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第一章 北州編
集う功臣
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この時期の広阿は、劉秀にとって一つの大きな転機となっている。彼の幕下へ新たな人材が幾人も参入しているのだ。
彼らは後の劉秀の覇業の大きな一翼を担うことになり、それゆえこれは運命の出逢いとも言えた。
北州のほとんどは王郎になびいているため、劉秀に従った信都は少数派であった。
が、信都の他にも彼への臣従を望む勢力があったのだ。
上谷と漁陽の二郡。それぞれの太守は劉秀を援けるため、若き将に兵をひきいさせ、派遣してきた。
正確にはその若き将たちがおのおのの太守を説得し、劉秀へつくことを選ばせたのである。
「上谷太守より派遣された寇子翼にござる。劉将軍とともに王郎を討たんがため馳せ参じました」
「同じく漁陽太守より遣わされた呉子顔と申す。劉将軍の麾下へ入ることを所望」
子翼、子顔はそれぞれあざなであり、彼らの氏名は寇恂、呉漢という。また他にも蓋延、景丹なども帰順。全員が劉秀の天下統一に多大な貢献があり、のちに「雲台二十八将」に名を連ね、歴史に名を残す将軍たちであった。
「おう、おう、よく来てくださった! これ以上の喜びはない」
彼らの参戦は劉秀を驚喜させた。
彼は二人に抱きつかんばかりの感激を表したが、この心情に嘘はまったくない。寇恂と呉漢の能力や器量についてはまだわからないが、二人が引き連れてきた上谷・漁陽の突騎兵数千が味方についてくれただけでも歓喜に値する。なにしろこの二郡の突騎兵は、北州だけでなく天下に名を轟かせるほどの精強を誇っているのだ。
しかも寇恂と呉漢は広阿へ南下してくる途中でも王郎の将帥や兵をいくつも撃ち、突騎兵の名に実があることを証明していた。
これほどの精兵が麾下に入ったのだから劉秀の喜悦も無理はないのだが、いささか疑問も残る。
「しかしなぜ我が軍へ。今この北州において王郎に敵対するのは危険であろうに」
劉秀にはありがたいばかりの参戦だが、なにしろ自分はようやくわずかばかりの勢力を手に入れた弱小の存在でしかない。そんな自分へつく理由がわからなかったのだ。
それを聞いた寇恂と呉漢は、代わる代わる答えた。
「北上してくる劉将軍の鎮撫の様子は上谷にも聞こえておりました。公正にして篤情。これに勝るはありませぬ」
「王郎のごときはこれほどの勢力を誇りながら、民のため、天下のため、何かを為したという話がとんと聞こえて参りませぬ。成帝の子を自称するその真偽すら明らかではなく、これでは仮に天下を手に入れたとしても、ろくな治世は敷けますまい」
ゆえに劉秀につきたい。これが上谷と漁陽の太守――というより寇恂と呉漢が漢軍へ参じた理由であった。
もちろん綺麗事以外の切迫した事情や理由もあるだろう。それでも彼らの芯を形作っているのは陰より陽に属すものであり、彼ら自身、陽を基部とすることのみが安定した政を成す根幹と知っているのである。
この二人が単なる侠者ではなく、知性も兼ね備えた男たちであることを、劉秀は初めて知覚した気がした。
この劉秀の感覚と同じものを、より正確に、より深く感じ取ったのが鄧禹であった。
鄧禹は広阿だけでなく、出陣したあともしばしば二人と歓談をしたが、二人ともが傑物であることを、彼の感性と理性とが等しく感じ取っていた。
「上谷・漁陽の突騎兵もだが、この二人を得たことの方が明公にとって遙かに僥倖だ」
今は王郎を討ち、北州を統べるため、誰もがいくさを本分とせねばならないが、劉秀が真に天下を統一するためには、さらに多分野における人材が必要となる。寇恂と呉漢は将軍としての力量も優れているが、あるいは他の分野こそが本領かもしれない。鄧禹は二人と交際を続けながら、いずれ劉秀に推挙するため、さらに彼らの特性を見極める必要を感じていた。
この間、寇恂や呉漢の方も、鄧禹との歓談を楽しんでいた。あるいはこちらの方が意外と言えたかもしれない。
鄧禹は若い。寇恂や呉漢も世間的には充分若い世代ではあるのだが、その彼らよりさらに年少なのだ。
このような相手と対したとき普通の男であるなら、相手を子供とあなどるか、そうでなくともかの者の考えや意見を軽視しがちである。悪くすれば「こざかしい」と嫌悪や怒気を刺激してしまうこともあるだろう。
だが鄧禹に対して彼らはそのような悪感情、劣感情を持つことがなかった。鄧禹が「こざかしい」意見や考えを述べたとしても、それを素直に受け入れ、それどころかごく自然な敬意を彼に覚えるほどであった。
これは前述したような、鄧禹のこれまでの人生でつちかってきたものも大きいかもしれない。
彼はその才により幼少の頃から年長者の中で過ごすことが多かった。長安へ留学したとき劉秀たちと交友があったことなどは、その最たる例だ。
ゆえに彼は年長者の間で疎まれず、嫌われぬ配慮を怠るわけにはいかなかった。一種の処世術であるが、鄧禹のそれはただ年長者におもねり、追随するだけでなく、彼らに対し自分の意見や考えを伝える技術も含まれていた。押しつけがましくならないよう、しかし軽んじられないよう、相手に不快感を与えずに自然と滑り込ませる、染み込ませる。そのような能力である。
とはいえすべての年長者に対してこれが可能かといえばそうではない。朱浮のように鄧禹が年少というだけで頭からすべて否定する者も少なくなく、そのような相手にはとりつく島がなかった。
だがこれも人物選定という意味では都合がいい部分もあった。このような人物は器量も知性も多寡が知れており、つきあっても益は少なく害の方が大きい。
逆に年齢に関わらず鄧禹の言うことに理を見れば、真摯に、素直に聞ける者こそがつきあう価値のある者である。その最たる存在が劉秀であるが、寇恂と呉漢もその例に含まれる男たちであった。
だが今は鄧禹も反省している。
これまでは話の通じる相手とだけつきあっていればよかったが、これからはそうは言っていられない。場合によっては物わかりの悪い人物にも毅然と自分の意見を通す術を学ばなければならなかった。それを怠ってきたがために、柏人では朱浮に引きずられ惨敗を喫したのだ。
鄧禹もまだまだ自分が不完全な人間だと思い知らされされている。
それはともかく、寇恂と呉漢は「話の通じる相手」で、鄧禹にとってはそれだけでも彼らの人となりが知れた。
「このように有為な人材をもっともっと獲得せねば。そのためにも必ず王郎に勝つ」
勝利ほど他者の耳目を集め人を引きつける宣伝は存在しない。鄧禹はこれからのためにも必勝を誓った。
彼らは後の劉秀の覇業の大きな一翼を担うことになり、それゆえこれは運命の出逢いとも言えた。
北州のほとんどは王郎になびいているため、劉秀に従った信都は少数派であった。
が、信都の他にも彼への臣従を望む勢力があったのだ。
上谷と漁陽の二郡。それぞれの太守は劉秀を援けるため、若き将に兵をひきいさせ、派遣してきた。
正確にはその若き将たちがおのおのの太守を説得し、劉秀へつくことを選ばせたのである。
「上谷太守より派遣された寇子翼にござる。劉将軍とともに王郎を討たんがため馳せ参じました」
「同じく漁陽太守より遣わされた呉子顔と申す。劉将軍の麾下へ入ることを所望」
子翼、子顔はそれぞれあざなであり、彼らの氏名は寇恂、呉漢という。また他にも蓋延、景丹なども帰順。全員が劉秀の天下統一に多大な貢献があり、のちに「雲台二十八将」に名を連ね、歴史に名を残す将軍たちであった。
「おう、おう、よく来てくださった! これ以上の喜びはない」
彼らの参戦は劉秀を驚喜させた。
彼は二人に抱きつかんばかりの感激を表したが、この心情に嘘はまったくない。寇恂と呉漢の能力や器量についてはまだわからないが、二人が引き連れてきた上谷・漁陽の突騎兵数千が味方についてくれただけでも歓喜に値する。なにしろこの二郡の突騎兵は、北州だけでなく天下に名を轟かせるほどの精強を誇っているのだ。
しかも寇恂と呉漢は広阿へ南下してくる途中でも王郎の将帥や兵をいくつも撃ち、突騎兵の名に実があることを証明していた。
これほどの精兵が麾下に入ったのだから劉秀の喜悦も無理はないのだが、いささか疑問も残る。
「しかしなぜ我が軍へ。今この北州において王郎に敵対するのは危険であろうに」
劉秀にはありがたいばかりの参戦だが、なにしろ自分はようやくわずかばかりの勢力を手に入れた弱小の存在でしかない。そんな自分へつく理由がわからなかったのだ。
それを聞いた寇恂と呉漢は、代わる代わる答えた。
「北上してくる劉将軍の鎮撫の様子は上谷にも聞こえておりました。公正にして篤情。これに勝るはありませぬ」
「王郎のごときはこれほどの勢力を誇りながら、民のため、天下のため、何かを為したという話がとんと聞こえて参りませぬ。成帝の子を自称するその真偽すら明らかではなく、これでは仮に天下を手に入れたとしても、ろくな治世は敷けますまい」
ゆえに劉秀につきたい。これが上谷と漁陽の太守――というより寇恂と呉漢が漢軍へ参じた理由であった。
もちろん綺麗事以外の切迫した事情や理由もあるだろう。それでも彼らの芯を形作っているのは陰より陽に属すものであり、彼ら自身、陽を基部とすることのみが安定した政を成す根幹と知っているのである。
この二人が単なる侠者ではなく、知性も兼ね備えた男たちであることを、劉秀は初めて知覚した気がした。
この劉秀の感覚と同じものを、より正確に、より深く感じ取ったのが鄧禹であった。
鄧禹は広阿だけでなく、出陣したあともしばしば二人と歓談をしたが、二人ともが傑物であることを、彼の感性と理性とが等しく感じ取っていた。
「上谷・漁陽の突騎兵もだが、この二人を得たことの方が明公にとって遙かに僥倖だ」
今は王郎を討ち、北州を統べるため、誰もがいくさを本分とせねばならないが、劉秀が真に天下を統一するためには、さらに多分野における人材が必要となる。寇恂と呉漢は将軍としての力量も優れているが、あるいは他の分野こそが本領かもしれない。鄧禹は二人と交際を続けながら、いずれ劉秀に推挙するため、さらに彼らの特性を見極める必要を感じていた。
この間、寇恂や呉漢の方も、鄧禹との歓談を楽しんでいた。あるいはこちらの方が意外と言えたかもしれない。
鄧禹は若い。寇恂や呉漢も世間的には充分若い世代ではあるのだが、その彼らよりさらに年少なのだ。
このような相手と対したとき普通の男であるなら、相手を子供とあなどるか、そうでなくともかの者の考えや意見を軽視しがちである。悪くすれば「こざかしい」と嫌悪や怒気を刺激してしまうこともあるだろう。
だが鄧禹に対して彼らはそのような悪感情、劣感情を持つことがなかった。鄧禹が「こざかしい」意見や考えを述べたとしても、それを素直に受け入れ、それどころかごく自然な敬意を彼に覚えるほどであった。
これは前述したような、鄧禹のこれまでの人生でつちかってきたものも大きいかもしれない。
彼はその才により幼少の頃から年長者の中で過ごすことが多かった。長安へ留学したとき劉秀たちと交友があったことなどは、その最たる例だ。
ゆえに彼は年長者の間で疎まれず、嫌われぬ配慮を怠るわけにはいかなかった。一種の処世術であるが、鄧禹のそれはただ年長者におもねり、追随するだけでなく、彼らに対し自分の意見や考えを伝える技術も含まれていた。押しつけがましくならないよう、しかし軽んじられないよう、相手に不快感を与えずに自然と滑り込ませる、染み込ませる。そのような能力である。
とはいえすべての年長者に対してこれが可能かといえばそうではない。朱浮のように鄧禹が年少というだけで頭からすべて否定する者も少なくなく、そのような相手にはとりつく島がなかった。
だがこれも人物選定という意味では都合がいい部分もあった。このような人物は器量も知性も多寡が知れており、つきあっても益は少なく害の方が大きい。
逆に年齢に関わらず鄧禹の言うことに理を見れば、真摯に、素直に聞ける者こそがつきあう価値のある者である。その最たる存在が劉秀であるが、寇恂と呉漢もその例に含まれる男たちであった。
だが今は鄧禹も反省している。
これまでは話の通じる相手とだけつきあっていればよかったが、これからはそうは言っていられない。場合によっては物わかりの悪い人物にも毅然と自分の意見を通す術を学ばなければならなかった。それを怠ってきたがために、柏人では朱浮に引きずられ惨敗を喫したのだ。
鄧禹もまだまだ自分が不完全な人間だと思い知らされされている。
それはともかく、寇恂と呉漢は「話の通じる相手」で、鄧禹にとってはそれだけでも彼らの人となりが知れた。
「このように有為な人材をもっともっと獲得せねば。そのためにも必ず王郎に勝つ」
勝利ほど他者の耳目を集め人を引きつける宣伝は存在しない。鄧禹はこれからのためにも必勝を誓った。
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