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第二章 長安編
北進
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さて、こうして鄧禹は左馮翊もほぼ勢力下に置き、長安へ向けて「南下」すればよいだけになった。それは彼の麾下にいる将兵の望むところであり、彼らの意識は南下へ向けて逸っていた。
彼らは鄧禹へ詰め寄る。
「大司徒(鄧禹)、いよいよ長安を我らが手に」
「我らの勢力はすでに赤眉とも互せるほど。一気に長安を落とし、陛下へご来駕いただきましょう」
中でも馮愔は相当息巻いていた。もともと守りより攻めを得意とする将であり、樊崇亡き鄧禹軍において、彼の武功はかなりのものだった。あるいは長安への一番乗りを果たしさらなる武名を欲しているのかもしれない。長安奪取の勲功第一となれば、光武帝陣営でも相当幅を利かせられる。
だが鄧禹は彼らの願望と進言に首を横に振った。
「ならぬ」
静かな、しかし断固たる鄧禹の物言いに諸将はさらに詰め寄ろうとするが、彼らの主将はこれも静かに彼らを制した。
「確かに今の我が軍の数は多い。だがそのほとんどは流民であり、戦いをおこなえる者は少ない。また進む先に食糧が準備されているわけでもなく、後方から補給が届くわけでもない。それに比べて長安へ入ったばかりの赤眉は、財富は充実しており、戦意も鋭く、攻め込んでも容易に降すことはできないだろう」
鄧禹軍の人数は、百万が誇張だとしても膨大と言えるほど急速に増えた。だが鄧禹自身が言うように全員が戦闘をおこなえる成年男子ばかりではない。むしろ庇護を求めて駆け込んできた女や子供、老人などの方が多いだろう。
なにしろ赤眉はもちろんその他ほとんどの勢力は群盗同様の無法者ばかりで、彼らから搾取はしても守ってなどくれる存在などほぼ皆無だったのだ。そのように逃げ場がなかった弱者にとって鄧禹の存在は乾季の慈雨のようなもので、彼の元へ集まってくるのは当然と言えた。
このように評判が広がり名声が高まることの価値を鄧禹は理解している。
鄧禹の名声は主君である劉秀に対する信頼や忠誠へ直結する。民に「この国の皇帝は陛下(劉秀)こそがふさわしい」と思われることがどれほどに貴重か。
それを理解している鄧禹は彼らが自らの元へ集まってくることを、推奨こそすれ拒否などしない。だが抱え込んだ彼らを食わせるのは、人数が増えれば増えるほど困難になる。いくら鄧禹の元が安全だと言っても、食が保障されなければ何の意味もない。
また流れ込んできたのが戦いに堪える体力のある民だとしても、まったく訓練されていなければ戦いに使えるはずもなく、長安で充分に英気を養った赤眉へ対抗のしようがない。
だからといって手立てがないわけではない。
「赤眉には将来を考える力がない。いくら財も食も豊富とはいえ、これから先起こるであろう様々な変転に対応できるとは思えない。それではいかに長安が堅固であっても守り切るなど不可能だ」
赤眉の最大の弱点は、現状を見極め、未来を透視し、そのために現在なにをすればよいかを指し示す智者がいないことだった。いや、あれだけの人数がいればそのような人材もいるはずなのだが、首脳陣がその貴重さや重要さを理解せず重用していないのだ。
ゆえに長安で酒池肉林を繰り返し、食糧を食い潰してしまえば、赤眉は間違いなく弱体化する。そこを狙って攻め込めば、今長安へ突入するよりはるかに勝ちは得やすいだろう。
「ゆえに我らはひとまず北道を目指す」
北道とは上郡、安定郡、北地郡の三郡を合わせた総称で、上郡は并州、安定と北地は涼州に属し、いずれも長安のある京兆尹の北に位置した。
当然ながらせっかく肉迫した長安から離れることになるため諸将はどよめくが、鄧禹はそれを静めると説明を続けた。
「北道は土地も広く、家畜も多く、人も少なく、食糧も豊富だ。私はまずここに兵を置き、充分に休養を取らせながら赤眉の疲弊を待ちたいと思う。そして機を見て南下、長安を奪取する」
涼州や并州はそれぞれ京兆尹が属す司隷の北に隣接する州だが、この戦乱により人口は激減していた。それは両州に限らず中華全体に言えることだが(総人口は推定で六千万から二千万へ減少)、戦闘に巻き込まれたり群盗に殺されただけでなく、戦乱によって助長された餓死や病死の影響も大きい。
また土地の人口減少は死だけが因ではない。家や畑を焼かれて流民と化し故郷を離れなければならなかったり、食を求めて移動したり、生きるために近くの群雄に参加したりなど、様々な理由がある。
それでも土地に残って田畑を耕したり、家畜を飼って暮らしている者がすべていなくなったわけではない。
そして放置された土地は大所帯になった鄧禹の軍を容れる余地は充分にあった。
鄧禹としてはそのような土地を接収し、自軍に取り込んだ流民を入植させてようと考えていたのだ。
それにより流民の定住化を図り、自軍の補給を万全にし、新兵を訓練と実戦で鍛えつつ、赤眉の疲弊を待つ。あるいは別の勢力が長安を目指して侵攻をしてくる可能性もあるが、むしろそれこそが漁夫の利の好機。赤眉とその勢力が相争って疲弊したところに攻撃を仕掛け、名実ともに長安の主となるのだ。
勢いに乗って長安を奪取してしまおうと息巻いていた諸将だったが、整然とした鄧禹の説明に理を見ると、揚がっていた意気を鎮静化させた。
それを見た鄧禹はうなずくと、全軍へ向けて命令を発した。
「ではこれより北道を攻めるため、まずは栒邑を奪取する」
栒邑は司隷の北にある、涼州に隣接する城邑である。ここを根拠地にできれば、北道にも長安にも目が届き、あらゆる事態の変化に対応しやすい。
諸将もそのことをすぐに理解すると、鄧禹へ拱手で応じた。
「御意」
これにより鄧禹軍は一時長安から離れ、北進を始めた。
彼らは鄧禹へ詰め寄る。
「大司徒(鄧禹)、いよいよ長安を我らが手に」
「我らの勢力はすでに赤眉とも互せるほど。一気に長安を落とし、陛下へご来駕いただきましょう」
中でも馮愔は相当息巻いていた。もともと守りより攻めを得意とする将であり、樊崇亡き鄧禹軍において、彼の武功はかなりのものだった。あるいは長安への一番乗りを果たしさらなる武名を欲しているのかもしれない。長安奪取の勲功第一となれば、光武帝陣営でも相当幅を利かせられる。
だが鄧禹は彼らの願望と進言に首を横に振った。
「ならぬ」
静かな、しかし断固たる鄧禹の物言いに諸将はさらに詰め寄ろうとするが、彼らの主将はこれも静かに彼らを制した。
「確かに今の我が軍の数は多い。だがそのほとんどは流民であり、戦いをおこなえる者は少ない。また進む先に食糧が準備されているわけでもなく、後方から補給が届くわけでもない。それに比べて長安へ入ったばかりの赤眉は、財富は充実しており、戦意も鋭く、攻め込んでも容易に降すことはできないだろう」
鄧禹軍の人数は、百万が誇張だとしても膨大と言えるほど急速に増えた。だが鄧禹自身が言うように全員が戦闘をおこなえる成年男子ばかりではない。むしろ庇護を求めて駆け込んできた女や子供、老人などの方が多いだろう。
なにしろ赤眉はもちろんその他ほとんどの勢力は群盗同様の無法者ばかりで、彼らから搾取はしても守ってなどくれる存在などほぼ皆無だったのだ。そのように逃げ場がなかった弱者にとって鄧禹の存在は乾季の慈雨のようなもので、彼の元へ集まってくるのは当然と言えた。
このように評判が広がり名声が高まることの価値を鄧禹は理解している。
鄧禹の名声は主君である劉秀に対する信頼や忠誠へ直結する。民に「この国の皇帝は陛下(劉秀)こそがふさわしい」と思われることがどれほどに貴重か。
それを理解している鄧禹は彼らが自らの元へ集まってくることを、推奨こそすれ拒否などしない。だが抱え込んだ彼らを食わせるのは、人数が増えれば増えるほど困難になる。いくら鄧禹の元が安全だと言っても、食が保障されなければ何の意味もない。
また流れ込んできたのが戦いに堪える体力のある民だとしても、まったく訓練されていなければ戦いに使えるはずもなく、長安で充分に英気を養った赤眉へ対抗のしようがない。
だからといって手立てがないわけではない。
「赤眉には将来を考える力がない。いくら財も食も豊富とはいえ、これから先起こるであろう様々な変転に対応できるとは思えない。それではいかに長安が堅固であっても守り切るなど不可能だ」
赤眉の最大の弱点は、現状を見極め、未来を透視し、そのために現在なにをすればよいかを指し示す智者がいないことだった。いや、あれだけの人数がいればそのような人材もいるはずなのだが、首脳陣がその貴重さや重要さを理解せず重用していないのだ。
ゆえに長安で酒池肉林を繰り返し、食糧を食い潰してしまえば、赤眉は間違いなく弱体化する。そこを狙って攻め込めば、今長安へ突入するよりはるかに勝ちは得やすいだろう。
「ゆえに我らはひとまず北道を目指す」
北道とは上郡、安定郡、北地郡の三郡を合わせた総称で、上郡は并州、安定と北地は涼州に属し、いずれも長安のある京兆尹の北に位置した。
当然ながらせっかく肉迫した長安から離れることになるため諸将はどよめくが、鄧禹はそれを静めると説明を続けた。
「北道は土地も広く、家畜も多く、人も少なく、食糧も豊富だ。私はまずここに兵を置き、充分に休養を取らせながら赤眉の疲弊を待ちたいと思う。そして機を見て南下、長安を奪取する」
涼州や并州はそれぞれ京兆尹が属す司隷の北に隣接する州だが、この戦乱により人口は激減していた。それは両州に限らず中華全体に言えることだが(総人口は推定で六千万から二千万へ減少)、戦闘に巻き込まれたり群盗に殺されただけでなく、戦乱によって助長された餓死や病死の影響も大きい。
また土地の人口減少は死だけが因ではない。家や畑を焼かれて流民と化し故郷を離れなければならなかったり、食を求めて移動したり、生きるために近くの群雄に参加したりなど、様々な理由がある。
それでも土地に残って田畑を耕したり、家畜を飼って暮らしている者がすべていなくなったわけではない。
そして放置された土地は大所帯になった鄧禹の軍を容れる余地は充分にあった。
鄧禹としてはそのような土地を接収し、自軍に取り込んだ流民を入植させてようと考えていたのだ。
それにより流民の定住化を図り、自軍の補給を万全にし、新兵を訓練と実戦で鍛えつつ、赤眉の疲弊を待つ。あるいは別の勢力が長安を目指して侵攻をしてくる可能性もあるが、むしろそれこそが漁夫の利の好機。赤眉とその勢力が相争って疲弊したところに攻撃を仕掛け、名実ともに長安の主となるのだ。
勢いに乗って長安を奪取してしまおうと息巻いていた諸将だったが、整然とした鄧禹の説明に理を見ると、揚がっていた意気を鎮静化させた。
それを見た鄧禹はうなずくと、全軍へ向けて命令を発した。
「ではこれより北道を攻めるため、まずは栒邑を奪取する」
栒邑は司隷の北にある、涼州に隣接する城邑である。ここを根拠地にできれば、北道にも長安にも目が届き、あらゆる事態の変化に対応しやすい。
諸将もそのことをすぐに理解すると、鄧禹へ拱手で応じた。
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