その狂犬戦士はお義兄様ですが、何か?

行枝ローザ

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第一章 アーウェン幼少期

伯爵夫人は子供時代を思い出す ①

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階下の騒動がどうなったかは、もはやターランド伯爵夫人の知るところではなく、侍女たちに世話をされながら寝支度をしつつ、先ほどエレノアが未熟な言葉遣いながらもカラに心配しないようにと励ましていたのを微笑ましく思い出す。
「らいじょーぶなのよ!おにいしゃまにおはながあるの!ちゃんとねんねして、おきられましゅって!おばしゃまがおっしゃったの!ね!カラ?ね?なかないでぇ…ふぇ…ふえぇぇぇ~~~~」
よほど神経を張り詰めていたらしいカラがやや難のある幼児語を正しく理解し、ブワリと涙を目に湛えるのを見つめ、エレノアが先に泣き出してしまった。
「おにいしゃまぁ~…おきてぇ~~……のあとごはんたべて、はなびみゅるのぉ~~……うわぁぁぁぁぁ~~~~~!」
仕える主人一家の令嬢が泣きだせば、年上のカラが泣くわけにはいかない。
だから一所懸命にエレノアをあやし──いつの間にか安堵の涙は乾いて、伯爵邸の訓練場でアーウェンがルベラたちに担がれたように、エレノアを抱き上げてワッショイワッショイとひとり囃子をやって笑わせた。
「……良い子だわ。良い子だからこそ……狙われた……?でも、いつ……?食堂で働いている時?給仕もしていたのかしら?仕事の後?違うかしら?何か報酬を……?その割には、母御も妹御も…あの施設にいた者の誰もそんな利益を得てないと、旦那様はおっしゃっていたし……」
警護兵の部隊のような実働部隊はおらず、貴族の夫人といえばお茶会や舞踏会などの社交活動のみで夫や家の有利になったり実害となる事柄を耳にするようにと務めるだけで、ヴィーシャムの思考はひとり遊びの延長に過ぎないかもしれない。
それでもやはり、何か考えていないと落ち着かないのも事実である。
「どちらにしても……すべては明日、動くでしょう」
「奥様、もうそろそろお休みになられた方が……」
いい頃合いと侍女頭に促され、ヴィーシャムは寝台へと横になった。
エレノアと一緒に寝たいと思ったが、部屋数がある以上、母子同室はあまり褒められたものではない。
「まあ……いいわ。そんな仕来りも、王都を出てしまえば人目など気にする必要も無いのだから」
「左様でございます。この先は野宿する場所もございますから、ご一緒に臥すこともございましょう。誰も文句の言えない状況であれば、王都の仕来たりなど……」
フッと侍女長は『貴族の仕来たり』とやらを哂ってみせる。


ヴィーシャムの育ちは、普通の貴族と違ってかなり特殊だ。
生家のガミス子爵家は普通の子供ももちろんだが、魔力持ちが産まれることも少なくない家系で、ターランド家との繋がりは少なくない。
実際ヴィーシャムの大叔母がラウドの祖父の弟に嫁ぎ、もっと前には兄妹で婚姻関係を持った時代もあった。
もっともヴィーシャムの妹は少しだけ癒しの力を持っているが、三人いる兄たちは炎と風の魔法を少しだけ扱えるほど、ほぼ魔力がないに等しい。

なのに──

激しい嵐が吹き荒れ、ガラス張りの温室にひどい雷が落ちて父が自慢にしていた異国の植物を燃やし尽くした夜、薄い冷気を纏ったその女児は弱々しい産声を上げて産湯を使った。
ぬるま湯はたちまち冷め、立ち会っていた祖母は熱湯を沸かして注ぐようにと命令し、傍についていた下女はギョッとしたという。
驚いたあまり動くことのできない下女を無視して熱湯を用意したのが、今ヴィーシャムの側にいる侍女頭──当時十歳のジェーリーだった。
家名もない平民の少女が素早く廊下を走って厨房から主人の夜食やお茶を淹れるためにと沸かしていた湯を鍋ごと持ってきて、産婆の手が火傷しないようにと気を付けながらも、前ガミス子爵夫人である祖母の指示に従って湯を入れ続け、ヴィーシャムはようやく温かい産湯に浸かって一命を取り留めたのである。
「……この子は、ターランド家の婚約者である」
血縁関係にあるとはいえ、爵位が下の者からそのような言葉を言えるわけはないと父は思っていたが、祖母が宣言した通り、生後一週間のヴィーシャムとターランド家から未来の当主となるラウドとの婚約は調った。
産まれたばかりの我が子の人生が、有無を言わさず決められてしまった──そのことに当主であった父は義母に抗議したが、入り婿であるのに不敬だと逆に怒られ、人的資源として将来の嫁ぎ先を舌なめずりして選ぼうとしていた父を失望させてしまう。
少なくとも普通の貴族は、高魔力持ちの女を望まない。
産まれる前には「女であれば、ぜひ縁談を」と持ちかけてきていた子爵や準子爵、男爵家は潮を引くように話を引っ込めたと、酔った父に何度もなじられたものである。
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