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第一話 女渡世人
⑩男が五人、一人の女に襲いかかった
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宿場の外れを流れる大川の両岸には、桜の花が今を盛りと咲き誇っていた。遅咲きの八重桜であった。季節はもう春の盛りを過ぎていた。
お倫がその宿場に足を踏み入れた時は暮れ六つ近かかった。本街道から逸れた脇街道筋であったが、大きな宿場であった。家数は裕に三百軒を超え、旅籠も三十数軒、土産物を扱う萬屋、煮売屋、居酒屋などが軒を連ね、茶屋も何軒かあって色町も形作られていた。
お倫が宿場の中ほどに差し掛かった時、手前向こうから声音の良い粋な小唄が聞こえて来た。合いの手の三味線も冴えた音色だった。お倫が門付けで唄う小唄とは又、趣を異にしていた。
♪思いかけたのは、むげにはせまい。石に立つ矢もあるものを、立つ矢も石に、石に立つ矢もあるものを・・・♪
お倫は良くは知らなかったが、投げ節と呼ばれる小唄のようだった。投げ節は遊郭などで、客や妓が投げ遣りに唄う歌で、そそり節、ぞめき節などとも呼ばれていた。
三味線を抱え手拭を吹流しにして唄いながら此方へやって来た女は、年の頃二十八、九歳、色白の丸面に目鼻立ちのはっきりした造作、艶やかな良い女だった。
と、突然、五、六人のやくざ者がどやどやと追いかけて来て、女を取り囲んだ。
「やい、お仙、よくも俺たちの賭場を荒らしてくれたな。徒じゃ済まねえから覚悟しやがれ」
「何言っているんだよ。やらずぶったくりのいかさま勝負、それも素人衆の遊んでいなさる地獄の盆茣蓙、引っ繰り返して荒らしてやったのが何だと言うのさ。界隈じゃ些か名の知れた親分さんかも知れないが、聞いて呆れる所業だよ」
「お前も投げ節お仙と、この世界じゃちっとは名の知れた女だ。賭場荒らしの仕置の重えのは承知しているだろう」
「正賽勝負は運を賭けるが、いかさま賽は手品仕掛けで底がある。欲と娯の両股かけた盆の上の勝負でも卑怯は渡世の忌みものですよ。あたしゃ吹けば飛ぶような旅渡りの門付けですが、間男といかさま賽は大嫌いなんですよ」
「このアマ、言わしておけば・・・よし、構わねぇから畳んで簀巻きにしちまえ!」
二、三人の男が、お仙と呼ばれた女に掴み掛かって行った。が、お仙は咄嗟に三味線の撥で男のひとりを引っ掻き、もう一人の腕を薙いだ。
逆上した男達が脇差を抜いてお仙に襲い掛かった。お仙は右に左に何とかかわしていたが多勢に無勢、まして女一人では太刀打ち出来なかった。お仙がよろめいて膝を着いた。
お倫の動きは素早やかった。さっと男達の前に割って入りお仙を後ろに庇って立ちはだかった。
「何だ、手前ぇは!邪魔だから引っ込んでろ!」
「大の男が五人も揃って女一人を殺るんですか?みっともないからお止しなさいよ。それとも、いかさま賽を見抜かれて沽券に関わるから、この人を消そうと言うんですか」
男達は飛び出したのが女だと知って、侮ったようだった。
「へっへっへ。なかなかの別嬪じゃねぇか、お前ぇもこの女のご同業か」
そう言いつつお倫の肩を掴まえようとした。
が、次の瞬間、男は片腕を腰の後ろに捻じ曲げられて仰け反り、痛ぇてってって、と言って顔を大きく顰めた。
「外道みたいなことはお止めなさいよ、ね、皆さん方」
お倫は男の腰をぽんと蹴った。男は大きく前につんのめってたたらを踏んだ。
「畜生、このアマ!」
向き直った男が長脇差を抜いてお倫に斬りかかって行った。が、瞬時に男の手から長脇差が落ちた。男は太腕を抉られて悲鳴とも喚きともつかぬ大声を上げた。お倫の手には三味線の撥が逆手に握られていた。
それから先は眼にも留まらぬ早業だった。お倫の身体が男達の間で浮いたり沈んだりした一瞬に五人の男は皆、太腿や腕や脇腹を引っ掻き割られて、のた打ち回った。観ていたお仙は心底驚いた。瞬きもせぬうちの鮮やかな速さだった。
「覚えてろ、このアマ!」
男達は捨て台詞を残して、互いを助け合いながら、逃げ去った。
「大丈夫ですか、お姐さん」
そう言いながらお倫がお仙を助け起した。お仙は膝の上と太腿辺りに傷を負っているようだった。
「歩けますか?」
お倫はお仙に肩を貸し右腕で腰を抱えて立ち上がらせた。お仙は足を引き摺りながらも何とか歩けるようだった。
お倫は目敏く通りを見回し、脇に逸れた細い道に在った旅籠の敷居を跨いだ。目立たない小さな木賃宿だったが、身を隠すには恰好の場所かも知れなかった。直ぐに帳場と掛けあって裏木戸に近い一番奥の部屋を都合させた。お倫は草鞋の紐を解き、足を漱ぐ間に、焼酎と油薬と油紙、それに手拭を二本用意するよう店の者に頼んだ。
お仙の傷は思ったよりは浅かった。膝の上の傷は骨に達するほどの傷ではなかったし、太腿の傷も赤い血が流れ出てはいたが、それほど深いものではなかった。ただ柔らかい肉が切れてざっくりと口を開けてはいた。
「少し沁みますが一寸我慢して下さい」
そう言ってお倫は焼酎で傷口を丁寧に洗い、油薬を塗ってその上に油紙を貼り、手拭を二つに裂いてきつく縛った。お仙は顔を歪めて歯を食い縛り痛みに耐えた。ぐう~の弱音も吐かなかった。
「これで三日もすれば歩けるようになりますよ、でも、傷口が塞がるまでは無理は禁物ですよ、お姐さん」
そう言ってお倫は治療を終えた。
「有難うね、お陰で助かったよ。それにしてもあんた、凄い腕だね。何処かでちゃんとした修行を積んだ凄腕だね。あたしゃ自分の身も忘れて、惚れ惚れして観ていたよ」
「いえ、わたしはそんな大それた修行を積んだ訳ではありません。ほんの少し手解きを受けただけですから」
「そうなの。ま、お互いの事情は言わず語らずにしときましょう。あたしの名は仙、渡世人の世界では、投げ節お仙、で通っていますよ」
「わたしは倫と言います。鳥追いを始めたばかりの未熟者です」
それからお仙は横になって少しまどろんだようだった。
お倫がその宿場に足を踏み入れた時は暮れ六つ近かかった。本街道から逸れた脇街道筋であったが、大きな宿場であった。家数は裕に三百軒を超え、旅籠も三十数軒、土産物を扱う萬屋、煮売屋、居酒屋などが軒を連ね、茶屋も何軒かあって色町も形作られていた。
お倫が宿場の中ほどに差し掛かった時、手前向こうから声音の良い粋な小唄が聞こえて来た。合いの手の三味線も冴えた音色だった。お倫が門付けで唄う小唄とは又、趣を異にしていた。
♪思いかけたのは、むげにはせまい。石に立つ矢もあるものを、立つ矢も石に、石に立つ矢もあるものを・・・♪
お倫は良くは知らなかったが、投げ節と呼ばれる小唄のようだった。投げ節は遊郭などで、客や妓が投げ遣りに唄う歌で、そそり節、ぞめき節などとも呼ばれていた。
三味線を抱え手拭を吹流しにして唄いながら此方へやって来た女は、年の頃二十八、九歳、色白の丸面に目鼻立ちのはっきりした造作、艶やかな良い女だった。
と、突然、五、六人のやくざ者がどやどやと追いかけて来て、女を取り囲んだ。
「やい、お仙、よくも俺たちの賭場を荒らしてくれたな。徒じゃ済まねえから覚悟しやがれ」
「何言っているんだよ。やらずぶったくりのいかさま勝負、それも素人衆の遊んでいなさる地獄の盆茣蓙、引っ繰り返して荒らしてやったのが何だと言うのさ。界隈じゃ些か名の知れた親分さんかも知れないが、聞いて呆れる所業だよ」
「お前も投げ節お仙と、この世界じゃちっとは名の知れた女だ。賭場荒らしの仕置の重えのは承知しているだろう」
「正賽勝負は運を賭けるが、いかさま賽は手品仕掛けで底がある。欲と娯の両股かけた盆の上の勝負でも卑怯は渡世の忌みものですよ。あたしゃ吹けば飛ぶような旅渡りの門付けですが、間男といかさま賽は大嫌いなんですよ」
「このアマ、言わしておけば・・・よし、構わねぇから畳んで簀巻きにしちまえ!」
二、三人の男が、お仙と呼ばれた女に掴み掛かって行った。が、お仙は咄嗟に三味線の撥で男のひとりを引っ掻き、もう一人の腕を薙いだ。
逆上した男達が脇差を抜いてお仙に襲い掛かった。お仙は右に左に何とかかわしていたが多勢に無勢、まして女一人では太刀打ち出来なかった。お仙がよろめいて膝を着いた。
お倫の動きは素早やかった。さっと男達の前に割って入りお仙を後ろに庇って立ちはだかった。
「何だ、手前ぇは!邪魔だから引っ込んでろ!」
「大の男が五人も揃って女一人を殺るんですか?みっともないからお止しなさいよ。それとも、いかさま賽を見抜かれて沽券に関わるから、この人を消そうと言うんですか」
男達は飛び出したのが女だと知って、侮ったようだった。
「へっへっへ。なかなかの別嬪じゃねぇか、お前ぇもこの女のご同業か」
そう言いつつお倫の肩を掴まえようとした。
が、次の瞬間、男は片腕を腰の後ろに捻じ曲げられて仰け反り、痛ぇてってって、と言って顔を大きく顰めた。
「外道みたいなことはお止めなさいよ、ね、皆さん方」
お倫は男の腰をぽんと蹴った。男は大きく前につんのめってたたらを踏んだ。
「畜生、このアマ!」
向き直った男が長脇差を抜いてお倫に斬りかかって行った。が、瞬時に男の手から長脇差が落ちた。男は太腕を抉られて悲鳴とも喚きともつかぬ大声を上げた。お倫の手には三味線の撥が逆手に握られていた。
それから先は眼にも留まらぬ早業だった。お倫の身体が男達の間で浮いたり沈んだりした一瞬に五人の男は皆、太腿や腕や脇腹を引っ掻き割られて、のた打ち回った。観ていたお仙は心底驚いた。瞬きもせぬうちの鮮やかな速さだった。
「覚えてろ、このアマ!」
男達は捨て台詞を残して、互いを助け合いながら、逃げ去った。
「大丈夫ですか、お姐さん」
そう言いながらお倫がお仙を助け起した。お仙は膝の上と太腿辺りに傷を負っているようだった。
「歩けますか?」
お倫はお仙に肩を貸し右腕で腰を抱えて立ち上がらせた。お仙は足を引き摺りながらも何とか歩けるようだった。
お倫は目敏く通りを見回し、脇に逸れた細い道に在った旅籠の敷居を跨いだ。目立たない小さな木賃宿だったが、身を隠すには恰好の場所かも知れなかった。直ぐに帳場と掛けあって裏木戸に近い一番奥の部屋を都合させた。お倫は草鞋の紐を解き、足を漱ぐ間に、焼酎と油薬と油紙、それに手拭を二本用意するよう店の者に頼んだ。
お仙の傷は思ったよりは浅かった。膝の上の傷は骨に達するほどの傷ではなかったし、太腿の傷も赤い血が流れ出てはいたが、それほど深いものではなかった。ただ柔らかい肉が切れてざっくりと口を開けてはいた。
「少し沁みますが一寸我慢して下さい」
そう言ってお倫は焼酎で傷口を丁寧に洗い、油薬を塗ってその上に油紙を貼り、手拭を二つに裂いてきつく縛った。お仙は顔を歪めて歯を食い縛り痛みに耐えた。ぐう~の弱音も吐かなかった。
「これで三日もすれば歩けるようになりますよ、でも、傷口が塞がるまでは無理は禁物ですよ、お姐さん」
そう言ってお倫は治療を終えた。
「有難うね、お陰で助かったよ。それにしてもあんた、凄い腕だね。何処かでちゃんとした修行を積んだ凄腕だね。あたしゃ自分の身も忘れて、惚れ惚れして観ていたよ」
「いえ、わたしはそんな大それた修行を積んだ訳ではありません。ほんの少し手解きを受けただけですから」
「そうなの。ま、お互いの事情は言わず語らずにしときましょう。あたしの名は仙、渡世人の世界では、投げ節お仙、で通っていますよ」
「わたしは倫と言います。鳥追いを始めたばかりの未熟者です」
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