５分間のモザイク超短編集（Ⅱ）

第２話 チームメイト

⑤チームメイト（２）

　それは、事実上の決勝戦と言われた準決勝戦の前日のことだった。
相手は優勝候補の筆頭だったし、この年に限っては水木たちも優勝候補の一角だった。
試合前日の練習前に、野球部顧問の上田先生が深刻な厳しい表情を浮かべてあたふたと部員全員を集めた。
「この中にタバコを吸った者が何人か居るな。吸った者は自分から名乗り出なさい」
だが、誰一人として手を挙げる者は居なかった。
先生は全員の顔を湅目るように見渡してから、言った。
「よし、それなら全員の連帯責任だ、明日の試合は辞退するぞ！」
突然、水木が口を開いた。
「僕は喫っていません！」
それから数人が口々に言った。
「僕も喫っていません」
他の部員たちは唖然として水木たちの顔を見た。三年生部員の貌は汚いものを観るように歪んでいた。
「あの瞬間に俺たちの結束は崩れたんだ。フォア・ザ・チーム、自分のことは二の次・三の次、一人はみんなの為に、みんなは一人の為に、だと？そんなものは糞喰ららえだ、と皆が思ったんだ。喫煙を隠すことは悪いことだよな、そんなことは誰しもが解っていた。それよりも自分一人だけが良い子になって逃れようとする、その根性の汚さが皆の頭と心の芯にぶち当たったんだ。チームは、と言うより、俺たちはその時バラバラに砕けた、という訳だ」
水木は何も言わなかった。
「あれ以来、当時三年生だった俺たちの学年は、野球部のＯＢ会に誰一人として参加していない。先輩や後輩たちはＯＢ会だけでなくそれぞれの学年会にも皆が出席しているのに、俺たちの学年にはその学年会も無い。何処でどうしているやら消息さへ判らない奴も居る」
「・・・・・」
「いや、誰が悪いって言うんじゃないんだ。何方に正義があるかは皆が解っていた。ただ、それまでずっと疑い無く信じて来たものに奴らは絶望したんだ」
齊藤は微笑を浮かべた。自分を哀れむような、悼むような笑いだった。
　酒場は急に混みだした。客が次々と入って来て店内はひときわ賑やかになり、活気を帯びてきた。
バーテンダーと二言、三言、何事かを話し出した斎藤の肘を水木がそっと手の甲で軽く叩いた。
「じゃあ、俺、帰るよ」
水木は言った。
「またな」
「ああ」
斎藤が答えた。
「楽しかったよ」
二人は握手を交わさなかった。
　立ち上がった水木に斎藤がポケットから名刺を差し出した。
水木が見ると、地元新聞社出版部の編集長と記されていた。
「近頃、君の新刊書をあまり見かけなくなったが、創作は順調に行っているのか？」
「ああ、順調だよ、調子は上々だ、大丈夫だ、何も心配は要らないよ」
「そうか、それなら良いんだが・・・俺で役に立つことがあったら、何時でも電話をしてくれよ。俺たちはチームメイトだからな」
その後、斎藤は二言三言、水木にアドバイスを送った。
「有難う」
名刺を持った手を軽く掲げて水木は斎藤に背を向けた。
肩を揺すってクローク・カウンターに歩み寄って行く水木の後姿を、斎藤がじっと見守った。
人間一度、決定的なところで仲間を裏切ると、それが澱となって心の底に沈殿し、生涯その呪縛から解き放たれることは無いのだな・・・
水木の胸にはこの二十五年間、重い澱が沈殿し続けている。
理屈じゃない、「思い」なんだ、な。それは解っている。が・・・
水木はそう思って苦い唾を飲み込んだ。
　水木は急にやり切れない孤独感に襲われた。
彼は眼に入った酒場の一軒に飛び込むと、その孤独感を追い払うようにカナディアン・クラブを立て続けに二杯呷った。琥珀色の熱い液体が突き刺すように胃に沁み通って来た。水木はズボンのポケットを弄ってハンカチを取り出し、汗を拭った。
バーテンは不愛想な若い男で、テレビの下でスポーツ新聞を読んでいた。
水木は誰かと話したくて堪らなかった。が、話す相手は誰も居なかった。彼はもう一杯ウイスキーを呷って街路に戻った。