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第二章 長安編
続く西進
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史書に記述はないが、河東郡を支配下に置いたこのときの鄧禹は、おそらく初期の二万よりかなり兵を増やしていただろう。安邑に守備兵を残してもなお河東郡全土から兵を徴募できたはずだからである。
それでも汾陰から河を渡り、対岸の夏陽までたどり着き、何事もなく隣郡の左馮翊へ入ることができたのは、河東を手に入れて後方に危険がなくなっただけでなく、王匡らを完全に撃ち破り、前面にもさえぎる者がなくなったことも大きい。
ただしいくら大軍を撃破されたとはいえ、更始帝も鄧禹の進軍を指をくわえて静観していたわけではなかった。
新たに中郎将にして左捕都尉(左馮翊の都尉)である公乗歙に十万の兵を与え、さらに左馮翊の兵も加え、鄧禹の討伐に向かわせている。その迎撃軍が間に合わないほど鄧禹の渡河が素早かったのだ。
王匡に完勝した鄧禹は、更始帝陣営にとってすでに「赤眉迎撃に集中するため片手間で攻略する」ではすまない存在になっている。新たな脅威として必ず撃退しなければならない相手なのだが、それでも数はともかく公乗歙というほぼ無名の将を派遣してくるあたり、更始帝陣営の混乱と人材の払底が如実になっている。
それもそのはずで、この時期の更始陣営は仲間割れと共食いに忙しかったのである。
鄧禹の渡河妨害に間に合わなかった公乗歙は、衙県で彼の軍を邀撃すると決めた。
が、公乗歙は城にこもっての持久戦ではなく野戦による正面からの決戦を求めた。
これは自分たちの方が鄧禹軍より兵が多いこと、赤眉が長安に迫っているため時間をかけられないことなど、表面的な理由もあったが、裏面のそれもある。
「長安はもう駄目だ。それなら左馮翊を完全に手中にして、あとでどこかの誰かに降る方がずっとましだ」
更始陣営の負の連鎖は止まらない。長安もまもなく赤眉に取られてしまうことだろう。とすればその隙を突いて左馮翊を実質的に掌握し、最終的な勝者に帰順するのが最善の方法だろう。劉氏でない自分が皇帝になるのは難しいが、それでも新しい王朝でどれほどの権勢と富貴を得られることか。
公乗歙がそのように考えたとしても無理からぬことかもしれない。都尉というからには上位に太守(郡の統治者)がいるはずだが、乱世で最も効果のある力は武力で、左馮翊で今それを手にしているのは公乗歙である。まして風前の灯火の更始政権が任じた太守にどのような権威があるものか。
それだけに公乗歙は鄧禹を撃ち破っておきたかった。
今ここで鄧禹――ひいては劉秀――に降っても旨味は少ない。鄧禹を撃退し、左馮翊を完全に支配下においてこそ、自らをより高く売りつけることができるのだ。
それにこの時点で誰が最終的な勝者になるかは流動的で「売りつける相手」は劉秀以外にも複数いる。誰に対してであっても巨大な武勲という実績はあって困ることはない。
「いくら王匡の大軍に勝ったとはいえ若造だ。二度も三度もまぐれは続かんぞ」
鄧禹は若年を侮られないように苦心していたが、このような利点もある。敵にしろ味方にしろ、有能と言える者は鄧禹の非凡さをすでに充分理解していたが、凡人や愚人にそれは難しい。
ゆえに必然というべきか、公乗歙は鄧禹に大敗した。
軍の統率を任せていた樊崇が戦死したことで前途に暗雲が立ち込めた鄧禹軍だったが、直後に王匡らを完全に撃退したことが災いを福に転じさせていた。鄧禹の鮮やかな用兵に将も兵も心から服し、樊崇亡失による不安を払拭することができたのだ。
総大将である鄧禹が将兵を完全に指揮下に置き、彼の兵はいくつもの戦いを経て精兵化していた。
そのような相手に正面から挑んでは、数が多いだけの公乗歙の兵ではひとたまりもない。王匡と同じく完全に撃破され、兵も逃げ去って行った。
「これでさらにやりやすくなるな。苦労も増えるが」
逃げ去る公乗歙兵を見ながら鄧禹は小さく息をついた。樊崇の死による影響を最小限に抑えられたことは僥倖だが、その分鄧禹の負担が増えたことに変わりはない。またこの勝利によって左馮翊の民や有力者で鄧禹へなびく者も増えるだろうが、彼らを味方でいつづけさせるには、さらなる勝利と安定した統治が必要となる。
それらすべての責任は鄧禹の肩にのしかかってくるのだ。遠征前から覚悟していたことではあるが、自らの前途に楽観は許されないと自戒する鄧禹だった。
この年九月、赤眉はついに長安へ入った。
ここでこの時期の長安の情勢をざっと整理しておきたい。
まず更始帝政権だが、これはもう末期状態だった。
赤眉が迫る中、内部で裏切りと粛清が横行した。
それを避けるため自分の領地へ逃げ帰る者、赤眉に寝返る者すら現れるようになり、ついには粛清から逃れるための叛乱すら起こる。それに敗れた更始帝は逃げ込んだ先の臣下の力を使って反撃するが、このように彼らに事態を収拾する力はすでに残っていなかった。
この不毛な対立に決着をつけたのが赤眉である。
彼らが長安へ乗り込むと更始帝は逃げ出したが、すぐに戻ってきて長沙王に降格させられることとなる。これで命は長らえたかとも思えたが、やはりすぐに殺されてしまい、更始政権は完全に滅亡した。
だがこれで長安や天下に平和が訪れたわけではない。
赤眉に政の定見があるはずもなく、彼らが欲するのは更始帝たちと変わらず、生きるための食と、欲のための財である。
長安の情勢は頭が変わっただけで、実情が良くなることはなかった。
そして鄧禹である。
河東郡に続いて左馮翊でも更始帝の諸将を連破した鄧禹の名は近隣に轟き始めていた。
だが彼の名を広めた理由の最たるものは、勝利ではなく軍の規律だった。
更始帝にしろ赤眉にしろ他の群盗にしろ、彼らの目的は民を暴掠することである。彼らの通った後には、破壊され焼き尽くされた村が連なり、立ち尽くす流民の群れが残るだけだった。
そんな中、鄧禹の兵だけは違った。無用に民を虐げず、略奪もしない。
それだけで鄧禹の軍は流民たちに天軍のようにあがめられた。
彼らは互いに手を引き荷物を背負って、鄧禹を頼って集まってくる。その数は日に千を下らなかった。
「皆よく来てくれた。つらかったろう。もう安心してよいからな」
一日の進軍を終えて駐屯するごとに、鄧禹は降ってきた流民たちのところへ赴き、ねぎらいの言葉をかけた。
怜悧すぎる鄧禹だけに、この行為に政略的な意味合いがこもってないとは言い切れない。だが彼の資質の核となるものは明朗で純良なものだった。それは劉秀が彼を重用していることからも明らかで、鄧禹が賢しいだけの卑劣漢であるならば、いくら昔馴染みであろうとも早々に退けられていただろう。
それゆえ鄧禹のねぎらいに詐偽はなく、老人も子供も感涙し、彼の元に集まって跪拝した。
この結果、鄧禹軍の数はついに百万を号するほどとなる。
それは劉秀を喜ばせ「さすが仲華だ」とたびたび褒詞を送るほどだった。
それでも汾陰から河を渡り、対岸の夏陽までたどり着き、何事もなく隣郡の左馮翊へ入ることができたのは、河東を手に入れて後方に危険がなくなっただけでなく、王匡らを完全に撃ち破り、前面にもさえぎる者がなくなったことも大きい。
ただしいくら大軍を撃破されたとはいえ、更始帝も鄧禹の進軍を指をくわえて静観していたわけではなかった。
新たに中郎将にして左捕都尉(左馮翊の都尉)である公乗歙に十万の兵を与え、さらに左馮翊の兵も加え、鄧禹の討伐に向かわせている。その迎撃軍が間に合わないほど鄧禹の渡河が素早かったのだ。
王匡に完勝した鄧禹は、更始帝陣営にとってすでに「赤眉迎撃に集中するため片手間で攻略する」ではすまない存在になっている。新たな脅威として必ず撃退しなければならない相手なのだが、それでも数はともかく公乗歙というほぼ無名の将を派遣してくるあたり、更始帝陣営の混乱と人材の払底が如実になっている。
それもそのはずで、この時期の更始陣営は仲間割れと共食いに忙しかったのである。
鄧禹の渡河妨害に間に合わなかった公乗歙は、衙県で彼の軍を邀撃すると決めた。
が、公乗歙は城にこもっての持久戦ではなく野戦による正面からの決戦を求めた。
これは自分たちの方が鄧禹軍より兵が多いこと、赤眉が長安に迫っているため時間をかけられないことなど、表面的な理由もあったが、裏面のそれもある。
「長安はもう駄目だ。それなら左馮翊を完全に手中にして、あとでどこかの誰かに降る方がずっとましだ」
更始陣営の負の連鎖は止まらない。長安もまもなく赤眉に取られてしまうことだろう。とすればその隙を突いて左馮翊を実質的に掌握し、最終的な勝者に帰順するのが最善の方法だろう。劉氏でない自分が皇帝になるのは難しいが、それでも新しい王朝でどれほどの権勢と富貴を得られることか。
公乗歙がそのように考えたとしても無理からぬことかもしれない。都尉というからには上位に太守(郡の統治者)がいるはずだが、乱世で最も効果のある力は武力で、左馮翊で今それを手にしているのは公乗歙である。まして風前の灯火の更始政権が任じた太守にどのような権威があるものか。
それだけに公乗歙は鄧禹を撃ち破っておきたかった。
今ここで鄧禹――ひいては劉秀――に降っても旨味は少ない。鄧禹を撃退し、左馮翊を完全に支配下においてこそ、自らをより高く売りつけることができるのだ。
それにこの時点で誰が最終的な勝者になるかは流動的で「売りつける相手」は劉秀以外にも複数いる。誰に対してであっても巨大な武勲という実績はあって困ることはない。
「いくら王匡の大軍に勝ったとはいえ若造だ。二度も三度もまぐれは続かんぞ」
鄧禹は若年を侮られないように苦心していたが、このような利点もある。敵にしろ味方にしろ、有能と言える者は鄧禹の非凡さをすでに充分理解していたが、凡人や愚人にそれは難しい。
ゆえに必然というべきか、公乗歙は鄧禹に大敗した。
軍の統率を任せていた樊崇が戦死したことで前途に暗雲が立ち込めた鄧禹軍だったが、直後に王匡らを完全に撃退したことが災いを福に転じさせていた。鄧禹の鮮やかな用兵に将も兵も心から服し、樊崇亡失による不安を払拭することができたのだ。
総大将である鄧禹が将兵を完全に指揮下に置き、彼の兵はいくつもの戦いを経て精兵化していた。
そのような相手に正面から挑んでは、数が多いだけの公乗歙の兵ではひとたまりもない。王匡と同じく完全に撃破され、兵も逃げ去って行った。
「これでさらにやりやすくなるな。苦労も増えるが」
逃げ去る公乗歙兵を見ながら鄧禹は小さく息をついた。樊崇の死による影響を最小限に抑えられたことは僥倖だが、その分鄧禹の負担が増えたことに変わりはない。またこの勝利によって左馮翊の民や有力者で鄧禹へなびく者も増えるだろうが、彼らを味方でいつづけさせるには、さらなる勝利と安定した統治が必要となる。
それらすべての責任は鄧禹の肩にのしかかってくるのだ。遠征前から覚悟していたことではあるが、自らの前途に楽観は許されないと自戒する鄧禹だった。
この年九月、赤眉はついに長安へ入った。
ここでこの時期の長安の情勢をざっと整理しておきたい。
まず更始帝政権だが、これはもう末期状態だった。
赤眉が迫る中、内部で裏切りと粛清が横行した。
それを避けるため自分の領地へ逃げ帰る者、赤眉に寝返る者すら現れるようになり、ついには粛清から逃れるための叛乱すら起こる。それに敗れた更始帝は逃げ込んだ先の臣下の力を使って反撃するが、このように彼らに事態を収拾する力はすでに残っていなかった。
この不毛な対立に決着をつけたのが赤眉である。
彼らが長安へ乗り込むと更始帝は逃げ出したが、すぐに戻ってきて長沙王に降格させられることとなる。これで命は長らえたかとも思えたが、やはりすぐに殺されてしまい、更始政権は完全に滅亡した。
だがこれで長安や天下に平和が訪れたわけではない。
赤眉に政の定見があるはずもなく、彼らが欲するのは更始帝たちと変わらず、生きるための食と、欲のための財である。
長安の情勢は頭が変わっただけで、実情が良くなることはなかった。
そして鄧禹である。
河東郡に続いて左馮翊でも更始帝の諸将を連破した鄧禹の名は近隣に轟き始めていた。
だが彼の名を広めた理由の最たるものは、勝利ではなく軍の規律だった。
更始帝にしろ赤眉にしろ他の群盗にしろ、彼らの目的は民を暴掠することである。彼らの通った後には、破壊され焼き尽くされた村が連なり、立ち尽くす流民の群れが残るだけだった。
そんな中、鄧禹の兵だけは違った。無用に民を虐げず、略奪もしない。
それだけで鄧禹の軍は流民たちに天軍のようにあがめられた。
彼らは互いに手を引き荷物を背負って、鄧禹を頼って集まってくる。その数は日に千を下らなかった。
「皆よく来てくれた。つらかったろう。もう安心してよいからな」
一日の進軍を終えて駐屯するごとに、鄧禹は降ってきた流民たちのところへ赴き、ねぎらいの言葉をかけた。
怜悧すぎる鄧禹だけに、この行為に政略的な意味合いがこもってないとは言い切れない。だが彼の資質の核となるものは明朗で純良なものだった。それは劉秀が彼を重用していることからも明らかで、鄧禹が賢しいだけの卑劣漢であるならば、いくら昔馴染みであろうとも早々に退けられていただろう。
それゆえ鄧禹のねぎらいに詐偽はなく、老人も子供も感涙し、彼の元に集まって跪拝した。
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