鄧禹

橘誠治

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第一章 北州編

蓋延出撃

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「将軍! おぬしが銅馬を討つ将にわしを推してくれたそうだな。感謝するぞ」
 劉秀の前から退き、急ぎ騎馬隊の編成を進めていた鄧禹のもとへ、巨躯にふさわしい大声たいせいとともに蓋延こうえんがやってきた。どうやら劉秀に呼び出され、銅馬討伐の命を直接受け、そのとき鄧禹とううが彼を推薦したと聞かされたらしい。
 うれしそうである。やはり蓋延の心情は鄧禹が推測したとおり、かなり鬱屈していたようだ。
「私は進言しただけで決断なさったのは明公とのですよ。御礼は明公へおっしゃるだけで充分です」
「なに、おぬしへの礼は明公へのついでだ。それでも有り余るほど感謝しているということよ」
 鄧禹は華奢に見えるが背は中背よりやや高く、いくら陣営内で若いとはいえ、実質は充分に成年の若者である。それでも蓋延に比べると少年に見え、ばんばんと背を叩かれると少し前へつんのめってしまう。
 軽く咳込みながら苦笑する鄧禹は、表情をあらためて馬鹿力の僚将に言う。
「明公からうかがったとは存じますが、私も後詰めで出撃します。蓋将軍の邪魔をするつもりはありませぬから存分になさってください」
「おう、おう、任せておけ。おぬしにもたっぷりと武勲を立てさせてやるゆえな」
 蓋延の性格を考えれば調子に乗せすぎない方がよいかもしれぬとも思うが、彼が最大の力を発揮できるのはやはり調子に乗ったときでもある。そのあたりは呉漢からも聞いているし、鄧禹の蓋延像とも合致していた。それに今回は自分が後詰めをするのだ。蓋延に危機があればすぐさま助けることもできよう。それゆえ最初から蓋延の長所をぐようなことは言いたくなかった。
 だが談笑する二人のもとへやってきた兵の届けた急報が、鄧禹の狙いを裏目に変える。


「銅馬軍が急進を開始したとの報告がありました。予想より早く鉅鹿へ到達しそうです」
「なんだと!」
 その報告に、鄧禹と蓋延は驚きとともに表情を硬化させる。銅馬に限らないが、このあたりが戦略性に乏しい農民叛乱軍の読みづらいところであった。今回の急進も彼らなりの理由はあるのだろうが、他者が見れば行き当たりばったりの感は否めない。
 時勢に乗ることで大兵力を集めた彼らの大半が最終的に敗滅することが多いのは、せっかく集めたそれらを無意味に浪費することが原因の一つである。が、無意味であるがゆえ局地的に敵の意表を突くことはままあり、今回の事例がまさしくそれであった。


 だが最初の驚きが去ると、蓋延はむしろうれしげに鄧禹へ告げた。
「そうとなれば是非もない。将軍の騎馬隊はまだ編成に時間がかかろう。わしの部隊だけで先行し、連中を大いに叩いてくれる。すぐに明公に出撃の許可をいただいてこよう」
 蓋延の言うことに鄧禹も反対しない。というより、できない。今回の出撃は銅馬に自分たちの背後を突かせないためのものなのだから、迎撃が間に合わなくては意味がない。蓋延の部隊は漁陽の突騎兵で、精強であり彼の子飼いと言ってよかった。当然今さら編成など必要なく、すぐにでも出撃可能である。
 だが銅馬に比して数で劣るのもまた確か。必ずしも兵の多寡で勝敗が決まるわけではないが、戦場が生き物である以上、懸念がないわけではなかった。蓋延が勢いに乗って銅馬を撃破できればよし、そうでなければむざと優秀な将軍と部隊を失うことになってしまう。


 銅馬襲来を報告に来た兵からさらに細かく情報を聞き、今から出撃する蓋延の部隊と銅馬軍が対峙するのが清陽せいよう近辺と当たりをつけた鄧禹は、劉秀のいる本陣へ勇んで向かう蓋延の背へ大声で告げる。
「わかり申した。ですが将軍、できれば私が到着するまで開戦は待っていただきたい。不測の事態で戦端を開かざるを得なくなり、不利に陥ったときは、無理せず清陽せいようへ退いてくだされ。このようなつまらぬ戦いで将軍を失うようなことになれば、明公とのが悲しみます」
 自重してほしいというのは鄧禹の本心だが、蓋延の性分からすればそれは難しいだろう。自分が不用意に蓋延を調子に乗せてしまったことに悔いもあるが、今それを言っても仕方がない。
 大股で歩み去りながら振り返りもせず手を振る蓋延の耳に自分の進言が届いたことは確かで、そこにわずかな安堵をおぼえた鄧禹は、表情をあらためると自身の騎馬隊の編成作業を急ぎ再開した。
 が、脳内でもう一つのことも考えている。
「出撃前に寇将軍へ後事を託しておくか」
 寇将軍とは寇恂のことで、彼が広阿で陣営に加わって以来、歓談することすでに十数回。彼が人物であることを実感している鄧禹は、自分が本隊にいない間、託せるものはすべて彼に託しておこうと決心した。


 劉秀に許可をもらった蓋延の出撃は早かった。
 劉秀も「銅馬、予想より早く到着の模様」という報告を受けていたため許可を出さないわけにはいかなかったのだが、「くれぐれも仲華を待て」と念を押したのは、やはり蓋延の「お調子者」の部分を気にしたためであろう。


 出撃と同様、蓋延の行軍もまた速かった。彼のひきいる部隊も呉漢と同じ漁陽の突騎兵が主力であれば当然かもしれないが、蓋延が銅馬の存在を確認したのは、鄧禹が予想した通り清陽の近くであった。
 蓋延は鄧禹の予測の正確さに感嘆したが、同時に清陽確保を確実にする必要もおぼえた。
 清陽の城主はすでに劉秀に服しているが、それは積極的なものではない。もともと非王郎派だったため、劉秀が信都で起兵するとすぐに帰順を申し入れてきたのだが、それは書状が送られてきただけに過ぎず、状況が変化すれば再度王郎へ寝返らないとも限らない。蓋延としては先に清陽へ顔を出して、彼らをより確実に味方につけておくべきだと考えたのだ。
「あれだけ明公とのや将軍に念を押されたからには、多少は格好をつけておかねば後で言い訳が立たぬからな」
 苦笑すら豪快にやってのけた蓋延は、先走るなと散々戒めてきた主君や年若の同僚へのアリバイ作りのため、まずは清陽へ出向いて城主に面談し、帰順を確実なものにすると、あらためて銅馬へ向けて兵を進めた。


 清陽からさほど離れていない平原で、蓋延は銅馬軍を視認した。
 大軍ではある。だがこれでも銅馬の全軍ではない。その一部がなにがしかの理由でうろついていたところ、劉秀の鉅鹿包囲を知って、急遽方針を変更したのだろうと劉秀陣営では考えていた。
 銅馬に限らず、本来、軍を分けるなど愚策なのだが、彼らなりの事情というものもある。
「おそらくは食糧の問題だろう」
 蓋延は銅馬軍を遠望しながら、彼らの「事情」をそう推し量った。
 大軍は戦闘では有利だが、維持に大変な困難がともなう。特に食糧の確保は最重要課題である。それゆえいくつかの集団に分かれ、それぞれの軍が食糧を確保するためうろついていたのではないか。
 蓋延はそう考えたのだ。


 それは劉秀軍にとって僥倖ぎょうこうだった。もし銅馬の全軍がやってきたとすれば、迎撃には劉秀も最初から全軍をもってせねばならず、あるいはそれですら兵は足りず、鉅鹿攻略も中途半端に放棄するしかなかったかもしれないのだ。
 だが蓋延(と鄧禹)が負ければ鉅鹿攻略中の劉秀本隊が襲われ、逃げ出さざるを得ず、結果は同じになる。彼らの責任は重大だった。
「さてどうするか…」
 蓋延は粗野だが有能な男でもある。自身の責任の重さは自覚していた。
 だが今回はそれ以上に、自分の武勇に対する自信と、これまでの不満フラストレーションが強かった。
 どうするか、とは、劉秀や鄧禹の「自重せよ」という指示を思い出していたからだが、実はそれも最初から守る気はほとんどなかった。そうでなければ最初から戦闘に向いている平原に布陣して敵軍を迎え撃つはずがない。目的を果たすだけならば、極端なところ清陽に立てこもって銅馬の後背をやくし、鉅鹿を包囲する劉秀軍への進撃を思いとどまらせればよいのだ。
 今の布陣がすでに蓋延の思惑を如実に表していた。


「こうしてにらみあっていても仕方がないな。手をこまねいていては敵に利を明け渡すことになるかもしれん。やはりここはこちらから攻める方が得策だな」
 この場にいない劉秀や鄧禹、そして自分自身に言い訳するが、敵の正面に布陣した時点で前提がすり替わっているのだから今さらである。蓋延もそれを自覚していたが、あえて目をつぶり、麾下の突騎兵へめいを下した。
「突撃!」
 その命令に兵がときの声を上げて応じると、彼らの愛馬は突進を開始した。


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