馳せる空に、死体は浮かぶ

四季の二乗

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故に、今も

故に、今も

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 色褪せるといふ言葉がある。
 色が落ちて、色が錆びるように朽ちていく様子を詰めた言葉だ。

 語源を呈するほど私はその言葉に魅力を感じている訳ではないが。私からするに。その言葉の意味は色が劣化する事を嘆いた詩ではなく、色が死んでいく詩なのではないか?
 要するに色の死体を雅な形で表現している訳だ。
 色の死に体を表すのに、中々人情溢れる表現ではないか?

 生き物に寿命がある様に、色にも寿命がある。
 劣化した青は、きっと深い蒼になるのだろう。

 ___君は、どう思う?

 その言葉に答えぬと、彼女はさらに話を続ける。


 なあ、知ってるか? 
 君が嫌いな海の匂いはね。この、潮の匂いは死体の匂いだそうだ。
 プランクトンやら魚の死骸やら。青くきらめく海には、死体で埋め尽くされているらしい。

「なら、この水槽の中にも、きっと死が詰まっている筈なんだ。
海は生物の母というより、生物の墓標だ」

 アクアリウムを指さし、彼女は語る。
 熱帯魚をテーマをしたその水槽では、鮮やかな魚たちが自由気ままに遊泳していた。閉館時間が迫る中、あれだけ詰まった人通りもまばらで、小さな水槽をじっくりと見続ける人影は僕らしか存在しない。
 僕には奇麗な水槽に見えて、彼女も又、優雅に泳いでいる彼らを奇麗だと表現していた。

「さしずめ、水殺のハッピーセットだね」

 その何処か焦点の合わない感性に、僕は引かれたのかもしれない。
 彼女は魚を奇麗だと言ったのか?色とりどりの魚が好きなのだろうか?いや違う、彼女はアクアリウムに恋をしている。
 彼女は一度も、海に泳ぐ魚を好きだと言った事はない。
 彼女は、蒼い水槽自体に引かれていたんだ。

「私の興味は。この大多数の死の一部になる事だ」

 簡単だろう?と彼女は笑った。

「海で死にたいね。限りなく広い底に沈みたい」
「__ねえ、天城さん」

 彼女には自殺癖があった。
 それがリスカの様に跡が残る物ではなく、水槽を眺めるだけという傷のつかない方法だったという話だ。
 その話を聞いた僕は。
 井辻という一人の中学生は、その理由を問う。

「何で、そんなに死にたいんだ?」
「決まっているよ」

 完璧であり、おちゃめであり、人間として尊敬に値する彼女は続きを語る。

「私は、退屈で死にそうなんだ。中学生から退屈を極めている訳だ__。今も、私は死にたいって思っているよ。君の隣で何時もそう思う」

 君が私を構う程、私は死にたいと思う。
 僕のせいだと、彼女は言う。

「はっきりとした才能を持っている訳でもない。打ち込める何かを持っている訳でもない。私は私自身が退屈な人間だという事を知っている」

 だから、君のような人間がうらやましいと。
 僕は趣味を貫いているだけでだ。その上で、何かしらの成果を取った事も多少はある。僕が才能の持ち主であり、文学的に秀でているという彼女の言い分は正しいのだろう。
 だが、しかし。僕はそれだけなのだ。
 多少旨い言葉をまとめ上げ、文を操り、人の評価終える事だけが僕に唯一出来る才能だ。

 僕は、彼女の様に何にでもなる事は出来ない。
 僕は、小説という才能だけで構成されている。

 そして、その欠けた”何か”は快晴であっても埋まる事は無い。

「だから、私は何時も死のうと考えている訳だ」

 そして、この場で気のいいセリフを垂れる程。僕は、完璧ではない。

「__ぼくは、君に生きてほしいから」

 多少考えて出てきたセリフが、僕の言葉が”それ”だった。
 水槽を見続ける少女に。自殺を考え続ける少女にかけられる言葉がそれだけだった。

「君以上に楽しい人間は無いし、僕は君が好きだ」

 それは、自殺を目論む彼女を引き留めるために出てきた言葉で。
 僕の本心が限りなく含まれた言葉でもある。

 僕の告白は、そんなにもロマンチックじゃあない。
 唯、好きな人間に、自分で死んでほしくなかった。

 天城霧が、天城霧を殺してほしくなかった。

「___」
「__何だよ」

 表情深い彼女が、その時初めて驚いた顔をした。
 いつも笑顔を絶やさず、怒りやすく。それでも、驚くような表情を見せなかった彼女が、初めて驚いた。僕は自身の心情なんて理解されているものだと思っていたのだが。

 結果は、僕の予想を大いに外れていた。
 零れた様な、一言を。彼女は吐いた。

「ああ、そうか」
「何が?」
「退屈だと言いながら。私は、今が好きなんだな」

 アクアリウムを背に沿う溢す彼女。
 僕はその光景を、忘れる事が出来ない。


 


 今を愛する彼女を、楽しませ続ける事を僕は誓う。
 僕の理由は、それが始まりなのだから。








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