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第一話 転身
⑤「お前、庭師をやってみないか?」
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「悪かったねえ、こんなに遅くに」
「未だ午後八時前だ。そんなに遅い訳じゃないよ」
「車を飛ばして来たのでしょう。一寸入ってお茶でも飲んで行ってよ。お酒を一杯飲んで帰ってと言う訳にもいかないけどさ」
「いや、俺も仕事を終わって家に帰ったばかりだったからよ、そうもしていられないんだ。心配なことが無いのなら、このまま帰るよ」
「心配なことなんか何も無いけど、でも、プライベートに会うのなんて久し振りじゃないの。直ぐ帰るんじゃ、淋しいよ」
「なに、これで家が判ったから、また、改めて昼間に来るよ」
「そんなこと言わないでさ、立ち話もなんだから、まあちょっと入ってよ、ね」
先にたってスリッパを揃え、中に入った美香の後ろから、それもそうだな、と俊介が逡巡しながらも従いて入って来た。
「今、お茶の用意をするから、そこに座って一寸待っていてよ」
リビングの椅子に俊介を座らせて、美香はキッチンへ立った。
「俊ちゃん、仕事の方はその後どう?順調に行っている?」
お茶の用意を整えてリビングに戻った美香に、俊介が黒い顔を一撫でして応えた。
「まあな。まだまだ順調じゃないけど、一応は自前でやっている。漸く一寸、目鼻が付いて来たよ」
「そう、そりゃ良かった。でもあんた、偉いわねぇ。で、奥さんは?」
「居ないよ。俺は未だ独身だ」
「あら、勿体無い。早く奥さんを貰わなきゃ」
「歳は三十を越した、口喧しい母親は居る、そんな母ひとり子一人の所に嫁に来るような物好きな女は、そう簡単には、居ないよ」
「あっ、お母さん、未だ元気なんだ」
息子と同じように色が黒くて、口八丁、手八丁だった俊介の母親を思い出して、美香はふっと微笑を誘われた。
「ああ、未だ六十歳前だから、元気なもんだよ」
「そりゃそうと、俊ちゃん、夕飯未だじゃない?車だからお酒は駄目だけど、ご飯なら大丈夫でしょう。私も未だなのよ、一緒に食べてよ、ね」
弟達と食べようと昼間作った手料理を頭に浮かべて、美香は俊介に晩御飯を勧めた。
「そう言えば、腹ペコだな」
「そうよ、仕事から帰って直ぐに駆けつけてくれたんだもの」
全く勇一ったら仕様の無い奴だ、生真面目な俊介にこんな面倒を頼んで、自分はさっさと料理屋へ行ってしまった、と美香は俊介を少し気の毒に思った。
「今、支度するからね」
ご飯は電器炊飯器に入っているし、料理は電子レンジで温めればよい、十五分もあれば用意出来るだろう、と美香は再びキッチンへと立った。気持ちは大分明るくなって来ていた。
「勇一とは時々会っていたの?」
「いや、それがさ」
俊介が、キッチンの美香に聞こえるように少し声を大きくして、言った。
「もう大分前になるが、一寸大きな呉服店の、坪庭の仕事を頼まれたことがあってさ。そこの庭づくりをしていたら、偶然に勇ちゃんに会ったんだよ。その会社で営業の仕事をしていると言うから吃驚しちゃったよ、全然知らずに行ったからさ」
「へ~え、そんな事も有るんだ」
「で、仕事が終わった後、随分久し振りだからって、二人で飲んだんだ。その後も、偶に、勇ちゃんから電話を貰って、一緒に飲んだけどね。あいつは何時もあんたのことを心配し、感謝しているみたいだったぜ」
「へ~え、どうだか・・・」
勇一は子供の頃によく面倒を見て貰った俊介を、実の兄のように慕っていたのかもしれないな、と美香は思った。
「勇ちゃんも立派になったな、係長だと言うからね」
「あのね、今日の昼過ぎにさ」
美香は話題を変えた。頭上を飛び過ぎたつばめの姿が頭に思い浮かんでいた。
「家に帰る途中で、つばめを見たのよ。あれ、今年初めて見たような気がするわ」
「つばめ?そうか、初つばめか?初つばめは何か良いことがある前兆れだと言うからな」
そう言いながら、俊介が呼びかけた。
「勇ちゃんが結婚したら、次は美香が身を固める番だな!」
「そうね・・・」
俊介は食事の箸を置いて、真剣な強い眼差しで、美香をじっと見つめた。
「あのな、実は今日、一寸話もあって此処へ寄ったんだが・・・」
俊介が改めて話を切り出す口調で言った。
「お前、庭師をやってみないか?」
「えっ、何よ、急に・・・私が植木屋になるの?」
「うん。お前と再会した時から考えていたんだが、此の儘水商売を続けていても先は見えないし、そうかと言ってOLや店員の仕事も無理だろうし、一層、思い切って女庭師になったらどうかと思ってさ。それなら俺も十分力になれるし、な」
「でも、この歳で今から始めてもモノに成るかどうか。それに自分の生活もあるし・・・」
「うちの店の見習員になれば少しだけど見習員給料は払える。夜のホステスのような派手な暮らしは止めて、慎ましやかにやれば、生活は何とかなるんじゃないか。庭師の方は専門学校や職業訓練校に通って、俺の処で実習を積めば、二、三年で独立出来ると思うよ。専門学校や職業訓練校へは費用をうちの店が出して派遣する」
俊介は熱心に美香に庭師になることを勧めた。
庭というのは、一度作れば終わりではなく、庭が無くなるか庭師が引退するまでずっと続く。草木はどんどん成長するので、伸び過ぎた枝葉を切ったり栄養のある土を足したりしなければならない。その家の住人が歳をとると、歩き易くする為に庭のでこぼこを減らしたり、石を取り除いたり置き直したりする必要もある。
又、出来た庭はその瞬間から住人と一緒に生活を始める。小さい子供の成長と共に樹木も生長して行く、年月の経過と共に子供の成長と樹木の生長が重なって行く。その意味でも経年美化の庭造りは大きな遣り甲斐が有る。
更に、地域の素材を使用したり棚田風の石積みをしたりして、その土地らしい風景を造り出すことも重要であるし、塀・通路・車庫・庭という構成要素がバラバラにならないようにして、周囲の景色と馴染みを持たせなければならない。庭造りは信念や拘りを持ち、常に学ぶ姿勢を持ってベストを尽くすことが求められる。
それに、造園の仕事は緑を活用して住む人の日々の生活を楽しくし、癒される空間を造ることである。環境やエコが重要視される現在、緑に関わる仕事は非常に重要であり、造園はその上に尚、お客様のオンリーワンを創造する仕事である。お客様の要望・予算・敷地等の条件によって、出来上がるものは同じものは無い。限られた条件の中で工夫を凝らしてお客様に満足して頂ける物を造ること、その造る喜びをお客様と共に味わうことは至福の喜びである。
俊介の真情溢れる熱い語りかけに美香の心は、チャレンジしてみようかな、と大きく動かされた。
「未だ午後八時前だ。そんなに遅い訳じゃないよ」
「車を飛ばして来たのでしょう。一寸入ってお茶でも飲んで行ってよ。お酒を一杯飲んで帰ってと言う訳にもいかないけどさ」
「いや、俺も仕事を終わって家に帰ったばかりだったからよ、そうもしていられないんだ。心配なことが無いのなら、このまま帰るよ」
「心配なことなんか何も無いけど、でも、プライベートに会うのなんて久し振りじゃないの。直ぐ帰るんじゃ、淋しいよ」
「なに、これで家が判ったから、また、改めて昼間に来るよ」
「そんなこと言わないでさ、立ち話もなんだから、まあちょっと入ってよ、ね」
先にたってスリッパを揃え、中に入った美香の後ろから、それもそうだな、と俊介が逡巡しながらも従いて入って来た。
「今、お茶の用意をするから、そこに座って一寸待っていてよ」
リビングの椅子に俊介を座らせて、美香はキッチンへ立った。
「俊ちゃん、仕事の方はその後どう?順調に行っている?」
お茶の用意を整えてリビングに戻った美香に、俊介が黒い顔を一撫でして応えた。
「まあな。まだまだ順調じゃないけど、一応は自前でやっている。漸く一寸、目鼻が付いて来たよ」
「そう、そりゃ良かった。でもあんた、偉いわねぇ。で、奥さんは?」
「居ないよ。俺は未だ独身だ」
「あら、勿体無い。早く奥さんを貰わなきゃ」
「歳は三十を越した、口喧しい母親は居る、そんな母ひとり子一人の所に嫁に来るような物好きな女は、そう簡単には、居ないよ」
「あっ、お母さん、未だ元気なんだ」
息子と同じように色が黒くて、口八丁、手八丁だった俊介の母親を思い出して、美香はふっと微笑を誘われた。
「ああ、未だ六十歳前だから、元気なもんだよ」
「そりゃそうと、俊ちゃん、夕飯未だじゃない?車だからお酒は駄目だけど、ご飯なら大丈夫でしょう。私も未だなのよ、一緒に食べてよ、ね」
弟達と食べようと昼間作った手料理を頭に浮かべて、美香は俊介に晩御飯を勧めた。
「そう言えば、腹ペコだな」
「そうよ、仕事から帰って直ぐに駆けつけてくれたんだもの」
全く勇一ったら仕様の無い奴だ、生真面目な俊介にこんな面倒を頼んで、自分はさっさと料理屋へ行ってしまった、と美香は俊介を少し気の毒に思った。
「今、支度するからね」
ご飯は電器炊飯器に入っているし、料理は電子レンジで温めればよい、十五分もあれば用意出来るだろう、と美香は再びキッチンへと立った。気持ちは大分明るくなって来ていた。
「勇一とは時々会っていたの?」
「いや、それがさ」
俊介が、キッチンの美香に聞こえるように少し声を大きくして、言った。
「もう大分前になるが、一寸大きな呉服店の、坪庭の仕事を頼まれたことがあってさ。そこの庭づくりをしていたら、偶然に勇ちゃんに会ったんだよ。その会社で営業の仕事をしていると言うから吃驚しちゃったよ、全然知らずに行ったからさ」
「へ~え、そんな事も有るんだ」
「で、仕事が終わった後、随分久し振りだからって、二人で飲んだんだ。その後も、偶に、勇ちゃんから電話を貰って、一緒に飲んだけどね。あいつは何時もあんたのことを心配し、感謝しているみたいだったぜ」
「へ~え、どうだか・・・」
勇一は子供の頃によく面倒を見て貰った俊介を、実の兄のように慕っていたのかもしれないな、と美香は思った。
「勇ちゃんも立派になったな、係長だと言うからね」
「あのね、今日の昼過ぎにさ」
美香は話題を変えた。頭上を飛び過ぎたつばめの姿が頭に思い浮かんでいた。
「家に帰る途中で、つばめを見たのよ。あれ、今年初めて見たような気がするわ」
「つばめ?そうか、初つばめか?初つばめは何か良いことがある前兆れだと言うからな」
そう言いながら、俊介が呼びかけた。
「勇ちゃんが結婚したら、次は美香が身を固める番だな!」
「そうね・・・」
俊介は食事の箸を置いて、真剣な強い眼差しで、美香をじっと見つめた。
「あのな、実は今日、一寸話もあって此処へ寄ったんだが・・・」
俊介が改めて話を切り出す口調で言った。
「お前、庭師をやってみないか?」
「えっ、何よ、急に・・・私が植木屋になるの?」
「うん。お前と再会した時から考えていたんだが、此の儘水商売を続けていても先は見えないし、そうかと言ってOLや店員の仕事も無理だろうし、一層、思い切って女庭師になったらどうかと思ってさ。それなら俺も十分力になれるし、な」
「でも、この歳で今から始めてもモノに成るかどうか。それに自分の生活もあるし・・・」
「うちの店の見習員になれば少しだけど見習員給料は払える。夜のホステスのような派手な暮らしは止めて、慎ましやかにやれば、生活は何とかなるんじゃないか。庭師の方は専門学校や職業訓練校に通って、俺の処で実習を積めば、二、三年で独立出来ると思うよ。専門学校や職業訓練校へは費用をうちの店が出して派遣する」
俊介は熱心に美香に庭師になることを勧めた。
庭というのは、一度作れば終わりではなく、庭が無くなるか庭師が引退するまでずっと続く。草木はどんどん成長するので、伸び過ぎた枝葉を切ったり栄養のある土を足したりしなければならない。その家の住人が歳をとると、歩き易くする為に庭のでこぼこを減らしたり、石を取り除いたり置き直したりする必要もある。
又、出来た庭はその瞬間から住人と一緒に生活を始める。小さい子供の成長と共に樹木も生長して行く、年月の経過と共に子供の成長と樹木の生長が重なって行く。その意味でも経年美化の庭造りは大きな遣り甲斐が有る。
更に、地域の素材を使用したり棚田風の石積みをしたりして、その土地らしい風景を造り出すことも重要であるし、塀・通路・車庫・庭という構成要素がバラバラにならないようにして、周囲の景色と馴染みを持たせなければならない。庭造りは信念や拘りを持ち、常に学ぶ姿勢を持ってベストを尽くすことが求められる。
それに、造園の仕事は緑を活用して住む人の日々の生活を楽しくし、癒される空間を造ることである。環境やエコが重要視される現在、緑に関わる仕事は非常に重要であり、造園はその上に尚、お客様のオンリーワンを創造する仕事である。お客様の要望・予算・敷地等の条件によって、出来上がるものは同じものは無い。限られた条件の中で工夫を凝らしてお客様に満足して頂ける物を造ること、その造る喜びをお客様と共に味わうことは至福の喜びである。
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