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さすがに前世でも今世でも人を殺したことはないが、リオンのためならば自分の手を汚すことも厭わない。
それは恋愛感情などでは絶対にないが凛音に対する前世から引きずる肉親愛であり、さらには激愛するルエナ嬢への侮辱に変換され、シーナは完全に頭に血が上っていた。
最初はニヤニヤとバカにした笑みを浮かべていた医師は、剣先が喉元に刺さる痛みでようやくシーナの顔を見上げ、その冷酷な光を湛えた瞳を認めて「ヒュッ」と音を立てて息を飲む。
シーナ自身は自分の顔を見ることはできないが、大の男が恐怖にガタガタと細かく身体を震えさせるのを見てわずかに自分を取り戻した。
「シオン!」
イントネーションが少しだけ違うが、かつて呼ばれた名を聞き慣れた声で呼ばれ、シーナはふっと身体から強張りが抜けた。
ふらりと揺れる腕が剣の重さに耐えきれずに自重で医師の喉元から下まで切り下げられる寸前で、後ろから腰を抱きかかえられるのとは反対の腕で支えられたが付き当てられていた皮膚がほんの表面だけ掠り、ツゥと一筋赤い線が走るのを見て、シーナはさっきまで知らずに放っていた殺気と意識を手放した。
『男が怖い』と思ったのはいつからだったろうか──怖いというよりも『気持ち悪い』という方がよりしっくりくる感覚かもしれない。
まさか産まれてすぐからではないだろうが、幼い頃から次兄にやけに身体を触れていたことはうっすらと覚えていた。
祖父と一緒に風呂に入った際に詩音が凛音の小さな胸飾りを弄ったことが、十一歳になった次兄が三歳の詩音に対してすでに性的虐待を行っていたことが露見したのである。
そこから祖父が両親に注意するように進言したにも関わらず、莉音と詩音がそれぞれ次兄に殺害され穢される結末となってしまったが、そこに至るまで悲劇は避けられなかったのだろうか。
さすがに死んだ後のことまでは知りようがないが、たった十八年という短い生の中でめったに顔を合わせることのなかった長兄からは凛音ともども疎まれていたのは知っている。
理由はわからない──歳の近い次兄のことも嫌っていたらしいから、別に双子で産まれたからというわけではなく、とにかく両親の下に産まれたことが憎悪の対象となったのかもしれない。
だからこそ詩音が幼い頃から次兄に性的虐待を受けていたことも無視されたのだろう。
「クソ兄貴め……」
暗闇の中でそう呟いたつもりだったが、目を固く瞑ったままのシーナの口から洩れたのは、微かな呻き声だけだった。
「シオン!」
力強く大きい指が自分の手を握りこんでいることを本能で悟り、逃げようとしたが身体は動かず、指先が微かにピクリと動いただけである。
「大丈夫か?……安心しろ。この部屋にあの失礼な医者はいない。シオンやイストフに対する言葉から、ひょっとしたら他の令嬢たちに対しても不適切な行動を取っていたかもしれないからな。学園の衛兵たちに引き渡して、今は王宮の文官と学園長が共に今までの業務状況を聞き取っている」
「ほか……に、も……?」
「ああ。俺は医局室に縁がなかったために知らなかったが……どうやら積極的に出入りしている令嬢もいたらしい。すでに卒業して婚姻している者もいるから、調べは慎重に行われるだろうが……彼女らに対してその貞操に関わるような事柄が判明すれば、関係者たちにそれぞれ沙汰が下されるはずだ」
「う……ん……あり、がと……」
実際シーナに対して何かされたわけではない。
それでももしイストフを運び込んだ時に、先にシーナ嬢が医局室に入ったとしたら、どんな目に遭っていたかわからない。
アルベールとしてはこれから先、少なくともルエナやシーナ嬢が無事に卒業するまでに男性から理不尽な扱いを受けるような事態はすべて排除しようと、改めて心に決めた。
それは恋愛感情などでは絶対にないが凛音に対する前世から引きずる肉親愛であり、さらには激愛するルエナ嬢への侮辱に変換され、シーナは完全に頭に血が上っていた。
最初はニヤニヤとバカにした笑みを浮かべていた医師は、剣先が喉元に刺さる痛みでようやくシーナの顔を見上げ、その冷酷な光を湛えた瞳を認めて「ヒュッ」と音を立てて息を飲む。
シーナ自身は自分の顔を見ることはできないが、大の男が恐怖にガタガタと細かく身体を震えさせるのを見てわずかに自分を取り戻した。
「シオン!」
イントネーションが少しだけ違うが、かつて呼ばれた名を聞き慣れた声で呼ばれ、シーナはふっと身体から強張りが抜けた。
ふらりと揺れる腕が剣の重さに耐えきれずに自重で医師の喉元から下まで切り下げられる寸前で、後ろから腰を抱きかかえられるのとは反対の腕で支えられたが付き当てられていた皮膚がほんの表面だけ掠り、ツゥと一筋赤い線が走るのを見て、シーナはさっきまで知らずに放っていた殺気と意識を手放した。
『男が怖い』と思ったのはいつからだったろうか──怖いというよりも『気持ち悪い』という方がよりしっくりくる感覚かもしれない。
まさか産まれてすぐからではないだろうが、幼い頃から次兄にやけに身体を触れていたことはうっすらと覚えていた。
祖父と一緒に風呂に入った際に詩音が凛音の小さな胸飾りを弄ったことが、十一歳になった次兄が三歳の詩音に対してすでに性的虐待を行っていたことが露見したのである。
そこから祖父が両親に注意するように進言したにも関わらず、莉音と詩音がそれぞれ次兄に殺害され穢される結末となってしまったが、そこに至るまで悲劇は避けられなかったのだろうか。
さすがに死んだ後のことまでは知りようがないが、たった十八年という短い生の中でめったに顔を合わせることのなかった長兄からは凛音ともども疎まれていたのは知っている。
理由はわからない──歳の近い次兄のことも嫌っていたらしいから、別に双子で産まれたからというわけではなく、とにかく両親の下に産まれたことが憎悪の対象となったのかもしれない。
だからこそ詩音が幼い頃から次兄に性的虐待を受けていたことも無視されたのだろう。
「クソ兄貴め……」
暗闇の中でそう呟いたつもりだったが、目を固く瞑ったままのシーナの口から洩れたのは、微かな呻き声だけだった。
「シオン!」
力強く大きい指が自分の手を握りこんでいることを本能で悟り、逃げようとしたが身体は動かず、指先が微かにピクリと動いただけである。
「大丈夫か?……安心しろ。この部屋にあの失礼な医者はいない。シオンやイストフに対する言葉から、ひょっとしたら他の令嬢たちに対しても不適切な行動を取っていたかもしれないからな。学園の衛兵たちに引き渡して、今は王宮の文官と学園長が共に今までの業務状況を聞き取っている」
「ほか……に、も……?」
「ああ。俺は医局室に縁がなかったために知らなかったが……どうやら積極的に出入りしている令嬢もいたらしい。すでに卒業して婚姻している者もいるから、調べは慎重に行われるだろうが……彼女らに対してその貞操に関わるような事柄が判明すれば、関係者たちにそれぞれ沙汰が下されるはずだ」
「う……ん……あり、がと……」
実際シーナに対して何かされたわけではない。
それでももしイストフを運び込んだ時に、先にシーナ嬢が医局室に入ったとしたら、どんな目に遭っていたかわからない。
アルベールとしてはこれから先、少なくともルエナやシーナ嬢が無事に卒業するまでに男性から理不尽な扱いを受けるような事態はすべて排除しようと、改めて心に決めた。
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