壁際のジョニー

oufa

文字の大きさ
上 下
18 / 27

17話 四面壁囲 5

しおりを挟む

 チリンチリンとエレベーターに取っ付けてある鈴が鳴った。

「いらっしゃいませー」

 おれが声を掛けると少し恥ずかしそうにしながら、常連さんである彼女が店に入ってきた。名前は音遠ちゃんだったっけか。

「こんばんは。店員さんって同じ大学だったんですね」

 少し笑いながら話す彼女におれも思わず乾いた笑いを返した。

「はは……先日はいろいろ失礼しました。あっそうだ! これ」

 そう言っておれは眼鏡を引き出しから取り出した。

「この前返そうと思ったんですけど、なんかごちゃついてたから」

 彼女は眼鏡を受け取りながら今度は照れ笑いを浮かべた。

「あ~なんか店員さんには見られたくなかったなぁ。結構恥ずい……」


 それからしばらくは、受付のあるカウンターで彼女はいつものお酒を飲みつつ、おれがフラッシュモブに参加した経緯や、あの後彼女はどうなったかなど色々話した。

 やはりおれと甚が感じたように、彼女は最初は友達から始めるつもりだったようだ。それがあれよあれよと周りに流され今やネットニュースにまでなってしまった。彼女はお酒をおかわりしながら深く溜息を吐いた。

「はぁ……なんか引くに引けなくなっちゃって。どうしたらいいですかね?」

「う~ん、まあ今更って感じはあるけど。とりあえず彼氏彼女でお付き合いしたらどうでしょう?」

「ですよねぇ。でも細貝君もほんとに私のこと好きなのかなって……結構配信のことばっかり考えてる感じがして。今度デートするんですけど、それもライブ配信したいみたいで……」

「それはまたなんとも……」

「ああーどうしよう! やっぱりなしで! とか言ったらまた炎上しそうだし。
ねぇ聞いてくださいよ~コメントで氏ねブスとか書かれるんですよ~」

 それから彼女の愚痴大会が華々しく幕を開けた。結局彼女はカラオケは一切歌わず朝までひたすら飲んでいた。


 店の掃除が終わり、千鳥足の彼女を支えるようにおれは大通りまで肩を抱いて歩いた。何度も帰れるか? と念を押しタクシーを停めると彼女を押し込んだ。

 走り去るタクシーを見送りながらおれはふぅと息を吐いた。その時わずかに視線を感じ後ろを振り返る。だがそこにいたのはカァカァとゴミを漁っているカラスだけだった。眩しい朝日が目にチクチク刺さるのを感じながら、おれは駅を目指して早朝の静かな渋谷の街を足早に歩いた。



 それから二日後、例のデート配信があるとのことで、おれは甚の部屋で一緒にそれを見ることにしていた。開始予定より少し早く甚の部屋に集まったのだが、なぜか今日は四葉もついて来ていた。

「ほぉほぉ、これが噂の魔のデルタ部屋ですか。確かに邪悪な雰囲気が漂ってますね」

 部屋に上がって早々に四葉がそんなことを言った。おれはいつものラムコークを作りながら突っ込みを入れる。

「事が起こったのは右と左の部屋だけだ。三角デルタじゃねえよ。てかおまえ何飲むの?」

「私はそのコーラでいいですよ~てか先輩、私お腹すきました~」

 四葉が駄々をこねているとタイミング良く、甚が牛丼片手に帰ってきた。

「おっ早かったね。ってあれ四葉ちゃんも来てんの?」

「お邪魔してます。私も一応当事者ですからね~今日は配信一緒に見ようと思って」 

「そうなんだ。てか牛丼二つしか買ってこなかったけど?」

「いいですいいです。先輩はお腹減ってないみたいですから」

 そう言いながら四葉は牛丼をさらいテーブルに着いた。

「ちょっおまえ! なんちゅー後輩だまったく……」

 おれは仕方なくカップ麺をすすることになった。


 三人で飯を食いながら駄弁っていると、四葉が急に甚のパソコンを触りだした。

「そういえばこれ知ってます? 細貝君の配信者仲間が二人に向けていろいろ祝福動画をあげてるんですけど――」

 四葉が「グランブルドッグ カップル 祝福」とキーワードを打ち込むと、それっぽい動画がずらりと出てきた。おめでとうメッセージを歌ったり、ダンスをしたり、中には巨大なケーキを作って早食いチャレンジをしていたり……いやそれ自分たちで食ってどうすんの?

「なんか結婚式のお祝いメッセージみたいだな」

 甚がぽつりと呟いた。まさにと、おれも思った。動画を作った本人たちは所詮、話題に乗っかって視聴数を稼ぎたいだけなのだろう。

 でもここまでされると音遠ちゃんはますます雁字搦がんじがらめだろうな。一昨日の夜、悩んでた様子の彼女がふと頭に浮かんだ。



 そしてついにデート配信が始まった。
まずはドライブから、ということだろうか。車中に二人がいる映像が流れている。

「みなさんこんばんわー! 今日はネオンと初デートです!」

 カメラに向かって細貝君がにこっと笑った。その横で音遠ちゃんも手を振っている。緊張なのか別のなにかか。彼女の笑顔は微妙にぎこちない。

 そして車が走り始めると二人のトークが始まる。音遠ちゃんがコメントの質問を読みながら二人が答えていく。たまに批判的なコメントが流れるが他のメンバーが対処してるのか、それらはすぐに削除されていった。

「すげえ! 一万人も見てくれてるよネオンちゃん!」

「ほんとだー! やばいね」

 その胸中やいかに。俺たち三人はしばらく黙って配信を見ていた。

 まるでデート番組さながら、二人は高級レストランで食事をし、綺麗にライトアップされた夜の遊園地を歩き、そしてお決まりの観覧車に乗っていた。

 細貝君が手持ちカメラで音遠ちゃんを映す。
彼女は窓の方に顔を向けながら夜景を眺めていた。

「なんか彼女、しんどそうですね……」

 突然、四葉がぼそっと小声でそう言った。

 おそらく大半の視聴者がそう思ってるのではないだろうか。事実、配信中盤辺りから会話があまり弾んでない。彼女が目に見えて疲れてきているのがわかった。コメントもそのことを指摘する人が増えていた。

〈なんかネオンちゃんつまらなそうだよーケンくんしっかり!〉

〈明らかにテンション下がってるやんww〉

〈ケンが必死で草〉

〈やっぱこの人売名じゃね?〉

〈ケンくん騙されてるんだよーかわいそ〉

 メンバーも対処しきれないのだろう。コメント欄は徐々に荒れていった。

 
 おれは彼女の歌を初めて聴いた時のことを思い出していた。本当に歌が好きで、心から楽しそうにマイクを握る彼女は、無邪気な子供のような笑顔だった。

 でもその笑顔も今は影が差したように曇っている。自業自得と言えばそれまでなんだが、きっと彼女も後悔しているのだろう。

 周囲に流されたとはいえ、一夜にして有名になれた。人は誰しも望みが叶うなら、ついついその楽な道を選んでしまう。

「断ればよかったんじゃない?」なんて結局当事者じゃないから言えることだし、結果が出てからであれば誰だって言える。


 コメント欄はどんどんヒートアップしていく。世間の辛辣な声が彼女に罰を与えている。今後、その声はもっと大きくなるだろう。それに彼女の心は耐えきれるだろうか……

「どうしました先輩? ぼーっとしちゃってますよ?」

「あ、ああ。彼女大丈夫かなって……」

 おれの言葉を聞いて甚も神妙な顔をしていた。

 あまりにコメントが荒れたからであろう。配信は細貝君がやや強引に締める形で終了した。



 そして次の日の昼休み、四葉が血相変えておれのとこへとやってきた。

「先輩っ! これ見てっ! これこれっ!」

 四葉は慌てた様子でおれにスマホのネット記事を見せてきた。そこには肩を抱き合う男女の姿を撮った写真と共にこんな見出し書きがあった。


『グランブルドッグ ケンくんの新しい彼女 早くも浮気発覚か!』


 その写真は目隠しがしてあるものの女性は明らかに音遠ちゃんで、その肩を抱く男は紛れもなくおれの姿だった。




しおりを挟む

処理中です...