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第二章 長安編
ほころび
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劉秀の勅旨を受けても、鄧禹は方針の変更はしなかった。が、進行は早めた。
引っ切り無しに探らせている長安の動向があやしくなってきたのだ。そろそろ赤眉に動きがありそうとの気配が漂いはじめる。
また、ああは言っても劉秀の催促をまったく無視するわけにはいかない事情もある。長安を攻める動きを多少なりとも見せれば、劉秀もひとまず安心できるであろうし、鄧禹を誹謗する者たちの口数も減るだろうからだ。
「兵を大要へ。食糧もそこへ転送するのだ」
大要とは長安と栒邑のほぼ中間地点に位置する城邑で、この場合、戦略的な駐屯地として最適だった。ここに兵をとどめ置けば、長安に一朝事あったとき、素早く軍を動かせる。
だが大要はあくまで臨時の拠点に過ぎず、本拠地である栒邑を放置するわけにはいかない。
「栒邑の守りは車騎将軍と積弩将軍に任じる。両将軍とも協力してよろしく全うするように」
車騎将軍は宗欽、積弩将軍は馮愔である。宗欽の将才は守勢に向いており、また穏やかな人柄から兵をまとめるのもうまい。馮愔は険が強く、用兵も性格も攻撃に偏っているが、それだけに彼個人と彼の軍は強かった。
二人が共同で事に当たれば巧みに対処してくれることだろう。
しかし鄧禹には懸念もあった。その懸念が勢いよく立ち上がる。
「異議あり! 大司徒、ぜひともそれがしも長安攻めへ参加させてくだされ!」
立ち上がった馮愔は、強い語調と、怒気にも似た不満とともに栒邑残留を拒否してきた。
長安攻略はこの遠征の大目的である。その最重要の戦いに参加できないなど、馮愔のような男には耐えがたかったのだ。
それがわからぬ鄧禹ではないが、彼には彼なりの理由があった。わずかに眉をひそめた鄧禹は、すぐ静かな表情に戻ると、馮愔の願いを却下する。
「ならぬ。積弩将軍の武勇は我が軍では冠絶している。それゆえ孤城となりかねぬ栒邑を任せられるのだ。栒邑守備は長安攻略の一環として重要である。それがおわかりにならぬ陛下ではない。おぬしの功績は必ず賞揚されることだろう」
長安攻略には戦力の大部分を割かなければならず、栒邑に残せるのは必要最低限の兵だけになるだろう。その過少な戦力で栒邑を守り切るには、強力な将軍と兵が必要で、現在、鄧禹陣営で最も精強なのが馮愔の軍なのだ。
だが馮愔を長安侵攻軍からはずしたのは他にも理由があった。それも負の理由である。
馮愔は連戦連勝の鄧禹軍において相当に功績をあげていた。直接的な戦果では全軍でも優越しているほどだが、そのためか近頃の馮愔は増長が見え始めている。戦場で命令に不服を見せることも増えてきて、鄧禹も持て余し気味であり、長安侵攻という最重要の策戦においてこの不安要素を消しておきたかったのである。そもそも大司徒という、劉秀から全権を預けられた総大将の命令を拒否するなど、重大な軍紀違反だけでなく、皇帝に対する叛逆と取られても文句は言えないのだ。
その危険に気づいていない馮愔は、さらに言い募る。
「栒邑防衛が重要なことはそれがしにもわかり申す。しかし長安をそれがし無しに落とせるとお考えであれば、それは大司徒の見識不足というもの。どうぞご再考を!」
その言に鄧禹だけでなく周囲の諸将も顔色を変えた。
これは増長どころか傲岸不遜そのものの物言いで、軍紀においても鄧禹(そして彼を任命した劉秀)の名誉のためにも到底看過することはできない暴言だったのだ。
「積弩将軍、これは命令だ! これ以上逆らうようであれば、私はおぬしを斬らねばならぬ。謹んで拝命せよ!」
それでも鄧禹は自重した。遠征の最終段階に入ったこの時期に、自軍の主力将軍を罰しては全軍の士気に関わるし、純粋な戦力も大幅に減少してしまう。
処刑を言いだされては馮愔も従わざるを得ない。不承不承ながら頭を垂れて命令に服したことを示すが、それ以降はむっつりと黙り込んでしまった。
「驍騎将軍の不在が影響し始めているな」
その後の軍議は滞ることなく終わったが、鄧禹も諸将もそのことを痛感していた。安邑において戦死した樊崇がいれば、馮愔のことをうまく抑え込めたであろうし、そもそも馮愔自身が今のような増長や不満を抱くことがなかったかもしれない。
鄧禹としてはおのれの薄徳や小器を自嘲する思いだったが、実はこれは彼が考える以上に深刻な問題をはらんでいた。
鄧禹自身も気づかないまま、彼の精神は疲弊し削られてきていたのである。
本来、鄧禹は将ではなく参謀にふさわしい資質の持ち主だった。
将器とは兵を容れて一つにまとめる能力、将才とは兵を指揮してその力を発揮させる能力、そして参謀の能力=謀才とは軍行動や策戦を考え出す力で、必要とされる才能が違っていた。劉秀のようにこの三つを兼備する男もいるが、それは歴史上ですら稀有な存在で、同時代人では彼以外ほとんどいないと言っていい。
樊崇は将器に類する男で、将才や謀才は凡庸だったが、それでも鄧禹の不得手とする部分を補佐するには充分であった。その樊崇がいなくなった以上、鄧禹は苦手なこれらをこなすため、自分でも知らないうちに相当な無理をしていたのである。
短期間なら無理もきくだろうし、成功続きであればそれも表面化してこない。まして鄧禹は若く、気力も体力も充実していた。
だが遠征も長期に渡れば自ずと疲労はたまり、表面に亀裂を作り出す。
現にこの時期の鄧禹は命令口調が多くなってきていた。
総大将が命令を下すのは当然のことなのでまだ誰も気づいていないが、違和感をおぼえる者はいたかもしれない。なにしろ遠征初期の鄧禹は、総大将でありながら年長の将軍たちに丁寧な口調で接しており、彼らが策戦の概要を納得するまで説明を惜しむことはなかった。頭ごなしに命令で抑え込むようなことはなかったのだ。
だがこれも今回は馮愔の無礼があまりに過ぎていて、人々の耳目がそちらへ集中したため、目立たなかったのである。
実は諸将の中に一人だけ、鄧禹の微妙な変化を感じ取っていた者がいた。
馮愔とともに栒邑留守を命じられた車騎将軍の宗欽である。
実のところ今回の命令で最も割を食っているのは彼なのだ。
「やれやれ、私に馮愔を抑え込めということか」
宗欽は苦笑というには苦すぎる表情で、内心、独りごちた。
宗欽は樊崇がいた頃から彼の副将的立場にあり、穏やかな性格から将兵に慕われていた。樊崇死後も立場は変わらず、全軍、全将兵、将軍間の緩衝材に似た役どころを担っていたのだが、そのためか今回は馮愔のような悍馬を押しつけられてしまったのである。
普段真面目に仕事をしているがゆえに貧乏くじを引かされる結果になったわけだが、宗欽としても命令とあれば拒む気はない。また車騎将軍の方が積弩将軍より地位が上ということも考慮すれば、自分が適任だとわかりもするのだが、昨今の馮愔を見れば、いくら温厚な宗欽といえど気が重くなるのも無理はなかった。
「だが大司徒からは何もなしか…」
軍議のおこなわれた本陣から自分の軍へ帰る途中、宗欽は振り向きながらつぶやいた。以前の鄧禹なら宗欽に対し、事情を説明して「ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いいたします」くらいのことを言う気遣いはあったはずなのだ。
大司徒といえば車騎将軍から見ても雲上人に近い存在なだけに、むしろ頭ごなしに命令される方が普通なのだが、以前の――といってもわずか数か月前だが――鄧禹を知っていれば、かすかな寂寥といぶかしさを感じもする。
「いや、私の方が狎れすぎているな、これは」
だが常識人の宗欽は苦笑すると首を小さく横に振り、自軍へ帰って行った。
その後、大要へ出立するまで、鄧禹から宗欽には何の言葉もなかった。
引っ切り無しに探らせている長安の動向があやしくなってきたのだ。そろそろ赤眉に動きがありそうとの気配が漂いはじめる。
また、ああは言っても劉秀の催促をまったく無視するわけにはいかない事情もある。長安を攻める動きを多少なりとも見せれば、劉秀もひとまず安心できるであろうし、鄧禹を誹謗する者たちの口数も減るだろうからだ。
「兵を大要へ。食糧もそこへ転送するのだ」
大要とは長安と栒邑のほぼ中間地点に位置する城邑で、この場合、戦略的な駐屯地として最適だった。ここに兵をとどめ置けば、長安に一朝事あったとき、素早く軍を動かせる。
だが大要はあくまで臨時の拠点に過ぎず、本拠地である栒邑を放置するわけにはいかない。
「栒邑の守りは車騎将軍と積弩将軍に任じる。両将軍とも協力してよろしく全うするように」
車騎将軍は宗欽、積弩将軍は馮愔である。宗欽の将才は守勢に向いており、また穏やかな人柄から兵をまとめるのもうまい。馮愔は険が強く、用兵も性格も攻撃に偏っているが、それだけに彼個人と彼の軍は強かった。
二人が共同で事に当たれば巧みに対処してくれることだろう。
しかし鄧禹には懸念もあった。その懸念が勢いよく立ち上がる。
「異議あり! 大司徒、ぜひともそれがしも長安攻めへ参加させてくだされ!」
立ち上がった馮愔は、強い語調と、怒気にも似た不満とともに栒邑残留を拒否してきた。
長安攻略はこの遠征の大目的である。その最重要の戦いに参加できないなど、馮愔のような男には耐えがたかったのだ。
それがわからぬ鄧禹ではないが、彼には彼なりの理由があった。わずかに眉をひそめた鄧禹は、すぐ静かな表情に戻ると、馮愔の願いを却下する。
「ならぬ。積弩将軍の武勇は我が軍では冠絶している。それゆえ孤城となりかねぬ栒邑を任せられるのだ。栒邑守備は長安攻略の一環として重要である。それがおわかりにならぬ陛下ではない。おぬしの功績は必ず賞揚されることだろう」
長安攻略には戦力の大部分を割かなければならず、栒邑に残せるのは必要最低限の兵だけになるだろう。その過少な戦力で栒邑を守り切るには、強力な将軍と兵が必要で、現在、鄧禹陣営で最も精強なのが馮愔の軍なのだ。
だが馮愔を長安侵攻軍からはずしたのは他にも理由があった。それも負の理由である。
馮愔は連戦連勝の鄧禹軍において相当に功績をあげていた。直接的な戦果では全軍でも優越しているほどだが、そのためか近頃の馮愔は増長が見え始めている。戦場で命令に不服を見せることも増えてきて、鄧禹も持て余し気味であり、長安侵攻という最重要の策戦においてこの不安要素を消しておきたかったのである。そもそも大司徒という、劉秀から全権を預けられた総大将の命令を拒否するなど、重大な軍紀違反だけでなく、皇帝に対する叛逆と取られても文句は言えないのだ。
その危険に気づいていない馮愔は、さらに言い募る。
「栒邑防衛が重要なことはそれがしにもわかり申す。しかし長安をそれがし無しに落とせるとお考えであれば、それは大司徒の見識不足というもの。どうぞご再考を!」
その言に鄧禹だけでなく周囲の諸将も顔色を変えた。
これは増長どころか傲岸不遜そのものの物言いで、軍紀においても鄧禹(そして彼を任命した劉秀)の名誉のためにも到底看過することはできない暴言だったのだ。
「積弩将軍、これは命令だ! これ以上逆らうようであれば、私はおぬしを斬らねばならぬ。謹んで拝命せよ!」
それでも鄧禹は自重した。遠征の最終段階に入ったこの時期に、自軍の主力将軍を罰しては全軍の士気に関わるし、純粋な戦力も大幅に減少してしまう。
処刑を言いだされては馮愔も従わざるを得ない。不承不承ながら頭を垂れて命令に服したことを示すが、それ以降はむっつりと黙り込んでしまった。
「驍騎将軍の不在が影響し始めているな」
その後の軍議は滞ることなく終わったが、鄧禹も諸将もそのことを痛感していた。安邑において戦死した樊崇がいれば、馮愔のことをうまく抑え込めたであろうし、そもそも馮愔自身が今のような増長や不満を抱くことがなかったかもしれない。
鄧禹としてはおのれの薄徳や小器を自嘲する思いだったが、実はこれは彼が考える以上に深刻な問題をはらんでいた。
鄧禹自身も気づかないまま、彼の精神は疲弊し削られてきていたのである。
本来、鄧禹は将ではなく参謀にふさわしい資質の持ち主だった。
将器とは兵を容れて一つにまとめる能力、将才とは兵を指揮してその力を発揮させる能力、そして参謀の能力=謀才とは軍行動や策戦を考え出す力で、必要とされる才能が違っていた。劉秀のようにこの三つを兼備する男もいるが、それは歴史上ですら稀有な存在で、同時代人では彼以外ほとんどいないと言っていい。
樊崇は将器に類する男で、将才や謀才は凡庸だったが、それでも鄧禹の不得手とする部分を補佐するには充分であった。その樊崇がいなくなった以上、鄧禹は苦手なこれらをこなすため、自分でも知らないうちに相当な無理をしていたのである。
短期間なら無理もきくだろうし、成功続きであればそれも表面化してこない。まして鄧禹は若く、気力も体力も充実していた。
だが遠征も長期に渡れば自ずと疲労はたまり、表面に亀裂を作り出す。
現にこの時期の鄧禹は命令口調が多くなってきていた。
総大将が命令を下すのは当然のことなのでまだ誰も気づいていないが、違和感をおぼえる者はいたかもしれない。なにしろ遠征初期の鄧禹は、総大将でありながら年長の将軍たちに丁寧な口調で接しており、彼らが策戦の概要を納得するまで説明を惜しむことはなかった。頭ごなしに命令で抑え込むようなことはなかったのだ。
だがこれも今回は馮愔の無礼があまりに過ぎていて、人々の耳目がそちらへ集中したため、目立たなかったのである。
実は諸将の中に一人だけ、鄧禹の微妙な変化を感じ取っていた者がいた。
馮愔とともに栒邑留守を命じられた車騎将軍の宗欽である。
実のところ今回の命令で最も割を食っているのは彼なのだ。
「やれやれ、私に馮愔を抑え込めということか」
宗欽は苦笑というには苦すぎる表情で、内心、独りごちた。
宗欽は樊崇がいた頃から彼の副将的立場にあり、穏やかな性格から将兵に慕われていた。樊崇死後も立場は変わらず、全軍、全将兵、将軍間の緩衝材に似た役どころを担っていたのだが、そのためか今回は馮愔のような悍馬を押しつけられてしまったのである。
普段真面目に仕事をしているがゆえに貧乏くじを引かされる結果になったわけだが、宗欽としても命令とあれば拒む気はない。また車騎将軍の方が積弩将軍より地位が上ということも考慮すれば、自分が適任だとわかりもするのだが、昨今の馮愔を見れば、いくら温厚な宗欽といえど気が重くなるのも無理はなかった。
「だが大司徒からは何もなしか…」
軍議のおこなわれた本陣から自分の軍へ帰る途中、宗欽は振り向きながらつぶやいた。以前の鄧禹なら宗欽に対し、事情を説明して「ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いいたします」くらいのことを言う気遣いはあったはずなのだ。
大司徒といえば車騎将軍から見ても雲上人に近い存在なだけに、むしろ頭ごなしに命令される方が普通なのだが、以前の――といってもわずか数か月前だが――鄧禹を知っていれば、かすかな寂寥といぶかしさを感じもする。
「いや、私の方が狎れすぎているな、これは」
だが常識人の宗欽は苦笑すると首を小さく横に振り、自軍へ帰って行った。
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この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
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