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第二章 長安編
戦力増強
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数も多く常勝軍でもある鄧禹軍は、栒邑をさほどの困難もなく陥落させ、根拠地とすることができた。
「よし、まずは北道だ」
鄧禹の意識は北と南に集中するが、どちらかといえば北が七、南が三というところだろうか。北において勢力を増し充分な戦力をもって南を叩きたいというのが鄧禹の本音である。だが南の長安で不測の事態が起こり、それが好機に変容しないとも限らない。そのときは準備不足であっても南下と侵攻を実行しなければならないだろう。
その好機がいつ訪れてもいいよう鄧禹はなるべく早く北道に勢力圏を作り、そこから戦力を得なければならなかった。
だが北道での鄧禹軍の進撃もさほど滞ることもなかった。常勝軍の常で郡邑が名に怯え、自ら開城して降伏してくる例も珍しくなかったのだ。この時勢では更始にせよ赤眉にせよ最も強い勢力に属さなければ生きてはゆくことは難しい。それゆえ北道において最大戦力を持つ鄧禹軍に降るのは彼らにとってさほどの抵抗はなかったのだ。まして鄧禹の場合、無駄に人を殺さず流民の受け容れも積極的におこなっている。その寛容さも降伏の一助になったのであろう。
ただしこれも、あくまで鄧禹が「現時点の北道において最大戦力」だからである。もし赤眉が大軍をもって北上し鄧禹を撃破したならば、彼らはまたすぐに赤眉に降ることだろう。
「それを卑劣と断じるのはいささか酷だろうな」
鄧禹は若いながらにすれたところもあるためそのようにも思うが、韓欽などは掌を返すように開門する城邑に対し憤然とすることも少なからずあった。そのたびに若者である鄧禹の方がなだめる立場に回るため「あべこべではないか」と苦笑する想いもあったが、なんにせよ無血で開城できるのはありがたいことだった。
だがもちろんすべての城邑や営保が無条件で降伏したわけではない。そのような相手には鄧禹もためらいなく武力をふるい、陥落させてゆく。
おそらくこの頃が、今回の遠征における鄧禹の絶頂期だったろう。その証拠にというべきか、順調に北道の占拠を進める鄧禹へ、思いもかけない朗報も飛び込んできた。
「宗育が降ってきただと!」
宗育とは并州に属する西河郡の太守である。現在鄧禹が攻略している上郡の東に隣接する郡だが、そこを治める太守が降ってきたということは、戦わずして西河郡を丸々手に入れたということになる。しかもその降伏は宗育の息子が檄(文書)をたずさえて鄧禹を訪れたのもので、これは宗育が実質的に人質を差し出したということでもあった。
これは鄧禹にとって思わぬ幸運だったが別の喜びも含んでいる。
宗育は鄧禹個人に降ってきたわけでない。彼を通じて劉秀に降ってきたということである。宗育は更始帝に任命された西河太守だが、主君が滅んでからは自動的に独立勢力になっている。とはいえ劉氏ではない宗育がそのまま完全に自立して乱世を生きてゆくことは不可能で、必ず誰かの下につかなければならない。
現状、宗育にとって最も近場で最も強大な勢力といえば長安にいる赤眉になるが、その赤眉にではなく劉秀に降ったということは、宗育は赤眉や他の群雄の中で劉秀が最終勝者になると考えたのだろう。
この降伏は鄧禹にとって、乱世の中で劉秀の存在が際立ち始めと実感できる事例であったのだ。
「よく来てくださった。宗太守のご英断、陛下もきっとお喜びであろう。鄧禹も心から感謝していたと太守に告げてくだされ」
息子とともにやってきた使者に対し、西河郡で待つ宗育への確約と感謝を告げると、鄧禹は穏和な表情を息子にも向けた。
「ご子息にも不自由はさせぬ。しかしここは戦場。いつどこで何が起こるかわからぬゆえ、ご子息には京師へ赴いていただき、陛下のもとで忠節を尽くしていただこう」
これは息子を遠くへ引き離し、人質としてより確実に確保するためという意味もあるが、当然監禁したり拷問にかけたりするわけではない。言葉通り劉秀に引き合わせ、彼の元で臣下として働いてもらおうということである。息子の年齢が何歳かはわからないが、鄧禹と同年代かそれより下とすれば、若い人材として将来のための教育も得られることだろう。そしてもし劉秀がこの乱世の勝者となれば、息子は天下を統一した本物の「皇帝」に近侍することになるのだ。
そのような事情を理解しているのであろう。鄧禹が穏やかに告げることに使者も息子も素直に頭を垂れると、逆らうことなく洛陽へ向けて出立していった。
鄧禹の北道占拠は進んでいた。三郡の全域を占領するというわけにはいかないが、それでも相当な範囲は自らの勢力とすることはできたし、それに応じて食糧の確保もできるようになってきた。
だが誤算がないわけではない。一つは予想より食糧が豊富ではなかったこと。
もちろんまったく賄えないわけではないのだが、大軍を長期維持するには心許ない。人口が少なくなればその分農作物の収穫量は減るし、家畜の成育状態も悪くなる。それは鄧禹もわきまえてはいたのだが、予想よりかなり荒廃していたのだ。鄧禹に従ってきた流民にそれらの作業を任せることになるだろうが、収穫ができるのは早くても数か月後。また彼らの暮らしてきた土地とは違う場所での作業だけに、慣れるには時間もかかるだろう。
「すべてが思い通りになるとは限らぬな」
鄧禹は太い息をついた。
もう一つの誤算は長安の赤眉だった。彼らによる長安の「食い潰し」が予想以上に早かったのである。
赤眉が長安で欲望のまま酒池肉林を楽しむだろうことは鄧禹も考えていたのだが、その勢いが尋常ではなかったのだ。
「もう少し遠慮をするかと思ったが。これでは淮陽王(更始帝)以上ではないか」
北を向いて太い息をついていた鄧禹は、南を見てもやはりため息を漏らす。
もちろん赤眉が早々に長安を食い潰し弱体化することは願ったりかなったりなのだが、このままでは鄧禹の軍の準備が間に合わないかもしれない。
赤眉は大軍で歴戦である。彼らはこの乱世の火蓋を切りここまで戦い続けてきた、言わば最古参の将兵だった。将としての質はともかく、戦歴では劉秀でさえ赤眉の首領たちには及ばない。
その強さは更始帝の諸将をことごとく退け、今長安の主となっている事実からも侮ることは許されなかった。
鄧禹もここまでの勝利によって自らの将才も麾下の兵の強さも証明しているが、正面から赤眉に対抗しうるかといえば必勝を断言することはできなかった。それゆえ鄧禹も新兵の訓練を急がせているのだが、それが終わらないうちに赤眉は長安を枯渇させかねない状況なのだ。
長安を食い潰した赤眉が疲弊し弱体化したとしても、準備も不充分な兵で勝てるだろうか。
「やはり徴兵にも力を入れるか」
新兵の訓練が間に合わないとすれば、すでに完成している兵を補充するしかないだろう。鄧禹はもともと陥落させた北道の城邑から兵を徴集してはいたのだが、そちらにより注力する必要を感じはじめていた。
となればより多くの城邑を落とさなければならない。
鄧禹は諸将の派遣先を予定より遠くまで設定することに決めた。
「よし、まずは北道だ」
鄧禹の意識は北と南に集中するが、どちらかといえば北が七、南が三というところだろうか。北において勢力を増し充分な戦力をもって南を叩きたいというのが鄧禹の本音である。だが南の長安で不測の事態が起こり、それが好機に変容しないとも限らない。そのときは準備不足であっても南下と侵攻を実行しなければならないだろう。
その好機がいつ訪れてもいいよう鄧禹はなるべく早く北道に勢力圏を作り、そこから戦力を得なければならなかった。
だが北道での鄧禹軍の進撃もさほど滞ることもなかった。常勝軍の常で郡邑が名に怯え、自ら開城して降伏してくる例も珍しくなかったのだ。この時勢では更始にせよ赤眉にせよ最も強い勢力に属さなければ生きてはゆくことは難しい。それゆえ北道において最大戦力を持つ鄧禹軍に降るのは彼らにとってさほどの抵抗はなかったのだ。まして鄧禹の場合、無駄に人を殺さず流民の受け容れも積極的におこなっている。その寛容さも降伏の一助になったのであろう。
ただしこれも、あくまで鄧禹が「現時点の北道において最大戦力」だからである。もし赤眉が大軍をもって北上し鄧禹を撃破したならば、彼らはまたすぐに赤眉に降ることだろう。
「それを卑劣と断じるのはいささか酷だろうな」
鄧禹は若いながらにすれたところもあるためそのようにも思うが、韓欽などは掌を返すように開門する城邑に対し憤然とすることも少なからずあった。そのたびに若者である鄧禹の方がなだめる立場に回るため「あべこべではないか」と苦笑する想いもあったが、なんにせよ無血で開城できるのはありがたいことだった。
だがもちろんすべての城邑や営保が無条件で降伏したわけではない。そのような相手には鄧禹もためらいなく武力をふるい、陥落させてゆく。
おそらくこの頃が、今回の遠征における鄧禹の絶頂期だったろう。その証拠にというべきか、順調に北道の占拠を進める鄧禹へ、思いもかけない朗報も飛び込んできた。
「宗育が降ってきただと!」
宗育とは并州に属する西河郡の太守である。現在鄧禹が攻略している上郡の東に隣接する郡だが、そこを治める太守が降ってきたということは、戦わずして西河郡を丸々手に入れたということになる。しかもその降伏は宗育の息子が檄(文書)をたずさえて鄧禹を訪れたのもので、これは宗育が実質的に人質を差し出したということでもあった。
これは鄧禹にとって思わぬ幸運だったが別の喜びも含んでいる。
宗育は鄧禹個人に降ってきたわけでない。彼を通じて劉秀に降ってきたということである。宗育は更始帝に任命された西河太守だが、主君が滅んでからは自動的に独立勢力になっている。とはいえ劉氏ではない宗育がそのまま完全に自立して乱世を生きてゆくことは不可能で、必ず誰かの下につかなければならない。
現状、宗育にとって最も近場で最も強大な勢力といえば長安にいる赤眉になるが、その赤眉にではなく劉秀に降ったということは、宗育は赤眉や他の群雄の中で劉秀が最終勝者になると考えたのだろう。
この降伏は鄧禹にとって、乱世の中で劉秀の存在が際立ち始めと実感できる事例であったのだ。
「よく来てくださった。宗太守のご英断、陛下もきっとお喜びであろう。鄧禹も心から感謝していたと太守に告げてくだされ」
息子とともにやってきた使者に対し、西河郡で待つ宗育への確約と感謝を告げると、鄧禹は穏和な表情を息子にも向けた。
「ご子息にも不自由はさせぬ。しかしここは戦場。いつどこで何が起こるかわからぬゆえ、ご子息には京師へ赴いていただき、陛下のもとで忠節を尽くしていただこう」
これは息子を遠くへ引き離し、人質としてより確実に確保するためという意味もあるが、当然監禁したり拷問にかけたりするわけではない。言葉通り劉秀に引き合わせ、彼の元で臣下として働いてもらおうということである。息子の年齢が何歳かはわからないが、鄧禹と同年代かそれより下とすれば、若い人材として将来のための教育も得られることだろう。そしてもし劉秀がこの乱世の勝者となれば、息子は天下を統一した本物の「皇帝」に近侍することになるのだ。
そのような事情を理解しているのであろう。鄧禹が穏やかに告げることに使者も息子も素直に頭を垂れると、逆らうことなく洛陽へ向けて出立していった。
鄧禹の北道占拠は進んでいた。三郡の全域を占領するというわけにはいかないが、それでも相当な範囲は自らの勢力とすることはできたし、それに応じて食糧の確保もできるようになってきた。
だが誤算がないわけではない。一つは予想より食糧が豊富ではなかったこと。
もちろんまったく賄えないわけではないのだが、大軍を長期維持するには心許ない。人口が少なくなればその分農作物の収穫量は減るし、家畜の成育状態も悪くなる。それは鄧禹もわきまえてはいたのだが、予想よりかなり荒廃していたのだ。鄧禹に従ってきた流民にそれらの作業を任せることになるだろうが、収穫ができるのは早くても数か月後。また彼らの暮らしてきた土地とは違う場所での作業だけに、慣れるには時間もかかるだろう。
「すべてが思い通りになるとは限らぬな」
鄧禹は太い息をついた。
もう一つの誤算は長安の赤眉だった。彼らによる長安の「食い潰し」が予想以上に早かったのである。
赤眉が長安で欲望のまま酒池肉林を楽しむだろうことは鄧禹も考えていたのだが、その勢いが尋常ではなかったのだ。
「もう少し遠慮をするかと思ったが。これでは淮陽王(更始帝)以上ではないか」
北を向いて太い息をついていた鄧禹は、南を見てもやはりため息を漏らす。
もちろん赤眉が早々に長安を食い潰し弱体化することは願ったりかなったりなのだが、このままでは鄧禹の軍の準備が間に合わないかもしれない。
赤眉は大軍で歴戦である。彼らはこの乱世の火蓋を切りここまで戦い続けてきた、言わば最古参の将兵だった。将としての質はともかく、戦歴では劉秀でさえ赤眉の首領たちには及ばない。
その強さは更始帝の諸将をことごとく退け、今長安の主となっている事実からも侮ることは許されなかった。
鄧禹もここまでの勝利によって自らの将才も麾下の兵の強さも証明しているが、正面から赤眉に対抗しうるかといえば必勝を断言することはできなかった。それゆえ鄧禹も新兵の訓練を急がせているのだが、それが終わらないうちに赤眉は長安を枯渇させかねない状況なのだ。
長安を食い潰した赤眉が疲弊し弱体化したとしても、準備も不充分な兵で勝てるだろうか。
「やはり徴兵にも力を入れるか」
新兵の訓練が間に合わないとすれば、すでに完成している兵を補充するしかないだろう。鄧禹はもともと陥落させた北道の城邑から兵を徴集してはいたのだが、そちらにより注力する必要を感じはじめていた。
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