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見えなくなった妻
しおりを挟む妻が浮気をした。
それを知ったおれは興信所を雇い徹底的に調査した。数々の証拠を集め妻に叩きつける。彼女は泣いて謝った。
「お願い許して! ほんの気の迷いだったの! 愛しているのはあなただけ……どうか離婚だけは考え直して!」
おれは一晩考えると告げ、一人でソファーで眠った。
次の日、目が覚めると妻はいなかった。朝食の用意はテーブルの上にある。だが妻の姿はどこにもない。
おれは首を傾げつつも朝食を頂いた。食べ終えて洗面所で歯を磨き、再びキッチンへと戻るとすでに食器は片付いていた。
からかわれているのかと妻を呼ぶ。だが返事はない。肩を叩かれ振り返るがそこには誰もいなかった。
おれは一瞬考えた。まさか妻は自ら命を絶ち、おれの前に化けて出たのか?
その時スマホにメールが届く。送り主は妻だった。
〈私はあなたの横に立ってます〉
恐怖で血の気が引いて足が震える。
「すまん! まさか死ぬなんて思ってなかった。どうして……」
〈私は生きてます。本当に私が見えないんですか?〉
「ああ……見えないし声も聞こえない。どういうことだこれは……」
会社の帰りに二軒の眼科に行ったがすぐに追い出された。三軒目では精神科を紹介された。
仕方なくそこへ向かうと、医者が興味津々で話を聞きこう言った。
「おそらく極度の精神的ストレスで奥さんを認識するのを脳が拒否しているのかもしれません。とても興味深い症例だ」
帰り際にとある大学病院を紹介されたが断った。
家に帰り、そのことを妻に伝えるとメールが一通だけ届いた。
〈ごめんなさい〉
その日から妻が見えない生活が始まった。朝食も弁当も用意され、帰れば夕食の支度もちゃんとしてある。少し前までは出来合いものばかりで、妻が家にいない時さえあったのに。
メールを使えば会話は出来た。寝る時も同じベッドで寝た。だが夜の方はなにもなかった。なんせおれには妻の姿が見えない。
一度試してはみたが、あまりに奇妙ですぐにやめてしまった。おそらく妻は泣いたのだろう。その日枕が濡れていた。
そんな生活が一年続いたある日。テーブルの上に一枚の離婚届がすっと差し出された。すでに妻の記入は済んでいた。おれもその場で記入をした。
目の前でひとりでに折りたたまれていく緑の用紙。この瞬間おれたちは他人へと戻った。
引っ越し業者が妻の荷物を運び終えた。少しがらんとなった部屋をおれは独り眺めていた。その時、テーブルの上でコトリと音がした。
そこにあったのは結婚指輪。
玄関の扉が開き外の光が差し込む。
そこにはこっちを見ながら悲し気に微笑む妻の姿があった。
「ありがとう……さようなら。あなた」
そう言い残し扉は閉まる。そして妻はおれの前から消えていった。
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