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第二章 アーウェン少年期 領地編
少年は義家族に褒められる ①
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邸宅内は何となく浮足立った雰囲気だった。
今日の朝食を終えた後、この邸に残る者たちにターランド伯爵家当主としてラウドが滞在中の世話と不在時の守りを労い、出立する予定である。
使用人や兵たちの中にはこの町出身の者もいるため、邸内にも町中にも家族や友人、顔見知りがいて、その人たちと最後の別れを告げる時間は今この時である。
だから誰もカラと目と鼻のあたりを赤くしているアーウェンを気遣う様子もなく、使用人エリアで準備をしたり別れを告げたりと、忙しく行ったり来たりしていた。
「あーにーしゃま!しゅてき!」
「ええ、そうね。ノアの言うとおり、とても素敵になったわ、アーウェン」
「こっちへ座ってよく顔を見せておくれ」
先に朝食の席についていた義家族のそれぞれが、入室してきたアーウェンを見て目を瞠り、笑顔になって褒めてくれた。
誰も勝手に髪を整えてもらったことを責めない。
いや、よほどのことがなければアーウェンのやることを否定することがないのは、このターランドという大きな家に来てからの日々でよくわかっているが、生まれた時から繰り返されてきた否定と強制と虐待の恐怖が簡単に脳内から消えるはずもない。
だいたいアーウェンが髪を整えてもらったことだって産まれてから数度で、しかも実父であるはずのジェニグス・ターラ・サウラスが「みっともないから、髪を切れ」と家政婦に命じてやっと切ってもらえたのだ。
しかもその時はいかにも嫌そうに髪を掴まれ、まるで獣の毛を刈られるかのように乱暴に剃刀で千切るというのが常だった。
だから散髪自体には良い思い出がなかったのだが──丁寧に手入れをされていたカラを見て、アーウェンは思わず羨ましいと言いそうになったのである。
しかしそんなことを言ったら殴られるかもと思うと、とうてい言い出せるものではない。
「カラ…なんかちがう……」
そう言うだけで精いっぱいだった。
だって、羨ましがったらいけないのだから。
だというのに、カラが連れて行ってくれたのは朝食の席ではなく、まったく別の部屋だった。
入ったことのないその部屋は邸の中のどの部屋とも違っていて、椅子が壁に向かって置いてあり、その前には鏡が掛かっている。
その部屋にいたおじいさんは『フェンティス』という名前だといったが、『フェン』か『フェンじい』と呼んでほしいと言われ、それはそれで一瞬戸惑った。
しかしアーウェンのまごつきには気がつかなかったのか、フェンじいは椅子を勧めてくれ、いろいろな話をしてくれた。
見たこともない真っ白いマントを被せられて何が起こるのかと思ったが、怖いことは何もなく、シャキシャキというリズミカルな音にフェンじいの声が気持ちいいとボゥとしてしまう。
一瞬だけ首筋に何かが触れて身体がビクッとしたが、それが何かを理解する前にまた質問が降ってきて、アーウェンの意識はそちらに持っていかれてしまった。
そして気がつけば──カラのように綺麗な髪型になっていて、嬉しかったのと同時に恐怖で泣き出してしまった。
今日の朝食を終えた後、この邸に残る者たちにターランド伯爵家当主としてラウドが滞在中の世話と不在時の守りを労い、出立する予定である。
使用人や兵たちの中にはこの町出身の者もいるため、邸内にも町中にも家族や友人、顔見知りがいて、その人たちと最後の別れを告げる時間は今この時である。
だから誰もカラと目と鼻のあたりを赤くしているアーウェンを気遣う様子もなく、使用人エリアで準備をしたり別れを告げたりと、忙しく行ったり来たりしていた。
「あーにーしゃま!しゅてき!」
「ええ、そうね。ノアの言うとおり、とても素敵になったわ、アーウェン」
「こっちへ座ってよく顔を見せておくれ」
先に朝食の席についていた義家族のそれぞれが、入室してきたアーウェンを見て目を瞠り、笑顔になって褒めてくれた。
誰も勝手に髪を整えてもらったことを責めない。
いや、よほどのことがなければアーウェンのやることを否定することがないのは、このターランドという大きな家に来てからの日々でよくわかっているが、生まれた時から繰り返されてきた否定と強制と虐待の恐怖が簡単に脳内から消えるはずもない。
だいたいアーウェンが髪を整えてもらったことだって産まれてから数度で、しかも実父であるはずのジェニグス・ターラ・サウラスが「みっともないから、髪を切れ」と家政婦に命じてやっと切ってもらえたのだ。
しかもその時はいかにも嫌そうに髪を掴まれ、まるで獣の毛を刈られるかのように乱暴に剃刀で千切るというのが常だった。
だから散髪自体には良い思い出がなかったのだが──丁寧に手入れをされていたカラを見て、アーウェンは思わず羨ましいと言いそうになったのである。
しかしそんなことを言ったら殴られるかもと思うと、とうてい言い出せるものではない。
「カラ…なんかちがう……」
そう言うだけで精いっぱいだった。
だって、羨ましがったらいけないのだから。
だというのに、カラが連れて行ってくれたのは朝食の席ではなく、まったく別の部屋だった。
入ったことのないその部屋は邸の中のどの部屋とも違っていて、椅子が壁に向かって置いてあり、その前には鏡が掛かっている。
その部屋にいたおじいさんは『フェンティス』という名前だといったが、『フェン』か『フェンじい』と呼んでほしいと言われ、それはそれで一瞬戸惑った。
しかしアーウェンのまごつきには気がつかなかったのか、フェンじいは椅子を勧めてくれ、いろいろな話をしてくれた。
見たこともない真っ白いマントを被せられて何が起こるのかと思ったが、怖いことは何もなく、シャキシャキというリズミカルな音にフェンじいの声が気持ちいいとボゥとしてしまう。
一瞬だけ首筋に何かが触れて身体がビクッとしたが、それが何かを理解する前にまた質問が降ってきて、アーウェンの意識はそちらに持っていかれてしまった。
そして気がつけば──カラのように綺麗な髪型になっていて、嬉しかったのと同時に恐怖で泣き出してしまった。
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