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鎮静
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泣き腫らした目をしたまま家族の前に顔を出す勇気も気力もなく、ルエナは両親に気分不良のため自室で過ごすと伝えた。
今はベッドの上で身を起こし、腫れぼったく思い瞼を冷やしつつ、痛む頭を抑えながらルエナは部屋に届けられた手紙と花束を膝の上で弄んでいる。
艶やかな薔薇の花びらはベルベットの指触りで美しい香りを纏わせてくれるが、見慣れた封蝋の手紙を開ける気が起きない。
きっとそこにあるのはルエナの機嫌を取るためのおためごかしと、あの子爵令嬢への称賛と、愛人と上手くやれという命令だろう。
ただの想像に過ぎないが、それが現実であるかどうか確かめるほどの元気があれば、今頃はどうやっても顔を造らせて堂々と客人の前に現れていたはずだ。
それができないのであれば──一切顔を合わせたくないという意思表示をするしかない。
「……いらないわ」
軽くつまむだけでもとサラが気を利かせて厨房からひと口大に切った十種類のサンドイッチを、軽く手を揺らして下げるようにと指示をする。
一瞬だけサラが不快そうな表情をしたが、ルエナはそれを認める前に冷えたタオルで目を隠したため、それを見ることはできなかった。
客人を招いた際に使う食前酒を嗜むラウンジで、王太子はまだルエナが現れるのを待っていた。
シーナ嬢のエスコートはアルベールに任せ、ついでディーファン公爵夫妻にも低位貴族令嬢との交流が困難ではないことを体感させるために、同行をお願いしたのである。
「……ルエナ嬢に、どうか私からの文をお読みいただき、差し支えるようであればせめて一言なりとお返事をいただけないかと伝えてくれ。ただし『手紙は読んでいないから』という理由での返事は受け付けない」
「はっ……」
まるで自分の従僕のように公爵家の家令に命じると、優雅に足を組み直し、ついでにと託した物が令嬢の頑なな心を溶かすのを期待する。
「……これは?」
複雑な香りが立ち上る湯を張った洗面器と共に、スチュアートがサラではないこの階を任される侍女のひとりを連れて、入室の許可を得て入ってきた。
瞼の上で温くなっていたタオルが取り除かれ、代わりに置かれた少し熱めのタオルから感じるのは、爽やかさと甘さの混じる花束と共に何かスッとする香りが気持ちを落ち着かせてくれるが、ルエナの知識にはない香油が使われているようである。
「王太子殿下よりお言伝でございます……『あなたはお気に召さないかもしれないが、オイン子爵令嬢が研究する花の抽出油を合わせて作った特別な調香物。しばらくすれば頭痛と目の痛みが鎮まるはずなので、必ず自分からの文に目を通して、可能ならばお目通りを…もしくは返事をいただきたい』と」
「お断りして。お手紙を読む気にはならな……」
「なお、文を読まずに『読む気がないから返事も返さない』という言葉は、お受け取りいただけないとのことです」
サラであればそのような言葉を伝えられた瞬間に『返事すら伝えない』という無言の抗議が可能だったかもしれないが、スチュアートに対してその手は使えない。
せっかくの素敵な香りが調香した者を知った途端に不快なものになったのだが、それが王太子からの命令とあれば受け取らざるを得ず、またルエナだけでなく公爵家の者が間違った判断をした時に強く窘められる者を遣わされては、たとえ公爵家の大切な姫と言えども逆らうことは許されなかった。
「……もっと子供であれば、許されたのでしょうね」
「いいえ。たとえルエナ様が五歳のお子様であろうと、ご婚約者であられる王太子殿下のご要望を蔑ろにすることは、たとえご両親がお許しになられても、このスチュアートが許すとお思いで?」
実際は両親の命令が通らないということはあり得ないが、『王家至上主義』と『血統による順位遵守』という偏った考えを持った家庭教師に植えつけられたルエナの思考回路を、スチュアートはあえて利用する。
ただ冷すだけでなく、温めたこととアロマ効果で少しはまともになった瞼を開き、ルエナはようやく手紙を取り上げた。
今はベッドの上で身を起こし、腫れぼったく思い瞼を冷やしつつ、痛む頭を抑えながらルエナは部屋に届けられた手紙と花束を膝の上で弄んでいる。
艶やかな薔薇の花びらはベルベットの指触りで美しい香りを纏わせてくれるが、見慣れた封蝋の手紙を開ける気が起きない。
きっとそこにあるのはルエナの機嫌を取るためのおためごかしと、あの子爵令嬢への称賛と、愛人と上手くやれという命令だろう。
ただの想像に過ぎないが、それが現実であるかどうか確かめるほどの元気があれば、今頃はどうやっても顔を造らせて堂々と客人の前に現れていたはずだ。
それができないのであれば──一切顔を合わせたくないという意思表示をするしかない。
「……いらないわ」
軽くつまむだけでもとサラが気を利かせて厨房からひと口大に切った十種類のサンドイッチを、軽く手を揺らして下げるようにと指示をする。
一瞬だけサラが不快そうな表情をしたが、ルエナはそれを認める前に冷えたタオルで目を隠したため、それを見ることはできなかった。
客人を招いた際に使う食前酒を嗜むラウンジで、王太子はまだルエナが現れるのを待っていた。
シーナ嬢のエスコートはアルベールに任せ、ついでディーファン公爵夫妻にも低位貴族令嬢との交流が困難ではないことを体感させるために、同行をお願いしたのである。
「……ルエナ嬢に、どうか私からの文をお読みいただき、差し支えるようであればせめて一言なりとお返事をいただけないかと伝えてくれ。ただし『手紙は読んでいないから』という理由での返事は受け付けない」
「はっ……」
まるで自分の従僕のように公爵家の家令に命じると、優雅に足を組み直し、ついでにと託した物が令嬢の頑なな心を溶かすのを期待する。
「……これは?」
複雑な香りが立ち上る湯を張った洗面器と共に、スチュアートがサラではないこの階を任される侍女のひとりを連れて、入室の許可を得て入ってきた。
瞼の上で温くなっていたタオルが取り除かれ、代わりに置かれた少し熱めのタオルから感じるのは、爽やかさと甘さの混じる花束と共に何かスッとする香りが気持ちを落ち着かせてくれるが、ルエナの知識にはない香油が使われているようである。
「王太子殿下よりお言伝でございます……『あなたはお気に召さないかもしれないが、オイン子爵令嬢が研究する花の抽出油を合わせて作った特別な調香物。しばらくすれば頭痛と目の痛みが鎮まるはずなので、必ず自分からの文に目を通して、可能ならばお目通りを…もしくは返事をいただきたい』と」
「お断りして。お手紙を読む気にはならな……」
「なお、文を読まずに『読む気がないから返事も返さない』という言葉は、お受け取りいただけないとのことです」
サラであればそのような言葉を伝えられた瞬間に『返事すら伝えない』という無言の抗議が可能だったかもしれないが、スチュアートに対してその手は使えない。
せっかくの素敵な香りが調香した者を知った途端に不快なものになったのだが、それが王太子からの命令とあれば受け取らざるを得ず、またルエナだけでなく公爵家の者が間違った判断をした時に強く窘められる者を遣わされては、たとえ公爵家の大切な姫と言えども逆らうことは許されなかった。
「……もっと子供であれば、許されたのでしょうね」
「いいえ。たとえルエナ様が五歳のお子様であろうと、ご婚約者であられる王太子殿下のご要望を蔑ろにすることは、たとえご両親がお許しになられても、このスチュアートが許すとお思いで?」
実際は両親の命令が通らないということはあり得ないが、『王家至上主義』と『血統による順位遵守』という偏った考えを持った家庭教師に植えつけられたルエナの思考回路を、スチュアートはあえて利用する。
ただ冷すだけでなく、温めたこととアロマ効果で少しはまともになった瞼を開き、ルエナはようやく手紙を取り上げた。
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