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29話 韋駄天走り

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 目が覚めると周りは真っ暗闇だった。麻酔薬でも打たれたのか、頭が少しぼーっとする。体を動かそうとしたけど、手は後ろ手にそして足も縛られ自由に動けない。口にガムテを貼られてないだけましか。

 足をそっと動かすとすぐに何かに当たる。この揺れと狭い空間、そして車の走る音。

「トランクの中か……」

 意識を失う寸前、私を襲った男が誰だかわかった。以前怜奈さんと一緒にいた男。コウヤっちの弟だ。

「でも一体なぜ私を……」

 怜奈さんが被害届を出すという話はコウヤっちから聞いていた。その弟が別れ話の末に怜奈さんを襲ったことも。もしやそれに対する腹いせに私を攫ったのか? だがそれだと余計に罪を重くしてしまう。ただの嫌がらせにしてはあまりにリスクがでかい。

 それにどうして私とコウヤっちの関係を知ってるのか? 疑問の答えが何ひとつ見つからぬまま車は走り続けた。




「ナクトの充電はどれくらいありますか?」

 いざリュックを背負おうとした時、瀬織ちゃんにそう言われて僕はナクトの画面を見た。

「80パーは残ってるよ」

「この後はカメラを何回も使います。充電器と電池をいくつか買っておいてください。それとバイトを休む旨を店長さんに伝えてください」

「あっ、そうだった。ちょっと待ってて」

 
 僕は急いで店内に入るとバックヤードに向かい、店長に今起きていることを簡単に説明した。かなり驚いてはいたが、店長もメアリーのことは知っている。二つ返事でOKしてくれた。充電器と電池を買って瀬織ちゃんの元へと走った。


 彼女はすでに道路沿いで待機しており、僕が店を出た瞬間にタクシーを止めた。僕が乗り込むと彼女はすでにスマホでマップを見せながら目的地を伝えていた。

「なるべく急いでもらっていいですか? 法定速度遵守でかっ飛ばしてください!」

「おうっ威勢がいいねーお嬢ちゃん。この孔雀タクシーに任せてくんな! お客様、シートベルトはしっかりお締めください!」

 妙にノリが良い運転手さんに少し驚きながらベルトを締める。カチャリと音が鳴った。まるで今から戦地へと向かうパイロットのようだ。瀬織ちゃんがマップを見ながら運転手さんに訊いた。

「何分くらいで着きますか?」

「そうだなぁ。この時間だと早くて15分くらいはかかるな」

 その答えを聞いた彼女は次に僕に小声で伝えてくる。

「おそらくメアリーさんが襲われた時間は17時10分前後です。今から向かう場所を犯人の車が通過したのは17時15分くらいだと思います。今のうちにナクトの時間を17時に設定しておいてください」

「了解」

 現在、時刻は17時40分。今から時間を遡って追跡して、はたして間に合うのか。少し不安がよぎる。

「大丈夫。必ず追いつきましょう」

 僕の気持ちを読んだのか、瀬織ちゃんが真っすぐな目でそう言った。そうだ、弱気になってどうする。絶対に追いついてみせようじゃないか。僕は彼女に大きく頷き返した。

「お嬢ちゃん達は誰か追ってるのかい?」

 運転手さんがルームミラー越しにこちらを見ながら尋ねてきた。

「ええ、まぁそんなところです。孔雀タクシーって随分変わった名前ですね?」

「ああ、おれの名前が孔雀四三しぞうっていうんだ。よかったら孔雀さんって呼んでくれ」

「わかりました孔雀さん。実は最終的な目的地はまだわかりません。途中で何度か降りたりするかと思いますが、その都度待ってもらってもいいですか?」

「訳ありなんだな。そういうことなら任せてくれ! おれは自分の仕事を全うするだけよ!」

 孔雀さんの大きな声が車内に響き渡る。僕と瀬織ちゃんは思わず顔を見合わせ苦笑いした。




 目的の場所には10分程で到着した。孔雀さんは確かに優秀らしい。

「孔雀さん、しばらくここで待機しておいてください」

 瀬織ちゃんがそう告げると、僕らはタクシーを降りて一本道の出口付近に向かった。彼女は迷うことなく近くの電柱へと駆け寄ると僕を手招きした。

「肩車お願いします!」

 遠慮する状況でもないため、僕はナクトを彼女に渡し電柱に手をついて屈み込んだ。彼女がスカートじゃなくて少しほっとする。

「重くはないのでご安心を」

 瀬織ちゃんが僕の肩に足を乗せる。膝に手を当てて思いっきり立ち上がると彼女は驚くほど軽かった。

「反時計周りで少し回ってください」

 僕からは見えないが、瀬織ちゃんは電柱にナクトを当てて映像を見ているようだ。孔雀さんが車を降りて、僕らの方を不思議そうな顔で見ていた。

「あっ来ました! 左に曲がったみたいです! 椋木さん! 一歩前進!」

 角度を変えて車を追っているのだろう。彼女は完全にナクトを使いこなしていた。

「あの街灯まで行ってください!」

 上を見上げると彼女が指を差していた。彼女の足を持ったままその方向へと急いだ。

「蓄光インクが車の屋根にばっちりついてます。あれなら多少遠くからでも視認できますよ」

 どうやら西田くんのゴキなんとかガンは、ここにきて素晴らしい成果を発揮したのかもしれない。肩車から彼女を降ろすとナクトで録った映像を見せてくれた。

 天助の車の屋根にはかなり広範囲にインクが付着しており確かに目立つ。西田くんもインクのことは警察に伝えるだろう。目撃情報など上がれば警察もうまく追跡してくれるかもしれない。

「犯人の車は三つ先の信号を左に曲がりました」

 瀬織ちゃんが道の先を指差しながらそう言うと、ちょうど孔雀さんが僕らの近くに立っていた。

「あっ孔雀さん。あの三つ先の信号を左折するとなんて道路ですか?」

「あー、あそこ曲がると環七だね」

「環状線か……だとするとしばらく同じ道を走るのか? いやそうとも限らない……でも交差点毎にこのやり方をしててはかなりのロスだ……」

 瀬織ちゃんは額に手を当て、なにやら一人でぶつぶつと喋り始めた。しかしすぐに顔上げると僕の方へと向き直った。

「考えても埒があきませんね。とりあえず跡を追ってみましょう。孔雀さん、またお願いします」

「おうよっ! ところで――」

 孔雀さんがゆっくりと僕らに近づく。そして彼は瀬織ちゃんが手にしていたナクトをまじまじと見た。

「おまえさん達随分とおもしろそうなもん持ってるねぇ」


 孔雀のエンブレムのついた帽子を深くかぶり直し、彼はニヤリと歯を覗かせた。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 第29話を読んで頂きありがとうございます。

 これでニヤリ三部作は終了です。もうニヤリで終わったりはしません。


 この後出てくるであろう追跡経路はかなり雑な設定ですので、あまり深く考えずにお読みください。




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