鄧禹

橘誠治

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第一章 北州編

経略

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 鄧禹を客人として迎えた劉秀は、その夜、彼を招いて二人きりのささやかな酒宴を開いた。
「仲華もさすがに呑めるようになっているな」
「意地の悪い学友にいじめられましたから。少しは強くなっておかないと」
 劉秀のからかうような言葉に鄧禹はすました答え、年長の友人はまた笑った。
 遊学時代の鄧禹はまだ子供であり、あまり酒も呑めなかった。もともと長安での鄧禹に仲のよい学友は少なく、共に酒を呑むような間柄といえば、劉秀や彼の友人くらいのものだったのである。その彼らも鄧禹の年齢を考え無理に呑ませるようなことはしなかったが、それでも少し呑んだだけで顔を赤くする彼を劉秀は覚えていたのだ。
 それゆえ「いじめられた」ことはないのだが、からかわれたことにすましてお返しをしてくる鄧禹に、諧謔かいぎゃく好きの劉秀は笑ったのである。


「…それで今さらだがな仲華。おぬしは私に仕えるためにここまで来てくれたということでよいのだな」
 酒がすすみ、軽く酔いも回ってきたところで、劉秀は鄧禹に確認した。
 鄧禹の故郷である新野は遠く、ぎょうまで気軽に遊びに来られる距離ではない。それに今の河北は混沌としており、いまだ支配権は流動的で不安定な状態なのだ。このような危険な場所へ物見遊山でやってくるほど鄧禹は酔狂ではないだろう。
 それゆえ劉秀は鄧禹が自分に臣従するためやってきたと決めてかかっていたが、考えてみればそのようなことをまだ一言も話していない。
 また誰かに臣従するにしても、自分より勢力の大きい存在もいる。そもそも劉秀自身が更始帝の配下で、完全な独立勢力ではないのだ。自分に仕えるにしても鄧禹の真意がわからない。


 鄧禹の方は、まだ自分が劉秀に仕える話を正式にしていないことはわかっていた。だがまずは私人として久闊きゅうかつじょしてからでも構うまいと思っていたし、劉秀もそのつもりなのだろうと勝手に考えていたのだが、どうやらそうではなく気を遣っていたためらしい。
 そんな旧友に鄧禹は内心で好意的に苦笑すると、杯を置いて短く答えた。
「はい」
「そうか、それはよかった。おぬしのような俊英が力を貸してくれるならこれ以上の喜びはない。しかしなぜ私だ。旧友である私に昵懇じっこんしてくれているからでもあろうが、それだけでもあるまい。私は今、自由に官爵を与えられる立場になったが、それも目的か。もちろんそれは何一つ悪いことではないぞ」
 劉秀は悪気があって尋ねたわけではない。鄧禹が単純に自分との昔の友誼から無私の奉仕をしてくれると考えるほど、劉秀は浅慮ではなく図々しくもなかった。
 鄧禹にも、望みもあればこころざしもあろう。高位や封地を得られれば、それをかなえるにも有利となろう。また両親や親戚にも益があり、故郷に錦も飾れる。
 ゆえに劉秀が尋ねたのは、鄧禹が自分に仕えるにあたり存念を知っておきたい。それだけが理由であった。


 そしてそれは正しく鄧禹に伝わり、彼は気にした風もなく答えた。
「いいえ、そのようなことは願っていません」
「では何を欲しているのだ」
 と、少し不思議そうに尋ねる劉秀に、ややすまして、しかししっかりと主君の目を見ながら鄧禹は答えた。
「私が願っていることは、明公とのの威徳が天下を覆うのに力を尽くし、わずかな手柄を立て、それにより功名を竹帛ちくはくるることのみです」
 その答えに劉秀は一瞬、きょとんとした表情を見せた後、大きく笑った。
 竹帛とは、竹の札と絹の布のことで、どちらも古代では文字を記録するために使われたものである。つまり「竹帛に垂るる」とは「歴史に名を残す」という意味になる。
 この言は誇大であり、大言壮語でもあろう。すました表情から見れば酒の席ゆえの諧謔とも取れる。だが彼の目は本心を語っていると劉秀は見抜いていた。
「よかろう。おぬしの名が竹帛に記されるなら、私の名も同様であろう。二人で歴史に名を残そうではないか」
 笑いを収めた劉秀は、彼らしくなく、しかし彼らしい不敵な表情で杯を掲げた。
 

 次の日、鄧禹は正式に劉秀と対面し、そして公の場で現在の中華の状況を説いた。
「更始は関西(長安)を都としておりますが、山東(山東半島地域)はいまだに平定されておりません。また赤眉や青犢せいとくのような叛乱集団は、ややもすれば万をもって数えるほどの勢力を誇り、三輔さんぽ(帝都・長安を中心とした前漢の首都圏)には勝手に将軍などの名を号して割拠している集団が群がり集まっております。更始はこれらをいまだに討伐することもできず、しかも自ら意見を聴いて決断することもできませぬ。

更始の諸将も凡庸な者ばかりが成り上がり、彼らの志は財幣にあり、それらを争って力を用い、日々に快楽を得ることのみに満足しており、忠良明智、深慮遠図をもって主君をたっとび、民をやすんぜんとする者たちではありません。

このように四方が分崩離析ぶんぽうりせき(人心が主君から離ればらばらになる)すること、形勢を見れば明らかです。明公とのは更始の藩屏はんぺいとして功を建てられたものの、まだすべてが完成していないことを臣は恐れております。今すべきことは、英雄を招聘しょうへいし、民の心を悦ばせることに努め、高祖(劉邦)のごとき大業を樹立し、万民の命を救う以上のことはございませぬ。とのが思慮をめぐらせるならば、このような天下の平定は造作もないことにございます」


 このように鄧禹が滔々とうとうと述べることに、劉秀は驚き目を丸くしてしまった。実は彼も今鄧禹が語ったような天下の情勢、特に更始帝近辺の事情はよく知っている。劉秀自身、ついこの間まで彼らの陣営にいたのだからそれは当然であろう。
 だが鄧禹はこれまで、新野において半ば隠棲生活を送っていたはずなのだ。それなのにこれほどの情報をどこから得ていたのであろうか。まして彼が手に入れられた情報は玉石混淆もいいところであったろうに、それを整理し、精査し、解析してのけた鄧禹の明晰さは空恐ろしいほどであった。


 余談だが、この時期に鄧禹が劉玄を「更始」と呼ぶのはおかしいかもしれない。諡号しごうは皇帝の死後に贈られるものであるし、正式な皇帝ではない劉玄におくりなされたとの記述も見かけない。
 また更始帝が長安に居を構えたのはこの次の年、更始二年(西暦24)であることからも、この言の細かな部分は後世の人によって加筆や修正がおこなわれたのかもしれないが、あるいは元号である「更始」がすでにこの時期から更始帝の呼び名として使われていたと考えるのは穿うがちすぎだろうか。


 とにかく劉秀は、久々に会った鄧禹に感動していた。
「おぬしはあの頃のまま、あの頃を越えてきたのだな」
 劉秀の知る鄧禹は神童であった。少なくとも彼にはそう見えていた。
 だが神童が成長するにつれ凡人と化してしまう例は少なくない。鄧禹は神童のままさらなる研鑽けんさんを積み、「凡人とならなかった神童」として劉秀の前に現れたのだ。
 その一種の奇蹟に劉秀は目を細めほほえむと、左右の者たちに告げた。
の者のことはこれより『将軍』と呼ぶように」
 それからの劉秀は、鄧禹を常にかたわらに置き、ともに様々なことを討議し、意見を聞き、相談するようになる。
 鄧禹は劉秀の謀臣となり、軍師となったのだ。



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