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連勝
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大勝であった。だがまだ終わりではなかった。
勝ち戦に歓喜する兵たちの中、合流した王常の顔は曇りがちで、その理由を聞いた劉縯も同じ表情になった。
「荘尤と陳茂の軍が近くに?」
荘尤と陳茂はともに王莽の将軍で、じつは王常ら下江軍はごく最近、彼らに負けていたのだ。その戦いで離散した兵を集めなおした王常たちは、荊州の牧(長官)の軍を野戦で破り、意気揚がったところで宜秋へ進軍。そこで劉縯と同盟を結んだのである。
劉縯もその経緯は王常から聞かされていた。だが目の前の甄・梁に勝つことに集中していたため、半ば意識から消していたのだ。しかしさすがに大敗した王常は忘れておらず、彼らの動向も監視し続けていたのである。
「こちらに来る気配が?」
「いや、それはまだわからぬが…甄阜と梁丘賜が敗れたことを聞けば、我らに恐れをなして逃げ出す可能性はあるが、その逆もありえる。王莽に敵前逃亡をとがめられかねないゆえな」
王常の答えに劉縯は腕を組み、もう一方も同じ仕草をした。
荘尤と陳茂、特に荘尤は有能で、人格も優れていると評判だった。彼らの軍が精強なことは確かだが、甄・梁ほどの大軍ではない。これだけの大勝を果たした自分たちへの警戒心は強いはずで、この後の彼らの動きは流動的で読めなかった。
余談だが荘尤は後漢の正式な史書『後漢書』では「厳尤」と記されている。これは二代皇帝・劉荘の諱と同じで、その不敬を避けるためである。
「……」
劉縯は自兵を見た。今は戦勝後のなごやかな雰囲気の中、酒食を楽しみ、激しい戦いの疲れを癒している。どちらにしても今すぐ行動を起こすわけにはいかない。
「顔卿どの、荘尤の監視、この後も頼み申す」
「言われるまでもござらん。お任せを」
劉縯は荘・陳への偵察をあらためて王常へ頼み、彼も厳しい表情ながらこころよくうなずいた。
次の日、事態は急変した。
「伯升どの、一大事だ。荘尤は苑へ向かうようだぞ」
「なんですと!」
駆け込んできた王常は、挨拶もそこそこに荘・陳軍の動きを伝えると、劉縯も表情を硬くして立ち上がった。
苑は劉縯たちも攻め落とそうと考えていたこの近辺での戦略的要地で有数の堅城だった。この時期の苑は当然新に属しており、つい最近まで甄阜と梁丘賜が拠点としていたが、その両者が撃滅された今、苑には本来の守備兵が残っているだけで大軍は存在しない。荘尤たちはそこへ入り、あらたに王莽からの命令なり援軍なりを待とうというのだろう。
そしてそれは劉縯たちにとって最悪の事態であった。少数の兵しかいない今の苑なら陥落も可能だろうが、荘尤たちに立てこもられては絶望的である。そうなれば劉縯たちは行くあてなくさまよい、下手をすれば集団は溶けてなくなってしまうだろう。
「出撃いたそう、顔卿どの」
「おお」
表情は硬いままながらすでに決意のこもったそれになっている劉縯に王常もうなずく。荘尤たちが苑にたどり着く前に撃滅しなければ自分たちは滅亡する。その認識を共有できる二人に会話はこれで充分で、次に必要なのはこの危機感を兵たちへ伝播させることであった。
「食糧を焼け!」
指揮所を出た劉縯は大声で命令し、兵たちを仰天させた。当然であろう。自ら食糧を焼くなど狂気の沙汰である。
「聞こえなかったか。食糧を焼け。馬糧もだ。釜も甑(米などを蒸すための調理土器)も潰せ。急げ!」
呆然と立ち尽くす兵たちへ劉縯は重ねて厳命する。その表情や声音に兵たちは動転しながらも従うしかない。食糧は焼かれ、釜や甑は壊されてゆく。
それらがすべて終わった後、兵を集めた劉縯は、蒼白になった彼らへ演説を始めた。
「これより我らは荘尤・陳茂の軍を追う。見ての通り食糧はもうない。戦いに勝ち、敵軍から食糧を奪う以外、我らに生き残る道はない」
無学な兵たちに戦略的な危機は伝わらなくとも生命の危機なら伝わる。最もわかりやすい形でその恐怖を刻まれた兵たちは、劉縯の演説に誘導され、不安を戦意へ転化させてゆく。それを見た劉縯はさらなる演説で兵を煽った。
「勝ち残ればまた飽きるほど喰らい飲むことができる。だが負ければそれで終わりだ。全兵、死戦せよ!」
兵たちは喚声を挙げてそれに答え、その喚声の中、劉縯は出撃を命じた。
行軍は鼓行でおこなわれた。これは太鼓を打ち鳴らしながらの進軍で「畏るる所なし」と兵の士気を挙げるときにおこなわれるものである。食糧喪失という恐怖で立ち上げられた兵の士気はこの行軍で徐々に形を変え、勇気をともなう熱いものへと転化されてゆく。
行軍速度は速い。荘尤は優秀な男だが、このときは劉縯たちの動きを見誤った。甄・梁の大軍を破ったばかりの劉縯は動かないと思い込んでいたのだ。まさか劉縯が出撃、それも自ら退路を断っての死戦を仕掛けてくるとは考えてもいなかった。
それゆえ後方への警戒はまったくおこなっておらず、劉縯も荘尤たちへ近づいたと知ると太鼓を叩くのをやめさせ、ひそかに後方をついてゆき、そして育陽へ差し掛かったところで一気に後背から襲いかかった。甄・梁に大勝した自信と退路のない恐怖を純然なる戦意へ転化させた劉縯の兵に奇襲されたのだから、無防備だった荘・陳の両軍はひとたまりもなかった。
首を斬ること三千余級。荘尤と陳茂はなんとか逃亡に成功したが、新軍の完全な敗北だった。
勝利の鬨を挙げた劉縯たちは、荘・陳軍の捨てていった輜重を回収、揚々と進軍を続け、ついに当初からの目的だった苑を囲むことに成功した。
長安にある新の宮廷は騒然となった。十万を号する甄・梁軍、さらに名将・荘尤ひきいる数万の軍が、短時日のうちに連破されたのだから当然である。しかも軍が潰滅し、将が討たれ、追い落とされる惨敗なのだ。劉縯の名は新の宮廷で一気に恐怖の代名詞と化した。
「伯升に賞を懸けよ。邑を五万戸だ。いや、その他にも黄金十万斤もつけてやる。そうだ、位は上公をくれてやろう。誰でもよい、伯升の首をもってこい!」
即位してからの王莽は感情の起伏が激しくなり、それもあってか劉縯の名を聞くだけで震えるほど怯え、過剰なまでの懸賞を提示した。それだけでなく劉縯の絵を塾(城門の両側にある建物)に描き、毎朝これを射るようにという命令まで長安や国中の役所へ下している。
王莽は実より形式を重視する男だが、これはその一例と言えるだろう。
勝ち戦に歓喜する兵たちの中、合流した王常の顔は曇りがちで、その理由を聞いた劉縯も同じ表情になった。
「荘尤と陳茂の軍が近くに?」
荘尤と陳茂はともに王莽の将軍で、じつは王常ら下江軍はごく最近、彼らに負けていたのだ。その戦いで離散した兵を集めなおした王常たちは、荊州の牧(長官)の軍を野戦で破り、意気揚がったところで宜秋へ進軍。そこで劉縯と同盟を結んだのである。
劉縯もその経緯は王常から聞かされていた。だが目の前の甄・梁に勝つことに集中していたため、半ば意識から消していたのだ。しかしさすがに大敗した王常は忘れておらず、彼らの動向も監視し続けていたのである。
「こちらに来る気配が?」
「いや、それはまだわからぬが…甄阜と梁丘賜が敗れたことを聞けば、我らに恐れをなして逃げ出す可能性はあるが、その逆もありえる。王莽に敵前逃亡をとがめられかねないゆえな」
王常の答えに劉縯は腕を組み、もう一方も同じ仕草をした。
荘尤と陳茂、特に荘尤は有能で、人格も優れていると評判だった。彼らの軍が精強なことは確かだが、甄・梁ほどの大軍ではない。これだけの大勝を果たした自分たちへの警戒心は強いはずで、この後の彼らの動きは流動的で読めなかった。
余談だが荘尤は後漢の正式な史書『後漢書』では「厳尤」と記されている。これは二代皇帝・劉荘の諱と同じで、その不敬を避けるためである。
「……」
劉縯は自兵を見た。今は戦勝後のなごやかな雰囲気の中、酒食を楽しみ、激しい戦いの疲れを癒している。どちらにしても今すぐ行動を起こすわけにはいかない。
「顔卿どの、荘尤の監視、この後も頼み申す」
「言われるまでもござらん。お任せを」
劉縯は荘・陳への偵察をあらためて王常へ頼み、彼も厳しい表情ながらこころよくうなずいた。
次の日、事態は急変した。
「伯升どの、一大事だ。荘尤は苑へ向かうようだぞ」
「なんですと!」
駆け込んできた王常は、挨拶もそこそこに荘・陳軍の動きを伝えると、劉縯も表情を硬くして立ち上がった。
苑は劉縯たちも攻め落とそうと考えていたこの近辺での戦略的要地で有数の堅城だった。この時期の苑は当然新に属しており、つい最近まで甄阜と梁丘賜が拠点としていたが、その両者が撃滅された今、苑には本来の守備兵が残っているだけで大軍は存在しない。荘尤たちはそこへ入り、あらたに王莽からの命令なり援軍なりを待とうというのだろう。
そしてそれは劉縯たちにとって最悪の事態であった。少数の兵しかいない今の苑なら陥落も可能だろうが、荘尤たちに立てこもられては絶望的である。そうなれば劉縯たちは行くあてなくさまよい、下手をすれば集団は溶けてなくなってしまうだろう。
「出撃いたそう、顔卿どの」
「おお」
表情は硬いままながらすでに決意のこもったそれになっている劉縯に王常もうなずく。荘尤たちが苑にたどり着く前に撃滅しなければ自分たちは滅亡する。その認識を共有できる二人に会話はこれで充分で、次に必要なのはこの危機感を兵たちへ伝播させることであった。
「食糧を焼け!」
指揮所を出た劉縯は大声で命令し、兵たちを仰天させた。当然であろう。自ら食糧を焼くなど狂気の沙汰である。
「聞こえなかったか。食糧を焼け。馬糧もだ。釜も甑(米などを蒸すための調理土器)も潰せ。急げ!」
呆然と立ち尽くす兵たちへ劉縯は重ねて厳命する。その表情や声音に兵たちは動転しながらも従うしかない。食糧は焼かれ、釜や甑は壊されてゆく。
それらがすべて終わった後、兵を集めた劉縯は、蒼白になった彼らへ演説を始めた。
「これより我らは荘尤・陳茂の軍を追う。見ての通り食糧はもうない。戦いに勝ち、敵軍から食糧を奪う以外、我らに生き残る道はない」
無学な兵たちに戦略的な危機は伝わらなくとも生命の危機なら伝わる。最もわかりやすい形でその恐怖を刻まれた兵たちは、劉縯の演説に誘導され、不安を戦意へ転化させてゆく。それを見た劉縯はさらなる演説で兵を煽った。
「勝ち残ればまた飽きるほど喰らい飲むことができる。だが負ければそれで終わりだ。全兵、死戦せよ!」
兵たちは喚声を挙げてそれに答え、その喚声の中、劉縯は出撃を命じた。
行軍は鼓行でおこなわれた。これは太鼓を打ち鳴らしながらの進軍で「畏るる所なし」と兵の士気を挙げるときにおこなわれるものである。食糧喪失という恐怖で立ち上げられた兵の士気はこの行軍で徐々に形を変え、勇気をともなう熱いものへと転化されてゆく。
行軍速度は速い。荘尤は優秀な男だが、このときは劉縯たちの動きを見誤った。甄・梁の大軍を破ったばかりの劉縯は動かないと思い込んでいたのだ。まさか劉縯が出撃、それも自ら退路を断っての死戦を仕掛けてくるとは考えてもいなかった。
それゆえ後方への警戒はまったくおこなっておらず、劉縯も荘尤たちへ近づいたと知ると太鼓を叩くのをやめさせ、ひそかに後方をついてゆき、そして育陽へ差し掛かったところで一気に後背から襲いかかった。甄・梁に大勝した自信と退路のない恐怖を純然なる戦意へ転化させた劉縯の兵に奇襲されたのだから、無防備だった荘・陳の両軍はひとたまりもなかった。
首を斬ること三千余級。荘尤と陳茂はなんとか逃亡に成功したが、新軍の完全な敗北だった。
勝利の鬨を挙げた劉縯たちは、荘・陳軍の捨てていった輜重を回収、揚々と進軍を続け、ついに当初からの目的だった苑を囲むことに成功した。
長安にある新の宮廷は騒然となった。十万を号する甄・梁軍、さらに名将・荘尤ひきいる数万の軍が、短時日のうちに連破されたのだから当然である。しかも軍が潰滅し、将が討たれ、追い落とされる惨敗なのだ。劉縯の名は新の宮廷で一気に恐怖の代名詞と化した。
「伯升に賞を懸けよ。邑を五万戸だ。いや、その他にも黄金十万斤もつけてやる。そうだ、位は上公をくれてやろう。誰でもよい、伯升の首をもってこい!」
即位してからの王莽は感情の起伏が激しくなり、それもあってか劉縯の名を聞くだけで震えるほど怯え、過剰なまでの懸賞を提示した。それだけでなく劉縯の絵を塾(城門の両側にある建物)に描き、毎朝これを射るようにという命令まで長安や国中の役所へ下している。
王莽は実より形式を重視する男だが、これはその一例と言えるだろう。
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