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疑惑
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しかし物事の展開というのは、思いもよらない時に展開するもので──
「あっ、あのっ……シ、シ、シーナ……じょ……」
同じ学園にいるとはいえさすがに四六時中リオンと一緒にいるわけではなく、ひとりでシーナが歩いていると、モゴモゴと後ろから呼びかけられた。
おそらく『嬢』と敬称をつけたはずだろうが、わざとなのかそこからさらにボリュームを落してきたせいで、シーナの耳には自分の名前が──記憶が蘇ってから半分ぐらいは『シオン』という偽名で呼んでもらっていたせいで実感が薄いのだが──呼び捨てにされたように聞こえ、その礼儀知らずの顔を見てやろうと振り返る。
「……やっぱり」
「え?……あっ、あのっ……」
そこにいたのは警護対象を警護せずに、ひっそりと物陰に佇むモッサリとした男子生徒であった。
攻略対象の一人──クリシュア伯爵の第二令息であるジェラウス・クーラン。
彼は体力がなくて腕力などでリオン王太子を警護することは難しい代わり、その博識さのために文官的な意味での側近なのだが、根暗で研究バカで興味がないことはすべてスルーする要らないスキルを持っているくせに、『興味対象』となったシーナ・ティア・オイン子爵令嬢に対しては執着がひどい。
そいつがニヤニヤとしか表現のしようのない笑みを浮かべてゆっくりと近づいてくる。
「……何か御用かしら?クリシュア伯爵令息様?」
「そ、そ、そんなた、他人行儀…な……」
「いえ、だってリオン王太子殿下に紹介はされましたが、正式にご挨拶いただいていないのですから、お名前を呼ぶわけにはいきませんでしょう?」
言ってしまえば雨で濡れそぼった大型犬のような可愛らしさがあるかもしれないが、生憎とシーナはもっと堂々とした姿勢と態度の男の方が好みなので、自分の弱さを前面に出したような男は興味の範疇外である。
そこが彼とは相容れないのだがあちらは『ヒロイン』という修正力が掛かっているのか、一瞥もくれていないはずのピンクブロンドふわふわの子爵令嬢を恋愛対象として見て、いつもモジモジと王太子や側近たちのさらに後ろから様子を伺うだけだった。
「そ、そ、そ、そんな………」
「それはまあどうでもいいですけど」
「どう、どう、どう……」
「何か御用かしら?とお聞きしましたの。申し訳ありませんが、化粧室に忘れ物をしたので早く取りに行きたいのですが」
意訳すれば「早くトイレに行きたいので邪魔しないでいただける?オホホ」なのだが、相手には解ってもらえるだろうか?
わかってもらえていないだろうな──そう確信したのは、一歩下がったシーナの手を思いがけない素早さと強さで掴み、長い前髪の下から鋭く舐めるようにシーナを見つめたためである。
「……で、で、で、殿下にな、な、な…何を……の、の、飲ま……」
「え?薬草入りの栄養スープですけど?それが何か?」
「え…えい…えいよ……?」
「ええ。あなたもいろいろ研究なさっているって聞いてますけど。わたくしはわたくしで、ルエナ様と仲良くなるために、あの方がもっと美しくなるための素敵な料理を考えてますの。王太子殿下にはその味見役になっていただいているだけですわ」
うふっと可愛らしく頭を傾げてみせたが、あり得ない説明にジェラウスは思わず手を緩めた。
本当ならばシーナがランチを装って何か毒を盛ったのではないかと詰め寄り、言質を取ったら「大衆の面前で暴露されたくなければ…」と脅して王太子から彼女を奪うつもりだったのに──彼女は自信満々で否定する。
「そ、そ、そ、そんな…はず……は……」
「そんなはず?どうして?現に王太子殿下はピンピンしている……どころか、けっこう調子が良くなっていると思いますわよ?何でしたら、王太子殿下の血液検査でもなさってみては?というかお望みなら、王太子殿下にあの水筒を預けましたから、そのままお持ちになって研究なされば?」
呆然として動けなくなった伯爵令息からさらに距離を取り、シーナはひらりと身を翻してさっさと行きたかった方面へ足を運びながら言い捨てた。
「あっ、あのっ……シ、シ、シーナ……じょ……」
同じ学園にいるとはいえさすがに四六時中リオンと一緒にいるわけではなく、ひとりでシーナが歩いていると、モゴモゴと後ろから呼びかけられた。
おそらく『嬢』と敬称をつけたはずだろうが、わざとなのかそこからさらにボリュームを落してきたせいで、シーナの耳には自分の名前が──記憶が蘇ってから半分ぐらいは『シオン』という偽名で呼んでもらっていたせいで実感が薄いのだが──呼び捨てにされたように聞こえ、その礼儀知らずの顔を見てやろうと振り返る。
「……やっぱり」
「え?……あっ、あのっ……」
そこにいたのは警護対象を警護せずに、ひっそりと物陰に佇むモッサリとした男子生徒であった。
攻略対象の一人──クリシュア伯爵の第二令息であるジェラウス・クーラン。
彼は体力がなくて腕力などでリオン王太子を警護することは難しい代わり、その博識さのために文官的な意味での側近なのだが、根暗で研究バカで興味がないことはすべてスルーする要らないスキルを持っているくせに、『興味対象』となったシーナ・ティア・オイン子爵令嬢に対しては執着がひどい。
そいつがニヤニヤとしか表現のしようのない笑みを浮かべてゆっくりと近づいてくる。
「……何か御用かしら?クリシュア伯爵令息様?」
「そ、そ、そんなた、他人行儀…な……」
「いえ、だってリオン王太子殿下に紹介はされましたが、正式にご挨拶いただいていないのですから、お名前を呼ぶわけにはいきませんでしょう?」
言ってしまえば雨で濡れそぼった大型犬のような可愛らしさがあるかもしれないが、生憎とシーナはもっと堂々とした姿勢と態度の男の方が好みなので、自分の弱さを前面に出したような男は興味の範疇外である。
そこが彼とは相容れないのだがあちらは『ヒロイン』という修正力が掛かっているのか、一瞥もくれていないはずのピンクブロンドふわふわの子爵令嬢を恋愛対象として見て、いつもモジモジと王太子や側近たちのさらに後ろから様子を伺うだけだった。
「そ、そ、そ、そんな………」
「それはまあどうでもいいですけど」
「どう、どう、どう……」
「何か御用かしら?とお聞きしましたの。申し訳ありませんが、化粧室に忘れ物をしたので早く取りに行きたいのですが」
意訳すれば「早くトイレに行きたいので邪魔しないでいただける?オホホ」なのだが、相手には解ってもらえるだろうか?
わかってもらえていないだろうな──そう確信したのは、一歩下がったシーナの手を思いがけない素早さと強さで掴み、長い前髪の下から鋭く舐めるようにシーナを見つめたためである。
「……で、で、で、殿下にな、な、な…何を……の、の、飲ま……」
「え?薬草入りの栄養スープですけど?それが何か?」
「え…えい…えいよ……?」
「ええ。あなたもいろいろ研究なさっているって聞いてますけど。わたくしはわたくしで、ルエナ様と仲良くなるために、あの方がもっと美しくなるための素敵な料理を考えてますの。王太子殿下にはその味見役になっていただいているだけですわ」
うふっと可愛らしく頭を傾げてみせたが、あり得ない説明にジェラウスは思わず手を緩めた。
本当ならばシーナがランチを装って何か毒を盛ったのではないかと詰め寄り、言質を取ったら「大衆の面前で暴露されたくなければ…」と脅して王太子から彼女を奪うつもりだったのに──彼女は自信満々で否定する。
「そ、そ、そ、そんな…はず……は……」
「そんなはず?どうして?現に王太子殿下はピンピンしている……どころか、けっこう調子が良くなっていると思いますわよ?何でしたら、王太子殿下の血液検査でもなさってみては?というかお望みなら、王太子殿下にあの水筒を預けましたから、そのままお持ちになって研究なされば?」
呆然として動けなくなった伯爵令息からさらに距離を取り、シーナはひらりと身を翻してさっさと行きたかった方面へ足を運びながら言い捨てた。
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