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すぐに模擬剣を持って屋敷の中を通らず庭へ戻ってきたアルベールは、先ほどまでベランダに置かれた椅子に収まっていたシーナの姿が見えないことに、わずかに焦った。
まさか──自分がいなくなったから、部屋へ帰ってしまったのだろうか?
そう思ったが、その椅子には暗号のような読めない文字──実はただの日本語文字だったが、凛音とシーナ以外に読める者がいないので、ふたりとも重宝に使っているものである──が書かれた愛用のノートが置かれており、庭から見ると暗くてよく見えない食堂からシーナの元気な声が聞こえてきた。
「……あのね?ルエナ様が今お部屋から出られないことはご存じよね?……できればお屋敷の中で働いている人たちの姿を描いて、楽しんでもらいたいの!ね?だからお願い!!」
確かに今のルエナは、とてもではないが屋敷の中であっても、使用人たちに見せられる姿ではない。
せめてもう少し理性を取り戻し、シーナ嬢に対して意味のない見下しをしていたことを認めて謝罪できるぐらいになってもらわねば──
そうでなければ、せっかくシーナが侍女だけでなく掃除係の少女の働く姿を描いた絵を見ても、その素晴らしさではなく卑しさを嘲笑い、そんな下等な者を目にするのも汚らわしいと罵るかもしれなかった。
アルベールにしてみれば、ルエナが言うかもしれないその言葉の方が、よほど汚らわしいと思わずにはいられない。
しかしシーナはそんなことすら思いつかないのか、素早く木炭を動かし、新しい絵を描いている。
どうやら先ほど言っていた『働いている使用人』はすでにスケッチし終わったらしく、秘密を楽しんでいる顔で壁際に立ってはいるが、掃除が丁寧に行われているか監視している大食堂担当の侍女を描いていた。
それが終わると次は掃除をしている使用人の顔を大きく書き──さらにふたりに順番に椅子に座ってもらって胸から上の肖像画まで描き出した。
しかもその言い訳が『ちゃんとした紙を使っているから、お見合い用にどうぞと言っている。
若い使用人は平民だったと思うが、知らずに高名となっている『ある画家』の手になる肖像画だ。
見合い用どころか、家宝として死ぬまで手元に置いておけばひと財産だろう。
出来上がりを渡す前にぜひシーナから預かり、あのふたりにはあの絵にふさわしい装丁をしてやらねばなるまい。
ひとりで頷くと、アルベールは室内の三人には気付かれないようにそっと見えない場所に移動し、さっきよりもずっといい気分で剣を振って次々と型を決めた。
まさか──自分がいなくなったから、部屋へ帰ってしまったのだろうか?
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出来上がりを渡す前にぜひシーナから預かり、あのふたりにはあの絵にふさわしい装丁をしてやらねばなるまい。
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