10 / 11
増長
しおりを挟む レオナードは一直線に馬車へと向かう。
対してルシータは、えっぐ、えっぐとべそをかきながらも、火傷に効くアロエを探す。
涙でぼやけた視界の端に、イガイガした長細い葉っぱを見つけて足を止めようとした。
けれどルシータは今、レオナードに抱えあげられていて、つま先すらまともに地面についていない状態。それでは、叶うはずもない。
しかも、ちょっと待ってと声を掛けたくても、今のルシータは、アスティリアの嘘泣きとは違う。本気の涙を流している。
つまり声を出すために息を整えようとすれば、余計なものが鼻から出てしまう可能性が極めて高い。
どんなにキャパオーバーになっても、ルシータだって女の子だ。
しかも好きな人の腕の中にいる状態で、そんなもの誰が好き好んで見せたいと思うだろうか。
だから結局、ルシータはアロエを採取できぬまま、有無を言わさず馬車に乗せられてしまった。と、同時にレオナード自身もしなやかに馬車に乗り込んだ。
「───……ルシータ、頼む。お願いだから泣き止んでくれ。何でもするから」
乱暴ではないけれど、強引に馬車の座席に着席させられた途端、ほとほと困り果てたレオナードの声を聞いて、ルシータはなぜかここでプツンとキレた。
「何でもするって言うなら、熱湯なんか浴びないでよっ」
いやもう、そんなことを言ったところで遅い。
でもルシータは、あまりに動揺していて、もっとも望むことしか口に出来なかった。
「えー……それは、また難題だなぁ」
過去を変えろと無茶ぶりされたレオナードは、眉を下げて苦笑する。
でもそう言いながらも、手を伸ばしてルシータの涙を拭きとった。少し硬い親指の腹がルシータの目元をそっと撫でる。手の甲で、頬も撫でられた。
涙で濡れた皮膚が、レオナードの指を的確に感じ取って、ルシータはぞくりと背中が震える。感情を高ぶらせているせいで熱い頬に、ほんのり冷えた彼の手はとても心地よかった。
とはいえ、こんな時にあからさまに喜ぶことはできない。
ルシータは馬車の座席にきちんと着席しているけれど、レオナードは向かいの席に座っていない。床に膝をついて、ルシータを覗き込んでいる。
だから、その痛々しい顔が良く見える。
額から頬にかけて赤くなっている。なのに、相も変わらず眩しい程に美しく整っている。
彼をこんなふうにさせてしまったのは、自分のせいだ。
ルシータは心の底から自分を責めた。今、世界中の人間から「人でなし」と罵られても甘んじて受け入れたいと思う程に。
なのに、そのご尊顔の持ち主は、ルシータが憂えた顔をしているというのに、こんなことを言った。
「いやぁ、水も滴るイイ男だろ?惚れ直してくれたかい?」
「馬鹿っ」
ルシータは食い気味に、レオナードを怒鳴りつけた。
レオナードがイイ男なんて、そんなものわかりきったことだ。太陽が西に沈むのと同じくらい、当たり前のことだ。今更、水……いや、熱湯を被る必要なんてない。
それにあまりに、その発言は場違いだ。その表情も。
なんで、嬉しそうに笑っているのだろう。痛い思いをしたはずなのに。どうしてこの人は、なんでもなかったかのように振る舞えるのだろう。
熱湯を浴びていない自分が、こんなにも辛くて悲しいと言うのに。これじゃあ、まるで逆ではないか。
「......レオナード」
「ん?なんだい、ルシータ」
「痛い?」
「ぜんぜん」
「そこ......ヒリヒリしてるでしょ?」
「ちっとも」
「......嘘つき」
「嘘じゃないさ。それより、君が無事で良かった」
───……ああ、そっか。彼は超が付く格上のお貴族様だった。だからもしかして、痛いとか辛いとか、声に出すことができないだけなのかもしれない。
ルシータはそんなふうに間違った解釈をしてしまった。
そして、そんな彼に自分ができることは一つしかないと、これまた、やや斜め上の結論に達した。
「私、アロエを取ってくるっ」
「は?ちょっ、だ、大丈夫だから、ルシータっ」
馬車を飛び出そうと、ルシータが転がるように扉に手を掛けた途端、レオナードに強く腕を捕まれた。
そしてそのまま、再び着席させられる。でも、今度はレオナードは床に膝をつくことはしなかった。覆い被さるように、ここにいる。
レオナードは両の手を馬車の壁について、その腕の間にルシータを閉じ込めて、じっと見つめた。
「ここにいて。ルシータ」
至近距離なんてもんじゃない。
息がふれあうほどレオナードの顔が間近に迫れば、尊すぎるものを見た人間の心情として、目を逸らしてしまう。
だからルシータは、レオナードが次に取る行動を予測することができなかった。
「───......なっ」
ルシータは小さく声をあげた。
なんということだろうか。信じられないことに、レオナードは、今、たった今、ルシータの唇をペロリと舐めたのだ。
なかなかのことをしてくれたのに、ルシータが甘受してしまったのは、彼の行動があまりにも早かったため、反応ができなかったから。
「ああ、やっぱり傷になってるね。痛い?」
労りに満ちた眼差しをルシータに向けながら、レオナードはもう一度、そのサクラ色の唇をペロリと舐めた。
「なっ!!!!」
今度は短い言葉にありったけの感情を凝縮して、ルシータが叫んだけれど、レオナードはどこ吹く風。
むしろなんだか不機嫌と言うか、はっきり言って拗ねた表情に変わっていた。
「ねえ、ルシータ。僕、ちょっと怒っているんだけど」
「は......い?」
レオナードの表情は矛盾していた。
不機嫌そうに顔をしかめているくせに、真っ直ぐにルシータを見つめる瞳は潤み、欲情を孕んでいるかのように熱を帯びている。
ルシータは、ものの見事に固まった。
不幸中の幸いで、唇ペロリ事件は頭の隅に追いやることができた。けれど、今まさに別の危機的状況に陥っているような気がしてならなかった。
対してルシータは、えっぐ、えっぐとべそをかきながらも、火傷に効くアロエを探す。
涙でぼやけた視界の端に、イガイガした長細い葉っぱを見つけて足を止めようとした。
けれどルシータは今、レオナードに抱えあげられていて、つま先すらまともに地面についていない状態。それでは、叶うはずもない。
しかも、ちょっと待ってと声を掛けたくても、今のルシータは、アスティリアの嘘泣きとは違う。本気の涙を流している。
つまり声を出すために息を整えようとすれば、余計なものが鼻から出てしまう可能性が極めて高い。
どんなにキャパオーバーになっても、ルシータだって女の子だ。
しかも好きな人の腕の中にいる状態で、そんなもの誰が好き好んで見せたいと思うだろうか。
だから結局、ルシータはアロエを採取できぬまま、有無を言わさず馬車に乗せられてしまった。と、同時にレオナード自身もしなやかに馬車に乗り込んだ。
「───……ルシータ、頼む。お願いだから泣き止んでくれ。何でもするから」
乱暴ではないけれど、強引に馬車の座席に着席させられた途端、ほとほと困り果てたレオナードの声を聞いて、ルシータはなぜかここでプツンとキレた。
「何でもするって言うなら、熱湯なんか浴びないでよっ」
いやもう、そんなことを言ったところで遅い。
でもルシータは、あまりに動揺していて、もっとも望むことしか口に出来なかった。
「えー……それは、また難題だなぁ」
過去を変えろと無茶ぶりされたレオナードは、眉を下げて苦笑する。
でもそう言いながらも、手を伸ばしてルシータの涙を拭きとった。少し硬い親指の腹がルシータの目元をそっと撫でる。手の甲で、頬も撫でられた。
涙で濡れた皮膚が、レオナードの指を的確に感じ取って、ルシータはぞくりと背中が震える。感情を高ぶらせているせいで熱い頬に、ほんのり冷えた彼の手はとても心地よかった。
とはいえ、こんな時にあからさまに喜ぶことはできない。
ルシータは馬車の座席にきちんと着席しているけれど、レオナードは向かいの席に座っていない。床に膝をついて、ルシータを覗き込んでいる。
だから、その痛々しい顔が良く見える。
額から頬にかけて赤くなっている。なのに、相も変わらず眩しい程に美しく整っている。
彼をこんなふうにさせてしまったのは、自分のせいだ。
ルシータは心の底から自分を責めた。今、世界中の人間から「人でなし」と罵られても甘んじて受け入れたいと思う程に。
なのに、そのご尊顔の持ち主は、ルシータが憂えた顔をしているというのに、こんなことを言った。
「いやぁ、水も滴るイイ男だろ?惚れ直してくれたかい?」
「馬鹿っ」
ルシータは食い気味に、レオナードを怒鳴りつけた。
レオナードがイイ男なんて、そんなものわかりきったことだ。太陽が西に沈むのと同じくらい、当たり前のことだ。今更、水……いや、熱湯を被る必要なんてない。
それにあまりに、その発言は場違いだ。その表情も。
なんで、嬉しそうに笑っているのだろう。痛い思いをしたはずなのに。どうしてこの人は、なんでもなかったかのように振る舞えるのだろう。
熱湯を浴びていない自分が、こんなにも辛くて悲しいと言うのに。これじゃあ、まるで逆ではないか。
「......レオナード」
「ん?なんだい、ルシータ」
「痛い?」
「ぜんぜん」
「そこ......ヒリヒリしてるでしょ?」
「ちっとも」
「......嘘つき」
「嘘じゃないさ。それより、君が無事で良かった」
───……ああ、そっか。彼は超が付く格上のお貴族様だった。だからもしかして、痛いとか辛いとか、声に出すことができないだけなのかもしれない。
ルシータはそんなふうに間違った解釈をしてしまった。
そして、そんな彼に自分ができることは一つしかないと、これまた、やや斜め上の結論に達した。
「私、アロエを取ってくるっ」
「は?ちょっ、だ、大丈夫だから、ルシータっ」
馬車を飛び出そうと、ルシータが転がるように扉に手を掛けた途端、レオナードに強く腕を捕まれた。
そしてそのまま、再び着席させられる。でも、今度はレオナードは床に膝をつくことはしなかった。覆い被さるように、ここにいる。
レオナードは両の手を馬車の壁について、その腕の間にルシータを閉じ込めて、じっと見つめた。
「ここにいて。ルシータ」
至近距離なんてもんじゃない。
息がふれあうほどレオナードの顔が間近に迫れば、尊すぎるものを見た人間の心情として、目を逸らしてしまう。
だからルシータは、レオナードが次に取る行動を予測することができなかった。
「───......なっ」
ルシータは小さく声をあげた。
なんということだろうか。信じられないことに、レオナードは、今、たった今、ルシータの唇をペロリと舐めたのだ。
なかなかのことをしてくれたのに、ルシータが甘受してしまったのは、彼の行動があまりにも早かったため、反応ができなかったから。
「ああ、やっぱり傷になってるね。痛い?」
労りに満ちた眼差しをルシータに向けながら、レオナードはもう一度、そのサクラ色の唇をペロリと舐めた。
「なっ!!!!」
今度は短い言葉にありったけの感情を凝縮して、ルシータが叫んだけれど、レオナードはどこ吹く風。
むしろなんだか不機嫌と言うか、はっきり言って拗ねた表情に変わっていた。
「ねえ、ルシータ。僕、ちょっと怒っているんだけど」
「は......い?」
レオナードの表情は矛盾していた。
不機嫌そうに顔をしかめているくせに、真っ直ぐにルシータを見つめる瞳は潤み、欲情を孕んでいるかのように熱を帯びている。
ルシータは、ものの見事に固まった。
不幸中の幸いで、唇ペロリ事件は頭の隅に追いやることができた。けれど、今まさに別の危機的状況に陥っているような気がしてならなかった。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説

延岑 死中求生
橘誠治
歴史・時代
今から2000年ほど前の中国は、前漢王朝が亡び、群雄割拠の時代に入っていた。
そんな中、最終勝者となる光武帝に最後まで抗い続けた武将がいた。
不屈の将・延岑の事績を正史「後漢書」をなぞる形で描いています。
※この作品は史実を元にしたフィクションです。

廃后 郭聖通
橘誠治
歴史・時代
約二千年前の中国。
前漢王朝が滅ぼされ、簒奪した新王朝も短い治世を終えようとしている頃、地方名家の娘である郭聖通は、一人の武将と結婚することになった。
武将の名は劉秀。
後漢王朝初代皇帝・光武帝となる男であり、彼の妻である聖通は皇后となる。
だが彼女は将来、ある理由から皇后を廃されることになり……
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
歴史小説家では宮城谷昌光さんや司馬遼太郎さんが好きです。
歴史上の人物のことを知るにはやっぱり物語がある方が覚えやすい。
上記のお二人の他にもいろんな作家さんや、大和和紀さんの「あさきゆめみし」に代表される漫画家さんにぼくもたくさんお世話になりました。
ぼくは特に古代中国史が好きなので題材はそこに求めることが多いですが、その恩返しの気持ちも込めて、自分もいろんな人に、あまり詳しく知られていない歴史上の人物について物語を通して伝えてゆきたい。
そんな風に思いながら書いています。

鄧禹
橘誠治
歴史・時代
再掲になります。
約二千年前、古代中国初の長期統一王朝・前漢を簒奪して誕生した新帝国。
だが新も短命に終わると、群雄割拠の乱世に突入。
挫折と成功を繰り返しながら後漢帝国を建国する光武帝・劉秀の若き軍師・鄧禹の物語。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
歴史小説家では宮城谷昌光さんや司馬遼太郎さんが好きです。
歴史上の人物のことを知るにはやっぱり物語がある方が覚えやすい。
上記のお二人の他にもいろんな作家さんや、大和和紀さんの「あさきゆめみし」に代表される漫画家さんにぼくもたくさんお世話になりました。
ぼくは特に古代中国史が好きなので題材はそこに求めることが多いですが、その恩返しの気持ちも込めて、自分もいろんな人に、あまり詳しく知られていない歴史上の人物について物語を通して伝えてゆきたい。
そんな風に思いながら書いています。

【戦国策】孝成王と李伯
橘誠治
歴史・時代
古代中国の書「戦国策」の一編を小説化してみました。
主役は趙の孝成王。
宿将・廉頗を更迭し、弁の立つ若い趙括を派遣して「長平の戦い」で惨敗したためバカ殿扱いされることも多い人ですが、こういう面もあります。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
歴史小説家では宮城谷昌光さんや司馬遼太郎さんが好きです。
歴史上の人物のことを知るにはやっぱり物語がある方が覚えやすい。
上記のお二人の他にもいろんな作家さんや、大和和紀さんの「あさきゆめみし」に代表される漫画家さんにぼくもたくさんお世話になりました。
ぼくは特に古代中国史が好きなので題材はそこに求めることが多いですが、その恩返しの気持ちも込めて、自分もいろんな人に、あまり詳しく知られていない歴史上の人物について物語を通して伝えてゆきたい。
そんな風に思いながら書いています。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
リュサンドロス伝―プルターク英雄伝より―
N2
歴史・時代
古代ギリシアの著述家プルタルコス(プルターク)の代表作『対比列伝(英雄伝)』は、ギリシアとローマの指導者たちの伝記集です。
そのなかには、マンガ『ヒストリエ』で紹介されるまでわが国ではほとんど知るひとのなかったエウメネスなど、有名ではなくとも魅力的な生涯を送った人物のものがたりが収録されています。
いままでに4回ほど完全邦訳されたものが出版されましたが、現在流通しているのは西洋古典叢書版のみ。名著の訳がこれだけというのは少しさみしい気がします。
そこで英文から重訳するかたちで翻訳を試みることにしました。
底本はJohn Dryden(1859)のものと、Bernadotte Perrin(1919)を用いました。
沢山いる人物のなかで、まずエウメネス、つぎにニキアスの伝記を取り上げました。この「リュサンドロス伝」は第3弾です。
リュサンドロスは軍事大国スパルタの将軍で、ペロポネソス戦争を終わらせた人物です。ということは平和を愛する有徳者かといえばそうではありません。策謀を好み性格は苛烈、しかし現場の人気は高いという、いわば“悪のカリスマ”です。シチリア遠征の後からお話しがはじまるので、ちょうどニキアス伝の続きとして読むこともできます。どうぞ最後までお付き合いください。
※区切りの良いところまで翻訳するたびに投稿していくので、ぜんぶで何項目になるかわかりません。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる