時代小説の愉しみ

相良武有

文字の大きさ
上 下
33 / 56
第二話 やさぐれ同心

①河原で若い女が一人、殺された

しおりを挟む
 番屋へ続く大通りを右に折れた細小路の奥で遊び人風の男が二人、お店者と思しき四十路の男を痛ぶっていた。既に陽は西に沈みかけて辺りは薄暗かったが、夕陽の赤い残照が逆光線の中で男たちの争いを照らし出していた。
 今日は月の晦日だった。お店者が手にぶら下げている掛取帳と中振りの袋から推して、集金帰りを襲われたようだった。遊び人の男二人は倒れた男をさんざん殴る蹴るしてから、その袋を奪い取って中を検め、顔を見交わしてにんまり笑った。二人はもう一度お店者を足蹴にし、それから徐に大通りの方へ歩き出した。
 その様子の一部始終を大通りの角から眺めていた男がいた。男は黒の着流しに短めのぶっちゃけ羽織を着込み、刀をやや落とし差しにして白い鼻緒の雪駄を履いていた。町奉行所探索方の定周りでその名を鬼頭鋭之進と言う三十歳中半の同心だった。
 しめしめとほくそ笑み乍ら大通りへ出て来た男二人を、いきなり、ものも言わずに十手でその顔や肩や腕を打擲して叩きのめした鬼頭は、それから徐に、板塀に頽れた男たちに顔を近づけてにっと笑った。男たちの眼は恐怖に慄き、貌は引き攣っていた。やおら男たちに袋を開けさせて、その前に片手を差し出し、掌に載せられた何枚かの小判をぎゅっと握って、鬼頭はそれを己が袂に入れた。
二人をじろっとねめまわすようにして立ち上がった鬼頭は低く、然し、鋭く言った。
「直ぐに其処の番屋へ自訴しろ、良いな。もし自訴しなかったら、見つけ次第に叩き殺すぞ!」
「へい」
その一言で男たちは這う這うの態で、互いを庇い合い乍ら痛む足を引き摺って、その場から逃げ失せた。
番屋や役宅の在る方角とは反対の道へ踵を返した鬼頭は、未だ細小路に倒れていたお店者には眼もくれず、すたすたと足早に歩き去った。
 
 四半刻後、鬼頭が入って行ったのは路地の奥の長屋の一軒だった。二十五、六歳の年増女が鬼頭を迎え入れた。部屋には既に行燈の灯が入っていた。
 上がり込んだ鬼頭は勝手に徳利から茶碗に酒を注ぎ入れて一息に飲み干し、それからゆっくりと羽織を脱ぎ、腰帯から刀を抜いて女の前に胡坐をかいた。
「お艶、何をぐずぐずして居る」
言うなり女を引き寄せて押し倒しその着物を剥ぎに掛かった。
「嫌ね、せっかちに」
直ぐに二人は激しく絡み合い、上になり下になりしてのたうち回った。
責められ喘ぎ、また責め立てられて、女は口いっぱいに絶叫しつつ仰け反って、何度も果てた。
 女は鬼頭が捕縛した男の情女だった。
良い女だった。抜けるような色白の丸顔に目鼻立ちがくっきりし、その肉体には匂うような年増女の色香が漂っていた。それに、茶屋女にしては楚々とした品もあった。
「俺の言うことを聞けば情人の罪を軽くしてやるぞ」
そう言って、お為ごかしに中半は脅して、ものにした女だった。あれから既に二年余りが経っている。
 一刻後、お艶に濡れ手拭いで身体を拭かした鬼頭はやおら帰り支度を始めた。
「あら、もう帰るんですか?」
情を交わした後の潤んだ眼でお艶が咎めた。
それには応えずに鬼頭はそそくさと長屋を後にした。
憎い人、と言うお艶の声が背中で聞こえた、気がした。
 路地の木戸を抜けたところで下引きの源蔵と鉢合わせた。
「おう、そんな「へい、大川のに慌てて、何かあったのか?」
「へい、河原で若い女が一人、殺されました」
「なに、殺しだと?早速に案内して貰おうか」
 
 川原には既に幾つかの提灯の灯が揺れ動き、大きな篝火が一本焚かれていた。それは向こう岸へ架けられた橋の直ぐ下の川原だった。
死体には蓆が掛けられ、与力、同心、下引き等が辺りを探索し始めていた。
 鬼頭は蓆に近づくと無造作に十手の先でそれを撥ね退けた。死体は仰向けに寝ていたが何一つ身に纏ってはいなかった。濃い陰毛が風に吹かれて揺れていた。死体には喉元に締め跡があり何カ所もの刺し傷も有ったが、盛り上がった左の乳房の傷が殊に深く、鮮血が迸ってそれが致命傷のようだった。凌辱された様子は無かった。髪は髷を解いて洗い髪を梳いたように長く下ろされ後ろで束ねられていた。茶屋女の間でこのところ流行り出した髪型のようだった。近くに捨てられている着物は千々に引き裂かれて破れ、赤い蹴出しが夜目にも鮮やかに鬼頭の眼を射た。彼は側に居る誰にともなく呟いた。
「こりゃ、相当なもんだな。然し、久し振りに面白い捕物になるぞ」
舌なめずりするようなうっそりした表情だった。
それから、死体に蓆を掛け直した鬼頭は片手拝みに仏を弔った。
 何か手掛かりになるものは無いかと辺りを物色し始めた鬼頭の視線の先に、少し離れた茂みの中に、絵の切れ端らしきものが散乱していた。彼は何気なくその一枚を拾ってみたが、特段関係無いか、と無造作にその場に捨てた。暗い夜目にはその他には何も見つけることは出来なかった。筆頭与力の葛西が身元割り出しの為の聞き込みを一同に指示して、その夜の探索は終わった。更けた夜の闇の中ではこれ以上はやり様が無かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】月よりきれい

悠井すみれ
歴史・時代
 職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。  清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。  純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。 嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。 第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。 表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

拾われ子だって、姫なのです!

田古みゆう
歴史・時代
南蛮人、南蛮人って。わたくしはれっきとした倭人よ! お江戸の町で与力をしている井上正道と、部下の高山小十郎は、二人の赤子をそれぞれ引き取り、千代と太郎と名付け育てることに。 月日は流れ、二人の赤子はすくすくと成長した。見目麗しい姿と珍しい青眼を持つため、周囲からは奇異の眼で見られる。こそこそと噂をされるたび、千代は自分は一体何者なのだろうかと、自身の出自について悩んでいた。唯一同じ青眼を持つ太郎と悩みを分かち合おうにも、何かを知っていそうな太郎はあまり多くを語らない。それがまた千代を悶々とさせていた。 そんな千代を周囲の者は遠巻きに見ながらも、その麗しさに心奪われる者は多く、やがて年頃の千代にも縁談話が持ち上がる。 しかし、当の千代はそんなことには興味がなく。寄ってくる男を、口八丁手八丁で退けてばかり。 果たして勝気な姫様の心を射止める者が、このお江戸にいるのかっ!? 痛快求婚譚、これよりはじまりはじまり〜♪

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

処理中です...