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第一章 アーウェン幼少期

少年は悪夢に追いかけられる ①

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石鹸の混じったお湯は重たくアーウェンの肌を滑り落ち、綿あめのように柔らかく起毛した洗い布で身体を撫でられているうちに、その震えはようやく収まった。
けれどもその虚ろな目に光はまだ戻らず、ロフェナは低く話しかけながら労わるように小さな方から背中を撫で続け、湯がぬるまぬようにと差し湯を持ってきた従者に足の方へ湯を足すようにと指示を出す。
「……頭を洗いますよ?お目を閉じてくださいませんか?」
その問いかけに応える動きはなく、何とか泡が目に入らないようにとアーウェンを自分の腕の上に寄りかからせて仰向けにし、片手で髪を洗った。
瞬きも少なく、おそらく解呪された呪いの揺り戻しだと思われるが、ロフェナには癒しの魔力がないため、語りかけることでしか意識を繋ぎ止めておくことができない。
「さあ、綺麗になりましたよ。新しいお湯に浸かりましょうね。その前に、このお水を飲んでくださいね?」
ぐったりと力の入らないアーウェンの身体をまた大判のタオルに包み、カラが持ってきた果実水を差し出されると、自分から手を伸ばさないまでも口に当てられ傾けられるコップから流れる液体は素直にその口の中に流れていく。
「……んく……」
飲み込む時に微かに声が漏れたが、やはり身動みじろぎひとつしない。
余さずその水を飲まされ、ぼんやりとした表情に少し表情が戻った気がするが、微かに開いた口からは空気が漏れるだけで言葉はまだ出なかった。
「少し落ち着きましたね。最後に綺麗なお湯に浸かって、お部屋に戻りましょうね」
そう言って最初の浴室に戻ると、咽かえるほどの花の香りと湯気が室内を満たし、先ほどの異臭はすべて消えている。
すぅ…とその香りを吸う音が抱きかかえるアーウェンから聞こえて、ロフェナはそっと息を吐いた。
タオルを外してまた浴槽にその身体を降ろすと、湯の上で揺れる色とりどりの花がふわりと離れ、アーウェンにじゃれつくように揺れながら纏わりつく。
「………きれ……」
揺れる花びらと香りに、小さな声がようやく聞こえた。
香りも花も、すべてアーウェンを正気付かせるための術が掛けられ、先ほどのカラが差し出した水はいつものようにカラが調理した果汁を合わせたものだが、さらに寝起きのエレノアにお願いして癒しの力も注いでもらった物である。
ぼんやりとした状態が正常に戻ったわけではないけれど、声が漏れ、ゆっくりと腕が湯の中で動くのを感じて、ロフェナはまた息を吐いた。
「ええ……綺麗でしょう?奥様がエレノア様と一緒に、町のはずれにある薬草園で摘まれたお花なんですよ。アーウェン様もきっとお疲れでしょうから…と。アーウェン様がお気に召されたなら、きっと奥様もエレノア様も喜ばれるでしょう」
「かあ……さま……?…の…あ……?」
「ええ。アーウェン様のお義母様と、お義妹のエレノア様ですよ」
「の…あ……カ、ラ……ロフェ……?」
「はい。ロフェナですよ。カラもこちらに控えていますよ。大丈夫ですよ。もうそろそろ出ましょう……さすがにのぼせてしまいますからね」
ロフェナが泣きそうな顔で笑いながらアーウェンを浴槽から抱き上げると、新しいタオルを持ったカラがその身体を受け取って寝ていた部屋に運ぶ。
さすがに何度もアーウェンを運んだり、湿気の強い浴室にずっといたために、ロフェナの方が湯気でのぼせてしまっていた。
安心して備え付けのタオル置きを椅子がわりにへたり込むと、今回の帰郷に同行するメイドのひとりが、冷たい水を持ってきてくれたのを一気に飲み干す。
「……すまない。廊下に控えている者に、旦那様へ『アーウェン様が回復なされた』と伝言を。今はカラと共にお部屋に入られたと伝えてほしい」
「かしこまりました」
家令代理としては役目を半分放棄したことになるが、さすがに疲弊しきった姿を主人一家に晒すわけにはいかない。
これが『元・ラウド付きの軍曹』でターランド伯爵家の家令であるバラットならば難なくこなしてしまいそうだ。
「……私も領地に戻ったら、領地警備兵たちの訓練に参加した方がよさそうだ」
そう独り言ちながら、やはり湯気にあてられたロフェナはしばらく動けそうになかった。

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