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南の大陸編
30話 邪神の襲来
しおりを挟むゴロゴロと音を立て、西ロンガの大通りを一台の馬車が走っていた。雨と湿地帯が多いシュラセーナ王国では、乗り物といえばトケッタが引く舟が一般的だが、大空洞の中ではトケッタではなく馬が主流となる。
豪華な薔薇の紋様が入った馬車にはドゥパとリリンが親子仲良く乗っていた。彼女達が目指す先は「マタハリ」と呼ばれる王国最大の日照石。マタハリに魔力を補充する事がリリンの日々の仕事となる。
「それでね、第二段階の構築はね……」
「ふむふむ」
馬車の中ではドゥパによる魔法の授業が行われていた。リリンは魔法の縮小版を手の平で展開させている。天才肌で大雑把な姉とは違い、妹は緻密な作業が大好きであった。
「こうでしょうか? 母様」
「そうそう! 上手ね~リリンちゃん。私より制御が細かいわ」
「うふふ」
リリンは嬉しそうに笑いながら繰り返し何度も火魔法を展開させる。その度に馬車の中は炎の光で照らされた。
「奥様、馬車の中での魔法はほどほどに……間もなく到着しますのでご準備を」
御者が少し苦笑いを浮かべながらそう告げた。
「あらあら、ごめんなさい。じゃあリリンちゃん、続きは屋敷に戻ってからにしましょう」
「はい! 母様」
しばらくすると馬車は目的の場所へと到着した。西ロンガで最も大きな空洞。そこには広大な農場と家畜のための牧場が広がっている。年中雨が降るこの南の大陸に於いて、食料の自給自足は最重要課題となる。それを補って余りあるのが巨大な日照石の恩恵なのだ。
「さあリリンちゃん。お昼ご飯までには終わらせましょうね」
「はい母様。今日のデザートはなんでしょうね?」
二人がにこにこと手を繋いで歩いていると、遠くに見える牧場の方でなにやら家畜達が騒ぎ始めた。馬に乗った若者が必死の形相でこちらへとやってくる。
「魔物だーー!! 魔物が襲ってきたぞーー!!」
牧場の真上に現れた黒い影。その中から夥しい数の魔物が湧き出していた。それは一か所に留まらず、大空洞のあちこちで起きていた。
三人で低層を進んでいる時、妙な違和感をおれは感じていた。低層で出現する魔物はこれまでよりも強くなる。激しい戦闘を予想していたのだが、魔物に邂逅するどころか、その気配すらない。すでに九十五階層を超え、地の底までは後わずかだ。
「やっぱ変だよ、ドゥーカ兄。まるで蛻の殻みたいに魔物がいない」
アピが怪訝な顔でそう言うと、リリアイラもそれに同意した。
「確かにこれは異常だな。少し急ぐぞドゥーカ」
「わかった。おれが先に行って見てくる。アピとラウタンは注意しながら進んでくれ」
おれは転移魔法で階層をどんどん降りて行った。どの階層にも見渡す限り魔物の姿はない。胸騒ぎを覚えながらも百階層へと到達した。
しんと静まり返る地の底。玉座と思しき巨大な岩がそこにはあった。しかしそこいるはずの邪神クリシャンダラは影も形も見当たらなかった。
「まさか! 奴め地上に出やがったんじゃねぇだろうな!」
リリアイラの言葉でおれはハッとした。魔物を出現させるあの黒い影。あれは空間魔術に非常に似ている。きっと自らも転移できるのだろう。
「狙いはジェリミス女王か!? 急いで戻ろう!」
アピ達とすれ違う事がないよう、細かい転移魔法で来た道を引き返す。こちらへ向かっていた二人と合流し、邪神の狙いが女王かもしれないと伝えるとアピの表情がみるみる強張っていった。
「姫様が危ない! 早く城に行かないと!! ドゥーカ兄!」
アピがおれの腕を掴んでぎゅっと引っ張った。あまりの狼狽振りに一旦落ち着かせる。そしてリリアイラが静かな口調で今後の動きを指示した。
「女王が使う陽光魔法は対邪神の結界の役割も持っている。そう簡単に城には入れないはずだ。おそらく今頃は魔物を使って城の守りを削っているだろう。だが悠長にはしてらんねぇ。二人も連れて大転移で地上に出るぞ、ドゥーカ」
おれは頷き返すと両手を二人に向け差し出した。アピはそれを力強く握り返し、ラウタンも戸惑いながらもそれに従った。
「大転移」
眩いほどの青い光がダンジョン内を照らし出す。その光に包まれた瞬間、体がふわりと浮き上がり、おれ達の体は『深淵なる狭間』と吸い込まれ消えた。
シュラセーナ王城では北、西ロンガ領主を交え、今後の政策会議が行われていた。その会議も終わりに差し掛かった頃、にわかに場内が騒がしくなった。
「女王陛下にお伝えします! 只今城下付近に於いて多数の魔物が出現したとの事! 直ちに城の防衛をされたし!」
それを聞いて西ロンガ領主ラハールが勢いよく立ち上がり語気を荒げた。
「なにぃ! どうして接近に気が付かなかった! 監視塔は何をやっとる!?」
「魔物達は突然現れたという報告が上がってます。なにやら黒い影から這い出てきたと……」
「黒い影? それは真か!?」
そう言うや否や女王は窓から外を見た。眼下に見える滝の真下では、いくつもの黒い影が空中に浮かび、そこから次々に魔物が現れている。それは三年前に見たあの悪夢のような光景と同じだった。
「あれは邪神の魔法だ! 間違いない! ドゥーカ達は戻ってきておるか!?」
「ダンジョンからの連絡はまだ何もございません!」
唇を噛みながら女王はなにやら思案し始める。そこへ追い打ちをかけるかのように急伝がやってきた。
「西ロンガのマタハリが魔物の襲撃を受けたの報告! また北と東のロンガも同様に魔物に襲われております!」
マタハリという言葉にラハールの表情が再び歪む。
「ドゥパ達は無事か!?」
「只今交戦中との事! 安否は不明です!」
ぐぬぅと歯軋りをするラハールに北ロンガ領主のグレッツァが近寄り声を掛けた。
「まずは女王陛下を守る事が先決です。我々も急ぎ戦闘準備を。陛下まずは地下壕まで避難を――」
グレッツァがそう促した時、女王が見つめる先に一際大きな影が現れた。するとそこから青黒い肌をした巨大な足がぬぅっと伸びてきた。
「あ、あれは……」
ジェリミス女王はその姿に見覚えがあった。幼き頃に母より伝え聞き、それを描いたとされる絵画も何度も見ている。
「……邪神クリシャンダラ」
言い伝え通りの姿をした邪神が城下に流れる河の上に降り立った。全身に黒い湯気のような影をゆらゆらと纏い、どっしりと仁王立ちした邪神は、睨みつけるように城を見上げていた。
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