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1章

-9- 【自分の痛み、友の痛み】

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 「ごぶっ!?」
 「ごぶぶっ」
 ゴブリン達の慌てふためく声が聞こえる。全く、面白いもんだな。
 さっきまで一対多で猛攻を受けて朽ちかけていた俺の体が気持ちが悪いほど軽くなる。指先がじんと熱くなり、指一本一本から魔力が出ていくのを感じる。
 あともう数秒だけ。そしたら慣れる。





 【学者化】。それは得体の知れない、未知の力を得ることができる能力だ。

 知名度の低い歴史書に数行だけ、存在が仄めかしてあっただけのもの。確認例もなかったことから、その存在はおとぎ話とすらされていた。
 ……それも先日までの話だが。

 なぜ今、こんなに存在の薄い能力に焦点が当たったのか。
 その原因となったのが、先日の俺の魔力暴走事件だ。


 暴走事件により停学となった俺は、俺を異世界から召喚したジジイ──【賢者アイザック】──のいる、村の郊外に戻ることとなった。

 事前に俺が魔力暴走をした事や、その時の状態を聞いていたジジイは、俺が家に帰るまでに、自身の所有する大量の書物からその原因を調べていたらしく、それで一致したのがこの歴史書に書かれていた【学者化】の症状だったのだという。
 この学者、かつては多種多様な種類が存在していたらしいが、一部の文献を他の賢者が持っていたりして、これ以上詳しいことが分からないらしい。

 曰く、学者能力を扱う者の特徴の一つとして挙げられていたのが、『白目の部分が黒く染まった者』。
 ──つまり、この前の俺と全く同じ状況だったのだ。
 このような目の状態は今までに前例がないらしく、ジジイは今までこんなもの見たことがない。お前はこれで間違いないと断定している。
 ……まぁ、違わん保証はないが。一応今はこの学者という名前で呼ぶことにする。

 さて、学者能力を使うためには【学者化】というものを行う必要がある。その合図が、さっき俺がした詠唱だ。

 そして、俺の学者名は【地理学者】と言うらしい。
 なぜ分かったかは、名前とか何とか色々あるが……その説明は面倒だ。また落ち着いたら説明する。

 【地理学者化】したら何が出来るようになるのか、だと?

 それも、今からの俺を見ていれば分かる。
 ……数日だが、これでも力が制御できるよう練習したんだぜ。





 さて、体から不自然な軽さが抜け、少しずつ慣れてきた。
 まだ頭から胸の中心内部にかけて酷く眩むが……それも副作用だ。じき治る。

 膝をつく必要もなくなり、俺はただ顔を上げて真正面の方を見る。
 突然魔力が倍加した俺を見てたじろぐゴブリン達の様が、黒く染まった俺の瞳には──とてもマヌケに映る。


 「今度は俺の番だ。易々と逃げられると思うなよ」
 「……ごぶあ!ごぶあっ!」
  生き残った八体のゴブリンが一斉に前線から引き、魔法詠唱の準備にかかる。向こうは安全な場所から一気にカタをつけるつもりなのだろう。


 心配する必要は何もない。
 こちらも、最初からそのつもりなのだから。





 「「ガアッ!ゴガァッッ!ガッ!!」」
 ゴブリン達は息を合わせ、一斉にこちらに魔法弾を発射してきた。その魔法弾はガラス上に垂らされた水滴のように一つにまとまり、ひとつの巨大な魔法弾と化す。
 「これはまた……考えたな」
 この峡谷を塞ぐのには、十分すぎる大きさだ。
 ありったけの魔力をつぎ込んだのか、どのゴブリンも息を切らしてぐったりしている。
 諸刃の剣としてこの戦法を取ることにしたのだろう。
 この巨大魔法弾が、この勝負の行方を決めるポイントになるのは間違いない。

 巨大な魔法弾は峡谷の壁と地面をを削りながら、速度を増してこちらに向かってくる。
 「(……なら、こちらは防衛に徹するだけだ)」
 これを止められなければ、表裏の鏡もろとも消されてしまう。

 鼻の先に一瞬だけ感じた魔法弾の圧を合図に、地面に手を着き、詠唱準備に入る。

 すると、足元には四つの魔法陣が浮かび、その光は俺の顔を煌々と照らした。

 「……は、魔法陣が、四つ?」
 ……。
 信じられなかった。



 この魔法陣は使おうとしている魔法のレベルによって増減するもので、魔法使いはこの魔法陣の個数を見て、本当にその魔法を使うのかを判断する。自身のキャパシティを超える魔力を使うと相手に隙を晒すだけでなく、最悪死に至ることもあるためだ。
 ……普通、魔法陣は一回の魔法につき一つか二つ、多くても三つだ。

 四つとはつまり、普通は使わないほどの大量の魔力を消費することを指す。
 ……この魔法陣の数を見て肝を冷やす。
 俺くらいの若い魔法使いがこの魔法を使うのならば、これは当然致死量に値するのだ。



 死という言葉を目の前に、ふと気が小さくなる。
 はたして、俺がこんなバケモノレベルの魔法に耐えられるだろうか?
 いくら学者化中で魔力が上がっているとはいえ、こんな莫大な魔力を消費する魔法が使えるのだろうか?

 俺、 “また死ぬ” のか?

 そんなことを考えれば考えるほど、動悸がして、吐き気も増していく。

 
 どうしたら良いのか分からず、ふと足元の魔法陣を見た。
 ……四つの魔法陣が、だんだん小さくなっている。
 「(まずい、詠唱キャンセルが……)」

 このまま詠唱をキャンセルして逃げれば、俺は苦しい思いをせずに済むのか……?今箒に乗り込んで飛べば、間に合うはずだ。
 痛い思いだって、きっと……。



 「……いや、それは違う」

 違う。絶対に違う。
 ここで俺が引き下がって逃げたところで、確かに痛みも苦しさも感じずに済む。
 ……けれど。

 多分、心は一生痛い。
 俺のせいで妖精の村に閉じ込められたみんなや、あの変な笑い方をするエルフの……ソフィアの事を思い出してはずっと苦しい思いをするのだろう。
 この痛みを俺は知っている。これは……。
 俺があの世界…… “日本” で一度でも感じてみたかった──。

 『友を悲しませることで感じる』痛みだ。

 俺はこの世界でやっと、 “心から笑える友達”ができて、こうして顔を思い出すだけで、心が締め付けられるような……そんな人を作ることができた。

 「こんな所で……怯めるかよっ!!」

 今彼らを護れる可能性があるのは、俺しかいない!!
 消えかけていた魔法陣が再び展開し、元の大きさに戻る。
 魔法陣の光はなお一層俺を照らして、まるで激励の言葉をかけられているように俺の胸の辺りが暖かくなる。
 
 


 「(……今だ!)」
 一度、自らの手で無駄にした人生だ。
 人を護るために死ねるのなら──そっちの方がずっとマシだっ!!

 「────届けっ!!!」

 「『地掌・ストレータムファンクション』っ!!!」
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