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第一話 女渡世人
⑦翌日からお倫の剣術の稽古が始まった
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翌日からお倫の剣術の稽古が始まった。
与一郎は稽古に手加減を加えることは無かった。十内に対する時と同じ様に裂ぱくの気合と迫真の気迫を以って対峙した。技の型や剣道の精神を教えることも無かった。無論、手取り足取りの指導もしなかった。唯々、木刀を持って前に突くことだけを求めた。お倫も必死の形相で与一郎に突き掛かって行った。しかし、何度突きを入れても唯ただ身をかわされるだけで、その度にお倫は道場の床につんのめって転倒した。二人の稽古は小半刻に及び、お倫はふらふらになって、終わる頃には半分泣きながら突き掛かっていた。
掌に出来た木刀を握る肉刺が潰れ、起居にも苦痛を伴うほど足腰の痛みも強く、転倒して擦り剥いた膝にようやく瘡蓋が出来かかった頃、与一郎はただ身をかわすだけでなく、お倫の突き出す木刀を叩き落すようにし始めた。突いても、突いても叩き落された。拾っては突き、また拾っては突いて、お倫は憑かれたように死に狂いで突きを入れていった。
二ヶ月ほどが経った或る日、福元屋善右衛門と妻の美禰が庵を訪れた。
「菅谷先生、そろそろ娘の心の傷も幾分癒えたようですし、何時までも此方様にご厄介をお掛けし続けている訳にも参りませんので、近か近か娘を引取らせて頂きたいと存じますが・・・」
聞いたお倫は、然し、家へ帰ろうとはしなかった。剣術の稽古を始めたばかりであること、その稽古を通じて自分を創り直す何かを掴み取りたいこと、そうでなければこの儘では自分はこの先生きていけないこと、を懸命に両親に訴えた。
「先生、どうぞわたくしをお助け下さい」
十内にも眼から涙を零して懇願した。
善右衛門夫婦は驚いて執拗に反対した。
「女だてらに何もお前、そんなことを・・・」
「そうですよ、お倫。早く家に帰って祝言の支度をしなくちゃ、ね」
お倫は暫く躊躇っている様子であったが、意を決したように口を開いた。
「お父っつぁん、おっ母さん、お倫はもう居ないものと思って下さい。福元屋は妹のお妙に継がせてやって下さい。清次郎さんとお妙は想い合っている仲なんです。清次郎さんが好いているのは私ではなくお妙の方なんです。何度か家にお見えになった清次郎さんとお妙の様子から見て、判っているんです。私はこんな身体になってしまったし、清次郎さんと夫婦になっても一生黙って欺き通すことは出来ません。だからお願いです、お妙と清次郎さんを一緒にしてやって下さい」
善右衛門夫婦は心底驚いた、が、然し、もう言うべき言葉は無かった。こんな不慮の災難に出会わなくても、お倫はこの縁談からはいずれ降りる心算ではなかったのかと、お倫の心情を推し量った。
「先生、ご厄介をお掛けいたしますが、もう暫く、娘を宜しくお願い申します」
止む無く善右衛門夫婦は恭しく低頭して帰って行った。
そして、お倫の朝稽古が又、始まった。
突きの稽古を始めて半年近くが経った頃、お倫の木刀は叩かれても落ちなくなっていた。それほど強く握っている訳ではないのに、不思議と手から落ちないのである。そして、お倫の突き出す木刀が極く稀に与一郎の稽古着の袖を掠めることも起った。無論、お倫には解らなかった、お倫は無意識であった。お倫はひたすらに脇目も振らず突きを入れていた。与一郎もお倫も言葉は交わさなかった。二人とも無言で突きの稽古に励んだ。裂ぱくの気迫で対峙する剣の稽古に指導や叱責や激励の言葉など無用であると与一郎は身を以って示していたし、お倫にもその気持は通じていた。
「お倫殿、突きの的は相手の心の臓と喉元に絞りなさい。そなたの腕は既にそれを十分に可能にするまでに上達していますから」
この与一郎の一言を以って、突きの稽古は終焉した。
与一郎は稽古に手加減を加えることは無かった。十内に対する時と同じ様に裂ぱくの気合と迫真の気迫を以って対峙した。技の型や剣道の精神を教えることも無かった。無論、手取り足取りの指導もしなかった。唯々、木刀を持って前に突くことだけを求めた。お倫も必死の形相で与一郎に突き掛かって行った。しかし、何度突きを入れても唯ただ身をかわされるだけで、その度にお倫は道場の床につんのめって転倒した。二人の稽古は小半刻に及び、お倫はふらふらになって、終わる頃には半分泣きながら突き掛かっていた。
掌に出来た木刀を握る肉刺が潰れ、起居にも苦痛を伴うほど足腰の痛みも強く、転倒して擦り剥いた膝にようやく瘡蓋が出来かかった頃、与一郎はただ身をかわすだけでなく、お倫の突き出す木刀を叩き落すようにし始めた。突いても、突いても叩き落された。拾っては突き、また拾っては突いて、お倫は憑かれたように死に狂いで突きを入れていった。
二ヶ月ほどが経った或る日、福元屋善右衛門と妻の美禰が庵を訪れた。
「菅谷先生、そろそろ娘の心の傷も幾分癒えたようですし、何時までも此方様にご厄介をお掛けし続けている訳にも参りませんので、近か近か娘を引取らせて頂きたいと存じますが・・・」
聞いたお倫は、然し、家へ帰ろうとはしなかった。剣術の稽古を始めたばかりであること、その稽古を通じて自分を創り直す何かを掴み取りたいこと、そうでなければこの儘では自分はこの先生きていけないこと、を懸命に両親に訴えた。
「先生、どうぞわたくしをお助け下さい」
十内にも眼から涙を零して懇願した。
善右衛門夫婦は驚いて執拗に反対した。
「女だてらに何もお前、そんなことを・・・」
「そうですよ、お倫。早く家に帰って祝言の支度をしなくちゃ、ね」
お倫は暫く躊躇っている様子であったが、意を決したように口を開いた。
「お父っつぁん、おっ母さん、お倫はもう居ないものと思って下さい。福元屋は妹のお妙に継がせてやって下さい。清次郎さんとお妙は想い合っている仲なんです。清次郎さんが好いているのは私ではなくお妙の方なんです。何度か家にお見えになった清次郎さんとお妙の様子から見て、判っているんです。私はこんな身体になってしまったし、清次郎さんと夫婦になっても一生黙って欺き通すことは出来ません。だからお願いです、お妙と清次郎さんを一緒にしてやって下さい」
善右衛門夫婦は心底驚いた、が、然し、もう言うべき言葉は無かった。こんな不慮の災難に出会わなくても、お倫はこの縁談からはいずれ降りる心算ではなかったのかと、お倫の心情を推し量った。
「先生、ご厄介をお掛けいたしますが、もう暫く、娘を宜しくお願い申します」
止む無く善右衛門夫婦は恭しく低頭して帰って行った。
そして、お倫の朝稽古が又、始まった。
突きの稽古を始めて半年近くが経った頃、お倫の木刀は叩かれても落ちなくなっていた。それほど強く握っている訳ではないのに、不思議と手から落ちないのである。そして、お倫の突き出す木刀が極く稀に与一郎の稽古着の袖を掠めることも起った。無論、お倫には解らなかった、お倫は無意識であった。お倫はひたすらに脇目も振らず突きを入れていた。与一郎もお倫も言葉は交わさなかった。二人とも無言で突きの稽古に励んだ。裂ぱくの気迫で対峙する剣の稽古に指導や叱責や激励の言葉など無用であると与一郎は身を以って示していたし、お倫にもその気持は通じていた。
「お倫殿、突きの的は相手の心の臓と喉元に絞りなさい。そなたの腕は既にそれを十分に可能にするまでに上達していますから」
この与一郎の一言を以って、突きの稽古は終焉した。
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