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加虐
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青褪めた顔で俯いたまま、幼い伯爵令嬢に声を掛けられても動かないイストフを見て、リオンはその心の内を推し測る。
(おそらくは自分や父親がやろうとしていたこと、やってしまったらどうなっていたかに思い当たったかな……)
むろんルエナを手放す気はなく、ヤク中患者のようになってしまった場合でもディーファン公爵夫人でありアルベールの母であるフルール夫人とシーナ──詩音のかつての医学的知識を駆使して、何としてでも正常な状態に戻すつもりであったが、王太子という立場上、婚約者を変更せざるを得ない可能性は否定できない。
万が一そんなことになったとしたら、両親には幼い弟を立太子としてもらい、自分は臣下降籍してでもルエナと添い遂げる覚悟はあった。
ただしその時のルエナが正常な思考力を維持しているかがわからないという不安はあったが、詩音の精神崩壊状態を見守り、共に傷つきながらも一緒に暮らしていたという過去の記憶が『ルエナと一緒に生きる』というビジョンに繋がっていた。
「エリー嬢から見て、ルエナ嬢はどうだろうか?イストフの義理の母として、我が婚約者はふさわしいと思うかな?」
「ふ、ふさわしい……なんて……」
王太子がニッコリと笑って自分の方へ問いを投げかけてきたことに驚き、エリー嬢はキョトキョトと視線を不安定に揺らす。
伏し目がちにしたのは照れているとかではなく、困惑に眉を顰めているせいだった。
思い出すのは、物心つく前から会わされていた『こんやくしゃ』とされた小さな男の人と、それよりももっと大人の男の人。
ふたりはいつも何だか気持ち悪い目をして、ニヤニヤした笑いを浮かべていた。
小さな人は自分に。
大きな人は母に。
早婚が推奨されるエビフェールクス辺境地で生まれ育った両親は若く、当然のことながらエルネスティーヌ嬢を産んだのは十八の年である。
ようやく三歳になった令嬢に付き添いということで交流のお茶会に同席することを強要された母はまだ二十一歳になる前で、ようやく花が綻ぶような初々しい人妻の色香を漂わせ始めた頃だった。
むろん幼いエリー嬢にとって母は母でしかなく、領主様に目を付けられるぐらいの美貌はただ好ましい『母の顔』だというだけであり、まさかその貞操を踏み躙るような申し出をされていたことは知るはずもなかった。
つまりは──イストフが言ったとおり、『女性に対して不埒な想いを抱き、それを遂げるのに相手の意思はいらないと思う輩』だったのである。
「エビフェールクスのお義父様……には、ご正室が、いらっしゃいます……ルエナ様……は、イストフお兄様のお義母様に……なる、なんて……」
そんなことは、あり得ない。
あり得るなら──愛人。
いや、それ以下。
現エビフェールクス辺境侯爵夫人は放蕩な侯爵当主とは正反対なほどの貞淑さを持ち、しかし表面的には人形のように表情がなく、夫が戯れに穢す女性たちを目の当たりにしてもピクリとも眉を動かさないことから『冷徹な人形姫』と揶揄されることもあるほど美しい女である。
その地位にある意味を知り、その地位にあるべき姿勢を貫き、その地位にあるべく夫以外には自分が腹を痛めて産んだ実子であろうと生後二ヶ月目からは乳すら触らせはしないほど、夫に対する従順さは異常に強く何事が起きても逆らいもしないと女に服従だけを求める他の貴族たちからすこぶる羨まれるほどだ。
しかし実際は夫の目が背けられた瞬間に心身ともに泣き崩れる女性に向かって罵倒と激しい鞭で打ち据えることに悦びを見出し、骨を折られ肉を抉られたその女性を辺境侯爵家の城から叩き出すほどの激烈な加虐性を持つ女性であることを知るのは、同じ女性である侍女たちと、望んだわけでもないのに躰を暴かれた女性たちと、守り切れなかった愛しい者に消えない傷をつけられた夫や恋人たちである。
つまりそんな男が自分の舅と姑になるのだとこの幼い伯爵令嬢は知っており、そんなふたりにこの美しい『姉』のひとりが酷い目に合わされることは想像に難くない。
「そんな……そんな、の……いや、ですぅ……」
呟きと共に大きく見開かれた瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
(おそらくは自分や父親がやろうとしていたこと、やってしまったらどうなっていたかに思い当たったかな……)
むろんルエナを手放す気はなく、ヤク中患者のようになってしまった場合でもディーファン公爵夫人でありアルベールの母であるフルール夫人とシーナ──詩音のかつての医学的知識を駆使して、何としてでも正常な状態に戻すつもりであったが、王太子という立場上、婚約者を変更せざるを得ない可能性は否定できない。
万が一そんなことになったとしたら、両親には幼い弟を立太子としてもらい、自分は臣下降籍してでもルエナと添い遂げる覚悟はあった。
ただしその時のルエナが正常な思考力を維持しているかがわからないという不安はあったが、詩音の精神崩壊状態を見守り、共に傷つきながらも一緒に暮らしていたという過去の記憶が『ルエナと一緒に生きる』というビジョンに繋がっていた。
「エリー嬢から見て、ルエナ嬢はどうだろうか?イストフの義理の母として、我が婚約者はふさわしいと思うかな?」
「ふ、ふさわしい……なんて……」
王太子がニッコリと笑って自分の方へ問いを投げかけてきたことに驚き、エリー嬢はキョトキョトと視線を不安定に揺らす。
伏し目がちにしたのは照れているとかではなく、困惑に眉を顰めているせいだった。
思い出すのは、物心つく前から会わされていた『こんやくしゃ』とされた小さな男の人と、それよりももっと大人の男の人。
ふたりはいつも何だか気持ち悪い目をして、ニヤニヤした笑いを浮かべていた。
小さな人は自分に。
大きな人は母に。
早婚が推奨されるエビフェールクス辺境地で生まれ育った両親は若く、当然のことながらエルネスティーヌ嬢を産んだのは十八の年である。
ようやく三歳になった令嬢に付き添いということで交流のお茶会に同席することを強要された母はまだ二十一歳になる前で、ようやく花が綻ぶような初々しい人妻の色香を漂わせ始めた頃だった。
むろん幼いエリー嬢にとって母は母でしかなく、領主様に目を付けられるぐらいの美貌はただ好ましい『母の顔』だというだけであり、まさかその貞操を踏み躙るような申し出をされていたことは知るはずもなかった。
つまりは──イストフが言ったとおり、『女性に対して不埒な想いを抱き、それを遂げるのに相手の意思はいらないと思う輩』だったのである。
「エビフェールクスのお義父様……には、ご正室が、いらっしゃいます……ルエナ様……は、イストフお兄様のお義母様に……なる、なんて……」
そんなことは、あり得ない。
あり得るなら──愛人。
いや、それ以下。
現エビフェールクス辺境侯爵夫人は放蕩な侯爵当主とは正反対なほどの貞淑さを持ち、しかし表面的には人形のように表情がなく、夫が戯れに穢す女性たちを目の当たりにしてもピクリとも眉を動かさないことから『冷徹な人形姫』と揶揄されることもあるほど美しい女である。
その地位にある意味を知り、その地位にあるべき姿勢を貫き、その地位にあるべく夫以外には自分が腹を痛めて産んだ実子であろうと生後二ヶ月目からは乳すら触らせはしないほど、夫に対する従順さは異常に強く何事が起きても逆らいもしないと女に服従だけを求める他の貴族たちからすこぶる羨まれるほどだ。
しかし実際は夫の目が背けられた瞬間に心身ともに泣き崩れる女性に向かって罵倒と激しい鞭で打ち据えることに悦びを見出し、骨を折られ肉を抉られたその女性を辺境侯爵家の城から叩き出すほどの激烈な加虐性を持つ女性であることを知るのは、同じ女性である侍女たちと、望んだわけでもないのに躰を暴かれた女性たちと、守り切れなかった愛しい者に消えない傷をつけられた夫や恋人たちである。
つまりそんな男が自分の舅と姑になるのだとこの幼い伯爵令嬢は知っており、そんなふたりにこの美しい『姉』のひとりが酷い目に合わされることは想像に難くない。
「そんな……そんな、の……いや、ですぅ……」
呟きと共に大きく見開かれた瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
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