ルビコンを渡る

相良武有

文字の大きさ
上 下
19 / 46
第三話 転生

⑤由香、「酷使による右手指血行障害」と診断される

しおりを挟む
 今季、オールスター戦が終わった夏頃から由香の調子は芳しくなかった。
試合後半の五~六回辺りになると急に球が走らなくなり、変化球の切れも悪くなった。ボールを握る指の感覚が薄れて来て、キャッチャーの構えるミットにうまくコントロール出来なくなった。由香はスローボールを多投し、打者の心理を読み取りつつタイミングを外して、何とか七回を投げ切った。然し、それもシーズンが進むに連れて次第に通用しなくなり、試合の終盤に打ち込まれてリリーフを仰ぐ機会が増え始めた。由香は無念の思いを噛み締めてマウンドを降りた。
 レギュラーシーンも終わり、チームの秋季合宿練習が終了したその打上げ会場で、チームメイトと賑やかに立食談笑していた由香の手から、突然、箸がパラパラと落ちた。由香は、アレっと思いつつ、しゃがみ込んで右手で箸を拾おうとした、が、それは上手く掴めなかった。
他の選手に知られないように由香は慌てて左手で箸を拾い直したが、右手の指先は感覚が殆ど無く、痺れて痛みも少し在った。
ボールを握る指の感覚が無くなっている、ピッチャーである私がボールを投げられなくなる!・・・
 
 驚愕した由香は翌日、大きな市立総合病院の専門科を受診した。
四十歳前後の若い医師がカルテを見乍ら訊ねた。
「どんな状態ですか?」
「指先に力が入らないんです」
「もっと具体的に言って下さい。痺れるとか、動き難いとか、感覚が悪いとか、冷たいとか、痛いとか・・・」
「痺れるとか痛いとかの感じは少しありますが、兎に角、指先に力が入らないんです」
改めてカルテに眼をやった医師が、エッっという顔つきで由香を見た。
「女子プロ野球の選手なのですか?」
「はい。ピッチャーです」
「一日にどれくらいの球数を投げるのですか?」
「登板した試合では百球余りですし、練習の日にもそれくらいは放うります」
「春のキャンプなんかではどうですか?」
「キャンプでは一日百球、全体で二千球の投球を自分の目標に掲げてやって来ました」
それから医師は、レントゲンを撮りMRIを受けることを指示し、腕の筋力や握力を測定した後、精密検査を行う、と由香に言った。
半日余りを費やして告げられた結果は、酷使による右手指血行障害だった。
「投球する時、直球だけでなくカーブやスライダー、或いは、シュートやフォークボールを投げますね」
「はい」
「そう言った変化球を投げると、特定の指、特に人差指に強い衝撃が加えられて指先の血管が細くなって行き、次第に血液が上手く流れなくなるんです。また、毎日毎日、腕を振り続けてボールを投げた結果、指先に血液が滞留して手の感覚が鈍くなることもあります」
「もう、ボールは投げられないのでしょうか?」
「原因となっている物理的ストレスを取り除くのが一番ですが、そうかと言って、ピッチングをやらない訳にも行かないでしょう。上手く障害と付き合って調整することですね」
「具体的にはどうすれば良いのでしょうか?」
「女子プロ野球は七イニングス制でしたね」
「はい」
「はっきり言って、完投は無理でしょうね」
「どれ位なら可能なのでしょうか?」
「人によって違いますから定かには言えませんが、一日に五十球程度が限度でしょうね」
「はぁ・・・」
由香は頭の中が真っ白になって後の言葉が出て来なかった。
医師はそれから、水分を小まめに摂ること、体を温める飲み物を呑むこと、入浴時には良く温まること、ストレッチとウオームアップを入念に行うことなど、手指への血行を良くすることを積極的に採り入れるよう勧めた。
「水分は喉が渇いたから摂るのではなく、血液の流れを良くする為に摂るのだと意識を変えて下さい」
「はい、解りました」
「静脈に血栓が出来て血の流れが滞ると大変ですから、血行を良くする薬を一日三回食後に服用して下さい」
医師は最後にそう言って抗凝固剤を投与した。それは血栓が出来るのを抑え、血管を拡げて血液の流れを良くする薬で、痛みや冷えの改善にも効果のあるものだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

女子高校生集団で……

望悠
大衆娯楽
何人かの女子高校生のおしっこ我慢したり、おしっこする小説です

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

同僚くすぐりマッサージ

セナ
大衆娯楽
これは自分の実体験です

お嬢様、お仕置の時間です。

moa
恋愛
私は御門 凛(みかど りん)、御門財閥の長女として産まれた。 両親は跡継ぎの息子が欲しかったようで女として産まれた私のことをよく思っていなかった。 私の世話は執事とメイド達がしてくれていた。 私が2歳になったとき、弟の御門 新(みかど あらた)が産まれた。 両親は念願の息子が産まれたことで私を執事とメイド達に渡し、新を連れて家を出ていってしまった。 新しい屋敷を建ててそこで暮らしているそうだが、必要な費用を送ってくれている以外は何も教えてくれてくれなかった。 私が小さい頃から執事としてずっと一緒にいる氷川 海(ひかわ かい)が身の回りの世話や勉強など色々してくれていた。 海は普段は優しくなんでもこなしてしまう完璧な執事。 しかし厳しいときは厳しくて怒らせるとすごく怖い。 海は執事としてずっと一緒にいると思っていたのにある日、私の中で何か特別な感情がある事に気付く。 しかし、愛を知らずに育ってきた私が愛と知るのは、まだ先の話。

男性向け(女声)シチュエーションボイス台本

しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。 関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください ご自由にお使いください。 イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました

処理中です...