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39話 報恋相

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 怜奈は僕に気づくと顔を上げて立ち上がった。昨日、西田くんに一通りの事情を説明しておいてほしいとお願いしていたので、彼女も事件のことは大方知っているだろう。

「おかえり……大丈夫だった?」

 そう声を掛けてきた彼女の顔はかなりやつれていた。おそらく眠れなかったんだろう。ある意味、怜奈は今回の事件の爆心地に最も近い人間だ。もしかしたら天助に攫われていたのは自分だったかもしれないという恐怖はきっと彼女にもあったはずだ。二人でダイニングテーブルへ腰を落ち着け、僕から事件の詳細を伝えることにした。


 終始彼女は険しい表情で僕の話を聞いていた。彼女もカラクリ同好会のOGなのでメアリーとも面識がある。なんなら昔メアリーが僕に告白していることも知っていた。

「彼がメアリーちゃんを狙ったのって……」

「たぶん僕と親しい関係だって知ってたんだろうね」

「やっぱり私の所為だよね……」

 そう言って彼女は項垂れるようにして手を顔で覆った。

「いや、もうこれは君だけの所為じゃないよ」

 その言葉を聞いて彼女は少し驚いて僕を見た。

「天助にはっきりと言われたんだ。僕を心の底から憎んでいると。昔から大嫌いだったと。きっと僕を苦しめるためメアリーを襲ったんだよ」

「じゃあもしかして私に言い寄ってきたのも……」

 怜奈は複雑な顔をしていた。彼女が言うように最初は僕への嫌がらせだったかもしれない。でも結果、僕らは別れた。天助の思惑通りに行ってしまったということだろう。もう今さらそのことをあれこれ言うつもりはない。

「それは考えても仕方ないよ。もう終わったことだ」

 僕がそう言うと彼女は小さく頷いた。ほんのわずかな時間、カチカチカチとからくり時計の音だけが部屋に響いた。そしてぽつりと怜奈が少し笑いながら呟いた。

「なんかコーヤ変わったね」

「そうかな?」

「なんか少し男らしくなったかも」

「それはこの傷の所為じゃない?」

 僕は苦笑いをしながら頬の傷をなぞって見せた。すると彼女もクスリと笑った。そして少し間を置いて僕は言った。


「……実はメアリーと付き合うことになったんだ」

 怜奈は一瞬驚いた表情を見せたがすぐに表情を緩めた。

「そっか。よかったね」

「ごめんね。別れたばっかりなのに……」

「ううん、コーヤが気にすることないよ。私にとやかく言う資格なんてないし」

「それで急な話なんだけど、メアリーの家に住むことになってね。近いうちにここを出ることにするよ」

 すると彼女は呆気に取られたように目を丸くした。

「それはまた……随分話が進んでるのね……」

「それが昨日メアリーのお母さんに会ってね。僕が住む所を探してるの知っててさ、部屋が空いてるからうちに住んだらどうかって」

「そうね……コーヤは早く出たいだろうしね」

「いや別にそういう訳じゃ――」

「ふふ、冗談よ。実は私もコーヤが出て行ったらここは引き払おうと思ってたんだ。一人には広すぎるし……」

 怜奈は言葉を詰まらせ、そして少し寂しそうな顔で言った。

「こんなこと言える立場じゃないってのはわかってるけど、やっぱりここはコーヤとの思い出があり過ぎて……一人でいるのは辛いかな」

 僕は返す言葉がなにも思い浮かばなかった。カチカチと再びからくり時計の音が静かに響いた。しばらくの間、僕らはそれぞれ部屋の中を見渡していた。


「十年間お世話になりました」

 そう言って怜奈は深々と頭を下げた。

「僕の方こそお世話になりました。ありがとう」

 僕も頭を下げてそう答えると、彼女は下を向いたまま「ありがとう」と震える声で言った。



 それから少し今後についての話もした。彼女は彼女で被害届の方は出すとのことだった。

「これは私としてのケジメでもあるから」

 と言っていた。裁判になった場合、鳳月さんの伝手で弁護士を紹介できるかもしれないということは伝えておいた。
 
 本当に一睡もしていなかったのだろう。話が終わると彼女はひとり寝室へと向かった。


 
 僕は一旦自室へと入ると、出掛ける前に着替えを済ませた。昨日の事件の話をしなければいけない人物がまだ残っている。それはもちろん父と母だ。一度実家へ電話をしたが、母は混乱しており話が出来る状態でなかった。今日実家に顔を出すことは父には伝えてある。


 いざ家を出ようとした時、瀬織ちゃんからL1NEが届いた。どうやらナクトを返したいとのこと。バイト先のコンビニで落ち合うことにして僕は家を出た。


 僕がコンビニに着くとすでに瀬織ちゃんが店の前に立っていた。今日はさすがに学校には行ってないのだろう。青いワンピースを着ていた。

「ではこれお返し致します」

「預かってもらってありがとう。警察には見つからなかった?」

「ええ。ばれないよう隠してましたから。あとこれもお渡し致します」

 そういって彼女はタッパーを差し出してきた。なにやら中身が赤い。

「これは?」

「キムチです。昨日差し上げたのは私が割ってしまったので」

「そんな……気を使わなくてよかったのに」

「是非椋木さんに食べてほしくて。昨日はおばあちゃんのキムチを無駄にしてしまったのが本当に心残りです。植木鉢とかもっと探してみればよかった……」

 そう言って彼女は「ちっ」っと軽く舌打ちをした。あれは目つぶしにもなったし、かなりの有効打だと思ったけど彼女にとっては不本意だったようだ。 

「今からどこか行かれるんですか?」

「うん。ちょっと実家の方にね。いろいろ話さなくちゃいけないことがあって」

 彼女はしばらく僕を見つめるとなにかを察したのか深くは聞いてこなかった。

「そうですか。ではご武運を」

 そう一言だけ言い残すとこちらの返事も待たずにさっさと帰って行った。

「今度は壺じゃなくてよかったな……」

 僕はキムチをバッグへしまい込み実家へと向かった。





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