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第二章 長安編
思惑違い
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「樊参の軍はすでに左馮翊をほぼ横断し、まもなく河東郡へ入ってきます。そして河東へ侵入後、解近辺で南下、郡の南部を東進。そして大陽あたりで北上、安邑を目指すと思われます」
解も大陽も河東郡内にある県の名前である。
解は左馮翊から河東へ入ってすぐに位置する県。大陽は河東郡南部にある県で、そこからまっすぐ北上すれば安邑にたどり着く。鄧禹が地図上に指でなぞる樊参軍の予想進路は、安邑を包囲する自軍を後背から襲うものであると諸将にも理解できた。
「なるほど。しかし解近辺から南下をするとは限りますまい。それに待ち伏せをするなら郡境の河水(黄河)の方がよいのでは」
登尋が確認してくることに、鄧禹は明快に答える。
「ええ。ただ黄河の渡河ともなれば樊参は必ず船を使ってくるでしょう。ですが我らに軍船を用意する余裕はありません。また黄河を防衛線としないもう一つの理由は、樊参の油断をさらに誘いたいからです。さすがに樊参も黄河を渡るときは警戒を強めると思われます。そこに我ら敵兵のすがたが一兵もなければ、彼らの油断はもう一段強くなるはずです」
鄧禹は樊参がこちらの偵察をまったく警戒しておらず、油断しているであろうことも諸将に告げた。
さらに鄧禹は続ける。
「解近辺で南下すると考える根拠は、迂回路として使える街道へ入るには、このあたりで南へ向かわなければ都合が悪いこと。さらに河東郡に入ったからには、さすがに我らの目を気にせぬわけにはゆかず、これ以上東へ直進するのは危険と考えるだろうからです。だとすれば樊参は、解の南にあるこの川を渡らざるを得ません。そこを狙って奇襲をしかけてください。細かな戦術に関しては現場にて諸将にお任せします」
解の南には黄河ほどではないがそこそこの大きさを持った川がある。鄧禹は奇襲場所としてそこを指定した。
「それは諒解した。だがもし樊参が南下・渡渉せず、そのまま東進したらいかがする」
大まかな戦略は机上で立てることはできるが、細かな戦術は現場に行かなければ立案できない。ゆえに鄧禹の指示は正しいが、あるいは樊参の意図を読み違え、戦略そのものが崩れる可能性もある。それについて馮愔は質したのだ。
「それはもちろんありえます。あるいは樊参らは安邑を素通りして河内を攻める可能性すらありますが、どちらにせよそのときは、将軍たちが北上して川を渡り、樊参を後背から撃ってくだされ。埋伏する諸将の軍が樊参に見つかりさえしなければ、奇襲は充分に有効です」
この展開になれば、安邑に残った兵も出撃し、樊参の軍を挟撃することも可能かもしれない。なんにせよ樊崇らが樊参に見つからなければ、主導権は常に自分たちにあり勝ちは得やすくなる。
「前将軍はいかがなさる」
鄧禹の説明に全員が納得する中、ふと思い出したように樊崇が尋ねた。諸将の配置は最初に鄧禹が告げたが、彼自身がどこにいるかは明言されていなかったのだ。
「私は安邑に残ります。何かあったときに別動隊を編成せねばなりませんから」
それに対して鄧禹はにこやかに答える。
現状、鄧禹軍の本拠地は安邑(を包囲する軍)になる。そこに鄧禹が残るのは自然な話ではあるし、何かあったとき対応しやすくなるのも確かである。
この場合、危険な戦場を避けるのかと勘繰られる恐れがないでもないが、鄧禹はすでに北州平定のため何度も最前線で激戦を経験しているし、そもそも安邑自体が戦場である。諸将に鄧禹を侮る気持ちは微塵もなかった。また鄧禹としては、樊崇をはじめとした諸将が独自に動いたとき、どれほどの戦いができるのかを確認しておきたい気持ちもあったのだ。
さらに一つ付け加えておくと、迎撃軍に選んだ将は樊崇以外、包囲戦にやや倦んできた者を選んでいる。精神的負担を発散するためにも、野戦では威力を発揮するであろう。
「では、他になければ諸将はさっそく出撃の準備を。目的地に着くまで、そして着いてからも樊参の動きをつぶさに偵察することを忘れないよう、注意してください」
「御意!」
すべての話が終わったことを確認すると鄧禹は出撃を命令し、諸将は意気を揚げながらそれに応じた。
結果として、この迎撃戦はすべてうまくいった。
奇襲をおこなおうとしている凡将は自らが標的になっていると思わないものだ。その油断を鄧禹がさらに大きく広げたため、解を南下しはじめた樊参は、自軍の半ばが川を渡り終えたところで樊崇らの奇襲を無防備で受けてしまった。渡河の最中に攻め込まれるのはほぼ致命的であり、しかもそれが奇襲であった以上、樊参らに勝ち目はなかった。
樊参の軍は大破。彼自身は討ち取られ、首を斬られた。
安邑にいた鄧禹は、同じく残留した韓欽や宗欽らと共に報告を聞き、快哉をあげた。
「これで安邑も落とせますな」
宗欽が笑顔で言うことに鄧禹もうなずく。
籠城する側にとって援軍の壊滅ほど士気を低下させられる事態はない。安邑を守る楊宝や兵も例に漏れないはずだ。
安邑に残留した宗欽や左于ら将軍も楽をしていたわけではない。樊崇ら迎撃軍が出撃したことを安邑内の楊宝らに悟られないよう軍の編制に注意し、攻撃も手を抜かず、城内からの出撃を阻止し続けたのだ。
その苦労が報われたのだから無理もない。
鄧禹も韓欽とともにこれからのことを相談する段階に入ったと感じていた。
が、事態は鄧禹らの思惑からずれはじめた。
「なぜ安邑は落ちん」
樊崇たち樊参迎撃軍も戻り、包囲も万全に復したのだが、予想外に安邑が落ちないのだ。
「すでに樊参の首も見せ、援軍の潰滅も城内に知れ渡ったはずなのですが…」
迎撃戦に完勝したことで武名を輝かせた樊崇だが、それに反して表情が曇る。これは鄧禹軍の誰にとっても意の外の事態だったのだ。
「あるいは援軍の到来そのものを信じていないのかもしれませぬな」
韓欽も眉間に皴を作りながら言う。
その可能性はあると鄧禹も考えていた。
安邑の包囲はほぼ完璧で、城から兵が出入りする隙はほとんどなかった。そのため城の中に外の情報がまったく入って来ず、長安が援軍に樊参を派遣したことも知らなかったかもしれない。
樊参を討ち取った解も安邑から離れすぎているし、また樊参の首を見せたが、城内には彼の顔を知る者が一人もいなかったのかもしれない。
これらの推測が当たっているとすれば、安邑内の楊宝らは、鄧禹が自分たちを降伏させるための謀略を仕掛けてきたと考えている可能性がある。
「うまくゆきすぎて裏目に出るということもあるのですな」
樊崇は太い息で嘆息し、鄧禹もいささか渋面を作るが、こうなってはどうしようもない。
「とにかくこのまま攻囲を続けましょう。敵の籠城に限界が近づきつつあるのは確かですし、我らが援軍を撃破したことも事実です。予定より時間はかかるかもしれませぬが落城させることは可能です」
鄧禹はあらためて諸将に告げ、彼らもうなずくが、事態はさらに予想外の方向へ向かっていた。
解も大陽も河東郡内にある県の名前である。
解は左馮翊から河東へ入ってすぐに位置する県。大陽は河東郡南部にある県で、そこからまっすぐ北上すれば安邑にたどり着く。鄧禹が地図上に指でなぞる樊参軍の予想進路は、安邑を包囲する自軍を後背から襲うものであると諸将にも理解できた。
「なるほど。しかし解近辺から南下をするとは限りますまい。それに待ち伏せをするなら郡境の河水(黄河)の方がよいのでは」
登尋が確認してくることに、鄧禹は明快に答える。
「ええ。ただ黄河の渡河ともなれば樊参は必ず船を使ってくるでしょう。ですが我らに軍船を用意する余裕はありません。また黄河を防衛線としないもう一つの理由は、樊参の油断をさらに誘いたいからです。さすがに樊参も黄河を渡るときは警戒を強めると思われます。そこに我ら敵兵のすがたが一兵もなければ、彼らの油断はもう一段強くなるはずです」
鄧禹は樊参がこちらの偵察をまったく警戒しておらず、油断しているであろうことも諸将に告げた。
さらに鄧禹は続ける。
「解近辺で南下すると考える根拠は、迂回路として使える街道へ入るには、このあたりで南へ向かわなければ都合が悪いこと。さらに河東郡に入ったからには、さすがに我らの目を気にせぬわけにはゆかず、これ以上東へ直進するのは危険と考えるだろうからです。だとすれば樊参は、解の南にあるこの川を渡らざるを得ません。そこを狙って奇襲をしかけてください。細かな戦術に関しては現場にて諸将にお任せします」
解の南には黄河ほどではないがそこそこの大きさを持った川がある。鄧禹は奇襲場所としてそこを指定した。
「それは諒解した。だがもし樊参が南下・渡渉せず、そのまま東進したらいかがする」
大まかな戦略は机上で立てることはできるが、細かな戦術は現場に行かなければ立案できない。ゆえに鄧禹の指示は正しいが、あるいは樊参の意図を読み違え、戦略そのものが崩れる可能性もある。それについて馮愔は質したのだ。
「それはもちろんありえます。あるいは樊参らは安邑を素通りして河内を攻める可能性すらありますが、どちらにせよそのときは、将軍たちが北上して川を渡り、樊参を後背から撃ってくだされ。埋伏する諸将の軍が樊参に見つかりさえしなければ、奇襲は充分に有効です」
この展開になれば、安邑に残った兵も出撃し、樊参の軍を挟撃することも可能かもしれない。なんにせよ樊崇らが樊参に見つからなければ、主導権は常に自分たちにあり勝ちは得やすくなる。
「前将軍はいかがなさる」
鄧禹の説明に全員が納得する中、ふと思い出したように樊崇が尋ねた。諸将の配置は最初に鄧禹が告げたが、彼自身がどこにいるかは明言されていなかったのだ。
「私は安邑に残ります。何かあったときに別動隊を編成せねばなりませんから」
それに対して鄧禹はにこやかに答える。
現状、鄧禹軍の本拠地は安邑(を包囲する軍)になる。そこに鄧禹が残るのは自然な話ではあるし、何かあったとき対応しやすくなるのも確かである。
この場合、危険な戦場を避けるのかと勘繰られる恐れがないでもないが、鄧禹はすでに北州平定のため何度も最前線で激戦を経験しているし、そもそも安邑自体が戦場である。諸将に鄧禹を侮る気持ちは微塵もなかった。また鄧禹としては、樊崇をはじめとした諸将が独自に動いたとき、どれほどの戦いができるのかを確認しておきたい気持ちもあったのだ。
さらに一つ付け加えておくと、迎撃軍に選んだ将は樊崇以外、包囲戦にやや倦んできた者を選んでいる。精神的負担を発散するためにも、野戦では威力を発揮するであろう。
「では、他になければ諸将はさっそく出撃の準備を。目的地に着くまで、そして着いてからも樊参の動きをつぶさに偵察することを忘れないよう、注意してください」
「御意!」
すべての話が終わったことを確認すると鄧禹は出撃を命令し、諸将は意気を揚げながらそれに応じた。
結果として、この迎撃戦はすべてうまくいった。
奇襲をおこなおうとしている凡将は自らが標的になっていると思わないものだ。その油断を鄧禹がさらに大きく広げたため、解を南下しはじめた樊参は、自軍の半ばが川を渡り終えたところで樊崇らの奇襲を無防備で受けてしまった。渡河の最中に攻め込まれるのはほぼ致命的であり、しかもそれが奇襲であった以上、樊参らに勝ち目はなかった。
樊参の軍は大破。彼自身は討ち取られ、首を斬られた。
安邑にいた鄧禹は、同じく残留した韓欽や宗欽らと共に報告を聞き、快哉をあげた。
「これで安邑も落とせますな」
宗欽が笑顔で言うことに鄧禹もうなずく。
籠城する側にとって援軍の壊滅ほど士気を低下させられる事態はない。安邑を守る楊宝や兵も例に漏れないはずだ。
安邑に残留した宗欽や左于ら将軍も楽をしていたわけではない。樊崇ら迎撃軍が出撃したことを安邑内の楊宝らに悟られないよう軍の編制に注意し、攻撃も手を抜かず、城内からの出撃を阻止し続けたのだ。
その苦労が報われたのだから無理もない。
鄧禹も韓欽とともにこれからのことを相談する段階に入ったと感じていた。
が、事態は鄧禹らの思惑からずれはじめた。
「なぜ安邑は落ちん」
樊崇たち樊参迎撃軍も戻り、包囲も万全に復したのだが、予想外に安邑が落ちないのだ。
「すでに樊参の首も見せ、援軍の潰滅も城内に知れ渡ったはずなのですが…」
迎撃戦に完勝したことで武名を輝かせた樊崇だが、それに反して表情が曇る。これは鄧禹軍の誰にとっても意の外の事態だったのだ。
「あるいは援軍の到来そのものを信じていないのかもしれませぬな」
韓欽も眉間に皴を作りながら言う。
その可能性はあると鄧禹も考えていた。
安邑の包囲はほぼ完璧で、城から兵が出入りする隙はほとんどなかった。そのため城の中に外の情報がまったく入って来ず、長安が援軍に樊参を派遣したことも知らなかったかもしれない。
樊参を討ち取った解も安邑から離れすぎているし、また樊参の首を見せたが、城内には彼の顔を知る者が一人もいなかったのかもしれない。
これらの推測が当たっているとすれば、安邑内の楊宝らは、鄧禹が自分たちを降伏させるための謀略を仕掛けてきたと考えている可能性がある。
「うまくゆきすぎて裏目に出るということもあるのですな」
樊崇は太い息で嘆息し、鄧禹もいささか渋面を作るが、こうなってはどうしようもない。
「とにかくこのまま攻囲を続けましょう。敵の籠城に限界が近づきつつあるのは確かですし、我らが援軍を撃破したことも事実です。予定より時間はかかるかもしれませぬが落城させることは可能です」
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