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第一章 北州編
誤算
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正面に敵(蓋延)がいる以上、銅馬軍も布陣し迎撃体勢は整えている。だが銅馬の将は開戦にややためらいを持っていた。自分たちが対峙しているのが北州に名だたる漁陽の突騎兵と知ったからである。
確かに敵の数は自分たちより少ないが、機動力と攻撃力では相手の方が圧倒的に上なのだ。銅馬にも騎馬隊はいるが、質において突起兵とは差がありすぎる。機動力に物を言わせて歩兵を蹂躙されでもしたら、どうすればよいのか…
銅馬の将にとって誤算だったのは、劉秀の迎撃隊(蓋延)が予想以上に早く到着したことだった。
というより迎撃隊がやってきたこと自体に驚いていた。彼らは劉秀が自分たちの存在に気づかず鉅鹿を攻め続け、まったくの無防備・無警戒で後背に急襲を受けると思いこんでいたのだ。
人はどうしても自分に都合よく物事を考えがちだが、いかにその誘惑に打ち克ち、理性と知性をもって現実に対応できるか。それが優秀な将の条件の一つなのだが、銅馬の将は自らの将才が低劣であることを、はからずも証明してしまっていた。
そんな将のひきいる兵だけに、突進してくる蓋延の突騎兵に対しても動きが鈍かった。驚き、戸惑い、どうしていいかわからない様子である。
それを見た蓋延は一気に敵中へ突入したい衝動に駆られたが、さすがに多勢に無勢。さらに劉秀の渋面を思い出して自重すると、自らが率先して、銅馬軍の外周部をまわりながら矢を射かけはじめた。指揮官の行動が一つの命令となり、突騎兵たちも銅馬の周囲をめぐりながら矢を放ち始める。これこそ味方に一兵も被害を出すことなく、敵を一方的に削ってゆく良策であった。
が、それがあまりにもうまくゆきすぎた。銅馬兵は戦端を開く前から惑乱し、精神的に右往左往している状態だった。そこへ無数の矢が飛来してきたのだ。動揺は恐怖に浸食され、さらに混濁の度を増してゆく。
その混濁を見て取った蓋延は、自重の念を脇に追いやってしまった。
「よし、一気に潰乱させるぞ。わしに続け! 突撃!」
表情に喜悦さえ浮かべ、蓋延は銅馬軍へ突進してゆき、彼に続いて突騎兵も斬り込んでいった。
八尺(約184cm)の偉丈夫が巨体にふさわしい気迫で突入してきたのである。しかもその後ろからは北州随一の騎馬隊が突進してくる。
銅馬の兵は悲鳴をあげて逃げ散り、さらに斬り散らされ、蹴散らされていった。
「進め、進め、進め、進め!」
銅馬兵の醜態を見た蓋延は声を励まし、手にした剛剣を振るい、突騎兵をひきいて銅馬軍の深く、深く、さらに奥深くへと食い込んでゆく。
戦場で自らの武を思うさま発揮する幸福に全身を勇躍させる蓋延だったが、ここで意外なことが起こった。
自らの動きが鈍くなってきたのだ。彼だけではない。突騎兵の動きも同様だった。
彼ら自身に問題があるのではない。周囲を銅馬兵に囲まれ、彼らが進撃する空間がなくなってきたのだ。
敵兵が勇気を振り絞って立ち向かってきてのことであればまだわかる。だが蓋延の視界に入る敵兵は、自分たちに背を見せ、逃げようとする者が大半なのだ。
「これはどうしたことだ」
これには蓋延も困惑した。
が、ここで彼はようやく気づいた。銅馬兵は全員が逃げようとしているわけではなかった。蓋延たちから比較的離れた場所にいる銅馬兵たちは、自分がどこへ行けばいいか、どうすればいいかわからず、立ち止まったり、あらぬ方へ向かおうとしている者も多数いたのだ。
そのような兵たちに邪魔され、逃げようとする兵の動きも鈍り、結果、蓋延たちを押しつぶすように密集してしまっているのである。
そのことを蓋延は理解し、あきれた。
つまり遠くにいる銅馬兵たちは、自分たちが突撃=攻撃を受けたとわかっていなかったのだ。
それは蓋延たちの突撃があまりに突然で速すぎたため、雑兵である彼らが状況の変化についていけなかったという理由もあろうし、また蓋延の突騎兵が彼らに比して少なすぎたため、すぐには気づけなかったということもあるだろう。
だがなんにせよ蓋延たちの突進を鈍らされたことに違いはない。
そして次の瞬間、蓋延は蒼ざめた。自分たちが絶体絶命の状況に追い込まれたことに気づいたのだ。
「まずい、このままでは鏖殺される」
原因の低劣さはともかく、突騎兵最大の長所である機動力を殺されたことは厳然たる事実である。しかも敵の大軍のど真ん中でだ。敵兵がそのことに気づけばさすがに彼らもいっせいに襲いかかってくるに違いない。そうなれば兵の質など問題にならないほど数が違う。
蓋延たちは全滅させられてしまうだろう。
その危険に気づいた蓋延は反射的に背後を振り返り、さらに蒼ざめた。
彼らが突撃してきて開かれた「道」が、敵兵で埋められ始めているのである。これも彼らが意図してのことではなく、右往左往するうちに開いている空間へ自然と集まってきてるだけのことだったが、蓋延たちにしてみれば、まさしく生還への道をふさがれることに他ならない。
「反転! 急ぎこの密集を突破せよ!」
背後の突騎兵たちに、これまでで最大の音量で命令する。突騎兵たちの中にはまだ自分たちの危機に気づいていない者もいたが、それでも指揮官の命令にとっさに反応し従うのは、彼らが優秀な兵である証だった。
反転した突騎兵はまだ兵の密度の薄い「道」へ向けて突進してゆき、蓋延は殿を務める。
突入するとき以上の真剣さと速度をもっての脱出が開始された。
突騎兵は銅馬兵を文字通り蹴散らしながら突進する。銅馬兵は逃げることに集中していた者がほとんどだけに、蓋延たちの脱出はさほどの困難もなく達成されるかに見えた。
が、ここで最も気づいてほしくない人物に蓋延たちが突如反転・脱出を始めたことを気づかれてしまった。
銅馬の将である。優柔不断から蓋延たちに突入を許してしまい、そこからどうすればいいかわからずさらなる混乱と困惑に支配されていた彼だが、さすがに将となるだけあって、無意識でも周囲に意識を配っていたのである。
まともな将軍なら敵の突然の方針転換にいぶかり、羊敗による罠なども含めてその理由を考えるだろう。あるいは名将ならば、敵の逃走の真偽を直勘をもって判断し、とっさに追撃を命じるだろう。
彼はどちらでもなかった。
「敵が逃げたぞ。追え! 追え! 追え!」
「敵が背中を見せた」=「逃げた」と即断し、思いもかけぬ喜悦とともに、なんの考えもなしに追撃を命じたのだ。罠があれば味方に甚大な被害が出るところだが、今回、彼は運が良かった。
銅馬の将の命令は、逃げるばかりで状況が見えてなかった銅馬兵たちにも蓋延の反転を気づかせる。そして自分で考えることをしない兵たちは、指揮官の「逃げた。追え」をそのまま信じ、喚声をあげて敵兵を追い始めた。
それは整然とした追撃ではなく、銅馬兵の半ばは変わらず右往左往していたが、それでもそもそもの兵数が多い。一つの流れができると他の兵もそちらへなだれ込みはじめ、蓋延らの背後を追い始めた。
敗退寸前の状況から、信じられないほどの劇的な変化であった。
確かに敵の数は自分たちより少ないが、機動力と攻撃力では相手の方が圧倒的に上なのだ。銅馬にも騎馬隊はいるが、質において突起兵とは差がありすぎる。機動力に物を言わせて歩兵を蹂躙されでもしたら、どうすればよいのか…
銅馬の将にとって誤算だったのは、劉秀の迎撃隊(蓋延)が予想以上に早く到着したことだった。
というより迎撃隊がやってきたこと自体に驚いていた。彼らは劉秀が自分たちの存在に気づかず鉅鹿を攻め続け、まったくの無防備・無警戒で後背に急襲を受けると思いこんでいたのだ。
人はどうしても自分に都合よく物事を考えがちだが、いかにその誘惑に打ち克ち、理性と知性をもって現実に対応できるか。それが優秀な将の条件の一つなのだが、銅馬の将は自らの将才が低劣であることを、はからずも証明してしまっていた。
そんな将のひきいる兵だけに、突進してくる蓋延の突騎兵に対しても動きが鈍かった。驚き、戸惑い、どうしていいかわからない様子である。
それを見た蓋延は一気に敵中へ突入したい衝動に駆られたが、さすがに多勢に無勢。さらに劉秀の渋面を思い出して自重すると、自らが率先して、銅馬軍の外周部をまわりながら矢を射かけはじめた。指揮官の行動が一つの命令となり、突騎兵たちも銅馬の周囲をめぐりながら矢を放ち始める。これこそ味方に一兵も被害を出すことなく、敵を一方的に削ってゆく良策であった。
が、それがあまりにもうまくゆきすぎた。銅馬兵は戦端を開く前から惑乱し、精神的に右往左往している状態だった。そこへ無数の矢が飛来してきたのだ。動揺は恐怖に浸食され、さらに混濁の度を増してゆく。
その混濁を見て取った蓋延は、自重の念を脇に追いやってしまった。
「よし、一気に潰乱させるぞ。わしに続け! 突撃!」
表情に喜悦さえ浮かべ、蓋延は銅馬軍へ突進してゆき、彼に続いて突騎兵も斬り込んでいった。
八尺(約184cm)の偉丈夫が巨体にふさわしい気迫で突入してきたのである。しかもその後ろからは北州随一の騎馬隊が突進してくる。
銅馬の兵は悲鳴をあげて逃げ散り、さらに斬り散らされ、蹴散らされていった。
「進め、進め、進め、進め!」
銅馬兵の醜態を見た蓋延は声を励まし、手にした剛剣を振るい、突騎兵をひきいて銅馬軍の深く、深く、さらに奥深くへと食い込んでゆく。
戦場で自らの武を思うさま発揮する幸福に全身を勇躍させる蓋延だったが、ここで意外なことが起こった。
自らの動きが鈍くなってきたのだ。彼だけではない。突騎兵の動きも同様だった。
彼ら自身に問題があるのではない。周囲を銅馬兵に囲まれ、彼らが進撃する空間がなくなってきたのだ。
敵兵が勇気を振り絞って立ち向かってきてのことであればまだわかる。だが蓋延の視界に入る敵兵は、自分たちに背を見せ、逃げようとする者が大半なのだ。
「これはどうしたことだ」
これには蓋延も困惑した。
が、ここで彼はようやく気づいた。銅馬兵は全員が逃げようとしているわけではなかった。蓋延たちから比較的離れた場所にいる銅馬兵たちは、自分がどこへ行けばいいか、どうすればいいかわからず、立ち止まったり、あらぬ方へ向かおうとしている者も多数いたのだ。
そのような兵たちに邪魔され、逃げようとする兵の動きも鈍り、結果、蓋延たちを押しつぶすように密集してしまっているのである。
そのことを蓋延は理解し、あきれた。
つまり遠くにいる銅馬兵たちは、自分たちが突撃=攻撃を受けたとわかっていなかったのだ。
それは蓋延たちの突撃があまりに突然で速すぎたため、雑兵である彼らが状況の変化についていけなかったという理由もあろうし、また蓋延の突騎兵が彼らに比して少なすぎたため、すぐには気づけなかったということもあるだろう。
だがなんにせよ蓋延たちの突進を鈍らされたことに違いはない。
そして次の瞬間、蓋延は蒼ざめた。自分たちが絶体絶命の状況に追い込まれたことに気づいたのだ。
「まずい、このままでは鏖殺される」
原因の低劣さはともかく、突騎兵最大の長所である機動力を殺されたことは厳然たる事実である。しかも敵の大軍のど真ん中でだ。敵兵がそのことに気づけばさすがに彼らもいっせいに襲いかかってくるに違いない。そうなれば兵の質など問題にならないほど数が違う。
蓋延たちは全滅させられてしまうだろう。
その危険に気づいた蓋延は反射的に背後を振り返り、さらに蒼ざめた。
彼らが突撃してきて開かれた「道」が、敵兵で埋められ始めているのである。これも彼らが意図してのことではなく、右往左往するうちに開いている空間へ自然と集まってきてるだけのことだったが、蓋延たちにしてみれば、まさしく生還への道をふさがれることに他ならない。
「反転! 急ぎこの密集を突破せよ!」
背後の突騎兵たちに、これまでで最大の音量で命令する。突騎兵たちの中にはまだ自分たちの危機に気づいていない者もいたが、それでも指揮官の命令にとっさに反応し従うのは、彼らが優秀な兵である証だった。
反転した突騎兵はまだ兵の密度の薄い「道」へ向けて突進してゆき、蓋延は殿を務める。
突入するとき以上の真剣さと速度をもっての脱出が開始された。
突騎兵は銅馬兵を文字通り蹴散らしながら突進する。銅馬兵は逃げることに集中していた者がほとんどだけに、蓋延たちの脱出はさほどの困難もなく達成されるかに見えた。
が、ここで最も気づいてほしくない人物に蓋延たちが突如反転・脱出を始めたことを気づかれてしまった。
銅馬の将である。優柔不断から蓋延たちに突入を許してしまい、そこからどうすればいいかわからずさらなる混乱と困惑に支配されていた彼だが、さすがに将となるだけあって、無意識でも周囲に意識を配っていたのである。
まともな将軍なら敵の突然の方針転換にいぶかり、羊敗による罠なども含めてその理由を考えるだろう。あるいは名将ならば、敵の逃走の真偽を直勘をもって判断し、とっさに追撃を命じるだろう。
彼はどちらでもなかった。
「敵が逃げたぞ。追え! 追え! 追え!」
「敵が背中を見せた」=「逃げた」と即断し、思いもかけぬ喜悦とともに、なんの考えもなしに追撃を命じたのだ。罠があれば味方に甚大な被害が出るところだが、今回、彼は運が良かった。
銅馬の将の命令は、逃げるばかりで状況が見えてなかった銅馬兵たちにも蓋延の反転を気づかせる。そして自分で考えることをしない兵たちは、指揮官の「逃げた。追え」をそのまま信じ、喚声をあげて敵兵を追い始めた。
それは整然とした追撃ではなく、銅馬兵の半ばは変わらず右往左往していたが、それでもそもそもの兵数が多い。一つの流れができると他の兵もそちらへなだれ込みはじめ、蓋延らの背後を追い始めた。
敗退寸前の状況から、信じられないほどの劇的な変化であった。
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この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
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