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第11話 哀惜の涙

㉙哀惜の涙(1)

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 嶋和彦、中山麗子、佐々木良治の三人は同期入社の仲間だった。
新人研修の教育実習が同じ小グループだった三人は、山崎や沢木ら他の三人のメンバーと併せて、急速に仲良くなった。特に、嶋と麗子は住居が同じ私鉄沿線だったこともあって、朝の通勤時に顔を合わせたり、夕方一緒に帰ったりして親密の度合いを高めて行った。
 いつものように仲間達と、酒を飲み食事を愉しみ議論を戦わせて、おまけに二次会のスナックでカラオケまで唄って帰りが深夜に及んだ週末に、麗子が最寄りの駅でホームに降り立つと嶋も一緒に電車を降りて来た。
「どうしたの?」
訝しげに問いかけた麗子に嶋が答えた。
「送って行ってやるよ」
「遅いからいいわよ」
「遅いから送って行くんだよ。こんな真夜中に女一人じゃ物騒だろう、な」
麗子ははにかむ笑顔を上目遣いに嶋に向けた。
「ありがとう」
 翌週末、二人はジャズコンサートに出かけた。予約席ではなく二階前列の自由席だったが、ジャズは心にずしりと響き、二人は我を忘れるひと時を過ごした。
 終演後に入った近くのレストランで二人は語り合った。
「やっぱりジャズは素晴らしいね。リズムもテンポも心の奥底に深く響くんだな、それでいて凄く恰好良いんだよ」
「そうね。鮮烈なリズムが心と身体を直撃して電撃が走り、痺れちゃうのね」
それから二人はよく逢うようになった。
 休日に映画に出かけたり食事をしたりして交際を深めた。植物公園の自由広場で待ち合わせてレジャーシートでのんびりしたり、晴れた日には、市営体育館の上の丘に登って周辺を一望したりもした。また、ゆっくり語らう時には、洋風や和風の庭園が造営されているグリーンギャラリーの芝生の上で二人だけの時間を過ごした。ティールームでコーヒーを啜り、レストランでディナーを摂り、バーのカウンターで酒を舐めて、互いの愛を深め合って行った。
 
 然し、入社三年目の九月、嶋にカナダの首都オタワへの転勤が命じられた。嶋も麗子も一緒に居たかった。片時も離れたくないと思った。だが、嶋はこれから先、海のものとも山のものとも判らぬ遠い異国での初めての勤務だったし、何よりも二人は未だ若かった。嶋は二十四歳になったばかりだったし、麗子も未だ二十三歳でしかなかった。社会人としては将にこれからの二人だった。結婚して海外へ一緒に赴ける状況ではなかった。嶋は独りで赴任することを決意した。彼は仕事も生活も先のことが見通せるまでは単身で赴くのも止むを得ないと考えたのだった。
 九月の半ばに二人は初めての遠出をした。
夏の終わりの照り付ける太陽の下で二人は心行くまで海の香りを満喫し、夜には公園の乾いた草の上に横たわって輝く空の星を見上げた。その晩二人は海沿いの白亜のホテルに部屋を取って夜が明けるまで愛の交歓にふけった。それは互いに、自分の全てを委ね、相手の全てを吸引しておく、謂わば、与え尽くし奪い尽くす激しくも壮絶なものだった。
 十月の初め、嶋は上司や仲間や友人達に見送られてカナダへ旅立って行った。麗子は空港ロビーの柱の陰でそっと目頭を押さえて彼を見送った。
 
 
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