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第1章「明人の本音」
第1章 5
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その日、鹿屋家では、居間で母の鹿屋明乃と明人、明歌がくつろいでいた。父の人志はまだ仕事で帰っていない。
「え、冷たくないスケート? 何それ」
「明歌はまだ手足が冷えるだろう。でも、病気は良くなったんだし、遊びに行きたいだろうと思って」明人は明歌が幼い頃、よく遊びに行ったスケートをさせられないかと考えていた時、偶然氷ではない素材で作られたスケート場を見つけた。屋外に設けられた期間限定の会場だ。
「そうよぉ。明歌ったら、治ったとたんにアルバイトなんて。今まで動けなかったんだから遊んでらっしゃい。隼優も一緒に」
「──お母さん。隼優は忙しいの。どーしていつも隼優と、って言うの!」
「だって隼優は明歌がいなかったらおかしくなっちゃうのよ」
「そんなワケないでしょ!」
「ホントよ~昔、明歌がうちにいない時、そわそわしてたんだから」
「普段あんな冷静なのに!? そわそわしてる隼優なんて見たいぐらい」
明歌は母の言うことが信じられない。
「まぁまぁ、二人とも。そのへんでおさめといてよ。」
明人は明乃が言うことの方に一理あると思ってはいるが、論理が飛躍しがちな母に一般人がついていくのは大変だった。しかし……このおかしな母の相手が隼優にはできるんだよなぁ。あいつって実はこましなのかな?と明人はいつも疑問に感じている。
だが、明人にとってそれは嬉しいことだった。隼優の母親が姿を消してから、明乃は隼優にとっても母のような存在だったからだ。明乃は家族に対しても他人に対してもまるで同じような愛情を注げる稀有な人間だった。明人はそんな女性を外では見たためしがなく、自分の母のどこかに綻びがあるに違いない、と疑い続けたこともある。
しかし、いくら疑っても明乃はそのまんまだった。あまり物に動じず、思い悩むこともない。
人間はたとえ他人であっても本物の愛情の下では、その見えない威力を感じとることができる。そのおかげか、隼優はまっすぐに育つことができた。
「明歌。隼優の空いてる日を聞いてみるね。」
「う、うん。」明歌は隼優が忙しいとわかっていても、やはり一緒に遊びに行きたい。
隼優はバイトを掛け持ちしているが、その日は『丸焼き珈琲』でウェイターをしていた。
「マスター、金曜の夜、休ましてくれ」
「何寝ぼけたこと言ってんの。金曜の夜ってのは一番混むんだよ。わかってるでしょ。まさか……あんたまた新しい女?」
「違う。明人と明歌だよ」
「明歌ちゃん、病気じゃない」
「治ったんだよ」
「またそうやって嘘ついて。病院行っても治らないって言っただろう? 騙されないんだから」マスターは不機嫌そうに勝手口を出た。
「まいったな。俺ってどれだけ疑われてんだ?」隼優はホールで給仕をしている由希に話しかけた。
「まぁ、しょうがないですよね。隼優さんの人生ってフツー起きないようなことばっか起きるしね。こっちだって言い訳聞くたびに混乱しますよ」
「もう慣れただろ」
「隼優さんの対応に慣れたりなんかしたら、フツーの暮らしができません。だからマスターも私も慣れないように日々警戒してるんです」
「何だよ、そりゃ」
しかし、なんだかんだ言ってマスターは隼優に甘かった。まかないでも「おまえは全然栄養が足りてないんだから」と言って、喫茶店には普通備えていないような食材を買い込み、煮物などを作って食べさせた。それを脇で見ていた常連客が「なんだよ、ずるいな。それ俺にも食わしてくれよ」と言い出し、喫茶店なのに煮物が出てくるという裏メニューが評判になってしまったこともある。
「よくマスターが許してくれたね。こんな客の多そうな日に」
結局、隼優は休みをもらえることになり、繁華街にある特設スケート場へ明人と明歌と出かけた。
「マスターはおまえにぞっこんだからな」
「僕、男だよ」
「今度、おまえと明歌を連れてこいっていう条件で休みもらったんだ」
「なんで私も?」
「マスターはおまえの歌のファンだからだろ」
「でも、まだ人前では歌えない……」
加納は明歌の精神状態を安定させるため、まだ人前で歌うことを控えるようにアドバイスをしていた。
「歌わなくたっていいんだ。マスターはお前たちが気に入ってるから会いたいんだろう。それに、明歌が治ったっていくら説明しても信じてくれねぇんだ」
「私も……今ね、時々これは現実なのか夢なのかなぁって思うよ。目の前に兄さんと隼優がいてくれて、私はスケートができる。小さい頃のスケート場は冷たかった。でも、今は冷たくない」
「じゃあ、このスケートを開発してくれた人に感謝しないとね!」明人が明歌の手を引いて滑り出す。
「そうじゃないの、兄さん」
「──え?」
その時、四、五人のスーツを着用した男性たちが寄ってくるのに隼優は違和感を感じた。
「──お前たち、出口に向かって走れ」
明人は今までこんなに険しい顔をした隼優を見たことがなかった。咄嗟に明歌の手をとり滑り出す。
三人が出口へ向かおうとした途端、男性たちに行く手を阻まれてしまう。
「おおっと、お待ちください」その中のリーダーと思われる男性が滑り出した明歌たちを両手で止めた。
「鹿屋……明歌さんですね」その男性は生粋の欧米人のせいか日本語のアクセントが少しおかしい。
「あ、あの……?」
「我々はこういう者です」リーダーらしき男性は内ポケットから名刺を取り出す。
名刺には『欧州世界音響研究機関 フロランタン・ポワレ』と記されている。
「なんか美味しそうな名前……」明歌は気のせいかお腹がすいてくる。
「鹿屋さん、我々はあなたの類稀なる歌唱の才能を高く評価しています。あなたはご自分にどんな能力が隠されているかおわかりになっていないと存じます」
ややこしいやつらが来ちまった……と、隼優と明人が目を合わせる。
「いやいや、明歌はかわいいだけで、才能なんてあったためしもないですよ~」
「そうだ、こいつは声は綺麗だが音をはずす。これがあんたらの言う才能か」
明歌は二人の言いようにぷぅっとふくれた。
「あなた方もそうやって我々をかわすおつもりで? さきほど鹿屋さんのご両親にお会いしましたが」
父さんが──なんか言ったのか? 明人は不思議に思った。
「え、冷たくないスケート? 何それ」
「明歌はまだ手足が冷えるだろう。でも、病気は良くなったんだし、遊びに行きたいだろうと思って」明人は明歌が幼い頃、よく遊びに行ったスケートをさせられないかと考えていた時、偶然氷ではない素材で作られたスケート場を見つけた。屋外に設けられた期間限定の会場だ。
「そうよぉ。明歌ったら、治ったとたんにアルバイトなんて。今まで動けなかったんだから遊んでらっしゃい。隼優も一緒に」
「──お母さん。隼優は忙しいの。どーしていつも隼優と、って言うの!」
「だって隼優は明歌がいなかったらおかしくなっちゃうのよ」
「そんなワケないでしょ!」
「ホントよ~昔、明歌がうちにいない時、そわそわしてたんだから」
「普段あんな冷静なのに!? そわそわしてる隼優なんて見たいぐらい」
明歌は母の言うことが信じられない。
「まぁまぁ、二人とも。そのへんでおさめといてよ。」
明人は明乃が言うことの方に一理あると思ってはいるが、論理が飛躍しがちな母に一般人がついていくのは大変だった。しかし……このおかしな母の相手が隼優にはできるんだよなぁ。あいつって実はこましなのかな?と明人はいつも疑問に感じている。
だが、明人にとってそれは嬉しいことだった。隼優の母親が姿を消してから、明乃は隼優にとっても母のような存在だったからだ。明乃は家族に対しても他人に対してもまるで同じような愛情を注げる稀有な人間だった。明人はそんな女性を外では見たためしがなく、自分の母のどこかに綻びがあるに違いない、と疑い続けたこともある。
しかし、いくら疑っても明乃はそのまんまだった。あまり物に動じず、思い悩むこともない。
人間はたとえ他人であっても本物の愛情の下では、その見えない威力を感じとることができる。そのおかげか、隼優はまっすぐに育つことができた。
「明歌。隼優の空いてる日を聞いてみるね。」
「う、うん。」明歌は隼優が忙しいとわかっていても、やはり一緒に遊びに行きたい。
隼優はバイトを掛け持ちしているが、その日は『丸焼き珈琲』でウェイターをしていた。
「マスター、金曜の夜、休ましてくれ」
「何寝ぼけたこと言ってんの。金曜の夜ってのは一番混むんだよ。わかってるでしょ。まさか……あんたまた新しい女?」
「違う。明人と明歌だよ」
「明歌ちゃん、病気じゃない」
「治ったんだよ」
「またそうやって嘘ついて。病院行っても治らないって言っただろう? 騙されないんだから」マスターは不機嫌そうに勝手口を出た。
「まいったな。俺ってどれだけ疑われてんだ?」隼優はホールで給仕をしている由希に話しかけた。
「まぁ、しょうがないですよね。隼優さんの人生ってフツー起きないようなことばっか起きるしね。こっちだって言い訳聞くたびに混乱しますよ」
「もう慣れただろ」
「隼優さんの対応に慣れたりなんかしたら、フツーの暮らしができません。だからマスターも私も慣れないように日々警戒してるんです」
「何だよ、そりゃ」
しかし、なんだかんだ言ってマスターは隼優に甘かった。まかないでも「おまえは全然栄養が足りてないんだから」と言って、喫茶店には普通備えていないような食材を買い込み、煮物などを作って食べさせた。それを脇で見ていた常連客が「なんだよ、ずるいな。それ俺にも食わしてくれよ」と言い出し、喫茶店なのに煮物が出てくるという裏メニューが評判になってしまったこともある。
「よくマスターが許してくれたね。こんな客の多そうな日に」
結局、隼優は休みをもらえることになり、繁華街にある特設スケート場へ明人と明歌と出かけた。
「マスターはおまえにぞっこんだからな」
「僕、男だよ」
「今度、おまえと明歌を連れてこいっていう条件で休みもらったんだ」
「なんで私も?」
「マスターはおまえの歌のファンだからだろ」
「でも、まだ人前では歌えない……」
加納は明歌の精神状態を安定させるため、まだ人前で歌うことを控えるようにアドバイスをしていた。
「歌わなくたっていいんだ。マスターはお前たちが気に入ってるから会いたいんだろう。それに、明歌が治ったっていくら説明しても信じてくれねぇんだ」
「私も……今ね、時々これは現実なのか夢なのかなぁって思うよ。目の前に兄さんと隼優がいてくれて、私はスケートができる。小さい頃のスケート場は冷たかった。でも、今は冷たくない」
「じゃあ、このスケートを開発してくれた人に感謝しないとね!」明人が明歌の手を引いて滑り出す。
「そうじゃないの、兄さん」
「──え?」
その時、四、五人のスーツを着用した男性たちが寄ってくるのに隼優は違和感を感じた。
「──お前たち、出口に向かって走れ」
明人は今までこんなに険しい顔をした隼優を見たことがなかった。咄嗟に明歌の手をとり滑り出す。
三人が出口へ向かおうとした途端、男性たちに行く手を阻まれてしまう。
「おおっと、お待ちください」その中のリーダーと思われる男性が滑り出した明歌たちを両手で止めた。
「鹿屋……明歌さんですね」その男性は生粋の欧米人のせいか日本語のアクセントが少しおかしい。
「あ、あの……?」
「我々はこういう者です」リーダーらしき男性は内ポケットから名刺を取り出す。
名刺には『欧州世界音響研究機関 フロランタン・ポワレ』と記されている。
「なんか美味しそうな名前……」明歌は気のせいかお腹がすいてくる。
「鹿屋さん、我々はあなたの類稀なる歌唱の才能を高く評価しています。あなたはご自分にどんな能力が隠されているかおわかりになっていないと存じます」
ややこしいやつらが来ちまった……と、隼優と明人が目を合わせる。
「いやいや、明歌はかわいいだけで、才能なんてあったためしもないですよ~」
「そうだ、こいつは声は綺麗だが音をはずす。これがあんたらの言う才能か」
明歌は二人の言いようにぷぅっとふくれた。
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父さんが──なんか言ったのか? 明人は不思議に思った。
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