30 / 267
遺恨
しおりを挟む
サラが目を覚ますとそこに黴臭さはまったくなく、代わりに清潔なシーツの敷かれたベッドだけがある質素な部屋にいた。
窓は手が届かないほど高く小さく、扉は何故か内側に取っ手がない。
「ここ……」
来たことはないが、ここが公爵家のどこかであることは、たぶんこの家に染みついた匂いというか雰囲気でわかった。
身体を起こそうとしたが激しい眩暈で股ベッドに倒れ込み、耳鳴りで周囲の音がおかしなぐあいに遠くなる。
まさか──
死んではいないが、公爵令嬢に薬物入りのお茶を飲ませたり、子爵家の娘を襲わせるために出かける予定を伝えたりという犯罪に手を染めたサラが、約束を反故にされた仕返しに犯されそうになったところを助ける義理が、被害者である公爵令嬢の両親にあるだろうか?
自分が気を失った後には完全に無防備になってしまったのだから、きっとあの気持ち悪い男に純潔を散らされたに違いない。
身体的には床に叩きつけられた時に負った背中や後頭部の痛みしか感じないみたいだが、それこそ男たちが言ったように、気を失った自分は『楽しんで』しまったから、聞いていた『純潔を失う時の痛み』などないのだろう。
婚姻に伴う夫婦の初夜や閨のこと、それらの正しい教育は受けていたが、それよりも下世話な会話を年上の夫人たちがお茶会でするのを側で聞き、いずれは閨の中で女も『喜び』を得られるのが最上ではあるがそれを与えられる夫などめったにいないという愚痴で終わるのが常だった。
その代わりに隠語で愛人のことを語る婦人たちは、意味がわからずキョトンとする若いサラに向かってニヤニヤと笑い、「あなたもそのうちわかるわよ…」と意味深に囁いてくる。
そんな下品さが気持ち悪く、自分は絶対あんな女たちのようにはなるまいと決めていたのに──こんな恥辱を晒し続けるのなら、あの男たちの言うとおりに『せいぜい楽しんで、殺される』方がましだったに違いない。
「クッ……」
起き上がることを諦め、天井がグルグル回る感覚に吐き気を催しながら流す涙は、自分がシーナ嬢に対してやろうとしていたことが跳ね返ってきたことに対する恨みで、けっしてルエナやシーナの命すらも脅かしたかもしれないことへの後悔ではなかった。
半地下になっている牢は、邸内で働く使用人たちを一時的に捕縛して入れておくための部屋である。
一応頑丈な閂はかかっているが、今は牢屋というよりも単に使用人用の反省部屋として使われているのだが、上級使用人──しかも勤務期間がまだ半年ほどしか経っていないサラは知らない場所だった。
起き上がって見ればわかったのだろうが、部屋の中できちんと反省しているかを確認するための監視窓もあるのだが、ベッドの上から動くことができない恨みや泣き言を漏らしているだけのサラはまったく気が付かないようである。
「……あれは反省というより、手順間違いを思い返しているだけか?」
「似たようなものでありましょう。ディーファン公爵家への奉公を命じたというティアム公爵家令嬢に対しての恨み言も漏らしていましたが」
「ほう?」
アルベールは軽く眉を顰め、元々サラが雇われた経緯を思い出す。
いや、サラだけでなくすでに家族全員が名を呼ぶことすら忌避するルエナのためにと紹介されたあの女家庭教師も、確かティアム公爵家に連なる家の者だったはずだ。
ティアム公爵令嬢──確か彼女もルエナと同い年で、むろん同じく貴族学園に通っている。
王太子を含む王家の子供たちの幼馴染みの公女で、彼らの大叔母に当たる王女が降嫁した家でもあった。
あまり直近ではないにしても、やはり血の繋がりというのは子孫繁栄に悪影響をもたらすという研究結果が出ており、最近では血族婚姻は忌避される傾向にある。
そのため、王家では順番に公爵家のいずれかと結んでいた婚姻をあえて外し、『王妃の弟』という血が繋がっているようでいないディーファン家の公爵令嬢を王太子妃として迎えることを決定した。
しかしティアム公爵家は同い年の公女がいなければ確実にあちらの家が婚姻関係となったはずだと主張し、さらにはディーファン家が興ったことに関しても、わざわざ他国から降嫁してきた姫君を篭絡して無理やり身体の関係を結び、そのことを知られないために『姫とディーファン侯爵家嫡男双方の合意』という茶番を行ったのだから、今回も裏で手回ししたあくどい家系だと言いふらしているらしいのだが──
窓は手が届かないほど高く小さく、扉は何故か内側に取っ手がない。
「ここ……」
来たことはないが、ここが公爵家のどこかであることは、たぶんこの家に染みついた匂いというか雰囲気でわかった。
身体を起こそうとしたが激しい眩暈で股ベッドに倒れ込み、耳鳴りで周囲の音がおかしなぐあいに遠くなる。
まさか──
死んではいないが、公爵令嬢に薬物入りのお茶を飲ませたり、子爵家の娘を襲わせるために出かける予定を伝えたりという犯罪に手を染めたサラが、約束を反故にされた仕返しに犯されそうになったところを助ける義理が、被害者である公爵令嬢の両親にあるだろうか?
自分が気を失った後には完全に無防備になってしまったのだから、きっとあの気持ち悪い男に純潔を散らされたに違いない。
身体的には床に叩きつけられた時に負った背中や後頭部の痛みしか感じないみたいだが、それこそ男たちが言ったように、気を失った自分は『楽しんで』しまったから、聞いていた『純潔を失う時の痛み』などないのだろう。
婚姻に伴う夫婦の初夜や閨のこと、それらの正しい教育は受けていたが、それよりも下世話な会話を年上の夫人たちがお茶会でするのを側で聞き、いずれは閨の中で女も『喜び』を得られるのが最上ではあるがそれを与えられる夫などめったにいないという愚痴で終わるのが常だった。
その代わりに隠語で愛人のことを語る婦人たちは、意味がわからずキョトンとする若いサラに向かってニヤニヤと笑い、「あなたもそのうちわかるわよ…」と意味深に囁いてくる。
そんな下品さが気持ち悪く、自分は絶対あんな女たちのようにはなるまいと決めていたのに──こんな恥辱を晒し続けるのなら、あの男たちの言うとおりに『せいぜい楽しんで、殺される』方がましだったに違いない。
「クッ……」
起き上がることを諦め、天井がグルグル回る感覚に吐き気を催しながら流す涙は、自分がシーナ嬢に対してやろうとしていたことが跳ね返ってきたことに対する恨みで、けっしてルエナやシーナの命すらも脅かしたかもしれないことへの後悔ではなかった。
半地下になっている牢は、邸内で働く使用人たちを一時的に捕縛して入れておくための部屋である。
一応頑丈な閂はかかっているが、今は牢屋というよりも単に使用人用の反省部屋として使われているのだが、上級使用人──しかも勤務期間がまだ半年ほどしか経っていないサラは知らない場所だった。
起き上がって見ればわかったのだろうが、部屋の中できちんと反省しているかを確認するための監視窓もあるのだが、ベッドの上から動くことができない恨みや泣き言を漏らしているだけのサラはまったく気が付かないようである。
「……あれは反省というより、手順間違いを思い返しているだけか?」
「似たようなものでありましょう。ディーファン公爵家への奉公を命じたというティアム公爵家令嬢に対しての恨み言も漏らしていましたが」
「ほう?」
アルベールは軽く眉を顰め、元々サラが雇われた経緯を思い出す。
いや、サラだけでなくすでに家族全員が名を呼ぶことすら忌避するルエナのためにと紹介されたあの女家庭教師も、確かティアム公爵家に連なる家の者だったはずだ。
ティアム公爵令嬢──確か彼女もルエナと同い年で、むろん同じく貴族学園に通っている。
王太子を含む王家の子供たちの幼馴染みの公女で、彼らの大叔母に当たる王女が降嫁した家でもあった。
あまり直近ではないにしても、やはり血の繋がりというのは子孫繁栄に悪影響をもたらすという研究結果が出ており、最近では血族婚姻は忌避される傾向にある。
そのため、王家では順番に公爵家のいずれかと結んでいた婚姻をあえて外し、『王妃の弟』という血が繋がっているようでいないディーファン家の公爵令嬢を王太子妃として迎えることを決定した。
しかしティアム公爵家は同い年の公女がいなければ確実にあちらの家が婚姻関係となったはずだと主張し、さらにはディーファン家が興ったことに関しても、わざわざ他国から降嫁してきた姫君を篭絡して無理やり身体の関係を結び、そのことを知られないために『姫とディーファン侯爵家嫡男双方の合意』という茶番を行ったのだから、今回も裏で手回ししたあくどい家系だと言いふらしているらしいのだが──
15
お気に入りに追加
84
あなたにおすすめの小説

【完結】望んだのは、私ではなくあなたです
灰銀猫
恋愛
婚約者が中々決まらなかったジゼルは父親らに地味な者同士ちょうどいいと言われ、同じ境遇のフィルマンと学園入学前に婚約した。
それから3年。成長期を経たフィルマンは背が伸びて好青年に育ち人気者になり、順調だと思えた二人の関係が変わってしまった。フィルマンに思う相手が出来たのだ。
その令嬢は三年前に伯爵家に引き取られた庶子で、物怖じしない可憐な姿は多くの令息を虜にした。その後令嬢は第二王子と恋仲になり、王子は婚約者に解消を願い出て、二人は真実の愛と持て囃される。
この二人の騒動は政略で婚約を結んだ者たちに大きな動揺を与えた。多感な時期もあって婚約を考え直したいと思う者が続出したのだ。
フィルマンもまた一人になって考えたいと言い出し、婚約の解消を望んでいるのだと思ったジゼルは白紙を提案。フィルマンはそれに二もなく同意して二人の関係は呆気なく終わりを告げた。
それから2年。ジゼルは結婚を諦め、第三王子妃付きの文官となっていた。そんな中、仕事で隣国に行っていたフィルマンが帰って来て、復縁を申し出るが……
ご都合主義の創作物ですので、広いお心でお読みください。
他サイトでも掲載しています。

家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
乙女ゲームの正しい進め方
みおな
恋愛
乙女ゲームの世界に転生しました。
目の前には、ヒロインや攻略対象たちがいます。
私はこの乙女ゲームが大好きでした。
心優しいヒロイン。そのヒロインが出会う王子様たち攻略対象。
だから、彼らが今流行りのザマァされるラノベ展開にならないように、キッチリと指導してあげるつもりです。
彼らには幸せになってもらいたいですから。


【完結】旦那様、わたくし家出します。
さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。
溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。
名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。
名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。
登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*)
第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる