時代小説の愉しみ

相良武有

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第二話 やさぐれ同心

⑫「それにしても、幸せには成れんかったなぁ・・・」

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 その日、陽が落ちてから鬼頭はやって来た。
お艶の髷を解き、髪を梳かせて後ろで束ねさせた。
鬼頭が付かず離れずひっそりとお艶の後を従け、二人は暗い橋の下へ下りた。
鬼頭が低く呟いた。
「ま、暫くこの辺りを流してくれんか」
怯えた表情で暗い周囲を見回し、歩き出したお艶の後を、鬼頭が少し離れて従いて行った。
お艶は暗い川原を歩き続けた。鬼頭が見え隠れに音も無く従った。
だが、半刻経っても何も起こらなかった。
 三日後、最初に殺しのあった辺りをお艶は不安に慄き乍ら歩いた。鬼頭が密かに尾行した。依然、何も起こらなかった。
 数日後、二度目の殺しの場所をお艶は歩かされた。眼を光らせて鬼頭が後に続いた。
が、何も起こらなかった。
 その翌日、夕立の名残り雨が暗く降り続いていた。
番傘を差したお艶はゆっくりと歩いた。今夜はもう一方の手に提灯を持っていた。相手を誘き寄せる為の策略だった。数間後を鬼頭がひっそりと従けた。
 お艶は、暗い茂みの中で不気味な細い眼が光った、気がした。続いて、何かぶつぶつと呟く声が聞こえた。
「お艶だ、今度こそ、間違い無く、お艶だ」
お艶は足が竦んで歩けなくなった。
 その時、鋭い稲妻が二度ほど続けて走った。その閃光が一瞬の間、鬼頭の眼を射た。
慌てて眼を細めつつ前方を見やると、提灯が落ちてちょろちょろと燃え、お艶の番傘がころころと転がっていた。
 表情も無く能面のような貌の春良が、両の手でお艶を羽交い絞めにして口を押え、傍の茂みに引き摺り込もうとした。雨合羽が雨に光っている。お艶は必死に呻きもがいた。
「お艶・・・お艶・・・・裏切りよって、このう・・・」
次の瞬間、異変に気付いた鬼頭が此方に向かって走り出した姿が春良の眼に写った。
春良がやにわに匕首を抜きざま、もがき続けるお艶の右胸にグサッと突き立てた。
呆気なく頽れたお艶の着物を春良が胸元から切り裂いた。
「春良!」
迫って来る鬼頭の姿を見た春良の表情が一瞬、怯えの色を帯びた。
血に染まって呻くお艶を未練がましく見下しはしたが、春良はさっと身を翻して茂みの中へ走り込んだ。
口一杯に喚きつつ鬼頭が駆け付けた。
「お艶~!・・・」
悲鳴の如くに叫んで、倒れているお艶を抱きかかえた。お艶の胸からはどくどくと血が流れ出ていた。
お艶が微かな声で言った。
「あんた・・・やられたわ・・・」
「くそ!直ぐだ、直ぐ戻るからな、死ぬんじゃねぇぞ!」
だぁっと春良の後を追いだした。
茂みを抜け出した春良が泳ぐように川原を走った。凄まじい形相で鬼頭が追いかけた。
春良は川堤を突っ切って町中へ走り出た。鬼頭が尚も追い続けた。
息せき切らして走る春良と猛然と追い迫る鬼頭・・・
「待て!待たぬか!」
迷路のような細小路へ走り込む春良の後に鬼頭が続いた。
そして、大通りへ出て遂に追い詰められた春良が火の見櫓の梯子段を登り始めた。其処から商家の大屋根へ逃げる算段のように見えた。
「くそっ!」
鬼頭がその足に跳び付いた。
だが、春良は、がぁ~ん、と蹴り飛ばしてどんどんと登って行った。
鬼頭が体勢を立て直し、再び牙を剥いて追い縋った。が、顔面を強かに上から蹴り捲られて、見る見る顔が鼻血に染まって行った。だが、鬼頭は怯まなかった。今度は春良の両の足首を掴んでぶら下がった。
暫くは春良も必死に梯子を握って激しく足掻いていたが、とうとう力尽きて、二人して地面へ落ちて行った。
もんどりうって叩きつけられたが、先に起き上ったのは鬼頭だった。鬼頭の顔には凄まじい殺気が浮かんでいた。
「この腐れ餓鬼!」
躍りかかって十手で殴りつけた。殴りに殴った。
「くそっ、くそっ、くそっ!・・・」
殆ど狂気に近い形相だった。
滅多打ちにされた春良だったが、それでもよろけて立ち上がり、後退り乍らも匕首を構えた。
「お前だけは許さねぇぞ!死んでも絶対に許さねぇぞ!」
叫びつつ鬼頭めがけて突っ込んで来た。
咄嗟に身を躱し乍ら鬼頭が居合斬りで春良の胴を薙ぎ払った。
「うわ~っ・・・」
それっきり動かなくなった。
瞬時、茫然と見下ろしていた鬼頭だったが、はっと我に返ってダダッと取って返した。
虫の息で倒れていたお艶を、駆け戻って来た鬼頭が再び抱き起した。
「おいっ、お艶!しっかりせぃ!直ぐに手当てをしてやるからな」
お艶が薄く眼を開けた。
「うち・・・、もう・・・」
抱き上げて歩き出した鬼頭の腕の中でお艶が微かに呟いた。
「あんたは、優しさなんぞ、これっぽっちも無かったけど、とことん自分勝手やったけど、だけど、本真、好きやった、やっぱりうまが合ったんやと思うわ・・・」
「喋るな、もう黙って居れ」
「それにしても、幸せには成れんかったなぁ・・・」
ふぅっと微笑って、ガクンと息絶えた。
「お艶!・・・お艶!・・・」
声を絞り出して鬼頭が揺すったが、もう反応は無かった。
鬼頭は膝から崩れ、凝然と闇を見詰めた。
雨は既に上がっていた。
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