劉縯

橘誠治

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蜂起

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 彼らの雌伏の時は、まさしく十年を越えた。
 その間海内かいだい(天下)に何もなかったわけではない。それどころか天鳳四(西暦17)年、琅邪ろうやで起こった呂母りょぼの蜂起をきっかけに、叛乱勢力が各地で沸き起こっていた。王莽はそれらに手を焼き、加えて失政は今なお続いていたため、新の天下はついに崩壊を始めていたのだ。
「まだ早いか」
 天下の風雲にあてられ、劉縯の表情にも上気したものが浮かんでくる。が、それを発露させるにはまだ早いと彼自身もわかっており、劉仲もその意見にうなずく。
「そうですな。今蜂起しても我らは潰されるだけだ」
 現在、叛乱勢力が跋扈ばっこしているのは山東半島に近い地域が多く、それらの土地は新の帝都である長安から相当な距離がある。それもあって鎮圧に手こずっている面もあるのだが、劉兄弟が本拠地とする南陽なんようは長安から比較的近く、王莽たちの危機感をより強く刺激し、大軍で徹底的に鎮圧される恐れがあった。
「できればさらに天下が乱れるか、大勢力を編成できる大きなきっかけがあればいいのだが」
 劉仲は腕をくみながらつぶやいた。
 肝要なのは蜂起のタイミングである。
 どれほど巨大な叛乱勢力であってもそのほとんどは烏合の衆で、統率され訓練された新の正規軍にはなかなかかなわない。
 それでも数は力である。天下がさらに乱れれば、劉縯の「兵」となる流民や難民の数も増えるし、そうでなくとも新への不満を募らせる潜在的な反乱予備兵を生み出す温床にもなる。
 またこれとは別に、すでに存在する巨大な叛乱勢力を乗っ取ってしまう手もある。これはいささか非道で困難な所業だが、やり方さえ間違えなければ不可能ではない。それにどの叛乱勢力も最初から巨大になったわけではなく、各地を略奪、蹂躙していく中、流民や難民や中小の勢力を吸収して一大勢力となったのだ。乱世である以上、道徳的なことにこだわりすぎては機会を逸してしまう。
「なんにせよ、準備は進めておこう」
 劉縯は弟の言うことにうなずきつつ言う。
 まだ早い。だがそのときは近い。劉縯も劉仲も蜂起のための具体的な計画を立てる段階に入ったことを感じ取っていた。


 天下は風雲を告げているが、それは人間社会においてのみである。季節は四季を巡り、空は晴天と曇天と雨天を繰り返し、大地は草木を実らせ、人々に糧を与えていた。
 一日、劉仲や賓客とともに畑の近くを歩いていた劉縯は、もう一人の弟を見かけた。
「叔、精が出るな」
 この時期、劉縯の大度たいどは本物になっていた。嫌味なくおおらかで、それでいてどこか鋭いものをたたえている。乱世に他者を引きつけ導いてゆく人格の形成に成功していたのだ。
 そんな兄の豊かな声にくわを振っていた若者が顔を上げた。
「ああ、はく兄上、ちゅう兄上、ごきげんよう」
 劉秀は汗を拭きながら兄たちに笑顔でこたえた。少年だった彼もすでに青年期に入っている。兄たち同様長安への遊学も終えたが、のんびりした雰囲気に変わりはない。そして兄たちの活動には加わらず、農作業に従事する日々も変わらなかった。
「そうしているとまるで劉喜りゅうきのようだな。悪くない。励めよ」
 劉縯は同じ笑顔のまま劉秀に言うと、賓客を連れて歩き去ってゆく。そんな兄を見送りながら、一人残った劉仲は苦笑しつつ劉秀に歩み寄った。
「気にするな、兄上に悪気はないのだからな」


 劉仲が弟を慰めたのには理由がある。
 劉喜とは、前漢を創った高祖・劉邦の兄で、高祖が起兵する以前の事績は不明であるが、まず確実に農業に従事していたと思われる。劉縯はおのれを高祖になぞらえている節があり、農事にたずさわる兄弟ということで劉秀を劉喜と見立てたのだろうが、劉喜はいくさでは戦う前に逃げ出すなど臆病で凡庸な人物とも伝えられており、いささか評価の低い皇族なのだ。
 細かなことにこだわらない劉縯の気宇きうの大きさは、時に他者の反感を買う因にもなる。が、その気質は彼のこころざしからすれば決して短所ではなくむしろ必要な要素で、危険を恐れて兄の長所を潰すのは愚行の極みだと劉仲は考えていた。それゆえ彼は、兄の危険を事前に摘み取り緩和させることも自身の役目だとわきまえており、その配慮は実の弟にも及ぶほど細密なものだったのだ。


「わかっています兄上。それに伯兄上は、私が仲兄上のように自分の手助けができる男だともおっしゃってくださったのでしょう。名誉なことです」
 だが劉秀の答えはやや意外なもので、劉仲は弟の言うことをすぐにはつかみそこねたが、真意を察すると少し驚いて目を見開いた。
 劉喜のあざなは「仲」で、つまり「劉仲」とも呼ばれる。劉喜を劉秀の次兄である劉仲の暗喩ととれば「叔には仲と同じように私を助ける力がある」と劉縯が言ったことになる。
 そして劉仲が劉縯を助けている理由は、新を打倒するためなのだ。
「……」
 天下の暗雲は徐々に広く濃くなってきている。それを劉秀が感じたとしてもおかしくはない。時流のきな臭さが、劉縯と劉仲がこれまで明かしたことがない志望を三弟に感じ取らせたのかもしれない。
 劉縯がそこまでの深意をもって口にしたかはわからないが、どちらにしても劉仲は、たった一人の弟をひそかに見直し、それでも大逆罪にあたるこの志望を今の段階で彼に伝えることはできず、農作業で鍛えられた肩を軽く叩くだけでその場を去っていった。
  

 そしてついにそのときがやってきた。一大叛乱勢力である新市しんし軍が劉縯たちの住む南陽へ向けて北上してきたのだ。
「よし、我らも決起するぞ」
 このタイミングで自らも蜂起し、新市と呼応して大勢力を作る。それにより近隣各地を制圧、新軍を撃破してゆく。大まかな戦略はすでに決まっていた。
 新市が近くへ来た時点で、劉縯も劉仲も以前から目をつけていた、新に不満を持つ有能な友人・知人・賓客へ自らの志を明かしていた。彼らは蜂起の中核であり、決起後の戦いでも中心になってもらわねばならない。
「王莽は暴虐で、百姓ひゃくせい分崩ぶんぽうしている」
 一日、地域の豪傑たちを招じた劉縯は、彼らに力強く説いた。
「今、ひでりが何年も続き戦乱も各地で蜂起している。これが新を亡ぼせとの天命でなくなんだというのか。今こそ高祖のごとく新たな王朝をおこし、万世不朽の功業を確立するときが来たぞ!」
 豪族・豪傑たちも日々に不満を持っていた。各地で新への叛旗がひるがえっていることも知っている。そして近く新市軍がやってくることも聞いていた。それら様々な事情に、彼らの憤懣ふんまんはあふれる寸前となっていたが、劉縯の演説はその決壊をうながす最後の一穴となった。
「おおよ! このまま王莽にすり潰されるように殺されてたまるものか」
「新を亡ぼし、天下を平定してくれよう」
 その様子を見た劉縯はうなずくと、その場で素早くこれからの計画を彼らへ伝えた。
「よく応じてくれた、感謝する! ではこれより舂陵しゅんりょう新野しんやえんで同時に蜂起をする。新野は鄧晨とうしん、苑は李通、李軼、劉秀、そして春陵は私が指揮する。準備は整っているゆえ、それぞれに従ってて!」
 劉縯の宣言に豪傑たちは鬨の声を挙げ、劉縯と劉仲は、十年を越える雌伏からの爆発するような解放感をおぼえていた。
 地皇三(西暦22)年十月。このとき劉秀は二十八歳。そこから類推するに、劉仲は三十代前半、劉縯は三十代半ばから後半と思われる。

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