十五年前、二十一歳の時にこの町で恋に落ちた。相手は一獲千金を夢見て日本から渡って来た大島高志。優しさと意志の強さが宿る切れ長の眼。真珠貝取りの潜水士だった。和歌山県太地町近くに生まれ、船員の養成機関である海員学校(現海上技術短期大学校)の出身。二十五歳でブルームにやって来て、大臣級の報酬を得る潜水士の一人にすぐさま選ばれた。
大島が日用品を買いに入った町の雑貨店「よろず屋」で二人は出逢った。
エラの父方の祖父は中国人、祖母は天草出身の日本人。母方はアポリジニと英国系。少なくとも四つの血が流れるエキゾチックな眼元は忽ち大島を虜にした。或る日突然ハチに刺され、その愛の針が彼の身体に残ってしまったかのようだった。
大島の一目惚れだった。
「よろず屋」の店員だったエラ目当てに一日に六回も七回も通い詰めた。
「歯ブラシ下さい」
「歯磨き下さい」
「靴下を下さい」
「シャツを下さい」
「ハンカチを下さい」
「タオルを下さい」
最初、エラは大島を胡乱な眼で見ていた。
あの人、ちょっとおかしいんじゃない?・・・
だが、毎日、大島の飾らぬ言葉使いや素朴な態度と接しているうちに、あの人、悪い人じゃないようね、とも思い始めた。エラは次第に笑顔で対応するようになった。
仲を取り持ったのは採貝船で働いていたアポリジニの青年だった。
「ダイバーの大島が、君をランチに誘いたい、って言っているよ」
「午後一時まで仕事だから、その後なら・・・」
そう答えはしたもののエラの心は迷っていた。初めての男性といきなり食事に出かけることに臆病で慎重だった彼女は、結局、約束を破り、逃げるように帰宅した。
然し、翌日、店にやって来た大島はエラを責めることも無く、何時ものようににこやかに彼女に接した。エラは閉じ籠っていた気持がゆっくりと解かれる感じがした。二度目の誘いに応じたランチでは彼の誠実さに安らぎを覚え、芯の強さに信頼が芽生えた。
ダンピア半島の西の付け根に位置し、インド洋に面した西オーストラリア州キンバリー地区にある町、ブルーム。州都パースから飛行機で約二時間半、赤道に近く一年中暑い熱帯性気候で、雨季には大量の雨が降る。
太地町は紀伊半島の南西部、熊野灘に突き出た二股の埼に位置し、昔から捕鯨で全国的に知られた町であり、日本の古式捕鯨発祥の地である。海岸線はリアス式で気候は温暖、漁港の町として大規模な集落が発展している。
太地から多くの契約移民がブルームへ向かったのは、一八七八年(明治十一年)に起きた捕鯨船の大量遭難がきっかけだった。
当時、ブルームや木曜島では、高級ボタンの材料となる真珠貝を採取する潜水士を募集していたが、優秀な日本人は歓迎され、船を失った太地から大勢の船員が押し寄せた。
ブルームでは最盛期には約三千五百人が採取に携わり、その内、約二千人が太地出身などの日本人だった。
第二次世界大戦での対日開戦やプラスティックの普及による需要減で業界は一時廃れたが、一九五〇年代に日本の技術がもたらした真珠養殖で息を吹き返した。ブルームと太地は一九八一年、姉妹都市の提携をした。
だが、二〇〇九年(平成二十一年)、その関係に大きな波風が立った。
太地のイルカ漁を批判的に描いたアメリカ映画「ザ・コーブ」がその起因だった。反捕鯨団体「シー・シェパード」の扇動で、世界中からブルーム当局に提携断絶を迫る数万本のメールが殺到し、音を上げた町議会は提携停止を決めた。が、それを許さない大勢の人々が居た。日系二世や三世だけでなく、イルカ漁に理解を示す先住民アポリジニの怒りも爆発した。
「白人中心の町議会は傲慢だ。太地からの移民がこの町の繁栄の基盤を築いた歴史を忘れたのか!」
二か月後、姉妹都市提携は復活した。
「月の涙」・・・オーストラリア先住民アポリジニの言葉で「真珠」のことである。
明治の昔から、オーストラリア北部の群青の海に、日本の男たちが真珠貝を求めて命懸けで潜った。水潜りと貝捜しの唯一の適格者かと思われた日本人は、卓越した潜水技術と熱心さで、他民族の追随を許さなかった。
潜水病に命を奪われた者、大金を手にした者・・・真珠産業に引き寄せられ、あらゆる民族が行き来した町ブルーム、肌の色を越えた愛の物語も此処で生まれた。
「エラ」・・・「光」という意味とギリシャ神話の「月の女神」という意味を併せ持つエラの名前。シンデレラの本名と言われる「エラ」の名前が運命の赤い糸を手繰り寄せた。
アポリジニの血を引くエラ・スミスは五十五年前、二十一歳の時にこの町で恋に落ちた。相手は一獲千金を夢見て日本から渡って来た大島高志。優しさと意志の強さが宿る切れ長の眼。真珠貝取りの潜水士だった。和歌山県太地町近くに生まれ、船員の養成機関である海員学校(現海上技術短期大学校)の出身。二十五歳でブルームにやって来て、大臣級の報酬を得る潜水士の一人にすぐさま選ばれた。
大島が日用品を買いに入った町の雑貨店「よろず屋」で二人は出逢った。
エラの父方の祖父は中国人、祖母は天草出身の日本人。母方はアポリジニと英国系。少なくとも四つの血が流れるエキゾチックな眼元は忽ち大島を虜にした。或る日突然ハチに刺され、その愛の針が彼の身体に残ってしまったかのようだった。
大島の一目惚れだった。
「よろず屋」の店員だったエラ目当てに一日に六回も七回も通い詰めた。
「歯ブラシ下さい」
「歯磨き下さい」
「靴下を下さい」
「シャツを下さい」
「ハンカチを下さい」
「タオルを下さい」
最初、エラは大島を胡乱な眼で見ていた。
あの人、ちょっとおかしいんじゃない?・・・
だが、毎日、大島の飾らぬ言葉使いや素朴な態度と接しているうちに、あの人、悪い人じゃないようね、とも思い始めた。エラは次第に笑顔で対応するようになった。
仲を取り持ったのは採貝船で働いていたアポリジニの青年だった。
「ダイバーの大島が、君をランチに誘いたい、って言っているよ」
「午後一時まで仕事だから、その後なら・・・」
そう答えはしたもののエラの心は迷っていた。初めての男性といきなり食事に出かけることに臆病で慎重だった彼女は、結局、約束を破り、逃げるように帰宅した。
然し、翌日、店にやって来た大島はエラを責めることも無く、何時ものようににこやかに彼女に接した。エラは閉じ籠っていた気持がゆっくりと解かれる感じがした。二度目の誘いに応じたランチでは彼の誠実さに安らぎを覚え、芯の強さに信頼が芽生えた。
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