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2話 『ナクト』のトリセツ
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バッグに押し付けていた『ナクト』をそっと引き寄せた。指先が震え、危うく落っことしそうになる。足にもなぜか力が入らず、思わず僕はその場にしゃがみ込んだ。
怜奈の寝顔が目の前にあった。僕と同い年で彼女も今年三十歳になるが、相変わらず若くて綺麗だ。
彼女とは大学で出会った。学部は違ったが『カラクリ同好会』というサークルに僕らは所属していた。当時の彼女は清楚で大人しく、お嬢様という言葉が似あう人だった。
付き合い始めたのは二年の時のクリスマス。オレンジ色に染まる夕焼け空の下、僕は勇気を出して告白した。彼女は少し泣きながら、でもすごく嬉しそうにOKしてくれた。その時プレゼントした自作のからくり時計は今もリビングで時を刻んでいる。
僕はふらりと立ち上がり、リビングの電気を消して寝室へと向かった。滑り込むようにしてベッドに潜ると、いつもよりシーツが冷たく感じる。布団をすっぽり被り、体を小さく丸めた。
さっきまでは怒涛の数時間だった。『ナクト』という世紀の大発明しかり、怜奈の浮気の大発見しかり。はっきり言って思考が追い付かない。突然超能力に目覚めたマンガの主人公はこんな気持ちなんだろうか? いやそれとも、愛する恋人の裏切りを知ったラノベのサレ男はこうも惨めなものなんだろうか?
深夜に起きた二つの大きな出来事から逃げるように、僕は深い眠りへと落ちていった。
そして僕は夢を見た。
春風に誘われて、二人でお出掛けしたあの日の河川敷。ひらりと舞うピンクのワンピースに身を包んだ怜奈はすごくキラキラしていた。
「じゃあ光矢くんは発明家になりたいんだ?」
「うん。小さい頃からの夢だからね。でも現実はきっと厳しいだろうね……ハハハ」
僕が照れ隠しで笑って誤魔化すと、彼女は立ち止まりくるりと振り返った。
「きっと大丈夫! がんばってる人を神様はちゃんと見てるから! コーヤくんはいつか驚天動地の大発明をするよ!」
「きょ、きょうてんどうち? わ、わかった! とにかく僕、がんばるよ!」
「うん! 私はずっとコーヤくんの側で応援するから!」
彼女は両手で僕の手をぎゅっと掴み、にっこりと微笑んだ。その笑顔は僕の胸に突き刺さり、きっとこの子と結婚するんだ、とその時の僕は確信していた。
彼女の笑顔がスローモーションとなり徐々に消えていく。そこで僕はパチリと目が覚めた。寝起きの夢は覚えていると言うが、僕はぼーっとする頭でさっきまでの光景を思い返していた。
リビングへ行くと怜奈はすでに起きており、出掛ける準備をしていた。流石は酒呑童子と呼ばれた程の酒豪。二日酔いの気配などまったくない。
「あーやっと起きた! 私もう出るからね。今日もバイト?」
「うん……今日は深夜だから夜の9時くらいに出るよ」
「了解。じゃあ悪いんだけど洗濯お願いしといていい? 洗って欲しいの籠にいれてるから。じゃあ行ってくるね」
「……いってらっしゃい」
ここ最近、彼女は休日によく外出するようになった。昨日まではなんとも思ってなかったが、あの映像を見た後だ。疑わない方がどうかしている。
普通ならここで彼女の跡をつけ、一体何をしているのか調べたりするのだろう。だが僕には『ナクト』がある。気分は最早推理小説の探偵か、はたまた凄腕の一流スパイのようだ。
とりあえず洗濯を片付けてしまおうと、僕は風呂場へと向かった。洗濯籠には彼女のパジャマや仕事で来ているYシャツなどが放り込まれてあった。
僕はおもむろにポケットから『ナクト』を取り出した。そして時刻を昨日の午前8時に設定し直し、床に広げたYシャツの胸元あたりに『ナクト』を押し付けた。
そこに映し出されたのは電車内の光景。目の前にスーツ姿の男性が映っているが、それ程密着している様子ではない。おそらく満員電車ではないのだろう。電車の揺れに合わせるように、画面の映像もわずかに揺れる。そしてさっきから画面越しにスーツの男性と何度も目が合う。
「こいつずっと胸ばっかり見てんな」
まあ気持ちはわからなくもない。なんと言っても怜奈の胸はかなり豊満だ。いつもパツパツのシャツがスーツのジャケットからはみ出んばかりなのだ。つり革なんぞ掴んでた日には、それこそ生唾ものだろう。
それから道を歩いている時、そして会社の中と、いたる所で舐め回すような目をした男共と画面を通して目が合った。
「おまえも大変なんだな……」
僕はなぜか床に横たわるYシャツに労《いたわ》りの言葉を掛けていた。
これで『ナクト』を使えば、見たい時間の映像が見れることがわかった。僕は洗濯機のスタートボタンを押して怜奈の部屋へと向かう。そう、夜中に見たバッグが見た光景をもう一度見るために。
怜奈の寝顔が目の前にあった。僕と同い年で彼女も今年三十歳になるが、相変わらず若くて綺麗だ。
彼女とは大学で出会った。学部は違ったが『カラクリ同好会』というサークルに僕らは所属していた。当時の彼女は清楚で大人しく、お嬢様という言葉が似あう人だった。
付き合い始めたのは二年の時のクリスマス。オレンジ色に染まる夕焼け空の下、僕は勇気を出して告白した。彼女は少し泣きながら、でもすごく嬉しそうにOKしてくれた。その時プレゼントした自作のからくり時計は今もリビングで時を刻んでいる。
僕はふらりと立ち上がり、リビングの電気を消して寝室へと向かった。滑り込むようにしてベッドに潜ると、いつもよりシーツが冷たく感じる。布団をすっぽり被り、体を小さく丸めた。
さっきまでは怒涛の数時間だった。『ナクト』という世紀の大発明しかり、怜奈の浮気の大発見しかり。はっきり言って思考が追い付かない。突然超能力に目覚めたマンガの主人公はこんな気持ちなんだろうか? いやそれとも、愛する恋人の裏切りを知ったラノベのサレ男はこうも惨めなものなんだろうか?
深夜に起きた二つの大きな出来事から逃げるように、僕は深い眠りへと落ちていった。
そして僕は夢を見た。
春風に誘われて、二人でお出掛けしたあの日の河川敷。ひらりと舞うピンクのワンピースに身を包んだ怜奈はすごくキラキラしていた。
「じゃあ光矢くんは発明家になりたいんだ?」
「うん。小さい頃からの夢だからね。でも現実はきっと厳しいだろうね……ハハハ」
僕が照れ隠しで笑って誤魔化すと、彼女は立ち止まりくるりと振り返った。
「きっと大丈夫! がんばってる人を神様はちゃんと見てるから! コーヤくんはいつか驚天動地の大発明をするよ!」
「きょ、きょうてんどうち? わ、わかった! とにかく僕、がんばるよ!」
「うん! 私はずっとコーヤくんの側で応援するから!」
彼女は両手で僕の手をぎゅっと掴み、にっこりと微笑んだ。その笑顔は僕の胸に突き刺さり、きっとこの子と結婚するんだ、とその時の僕は確信していた。
彼女の笑顔がスローモーションとなり徐々に消えていく。そこで僕はパチリと目が覚めた。寝起きの夢は覚えていると言うが、僕はぼーっとする頭でさっきまでの光景を思い返していた。
リビングへ行くと怜奈はすでに起きており、出掛ける準備をしていた。流石は酒呑童子と呼ばれた程の酒豪。二日酔いの気配などまったくない。
「あーやっと起きた! 私もう出るからね。今日もバイト?」
「うん……今日は深夜だから夜の9時くらいに出るよ」
「了解。じゃあ悪いんだけど洗濯お願いしといていい? 洗って欲しいの籠にいれてるから。じゃあ行ってくるね」
「……いってらっしゃい」
ここ最近、彼女は休日によく外出するようになった。昨日まではなんとも思ってなかったが、あの映像を見た後だ。疑わない方がどうかしている。
普通ならここで彼女の跡をつけ、一体何をしているのか調べたりするのだろう。だが僕には『ナクト』がある。気分は最早推理小説の探偵か、はたまた凄腕の一流スパイのようだ。
とりあえず洗濯を片付けてしまおうと、僕は風呂場へと向かった。洗濯籠には彼女のパジャマや仕事で来ているYシャツなどが放り込まれてあった。
僕はおもむろにポケットから『ナクト』を取り出した。そして時刻を昨日の午前8時に設定し直し、床に広げたYシャツの胸元あたりに『ナクト』を押し付けた。
そこに映し出されたのは電車内の光景。目の前にスーツ姿の男性が映っているが、それ程密着している様子ではない。おそらく満員電車ではないのだろう。電車の揺れに合わせるように、画面の映像もわずかに揺れる。そしてさっきから画面越しにスーツの男性と何度も目が合う。
「こいつずっと胸ばっかり見てんな」
まあ気持ちはわからなくもない。なんと言っても怜奈の胸はかなり豊満だ。いつもパツパツのシャツがスーツのジャケットからはみ出んばかりなのだ。つり革なんぞ掴んでた日には、それこそ生唾ものだろう。
それから道を歩いている時、そして会社の中と、いたる所で舐め回すような目をした男共と画面を通して目が合った。
「おまえも大変なんだな……」
僕はなぜか床に横たわるYシャツに労《いたわ》りの言葉を掛けていた。
これで『ナクト』を使えば、見たい時間の映像が見れることがわかった。僕は洗濯機のスタートボタンを押して怜奈の部屋へと向かう。そう、夜中に見たバッグが見た光景をもう一度見るために。
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