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第三十五話 対話
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走る、走る、ただまっすぐ走る。朝も始まったばかり。というか、まだ日が昇り始めてもいないほどの真夜中、俺は深い森を走っていた。たった一人、アラレスタもプロテリアも一緒にはいない。
この森が危険なことは充分よく分かっている。それでも俺は、朝になるのも待たないまま走り出していた。これほどの危険を冒しても、俺は進まなければならないのだと感じた。
俺は約四日間、まったく表に姿を現わすことができなかった。エコテラの目で見る世界はとても美しく輝いていたが、その場所に俺の姿がないことに、言いえぬ恐怖を感じていたのだ。
俺の力なくして、ドンドンことが進んでいく。あろうことか、俺が手出ししないまま商店の試運転が開始し、大成功を納めてしまった。
客足は留まることを知らず、仕入れていた在庫は完売しているものもあった。
エコテラが素晴らしい活躍をしたのはとても嬉しい。まさに自分のことのように、俺は喜んでいる。しかし同時に、俺がその場にいなかったことがたまらなく悔しかった。
そして何より、エコテラ一人に全て背負わせてしまっているのが、恐ろしいほどに恥ずかしくてならなかった。
確かに、俺に彼女ほどの知識はない。記憶を共有していると言っても、どの記憶があるのか、それすら俺は思い出さなければならないのだ。だから、経営に関してはほぼ全て彼女に任せている。その方が上手く行くから。
しかし、だからと言って、彼女が負担を背負い過ぎることはない。せっかく俺たちは二人いるのだから、これを活用しない手はないだろう。
それでも彼女は、俺が表に出てこない間、得意ではない交渉を一手に引き受けてくれた。俺のマネをして、ヘタクソな口調でたくましく働いていたのだ。
けれど、心も記憶も身体も共有している俺は、彼女にとってそれがどれほど負担になっているのか手に取るように分かった。
本来あまり社交的でない彼女が、まったく知らない他人と難しい会話をするのがどれほど苦痛か、想像するまでもなく分かってしまうのだ。
理論上、俺ができることはエコテラも出来る。彼女の言うように、ただ記憶をなぞるだけだ。
しかし、出来ることとやりたいことは違う。そしてその差異が大きければ大きいほど、気付かないうちに大きな負担になってしまうんだ。
彼女はまだ高校生だ。確かにこの世界の年齢基準で言えば立派な大人だが、彼女がもと暮らしていた世界ではまだ守られる側の立場。社会を知らない子どもだ。本当なら彼女はこれから大学というところに通い、社会人としてのあり方を教わるはずだった。
その彼女が、知らない土地で頼れる人もなく、たった一人で踏ん張っている。それでも常に余裕がある風を演じているから、誰にも心配を掛けないよう笑顔を向けているから、皆勘違いしてしまうんだ。彼女なら大丈夫だって。
「そんなことあるわけない! エコテラがどれだけ苦しんでいるか、誰も分かっちゃいない! 俺が自分の都合で呼んでしまっただけで、彼女はこの世界に来ることの意味すら良く理解していなかったんだ。その俺が、彼女に何もしてやれないなんて悲劇だ」
危険な森の中、俺は一人叫びながら走る。彼女と交代した瞬間、絶対に行動を起こさなければならないと思って、疲労の残る身体に鞭打ってここまで来たんだ。次にいつ交代してしまうかわからない。だから、今すぐ行動する必要があった。
今日は不思議と、森の魔獣たちが手を出してこない。普段この森を歩いているときは、何処からともなく魔獣が現れて、プロテリアが倒してくれていた。しかし今日は、森の魔獣たちが俺を警戒しているかのように避けている。
少し疑問に思ったが、今はそれよりも大切なことがある。走りすぎて息も上がっているし、深く考えられるほど心にも身体にも余裕がない。今はこれを好都合と思って、まっすぐ進むことだけを考えよう。
「ロ、ロンジェグイダ殿! 起きているか!? 俺だ、エコノレだ! 大切な用があって来た!」
「やあ、エコノレ。こんな朝早い時間にどうしたんだい? 人間はまだ眠っている時間だろう。夜行性の魔獣もいるし、この森は一人で入るのには危険だ」
そう、俺が今日こんなにも早い時間に森までやってきたのは、精霊種の長ロンジェグイダに会うためだ。カッツァトーレの話を聞いた時から、彼と直接話をしたいと思っていた。いや、話をしなければならないと思っていたのだ。
「は、初めまして、精霊の長ロンジェグイダ殿。俺はエコノレだ、エコテラから話は聞いていると思うから、自己紹介は省かせてもらう。今は時間が惜しい」
「うむ、問題ないよ。我々精霊の目には、君もエコテラも確かに視えている。君たちのような子どもを、吾輩は何千と見てきたからね。話してくれなくても状況は分かる」
本当に、精霊種というのは不思議な生物だ。いや、人間の物差しで単に生物と称していいものなのかも怪しい。そのくらい、彼らは異質な存在なのだ。俺とエコテラの関係を見ただけで看破する。そんな芸当ができるのは、本当に精霊種くらいのものである。
「単刀直入に言おう、エコテラと話をさせて欲しい。カッツァトーレという男から聞いた。貴殿は精霊的二重人格を発症した者を精神世界に送り、対話を促すことが出来ると。それをぜひ、俺たちにもやらせて欲しい。俺は彼女と、この口で会話する必要があるんだ!」
「ほほう、カッツァトーレか。懐かしい男だの。まあ二人を精神世界に送ることは可能だが……そんな必要があるのか? 其方らには吾輩の力など必要ないはず……いや、きっかけがないのだな。若者に手助けをするのも老いぼれの役目よ。引き受けようか」
そう言うと、精霊の長ロンジェグイダは俺の額に手を置いた。瞬間、彼の魔力が俺の頭に流れ込んでくる。魔法が使えない俺でも、それが自分にとって良いものだとすぐに分かった。まるで林の木漏れ日のように温かい魔法だ。
その温かさに導かれるように、俺の身体から力が抜けていく。手を握ることができなくなり、足で身体を支えることができなくなり、ついには瞼を開けておくことも出来なくなってしまった。そのまま俺は、眠るようにその場に倒れてしまう。
そこは、とても明るい世界だった。優しく淡い、どこかで見たことのある黄色の世界。
太陽はあるがそこから光が届くわけではなく、俺の目に映る黄色の空全てから、温かい光が差し込んでいるようだった。
俺がその光景に見惚れていると、不意に、後方から世界の色が変わっていくのが見えた。
赤だ。力強く燃え盛るような赤。これまたどこかで見たような気がするのに、どうしても何の色なのか思い出せなかった。
「それが、エコノレ君の色なんだね。私、この世界に君を入れてしまったのがちょっと恥ずかしいや。こんなのを見られたら、それにこんなもの見ちゃったら、もう泣いちゃうかもしれない」
何がおかしいというんだろうか。俺には分からない。
強いて言うなら、見た目か? 彼女は今、見たことのない、しかし見覚えのありすぎる少女の姿をしていた。彼女の日本での姿だ。とても愛らしく、それでいて凛々しい。
対して俺は、実家で着ていた学者の研究服だ。ここが精神の世界だというのなら、きっと自分の最もなじみのある姿が、映し出されてしまうのだろう。
「どうしても、君と直接話をしたかったんだ。君が一人で全部抱え込んでしまっているのが伝わって来たから、君が苦しんでいるのが、伝わって来たから」
俺たちは、もっと話し合うべきだ。記憶を辿るだけじゃなくて、ちゃんと自分の口から話をするべきだったんだ。相手が何をしたいのか、逆に何をしたくないのか、感覚的にではなく、もっと理論的に知っておくべきだったのだ。
「話してほしい、何を苦しんでいるのか。話してほしい、俺にどうして欲しいのか。それと、謝らせてほしい。直接、俺の言葉で謝らせてほしい。君にはずっと、迷惑をかけ続けている。辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、全部君に背負わせてしまっている」
「いらないよ、謝罪なんて。私は自分の意志でこの世界に来たんだから。自分の意志で、君を助けると決めたんだから。だからそんなの、必要ないよ」
エコテラはどういうわけか、ずっと後ろを向いている。こちらに顔を向けてはくれない。自分の世界の色を見ているのか、空を見上げたまま目線を動かすことはなかった。
「そういう訳にはいかない。俺には、君をここへ呼んでしまった責任があるんだ。たとえそれが君の選択でも、俺が呼ばなければ君の生活が壊されることはなかった。だから……!」
「帰ってよ! もう、私の世界を見ないでよ。本当に、泣いちゃうよ?」
! 急にどうしたというのか。声が震えている。これまでにないほど、いつも余裕を見せていた彼女からは考えられないほど、とても弱っている。
ああそうか、俺も、心のどこかで彼女は大丈夫と思ってしまっていたんだ。
「エコノレ君、君がこの四日間表に出られなかったのはね、私のせいなんだ。私が、君の意志を否定して、精神世界にずっと閉じ込めちゃってたんだよ」
この森が危険なことは充分よく分かっている。それでも俺は、朝になるのも待たないまま走り出していた。これほどの危険を冒しても、俺は進まなければならないのだと感じた。
俺は約四日間、まったく表に姿を現わすことができなかった。エコテラの目で見る世界はとても美しく輝いていたが、その場所に俺の姿がないことに、言いえぬ恐怖を感じていたのだ。
俺の力なくして、ドンドンことが進んでいく。あろうことか、俺が手出ししないまま商店の試運転が開始し、大成功を納めてしまった。
客足は留まることを知らず、仕入れていた在庫は完売しているものもあった。
エコテラが素晴らしい活躍をしたのはとても嬉しい。まさに自分のことのように、俺は喜んでいる。しかし同時に、俺がその場にいなかったことがたまらなく悔しかった。
そして何より、エコテラ一人に全て背負わせてしまっているのが、恐ろしいほどに恥ずかしくてならなかった。
確かに、俺に彼女ほどの知識はない。記憶を共有していると言っても、どの記憶があるのか、それすら俺は思い出さなければならないのだ。だから、経営に関してはほぼ全て彼女に任せている。その方が上手く行くから。
しかし、だからと言って、彼女が負担を背負い過ぎることはない。せっかく俺たちは二人いるのだから、これを活用しない手はないだろう。
それでも彼女は、俺が表に出てこない間、得意ではない交渉を一手に引き受けてくれた。俺のマネをして、ヘタクソな口調でたくましく働いていたのだ。
けれど、心も記憶も身体も共有している俺は、彼女にとってそれがどれほど負担になっているのか手に取るように分かった。
本来あまり社交的でない彼女が、まったく知らない他人と難しい会話をするのがどれほど苦痛か、想像するまでもなく分かってしまうのだ。
理論上、俺ができることはエコテラも出来る。彼女の言うように、ただ記憶をなぞるだけだ。
しかし、出来ることとやりたいことは違う。そしてその差異が大きければ大きいほど、気付かないうちに大きな負担になってしまうんだ。
彼女はまだ高校生だ。確かにこの世界の年齢基準で言えば立派な大人だが、彼女がもと暮らしていた世界ではまだ守られる側の立場。社会を知らない子どもだ。本当なら彼女はこれから大学というところに通い、社会人としてのあり方を教わるはずだった。
その彼女が、知らない土地で頼れる人もなく、たった一人で踏ん張っている。それでも常に余裕がある風を演じているから、誰にも心配を掛けないよう笑顔を向けているから、皆勘違いしてしまうんだ。彼女なら大丈夫だって。
「そんなことあるわけない! エコテラがどれだけ苦しんでいるか、誰も分かっちゃいない! 俺が自分の都合で呼んでしまっただけで、彼女はこの世界に来ることの意味すら良く理解していなかったんだ。その俺が、彼女に何もしてやれないなんて悲劇だ」
危険な森の中、俺は一人叫びながら走る。彼女と交代した瞬間、絶対に行動を起こさなければならないと思って、疲労の残る身体に鞭打ってここまで来たんだ。次にいつ交代してしまうかわからない。だから、今すぐ行動する必要があった。
今日は不思議と、森の魔獣たちが手を出してこない。普段この森を歩いているときは、何処からともなく魔獣が現れて、プロテリアが倒してくれていた。しかし今日は、森の魔獣たちが俺を警戒しているかのように避けている。
少し疑問に思ったが、今はそれよりも大切なことがある。走りすぎて息も上がっているし、深く考えられるほど心にも身体にも余裕がない。今はこれを好都合と思って、まっすぐ進むことだけを考えよう。
「ロ、ロンジェグイダ殿! 起きているか!? 俺だ、エコノレだ! 大切な用があって来た!」
「やあ、エコノレ。こんな朝早い時間にどうしたんだい? 人間はまだ眠っている時間だろう。夜行性の魔獣もいるし、この森は一人で入るのには危険だ」
そう、俺が今日こんなにも早い時間に森までやってきたのは、精霊種の長ロンジェグイダに会うためだ。カッツァトーレの話を聞いた時から、彼と直接話をしたいと思っていた。いや、話をしなければならないと思っていたのだ。
「は、初めまして、精霊の長ロンジェグイダ殿。俺はエコノレだ、エコテラから話は聞いていると思うから、自己紹介は省かせてもらう。今は時間が惜しい」
「うむ、問題ないよ。我々精霊の目には、君もエコテラも確かに視えている。君たちのような子どもを、吾輩は何千と見てきたからね。話してくれなくても状況は分かる」
本当に、精霊種というのは不思議な生物だ。いや、人間の物差しで単に生物と称していいものなのかも怪しい。そのくらい、彼らは異質な存在なのだ。俺とエコテラの関係を見ただけで看破する。そんな芸当ができるのは、本当に精霊種くらいのものである。
「単刀直入に言おう、エコテラと話をさせて欲しい。カッツァトーレという男から聞いた。貴殿は精霊的二重人格を発症した者を精神世界に送り、対話を促すことが出来ると。それをぜひ、俺たちにもやらせて欲しい。俺は彼女と、この口で会話する必要があるんだ!」
「ほほう、カッツァトーレか。懐かしい男だの。まあ二人を精神世界に送ることは可能だが……そんな必要があるのか? 其方らには吾輩の力など必要ないはず……いや、きっかけがないのだな。若者に手助けをするのも老いぼれの役目よ。引き受けようか」
そう言うと、精霊の長ロンジェグイダは俺の額に手を置いた。瞬間、彼の魔力が俺の頭に流れ込んでくる。魔法が使えない俺でも、それが自分にとって良いものだとすぐに分かった。まるで林の木漏れ日のように温かい魔法だ。
その温かさに導かれるように、俺の身体から力が抜けていく。手を握ることができなくなり、足で身体を支えることができなくなり、ついには瞼を開けておくことも出来なくなってしまった。そのまま俺は、眠るようにその場に倒れてしまう。
そこは、とても明るい世界だった。優しく淡い、どこかで見たことのある黄色の世界。
太陽はあるがそこから光が届くわけではなく、俺の目に映る黄色の空全てから、温かい光が差し込んでいるようだった。
俺がその光景に見惚れていると、不意に、後方から世界の色が変わっていくのが見えた。
赤だ。力強く燃え盛るような赤。これまたどこかで見たような気がするのに、どうしても何の色なのか思い出せなかった。
「それが、エコノレ君の色なんだね。私、この世界に君を入れてしまったのがちょっと恥ずかしいや。こんなのを見られたら、それにこんなもの見ちゃったら、もう泣いちゃうかもしれない」
何がおかしいというんだろうか。俺には分からない。
強いて言うなら、見た目か? 彼女は今、見たことのない、しかし見覚えのありすぎる少女の姿をしていた。彼女の日本での姿だ。とても愛らしく、それでいて凛々しい。
対して俺は、実家で着ていた学者の研究服だ。ここが精神の世界だというのなら、きっと自分の最もなじみのある姿が、映し出されてしまうのだろう。
「どうしても、君と直接話をしたかったんだ。君が一人で全部抱え込んでしまっているのが伝わって来たから、君が苦しんでいるのが、伝わって来たから」
俺たちは、もっと話し合うべきだ。記憶を辿るだけじゃなくて、ちゃんと自分の口から話をするべきだったんだ。相手が何をしたいのか、逆に何をしたくないのか、感覚的にではなく、もっと理論的に知っておくべきだったのだ。
「話してほしい、何を苦しんでいるのか。話してほしい、俺にどうして欲しいのか。それと、謝らせてほしい。直接、俺の言葉で謝らせてほしい。君にはずっと、迷惑をかけ続けている。辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、全部君に背負わせてしまっている」
「いらないよ、謝罪なんて。私は自分の意志でこの世界に来たんだから。自分の意志で、君を助けると決めたんだから。だからそんなの、必要ないよ」
エコテラはどういうわけか、ずっと後ろを向いている。こちらに顔を向けてはくれない。自分の世界の色を見ているのか、空を見上げたまま目線を動かすことはなかった。
「そういう訳にはいかない。俺には、君をここへ呼んでしまった責任があるんだ。たとえそれが君の選択でも、俺が呼ばなければ君の生活が壊されることはなかった。だから……!」
「帰ってよ! もう、私の世界を見ないでよ。本当に、泣いちゃうよ?」
! 急にどうしたというのか。声が震えている。これまでにないほど、いつも余裕を見せていた彼女からは考えられないほど、とても弱っている。
ああそうか、俺も、心のどこかで彼女は大丈夫と思ってしまっていたんだ。
「エコノレ君、君がこの四日間表に出られなかったのはね、私のせいなんだ。私が、君の意志を否定して、精神世界にずっと閉じ込めちゃってたんだよ」
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