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第二章 アーウェン少年期 領地編
伯爵夫人は思いを馳せる
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ともすればターランド伯爵家のただひとりの令嬢であるエレノア・イェーム・デュ・ターランドよりもか弱く幼く見えるほどだったアーウェンは、王都からの数ヶ月かけて到着したターランド伯爵領都で過ごす間に、ずいぶんと丈夫になった。
少年になりかけの年齢だったのに幼児に間違われそうなほどの細さだったアーウェンは、ゆっくりとした睡眠と豊富な栄養、そして馬に揺られたり自分で歩くことすら運動となってその小さな身体をメキメキと成長させたのである。
それこそ魔法の如く──
「……ひょっとして、アーウェンには成長を阻害するような、そんな魔術が掛けられていたのかもしれないな」
「そんな……まさか……」
子供たちが寝静まった頃、ターランド伯爵夫妻は向き合い酒杯を傾けながら語り合った夜。
跡取り息子であるリグレが父に送る手紙の内容。
幼い一人娘のエレノアが乳母や侍女とどんな風に過ごしたのか。
昼食の時に囁かれた貴族たちの日和見話。
お茶会での噂から日和見話の信ぴょう性や有用性を見極める情報共有。
そこにアーウェンの日々の成長が加わった。
その内容は楽しいものばかりではなく、おそらくは呪いや黒魔術らしき痕跡をアーウェンやカラの中に見出し、どのように排除すべきかということにまで及ぶ。
今日の夫婦の語らいは、まさしくそれが卓上に上がった。
「もう間もなく本邸に入り、本格的に教育が始まるだろう……それこそ、ノアと遊んではいられないぐらいに」
「ええ、そうですわね」
「まさかあそこまでアーウェンの育て方が酷いとは思わず、ついあの子が十歳になる年にシギーのところで鍛えさせると約束してしまったが……」
ラウドが自分のグラスの中身を揺らしながらぽつりと呟くと、妻のヴィーシャムは小さく溜息を吐いた。
書面だけでは分からなかった、幼子の実情。
あの日サウラス男爵とその末子を出迎えたのは主であるラウドだが、ヴィーシャムも客人にわからない位置からふたりの様子をこっそり見ていた。
折れそうな手足。
こけた頬。
生命力に溢れて輝くはずの瞳は何の期待の色も浮かべず、むしろ自分が何故ここにいるのかを理解せず、人形のように作り物めいていた。
もちろんヴィーシャムもアーウェンの境遇を知らないわけではなかったが、少しでも末子を本家筋の貴族家に譲ることを躊躇うならば、あの日すぐに親子を引き離すようなことはせず、きちんと別れを惜しむ時間と支度を整えるための侍従を遣わすつもりでいた。
だが男爵は一刻でも早くあの子の手を放したがっているのを知り、ヴィーシャムはすぐにエレノアを呼びよせて、新しく兄がこの家にやってくることやその子が幸せに暮らしているエレノアとはまったく違う外見をしているが、そのことを貶したり問い詰めることをしてはいけないことを伝え、礼儀正しく挨拶をするようにと言い聞かせたのである。
あれから間もなく1年──新しく家族を迎えたターランド伯爵家がアーウェンをその腕に抱えていられるのは、もうあとほんの少ししか時間がない。
そのことに思いを馳せながら、ヴィーシャムは王都からこちらに向かっている夫の無事を祈ってから、花の香りのするお茶が入ったカップを静かに飲み干した。
少年になりかけの年齢だったのに幼児に間違われそうなほどの細さだったアーウェンは、ゆっくりとした睡眠と豊富な栄養、そして馬に揺られたり自分で歩くことすら運動となってその小さな身体をメキメキと成長させたのである。
それこそ魔法の如く──
「……ひょっとして、アーウェンには成長を阻害するような、そんな魔術が掛けられていたのかもしれないな」
「そんな……まさか……」
子供たちが寝静まった頃、ターランド伯爵夫妻は向き合い酒杯を傾けながら語り合った夜。
跡取り息子であるリグレが父に送る手紙の内容。
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昼食の時に囁かれた貴族たちの日和見話。
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そこにアーウェンの日々の成長が加わった。
その内容は楽しいものばかりではなく、おそらくは呪いや黒魔術らしき痕跡をアーウェンやカラの中に見出し、どのように排除すべきかということにまで及ぶ。
今日の夫婦の語らいは、まさしくそれが卓上に上がった。
「もう間もなく本邸に入り、本格的に教育が始まるだろう……それこそ、ノアと遊んではいられないぐらいに」
「ええ、そうですわね」
「まさかあそこまでアーウェンの育て方が酷いとは思わず、ついあの子が十歳になる年にシギーのところで鍛えさせると約束してしまったが……」
ラウドが自分のグラスの中身を揺らしながらぽつりと呟くと、妻のヴィーシャムは小さく溜息を吐いた。
書面だけでは分からなかった、幼子の実情。
あの日サウラス男爵とその末子を出迎えたのは主であるラウドだが、ヴィーシャムも客人にわからない位置からふたりの様子をこっそり見ていた。
折れそうな手足。
こけた頬。
生命力に溢れて輝くはずの瞳は何の期待の色も浮かべず、むしろ自分が何故ここにいるのかを理解せず、人形のように作り物めいていた。
もちろんヴィーシャムもアーウェンの境遇を知らないわけではなかったが、少しでも末子を本家筋の貴族家に譲ることを躊躇うならば、あの日すぐに親子を引き離すようなことはせず、きちんと別れを惜しむ時間と支度を整えるための侍従を遣わすつもりでいた。
だが男爵は一刻でも早くあの子の手を放したがっているのを知り、ヴィーシャムはすぐにエレノアを呼びよせて、新しく兄がこの家にやってくることやその子が幸せに暮らしているエレノアとはまったく違う外見をしているが、そのことを貶したり問い詰めることをしてはいけないことを伝え、礼儀正しく挨拶をするようにと言い聞かせたのである。
あれから間もなく1年──新しく家族を迎えたターランド伯爵家がアーウェンをその腕に抱えていられるのは、もうあとほんの少ししか時間がない。
そのことに思いを馳せながら、ヴィーシャムは王都からこちらに向かっている夫の無事を祈ってから、花の香りのするお茶が入ったカップを静かに飲み干した。
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