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第一章 北州編
策
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銅馬を破ってしばらくが過ぎ、偵騎のほとんどが帰還した。
その間に戦勝の宴を終えた兵たちには、劉秀本隊が鉅鹿を離れ倪・劉軍の迎撃に向かったことも告げ、自分たちが彼らの援軍となる旨も告げていた。銅馬撃破という目的を果たし、あとは鉅鹿へ帰るだけと考えていた兵たちも、思いがけない事態に表情を変えるが、すぐにそれを引き締める。それだけで彼らは自らが兵として精鋭であることを証明してみせたが、それは歴戦の突騎兵だけでなく新設の鄧禹騎馬隊も同様であった。最初の戦闘に勝利し自信をつけたのが理由だが、戦友となった突騎兵の薫陶を身近で受けられたことも大きかったのだろう。
鄧禹には嬉しい誤算だった。
放った偵騎たちは、味方である劉秀本隊、そして敵である倪・劉両軍の位置を持ち帰った。また本隊から鄧禹たちのもとへ派遣されていた使者は、偵騎の一人と劉秀に復命し、本隊の方針変更を伝えたこと、蓋・両騎馬隊が銅馬軍を撃退したことを伝え、彼を喜ばせた。そして偵騎は劉秀からこれからの戦略や方針をあらためて確認すると急ぎ清陽へ戻り、鄧禹たちに報告する。
「戦場は南䜌あたりになるか…」
劉秀からの連絡や偵騎たちの報告をまとめ上げた鄧禹はあらためて地図を開くと、それを強く射るように凝視しながら自らの思考に深く沈む。が、それはさほど長い時間ではなかった。
「蓋将軍、我らは別動隊として明公のお役に立つことといたしましょう」
目を上げた鄧禹は蓋延を見つつ、自分たちの方針を告げた。
「そうか、明公の元へは行かぬか」
うなずく蓋延の声に落胆は感じられなかったが、鄧禹は気をまわして尋ねる。
「将軍、もし将軍が明公の御もとで働きたいとおっしゃるのであれば止めはいたしませぬよ。突騎兵のみで駆け続ければ、倪・劉と戦端が開かれるまでに到着することはかないましょう。別動隊としての働きは我が騎馬隊のみでも果たして見せますゆえ」
鄧禹は嫌味や皮肉と聞こえないよう声音と表情に気をつけた。実際、鄧禹にそのような感情はない。蓋延の心情をおもんぱかれば、劉秀の目の前で武勲を立て、褒詞をもらいたいと考えるのはごく自然なことである
また蓋延の突騎兵のみなら開戦前に劉秀の本隊へ合流できるという言にも嘘はない。急速に力をつけているとはいえ、やはり鄧禹の騎馬隊はまだ突騎兵の域には及んでおらず、能力の最大値では彼らの足を引っ張りかねなかった。
そして蓋延と突騎兵ならば、劉秀の本隊に合流しての戦闘でも、戦力として存分に役立つはずである。わざわざ意にそまぬ別動隊に参加する必要はない。
が、鄧禹の言に嫌味がないように、蓋延の言葉にも表裏はなかった。
巨躯の将軍は年少の僚友へからりと笑う。
「変に気をまわさずともよい、将軍。わしはすでに一度明公とおぬしの戒めを聞かずに痛い目に遭ったゆえな。ここらでもうひと働きしておかねばまだ明公に合わせる顔がない。おぬしにも悪いと思うておるし、それにな、おぬしの策で戦うのもなかなかおもしろいのだ。これから先こうしておぬしと二人きりで戦う機会がいつ来るかわからぬし、この際だからもう少し楽しませてもらおうと思うておる」
屈託のない笑顔と物言いに蓋延が無理をしているわけではないと察すると、鄧禹はほっと安堵の表情を浮かべた。
「かたじけのうございます、将軍。ああは言いましたが、やはり突騎兵がいるといないとではまったく違いますからな」
「おぬしの世辞は世辞と聞こえぬから困る。若いくせに如才ないやつめ」
蓋延はにやりとするとそのまま大笑に移り、鄧禹の微笑を深めた。
実際、鄧禹は劉秀陣営で謀臣として信を得ていた。主君である劉秀だけでなく将や兵のほとんどすべてからである。
これは劉秀が鄧禹を重用していることが理由の一つであるが、逆に「主君の寵愛を受けているからと調子に乗りおって」と悪感情を抱かれる危険も大きい。鄧禹が少年期、劉秀と親しくしていたとあればなおさらである。
だが鄧禹はこの危険を絶妙に渡りきっていた。これは鄧禹の献策や進言がいくつも好結果を生み、いわば実力と実績で信頼を得た面も大きいが、もう一つ、鄧禹の人柄が年長の諸将に好かれていたことも小さくない効果があった。
鄧禹のこの人柄は天から与えられたものではない。彼が生きてきた中で培ってきた処世術である。
鄧禹はその才のため子供のころから年長者の中で生きてゆくことを強要されてきた。しかも年長者とはいえ若者と称される半人前たちの間でである。一つ身の振り方を間違えたら「生意気な孺子め」と彼らから虐げられ、悪くすれば私刑に遭ってたかもしれないのだ。
そのような危険な状況で、鄧禹は嫌われないよう、侮られないよう、本人も半ば無自覚な中、彼らとのつきあい方を模索してきたのである。
処世術といっても命がけでもあったし、この術はすでに鄧禹の人格に染みついて、彼の習い性に昇華している。それゆえ嫌味や嘘くささもなく、ごく自然に他者に受け入れられるほどになっていた。
またこのような年長の若者とつきあわなければならない以上、鄧禹の方から彼らの人品を観察することも当然である。卑しい人間に近づくのは他の誰にとっても危険だったが、鄧禹には致命傷になりかねなかったのだから。
もともと人を鑑る目が肥えていた鄧禹だが、そのような事情で命がけで磨き上げた彼の人物鑑定眼は、人の世に揉まれて生きてきた老人以上のものになっていた。
そしてこれら一見「かわいげのない」後天性の能力が今の鄧禹を助けている。
鄧禹より年長の力ある将帥に、能力において信頼され、人柄において好かれることは、得がたい利点であった。
今回、基本方針はすでに耿純(の進言を容れた劉秀)が決しているため、鄧禹はそれを最大限効果的に成功させる戦術考案に専念した。
その戦術も基本はすでに考え出している。というより考えるまでもなかった。
「また同じ戦法か。芸のないことだな」
聞かされた蓋延が笑ったように、まさしくつい数日前に銅馬を破った戦法とまったく同じ「劉秀本隊が対峙する倪・劉軍の後背を奇襲する」というものであった。
自ら体験したことでもあり、その有用さを理解しつつも、蓋延は茶目っ気から年少の同僚を好意的にからかわずにいられなかったのだ。
だが、からかわれた方も黙ってはいない。
「効果があるとわかっている方法を採るにためらいはありませぬ。自身で使った戦術ゆえ、盗用のそしりもまぬがれますしな」
と、すまし顔で言ってのけ、ますます蓋延の笑いを誘った。
だが確かに鄧禹の言うように今回もこの手段は有効であるはずだった。
まず鄧禹と蓋延が別行動を取っていることを倪・劉は知らない可能性が高く、これだけでも奇襲するに都合がよかった。
さらに鄧禹の騎馬隊はもとより蓋延の突騎兵という優秀な「飛び道具」がある。かの騎兵の機動力と攻撃力を活かせばどれほど戦術の幅が広がるか。増長を自戒し不謹慎を自覚しつつも、策戦家としての鄧禹は楽しみを覚えずにはいられない。
また現実的な観点からしても他の戦法が取れないという事情もあった。なにしろ倪・劉は大軍なのだ。劉秀軍に比べ圧倒的大差があるわけではないが、兵数はやはり敵の方が多い。いかに機動力と攻撃力に秀でているといっても、寡兵に過ぎない蓋延と鄧禹の騎馬隊が彼らと正面から戦うのは無理がある。あくまで劉秀の本隊を「勝たせる」ための別動隊として自らを使うべきであった。
その間に戦勝の宴を終えた兵たちには、劉秀本隊が鉅鹿を離れ倪・劉軍の迎撃に向かったことも告げ、自分たちが彼らの援軍となる旨も告げていた。銅馬撃破という目的を果たし、あとは鉅鹿へ帰るだけと考えていた兵たちも、思いがけない事態に表情を変えるが、すぐにそれを引き締める。それだけで彼らは自らが兵として精鋭であることを証明してみせたが、それは歴戦の突騎兵だけでなく新設の鄧禹騎馬隊も同様であった。最初の戦闘に勝利し自信をつけたのが理由だが、戦友となった突騎兵の薫陶を身近で受けられたことも大きかったのだろう。
鄧禹には嬉しい誤算だった。
放った偵騎たちは、味方である劉秀本隊、そして敵である倪・劉両軍の位置を持ち帰った。また本隊から鄧禹たちのもとへ派遣されていた使者は、偵騎の一人と劉秀に復命し、本隊の方針変更を伝えたこと、蓋・両騎馬隊が銅馬軍を撃退したことを伝え、彼を喜ばせた。そして偵騎は劉秀からこれからの戦略や方針をあらためて確認すると急ぎ清陽へ戻り、鄧禹たちに報告する。
「戦場は南䜌あたりになるか…」
劉秀からの連絡や偵騎たちの報告をまとめ上げた鄧禹はあらためて地図を開くと、それを強く射るように凝視しながら自らの思考に深く沈む。が、それはさほど長い時間ではなかった。
「蓋将軍、我らは別動隊として明公のお役に立つことといたしましょう」
目を上げた鄧禹は蓋延を見つつ、自分たちの方針を告げた。
「そうか、明公の元へは行かぬか」
うなずく蓋延の声に落胆は感じられなかったが、鄧禹は気をまわして尋ねる。
「将軍、もし将軍が明公の御もとで働きたいとおっしゃるのであれば止めはいたしませぬよ。突騎兵のみで駆け続ければ、倪・劉と戦端が開かれるまでに到着することはかないましょう。別動隊としての働きは我が騎馬隊のみでも果たして見せますゆえ」
鄧禹は嫌味や皮肉と聞こえないよう声音と表情に気をつけた。実際、鄧禹にそのような感情はない。蓋延の心情をおもんぱかれば、劉秀の目の前で武勲を立て、褒詞をもらいたいと考えるのはごく自然なことである
また蓋延の突騎兵のみなら開戦前に劉秀の本隊へ合流できるという言にも嘘はない。急速に力をつけているとはいえ、やはり鄧禹の騎馬隊はまだ突騎兵の域には及んでおらず、能力の最大値では彼らの足を引っ張りかねなかった。
そして蓋延と突騎兵ならば、劉秀の本隊に合流しての戦闘でも、戦力として存分に役立つはずである。わざわざ意にそまぬ別動隊に参加する必要はない。
が、鄧禹の言に嫌味がないように、蓋延の言葉にも表裏はなかった。
巨躯の将軍は年少の僚友へからりと笑う。
「変に気をまわさずともよい、将軍。わしはすでに一度明公とおぬしの戒めを聞かずに痛い目に遭ったゆえな。ここらでもうひと働きしておかねばまだ明公に合わせる顔がない。おぬしにも悪いと思うておるし、それにな、おぬしの策で戦うのもなかなかおもしろいのだ。これから先こうしておぬしと二人きりで戦う機会がいつ来るかわからぬし、この際だからもう少し楽しませてもらおうと思うておる」
屈託のない笑顔と物言いに蓋延が無理をしているわけではないと察すると、鄧禹はほっと安堵の表情を浮かべた。
「かたじけのうございます、将軍。ああは言いましたが、やはり突騎兵がいるといないとではまったく違いますからな」
「おぬしの世辞は世辞と聞こえぬから困る。若いくせに如才ないやつめ」
蓋延はにやりとするとそのまま大笑に移り、鄧禹の微笑を深めた。
実際、鄧禹は劉秀陣営で謀臣として信を得ていた。主君である劉秀だけでなく将や兵のほとんどすべてからである。
これは劉秀が鄧禹を重用していることが理由の一つであるが、逆に「主君の寵愛を受けているからと調子に乗りおって」と悪感情を抱かれる危険も大きい。鄧禹が少年期、劉秀と親しくしていたとあればなおさらである。
だが鄧禹はこの危険を絶妙に渡りきっていた。これは鄧禹の献策や進言がいくつも好結果を生み、いわば実力と実績で信頼を得た面も大きいが、もう一つ、鄧禹の人柄が年長の諸将に好かれていたことも小さくない効果があった。
鄧禹のこの人柄は天から与えられたものではない。彼が生きてきた中で培ってきた処世術である。
鄧禹はその才のため子供のころから年長者の中で生きてゆくことを強要されてきた。しかも年長者とはいえ若者と称される半人前たちの間でである。一つ身の振り方を間違えたら「生意気な孺子め」と彼らから虐げられ、悪くすれば私刑に遭ってたかもしれないのだ。
そのような危険な状況で、鄧禹は嫌われないよう、侮られないよう、本人も半ば無自覚な中、彼らとのつきあい方を模索してきたのである。
処世術といっても命がけでもあったし、この術はすでに鄧禹の人格に染みついて、彼の習い性に昇華している。それゆえ嫌味や嘘くささもなく、ごく自然に他者に受け入れられるほどになっていた。
またこのような年長の若者とつきあわなければならない以上、鄧禹の方から彼らの人品を観察することも当然である。卑しい人間に近づくのは他の誰にとっても危険だったが、鄧禹には致命傷になりかねなかったのだから。
もともと人を鑑る目が肥えていた鄧禹だが、そのような事情で命がけで磨き上げた彼の人物鑑定眼は、人の世に揉まれて生きてきた老人以上のものになっていた。
そしてこれら一見「かわいげのない」後天性の能力が今の鄧禹を助けている。
鄧禹より年長の力ある将帥に、能力において信頼され、人柄において好かれることは、得がたい利点であった。
今回、基本方針はすでに耿純(の進言を容れた劉秀)が決しているため、鄧禹はそれを最大限効果的に成功させる戦術考案に専念した。
その戦術も基本はすでに考え出している。というより考えるまでもなかった。
「また同じ戦法か。芸のないことだな」
聞かされた蓋延が笑ったように、まさしくつい数日前に銅馬を破った戦法とまったく同じ「劉秀本隊が対峙する倪・劉軍の後背を奇襲する」というものであった。
自ら体験したことでもあり、その有用さを理解しつつも、蓋延は茶目っ気から年少の同僚を好意的にからかわずにいられなかったのだ。
だが、からかわれた方も黙ってはいない。
「効果があるとわかっている方法を採るにためらいはありませぬ。自身で使った戦術ゆえ、盗用のそしりもまぬがれますしな」
と、すまし顔で言ってのけ、ますます蓋延の笑いを誘った。
だが確かに鄧禹の言うように今回もこの手段は有効であるはずだった。
まず鄧禹と蓋延が別行動を取っていることを倪・劉は知らない可能性が高く、これだけでも奇襲するに都合がよかった。
さらに鄧禹の騎馬隊はもとより蓋延の突騎兵という優秀な「飛び道具」がある。かの騎兵の機動力と攻撃力を活かせばどれほど戦術の幅が広がるか。増長を自戒し不謹慎を自覚しつつも、策戦家としての鄧禹は楽しみを覚えずにはいられない。
また現実的な観点からしても他の戦法が取れないという事情もあった。なにしろ倪・劉は大軍なのだ。劉秀軍に比べ圧倒的大差があるわけではないが、兵数はやはり敵の方が多い。いかに機動力と攻撃力に秀でているといっても、寡兵に過ぎない蓋延と鄧禹の騎馬隊が彼らと正面から戦うのは無理がある。あくまで劉秀の本隊を「勝たせる」ための別動隊として自らを使うべきであった。
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