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第四章 洛陽編
太傅
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劉秀崩御にともない、二十九歳の皇太子、劉荘が即位した。
史上、明帝と呼ばれる後漢第二代皇帝である。
その劉荘に仕えることになった鄧禹だが、彼の立場は劉秀の時からまた変わった。
「司徒には朕の太傅となっていただきたい」
本格的に国政に取りかかることとなる劉荘は、一日、鄧禹を朝廷に召し上げ、そのように告げた。
太傅とは皇帝の師のことであり、しばしば本来と違う理由で置かれることもある官位だが、この場合は文字通りの意味であろう。鄧禹は皇帝に自らの師になってほしいと頼まれたのだ。
「畏れ多いことにございます」
頼まれた鄧禹は辞退した。その謙譲は真実だったが、同時に断ることはできないだろうと鄧禹は感じてもいた。
その理由を劉荘が告げる。
「朕は先帝から何事も司徒に教えを請えとうけたまわった。また朕自身もそのように望んでいる。どうか未熟で蒙昧な朕を佐てはくれまいか」
やはり、と鄧禹は思った。劉秀はどこまでも鄧禹を信頼し、そして劉荘も同様だった。鄧禹は新皇帝を、それこそ産まれた頃から知っており、彼に帝王学を授けた一人でもあるのだ。劉荘にとって鄧禹への敬意と信頼は、ある意味劉秀以上に染み入っている。
「…かしこまりました。先帝陛下、並びに陛下のご命令とあらば、謹んでお受けいたします」
「そうか。感謝する。いや、感謝いたします、太傅よ」
数度の謙譲の後、鄧禹はついに受け容れた。そのことに劉荘はほっと息をつくと、言葉遣いもあらため、さらに玉座を降りて鄧禹に平伏した。
たとえ皇帝であろうとも、師に対しては礼を尽くすのが中華の思想というものである。それを知る鄧禹も、太傅に就くことを承知したからには皇帝の礼を丁重に受け容れる。
これより先、鄧禹が劉荘と会うときは、皇帝に対し東を向いて面することが許されるようになった。
古代中国において、君主は北に、臣下は南に座して対面することが常識とされていた。
だが師である鄧禹は臣下であって臣下ではない。それゆえ賓客として遇され、東西で皇帝と対することができたのである。
だが鄧禹が劉荘の太傅でいる期間は短かった。
鄧禹や劉荘の関係に問題ができたわけではない。劉秀崩御の翌年、鄧禹も病に臥せってしまったのである。
若かった鄧禹もすでに五十を過ぎ、この時代では充分に死期を悟る年代に達していた。
なによりそのことを実感しているのは鄧禹自身だった。劉秀が封禅によって満足と安堵を得たように、劉秀の死は鄧禹が生きる目的をなくしたに等しかったのである。
それほど鄧禹の生は劉秀の人生と一体化していたのだ。
「おかげんはいかがですか、太傅」
そんな鄧禹を劉荘はしばしば見舞いに訪れた。皇帝が自邸へ訪れるなど、いかな重臣であってもそうあることではない。それがいかに師とはいえ短い期間に幾度もであり、鄧禹がどれほど劉荘に重んじられていたかわかろうというものであった。
牀(寝台)から身体を起こそうとするのを皇帝に制された鄧禹は、横たわったまま力なく謝罪する。
「先帝のご遺言にも、陛下のご信頼にもお応えすることができぬ不忠の臣に、過分なお言葉にございます。どうぞお許しを…」
「何をおっしゃいますか。朕も先帝も太傅にはどれほど感謝していいかわからぬほどです。早くご快復なさって、また不明なる朕を教え導いてくだされ」
穏やかで理知的な劉荘の慰めに、鄧禹は若き日の劉秀を見たような気がした。
だがそこに別の物が見えた。
それは当時の劉秀に、存在はしても鑑ることができなかった英主の相だった。
少年時代から人を鑑る目に長けていた鄧禹にも若き劉秀の真価を見抜くことはできなかったが、劉荘のそれを見抜けたのは、彼の器量が父親と別種のものだったのか、あるいはおのれの異能が死に臨んで高まったのか。
どちらにせよ鄧禹の人生最後の人相見は、彼自身と後漢の未来、そして天上にいる劉秀を安心させるに充分なものだった。
「陛下…今上陛下は陛下に劣らぬ名君におなりになられましょう… 臣は陛下のご命令にそむき、何一つお役に立てませなんだが、そのことに関しては天上にて幾重にもお詫びいたしますゆえ、どうかご容赦を…」
永平元年(西暦58)年。
鄧禹は五十七歳にて薨じた。
諡号は元候とされる。
劉秀の死の、わずか一年余のことだった。
史上、明帝と呼ばれる後漢第二代皇帝である。
その劉荘に仕えることになった鄧禹だが、彼の立場は劉秀の時からまた変わった。
「司徒には朕の太傅となっていただきたい」
本格的に国政に取りかかることとなる劉荘は、一日、鄧禹を朝廷に召し上げ、そのように告げた。
太傅とは皇帝の師のことであり、しばしば本来と違う理由で置かれることもある官位だが、この場合は文字通りの意味であろう。鄧禹は皇帝に自らの師になってほしいと頼まれたのだ。
「畏れ多いことにございます」
頼まれた鄧禹は辞退した。その謙譲は真実だったが、同時に断ることはできないだろうと鄧禹は感じてもいた。
その理由を劉荘が告げる。
「朕は先帝から何事も司徒に教えを請えとうけたまわった。また朕自身もそのように望んでいる。どうか未熟で蒙昧な朕を佐てはくれまいか」
やはり、と鄧禹は思った。劉秀はどこまでも鄧禹を信頼し、そして劉荘も同様だった。鄧禹は新皇帝を、それこそ産まれた頃から知っており、彼に帝王学を授けた一人でもあるのだ。劉荘にとって鄧禹への敬意と信頼は、ある意味劉秀以上に染み入っている。
「…かしこまりました。先帝陛下、並びに陛下のご命令とあらば、謹んでお受けいたします」
「そうか。感謝する。いや、感謝いたします、太傅よ」
数度の謙譲の後、鄧禹はついに受け容れた。そのことに劉荘はほっと息をつくと、言葉遣いもあらため、さらに玉座を降りて鄧禹に平伏した。
たとえ皇帝であろうとも、師に対しては礼を尽くすのが中華の思想というものである。それを知る鄧禹も、太傅に就くことを承知したからには皇帝の礼を丁重に受け容れる。
これより先、鄧禹が劉荘と会うときは、皇帝に対し東を向いて面することが許されるようになった。
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だが師である鄧禹は臣下であって臣下ではない。それゆえ賓客として遇され、東西で皇帝と対することができたのである。
だが鄧禹が劉荘の太傅でいる期間は短かった。
鄧禹や劉荘の関係に問題ができたわけではない。劉秀崩御の翌年、鄧禹も病に臥せってしまったのである。
若かった鄧禹もすでに五十を過ぎ、この時代では充分に死期を悟る年代に達していた。
なによりそのことを実感しているのは鄧禹自身だった。劉秀が封禅によって満足と安堵を得たように、劉秀の死は鄧禹が生きる目的をなくしたに等しかったのである。
それほど鄧禹の生は劉秀の人生と一体化していたのだ。
「おかげんはいかがですか、太傅」
そんな鄧禹を劉荘はしばしば見舞いに訪れた。皇帝が自邸へ訪れるなど、いかな重臣であってもそうあることではない。それがいかに師とはいえ短い期間に幾度もであり、鄧禹がどれほど劉荘に重んじられていたかわかろうというものであった。
牀(寝台)から身体を起こそうとするのを皇帝に制された鄧禹は、横たわったまま力なく謝罪する。
「先帝のご遺言にも、陛下のご信頼にもお応えすることができぬ不忠の臣に、過分なお言葉にございます。どうぞお許しを…」
「何をおっしゃいますか。朕も先帝も太傅にはどれほど感謝していいかわからぬほどです。早くご快復なさって、また不明なる朕を教え導いてくだされ」
穏やかで理知的な劉荘の慰めに、鄧禹は若き日の劉秀を見たような気がした。
だがそこに別の物が見えた。
それは当時の劉秀に、存在はしても鑑ることができなかった英主の相だった。
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どちらにせよ鄧禹の人生最後の人相見は、彼自身と後漢の未来、そして天上にいる劉秀を安心させるに充分なものだった。
「陛下…今上陛下は陛下に劣らぬ名君におなりになられましょう… 臣は陛下のご命令にそむき、何一つお役に立てませなんだが、そのことに関しては天上にて幾重にもお詫びいたしますゆえ、どうかご容赦を…」
永平元年(西暦58)年。
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