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第三話 転生
⑥由香、リリーフに転向する
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投手としてのこれから先を思いあぐねた由香は嘗てのコーチである大野徹を訪ねた。
由香が話し終えた後、二人の間に暫く沈黙が続いた。
やがて、徐に、大野が言った。
「リリーフに転向しろ。そして、リーグ一のリリーフエースになれ、な」
「えっ、私がリリーフに回るのですか?」
大野の突然の思いもよらぬ言葉に、由香は一瞬、呆然とした表情をした。
「そうだ。抑えのナンバーワン、セーブ王になるんだよ!」
だが、由香はリリーフに回ることに大きな抵抗が有った。先発完投して初めて一人前のピッチャーだという価値観が身に染み付いていた。人が汚したマウンドを何で自分が後片付けしなければならないのか、と腹が立った。
今、手の調子は良くないけれど、必ず良くなるし、良くなると信じてこのまま毎日やって行きたい、そう思いたかった。が、そう思いながらも、絶えず冷たい手指の感覚を考えると、否、もう良くはならないかも知れない、と言う諦めに似た気持も湧き上がって来た。由香はなかなか踏ん切りがつかなかった。
「お前なぁ、求められればどんな場面でもマウンドに上がって責務を果たす、それがプロじゃないのか?それは先発完投もリリーフの締め括りも同じじゃ無いのか?」
「はい、それはそうですが・・・」
「リリーフの場合は、同点か一、二点リードの場面で登板する機会が多くなる。後続をぴしゃりと押さえて最後にマウンドを降りればチームは勝利する。逆に打たれて逆転されれば敗戦に直結することになる。重責で大変しんどいゖれも、遣り甲斐の有る仕事じゃないのかね」
「はい」
「先発しても常に五回か六回でマウンドを降りるのは、寂しいし腹立たしいし、辛くて耐えられないんじゃないか?」
然し、由香は未だ納得した表情ではなかった。
「昔、男子プロ野球に、江嶋譲と言う大投手が居たことを知っているな」
「ええ、名前だけは知っています」
「その江嶋投手はな、最初の頃は快速球の三振奪取王だったんだ。日本プロ野球の奪三振記録を次々に塗り替えてシーズン四百個以上の奪三振は今でもプロ野球記録として残っている。オールスターゲームに先発して九打者連続三振に切って取った話は有名だよな。ところが、長年の酷使で疲労が蓄積されて左肩神経痛と左腕血行障害で長いイニングが放れなくなってしまった。彼もなかなか踏ん切りがつかなくて悩み苦しんだ挙句に、嫌々、渋々、リリーフに転向したんだ。だが、彼はマウンドに上がるのはプロの投手の務めだと考えていたから、自分を必要とする場面があれば、何時どんな状況でも己の持つ最高の技術で勝負するしかない、それがプロ魂というものだ、そういう風に考えたんだ。そうしてプロ根性に磨きをかけていったわけだ」
リリーフに転向後の江嶋は、オールスター戦で九回の裏、ノーアウト満塁のピンチに登板して三者連続三振に仕留めたり、日本シリーズで、伝説の二十一球を生み出したりして、押しも押されもせぬ大リリーフエースに成長して行った。その大活躍でセーブポイントが世間に大きく認知されるようになったし、チームが二度目の優勝を果たした時にはリリーフ専門の投手で初めてMVP(最優秀選手)に選ばれて、リリーフの重要性が更に大きくクローズアップされたのだった。
「二連覇の後に移籍したチームでも彼は優勝とMVPを手にして優勝請負人と言われるようになったんだ」
大野徹の江嶋投手に関する話は由香の胸に大きく響くものが有ったし、更に彼が続けた言葉に由香の心も少し緩んで解け始めた。
「お前の場合も二~三回の短いイニングスなら速い球も投げられるんだし、変化球の切れも落ちない筈だから、女子プロ野球の江嶋になれば良いじゃないか」
「・・・・・」
「野球は一人一人の、一つ一つのプレイは個人競技でも、勝敗は団体競技だ。一人は皆の為に、皆は一人の為に、そして、チームが勝つことが最大の目的だよな」
由香の胸に漸く、やってみようかな、との思いが沸々と湧き上がって来た。
四年目の春のキャンプが始まる前、由香はチームの監督やコーチと話し合って、リリーフに転向した。
大野徹に電話を入れた由香は明るくそのことを伝えた。
「わたし、リリーフに転向しました」
「そうか、良く決断したな、しっかりやれよ」
「はい、有難うございます。これからもスランプに陥ったりしたら、又、相談に乗って下さい」
「ああ、解っている。何かあったら電話して来いよ、な」
速い球を主体にしたピッチングが出来なくなった由香は、春のキャンプで、遅いボールを上手く使ってはぐらかし乍ら打者を打ち取る投球を工夫した。全体の総投球数はこれまでと変えなかったが一日の投球数を減らして腕への負担を少なくすることを怠らなかったし、投球数の七割は右打者の外角低めへ投げることで制球力により一層の磨きをかけた。
チームの紅白戦やオープン戦で由香は試しながら自分の投球を一から作り変えて行った。落差の大きい緩いカーブでカウントを整え、勝負球に速球や高速スライダーを使うというピッチングに手応えを感じた由香は、少しずつ自分の投球に自信を回復して行った。
投手にとって一番大切なのは、技術と根気とコンビネーションの緻密さだ、と由香は悟った。ボールが手から離れるまで、無駄の無い動きや制球力が何よりの課題だと理解した。
今日のボールの威力では攻めのピッチングは出来ないと判断した時には、変化球で打たせてとる投球に切り替え、巧みな配給と読みでバッターと相対するようにした。
勝つことに全力を挙げる、それには根気の在る投球をしなければならない、もう三振を奪うことには拘らない、が、とらなければいけない勝負どころでは、ズバリととれる投手になる・・・
由香はそう心に決めて常に考えた練習をした。
由香が話し終えた後、二人の間に暫く沈黙が続いた。
やがて、徐に、大野が言った。
「リリーフに転向しろ。そして、リーグ一のリリーフエースになれ、な」
「えっ、私がリリーフに回るのですか?」
大野の突然の思いもよらぬ言葉に、由香は一瞬、呆然とした表情をした。
「そうだ。抑えのナンバーワン、セーブ王になるんだよ!」
だが、由香はリリーフに回ることに大きな抵抗が有った。先発完投して初めて一人前のピッチャーだという価値観が身に染み付いていた。人が汚したマウンドを何で自分が後片付けしなければならないのか、と腹が立った。
今、手の調子は良くないけれど、必ず良くなるし、良くなると信じてこのまま毎日やって行きたい、そう思いたかった。が、そう思いながらも、絶えず冷たい手指の感覚を考えると、否、もう良くはならないかも知れない、と言う諦めに似た気持も湧き上がって来た。由香はなかなか踏ん切りがつかなかった。
「お前なぁ、求められればどんな場面でもマウンドに上がって責務を果たす、それがプロじゃないのか?それは先発完投もリリーフの締め括りも同じじゃ無いのか?」
「はい、それはそうですが・・・」
「リリーフの場合は、同点か一、二点リードの場面で登板する機会が多くなる。後続をぴしゃりと押さえて最後にマウンドを降りればチームは勝利する。逆に打たれて逆転されれば敗戦に直結することになる。重責で大変しんどいゖれも、遣り甲斐の有る仕事じゃないのかね」
「はい」
「先発しても常に五回か六回でマウンドを降りるのは、寂しいし腹立たしいし、辛くて耐えられないんじゃないか?」
然し、由香は未だ納得した表情ではなかった。
「昔、男子プロ野球に、江嶋譲と言う大投手が居たことを知っているな」
「ええ、名前だけは知っています」
「その江嶋投手はな、最初の頃は快速球の三振奪取王だったんだ。日本プロ野球の奪三振記録を次々に塗り替えてシーズン四百個以上の奪三振は今でもプロ野球記録として残っている。オールスターゲームに先発して九打者連続三振に切って取った話は有名だよな。ところが、長年の酷使で疲労が蓄積されて左肩神経痛と左腕血行障害で長いイニングが放れなくなってしまった。彼もなかなか踏ん切りがつかなくて悩み苦しんだ挙句に、嫌々、渋々、リリーフに転向したんだ。だが、彼はマウンドに上がるのはプロの投手の務めだと考えていたから、自分を必要とする場面があれば、何時どんな状況でも己の持つ最高の技術で勝負するしかない、それがプロ魂というものだ、そういう風に考えたんだ。そうしてプロ根性に磨きをかけていったわけだ」
リリーフに転向後の江嶋は、オールスター戦で九回の裏、ノーアウト満塁のピンチに登板して三者連続三振に仕留めたり、日本シリーズで、伝説の二十一球を生み出したりして、押しも押されもせぬ大リリーフエースに成長して行った。その大活躍でセーブポイントが世間に大きく認知されるようになったし、チームが二度目の優勝を果たした時にはリリーフ専門の投手で初めてMVP(最優秀選手)に選ばれて、リリーフの重要性が更に大きくクローズアップされたのだった。
「二連覇の後に移籍したチームでも彼は優勝とMVPを手にして優勝請負人と言われるようになったんだ」
大野徹の江嶋投手に関する話は由香の胸に大きく響くものが有ったし、更に彼が続けた言葉に由香の心も少し緩んで解け始めた。
「お前の場合も二~三回の短いイニングスなら速い球も投げられるんだし、変化球の切れも落ちない筈だから、女子プロ野球の江嶋になれば良いじゃないか」
「・・・・・」
「野球は一人一人の、一つ一つのプレイは個人競技でも、勝敗は団体競技だ。一人は皆の為に、皆は一人の為に、そして、チームが勝つことが最大の目的だよな」
由香の胸に漸く、やってみようかな、との思いが沸々と湧き上がって来た。
四年目の春のキャンプが始まる前、由香はチームの監督やコーチと話し合って、リリーフに転向した。
大野徹に電話を入れた由香は明るくそのことを伝えた。
「わたし、リリーフに転向しました」
「そうか、良く決断したな、しっかりやれよ」
「はい、有難うございます。これからもスランプに陥ったりしたら、又、相談に乗って下さい」
「ああ、解っている。何かあったら電話して来いよ、な」
速い球を主体にしたピッチングが出来なくなった由香は、春のキャンプで、遅いボールを上手く使ってはぐらかし乍ら打者を打ち取る投球を工夫した。全体の総投球数はこれまでと変えなかったが一日の投球数を減らして腕への負担を少なくすることを怠らなかったし、投球数の七割は右打者の外角低めへ投げることで制球力により一層の磨きをかけた。
チームの紅白戦やオープン戦で由香は試しながら自分の投球を一から作り変えて行った。落差の大きい緩いカーブでカウントを整え、勝負球に速球や高速スライダーを使うというピッチングに手応えを感じた由香は、少しずつ自分の投球に自信を回復して行った。
投手にとって一番大切なのは、技術と根気とコンビネーションの緻密さだ、と由香は悟った。ボールが手から離れるまで、無駄の無い動きや制球力が何よりの課題だと理解した。
今日のボールの威力では攻めのピッチングは出来ないと判断した時には、変化球で打たせてとる投球に切り替え、巧みな配給と読みでバッターと相対するようにした。
勝つことに全力を挙げる、それには根気の在る投球をしなければならない、もう三振を奪うことには拘らない、が、とらなければいけない勝負どころでは、ズバリととれる投手になる・・・
由香はそう心に決めて常に考えた練習をした。
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