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教唆
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ルエナが閉じ籠っている間、私室であるはずの隣り合った応接室では連日物音がひどく立ち、気にはなっていたが、家族の誰かが正式に使者を立ててルエナが籠城を止めるように申し入れてくるまで動く気はなかった。
そのせいですっかり忘れていたのだ──兄がルエナの応接室と、シーナ嬢の私室として与えられた部屋を繋げて出入りできるようにしたいと話していたことを。
「……あっ。し、失礼いたしましたっ……」
「いぃえぇっ!アタシこそぉ!あなた、確かモブ…いえいえ、えぇと……確か、ルエナ様の専属侍女さんよね?えぇとお名前……?」
「しっ、失礼します!」
「あっ、ちょっと!んもぅ……」
ブツブツと呟く声は頑丈な扉に遮られて聞こえなくなったが、イラついた表情も露わにサラがルエナの寝室に戻ってきた。
さすがにその態度は公爵家の侍女としてどうかとは思うが、今はそれよりも恐怖心の方が上回り、ルエナはベッドの近くで立ちすくんだまま動けない。
「サ、サラ……ま、さか……?」
「……お嬢様のお部屋と、私の控室だったお部屋が繋がれておりました。あの部屋は廊下からは出入りできないようになって、これからはお嬢様のお部屋からしか出入りできません……」
「何…ですって……や、やっぱり……お兄様は、我儘を通されたのね……あんな……あんな取るに足らない子爵家の娘に誑かされてっ……」
「ええ。しかも、わたくしたち使用人があのシーナという者を故意に傷つけるようなことがあれば、次期様自ら処分されると言った上に……それに……」
「それに?」
実際に見たわけではないから本当に信じたわけではないが、普段はまったく関わり合いの無い家政婦長のアメリアが上級使用人から最下位の下女まで集めて言ったことを思い出し、サラの顔が醜く歪む。
次期様が、シーナ・ティア・オイン子爵令嬢に騎士の誓いをされました。
シーナ・ティア・オイン子爵令嬢もそれを受け入れ、旦那様及び奥様もそれをご承認されました。
よってあのお方は、次期様の主君同等のお立場となられました。
あのお方の私室、私物、そしてご本人に何かあった場合、次期様直々にご処断されるとのこと──各人くれぐれも失礼の無いように。
「……そ、そんな……」
「まったく……あのような者に心を砕かれるなんて……次期様ともあろうお方が。あのような卑しい出自の者に篭絡されるなど、何か弱みを握られていらっしゃるのか、怪しい術でも使われたのか……」
苦々し気にこき下ろすサラに対して、ルエナの気持ちは複雑だ。
公爵家の侍女らしくない物言いは見苦しく、だが『親友』という立場の者であればこういう時は同調するべきか。
下位貴族であろうと公爵家に招き入れた者を害しようとする者がいるのかと怯える一方、誰かが彼女を傷つけたら怯えて自ら出て行ってくれるのではないかという微かな期待。
兄が女性に対して『騎士の誓い』などと大袈裟なことを両親の目の前で行ったという情報にガッカリしたと同時に、サラの私情が入りまくった子爵令嬢が兄を操るために行った卑劣な手段を許したくないという正義感。
「……お兄様、が……」
「ええ。あの者は次期様に縋るだけでなく、王太子殿下にも色目を使って身分違いも考えずに擦り寄っているというではないですか!そ、そんな破廉恥な者を……このお屋敷に留めおくなんてっ……」
どこからそんな情報を得たのか──ルエナはサラが伝えてくることに疑問を持たず、ただ思い込みを交えて話しているのに過ぎないのに、それをなぜか真実と思い込んでしまった。
「……許せないっ……」
「お嬢様……お嬢様さえご承知いただければ、あの女をこのお屋敷から追い出すべく……ええ!傷物にして屋敷の外に放り出せる者たちをお雇いなさいませ」
「そ、それは……そんな……」
唆すサラの囁き声に、ルエナはハッとする。
『傷物』──それは単純に婚約者や恋人から捨てられるということではなく、文字通り肉体を傷つけると言う意味で使われたことは、理性を失いそうになったルエナにも理解できた。
「あんな女、たとえどこぞの下等な者に慰みにされても、強かに生きていきますわ。情けを掛ける必要なんてないのですよ?」
確かに公爵令嬢のルエナや伯爵令嬢のサラよりも身分は下であるが、以前はどうあれ今は子爵令嬢であるシーナを凌辱して、不貞を理由に屋敷から追い出すというほど、あの娘の存在は邪悪なものなのだろうか?
そのせいですっかり忘れていたのだ──兄がルエナの応接室と、シーナ嬢の私室として与えられた部屋を繋げて出入りできるようにしたいと話していたことを。
「……あっ。し、失礼いたしましたっ……」
「いぃえぇっ!アタシこそぉ!あなた、確かモブ…いえいえ、えぇと……確か、ルエナ様の専属侍女さんよね?えぇとお名前……?」
「しっ、失礼します!」
「あっ、ちょっと!んもぅ……」
ブツブツと呟く声は頑丈な扉に遮られて聞こえなくなったが、イラついた表情も露わにサラがルエナの寝室に戻ってきた。
さすがにその態度は公爵家の侍女としてどうかとは思うが、今はそれよりも恐怖心の方が上回り、ルエナはベッドの近くで立ちすくんだまま動けない。
「サ、サラ……ま、さか……?」
「……お嬢様のお部屋と、私の控室だったお部屋が繋がれておりました。あの部屋は廊下からは出入りできないようになって、これからはお嬢様のお部屋からしか出入りできません……」
「何…ですって……や、やっぱり……お兄様は、我儘を通されたのね……あんな……あんな取るに足らない子爵家の娘に誑かされてっ……」
「ええ。しかも、わたくしたち使用人があのシーナという者を故意に傷つけるようなことがあれば、次期様自ら処分されると言った上に……それに……」
「それに?」
実際に見たわけではないから本当に信じたわけではないが、普段はまったく関わり合いの無い家政婦長のアメリアが上級使用人から最下位の下女まで集めて言ったことを思い出し、サラの顔が醜く歪む。
次期様が、シーナ・ティア・オイン子爵令嬢に騎士の誓いをされました。
シーナ・ティア・オイン子爵令嬢もそれを受け入れ、旦那様及び奥様もそれをご承認されました。
よってあのお方は、次期様の主君同等のお立場となられました。
あのお方の私室、私物、そしてご本人に何かあった場合、次期様直々にご処断されるとのこと──各人くれぐれも失礼の無いように。
「……そ、そんな……」
「まったく……あのような者に心を砕かれるなんて……次期様ともあろうお方が。あのような卑しい出自の者に篭絡されるなど、何か弱みを握られていらっしゃるのか、怪しい術でも使われたのか……」
苦々し気にこき下ろすサラに対して、ルエナの気持ちは複雑だ。
公爵家の侍女らしくない物言いは見苦しく、だが『親友』という立場の者であればこういう時は同調するべきか。
下位貴族であろうと公爵家に招き入れた者を害しようとする者がいるのかと怯える一方、誰かが彼女を傷つけたら怯えて自ら出て行ってくれるのではないかという微かな期待。
兄が女性に対して『騎士の誓い』などと大袈裟なことを両親の目の前で行ったという情報にガッカリしたと同時に、サラの私情が入りまくった子爵令嬢が兄を操るために行った卑劣な手段を許したくないという正義感。
「……お兄様、が……」
「ええ。あの者は次期様に縋るだけでなく、王太子殿下にも色目を使って身分違いも考えずに擦り寄っているというではないですか!そ、そんな破廉恥な者を……このお屋敷に留めおくなんてっ……」
どこからそんな情報を得たのか──ルエナはサラが伝えてくることに疑問を持たず、ただ思い込みを交えて話しているのに過ぎないのに、それをなぜか真実と思い込んでしまった。
「……許せないっ……」
「お嬢様……お嬢様さえご承知いただければ、あの女をこのお屋敷から追い出すべく……ええ!傷物にして屋敷の外に放り出せる者たちをお雇いなさいませ」
「そ、それは……そんな……」
唆すサラの囁き声に、ルエナはハッとする。
『傷物』──それは単純に婚約者や恋人から捨てられるということではなく、文字通り肉体を傷つけると言う意味で使われたことは、理性を失いそうになったルエナにも理解できた。
「あんな女、たとえどこぞの下等な者に慰みにされても、強かに生きていきますわ。情けを掛ける必要なんてないのですよ?」
確かに公爵令嬢のルエナや伯爵令嬢のサラよりも身分は下であるが、以前はどうあれ今は子爵令嬢であるシーナを凌辱して、不貞を理由に屋敷から追い出すというほど、あの娘の存在は邪悪なものなのだろうか?
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