まひびとがたり

パン治郎

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揺れる都 その1

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 京の都の郊外には、大勢の軍が集結していた。
 静乃たち一行は獣道を駆け抜けながら、街道という街道を埋め尽くす軍勢を見て冷や汗を流す。
 まったく異様な気配である。
「まだ膨れ上がるってのか、こいつら」
 景平は吐き捨てるように言った。それにホオヅキが応える。
「畿内の武士たちが集まっている。ここに西国から呼び戻した御堂晴隆の一門の兵が加われば、どれだけの数になるやら」
「じゃあこないだの追討軍ってのは」
「肥え太った貴族共の弱兵だ。牽制に過ぎん。いや、ただのエサだな」
「水野実真はまんまと釣られたと?」
「さあ? わかってて食いついたようにも見えるがな。どちらにせよ、大将首を釣り上げるまで終わりはしないだろう」
「俺は片目を失ってから、物事を一方からしか見ていなかった。それが姫と再会して両の眼が開けた」
「何が言いたい」
「これがただの戦で終わると思えんのだ」
「永現の大戦以上になるってのか……?」
 泥のように重たい沈黙が流れた。足はしだいに速度を失い、立ち止まる。
 静乃は顔色の悪い二人を意味ありげに交互に見た。
「私、思い出したの。あなたたちが釣り下手だってことを。さ、行くわよ」
 そう言って駆けざまに二人の背中を叩き、先を急ぐ。
 景平とホオヅキは顔を見合わせ、フッと笑った。
「姫にはかなわん」
「まったくだ。だが、悪い気分じゃない」
「ところで佐門、お前はたしかに下手だったな」
「ボケたのか? それはお前だろ」
 そんな言い合いをしながら静乃の後を追った。

 一行が京の都に到着したのは、中天に日が昇る前だった。
 いつもは活気にあふれている東西の市も人気がなく、大路も小路も人の姿が見えない。いるのは野良犬や猫ばかりである。
「姫、俺はいったんここで離れます。少人数のほうが都合がいい」
 そう言ってホオヅキは覆面をして、静乃に深く頭を下げた。
「佐門――無事に戻りなさい」
「必ずや」
 ホオヅキは建物の陰に溶け込むように姿を消した。
 静乃と景平は謡舞寮に向かった。門は固く閉ざされている。
「姫、いかがいたしましょうか?」
「塀を越えます」
「では、我が背に」
 そう言って景平が跪き、静乃が足をかけたところで、門がかすかに開いた。中から覗く二つの目とバッチリ直撃する。
「静乃!?」
「サギリ! りつ!」
 中から出てきたのはサギリとりつの二人だった。三人は再会を喜び、肩を組んで小さな輪を作る。景平は膝の砂埃を叩きながら、小さく笑った。
「無事だったんだな!」
「うん!」
「今までどうしてたのよ!」
「話すと長くなる!」
 静乃と景平は謡舞寮の中に通された。白砂の庭では、生徒だけでなく望月たち女官も全員揃っていた。彼女たちはこの場に唯一の男性である景平の異様な眼帯姿に不安な面持ちを浮かべた。
「この者は松野景平。私の家臣です」
 静乃はほかのみんなにも聴こえるように望月に紹介した。
「家臣……」
 さすがの望月も、無骨そうな隻眼の男に見られて居心地が悪そうだった。
「姫がここで世話になったそうだな」
「姫……ええ……そうですが」
「すべて拙者の不徳の致すところ。こうして姫と再会できたのも、あなたがたのご厚情によるもの。まことに感謝致します」
 景平は深々と一礼した。望月はその外見と所作の大きな差に、思わず心臓が跳ねるのを感じた。どぎまぎして目線を外す。
 そのとき静乃は生徒たちの中にセナの姿を探していた。
「セナは来てないの?」
 そう問いかけた時、建物の向こうから大きな影がにゅっと現れた。漆黒の巨体に額の白い一点星。まぎれもなく夕霧である。
「夕霧……!?」
 りつとサギリは静乃に向かって深く頷く。
「少し前、セナのヤツは帰って来たよ」
「すぐどっかに行っちゃったけどね」
「……どこに?」
 りつとサギリは顔を見合わせ、同時に答えた。
「人助け――」

          ※

 緋獄から刑場までの道のりは眩しく、爽やかで、そして平坦だった。
 日中の往来にも関わらず人の姿はない。足枷、手枷、首枷、猿ぐつわをしている囚人が処刑人に連れられて歩いていても、誰も見ていない。
 なぜなら、都の外に黒雲のような軍気が漂っているからだ。
 西国から精強な兵士たちが続々と集結しており、それがまるで一個の巨大な生き物のように静かにうごめいている。整然と隊列を組み、粛々と演習を行い、ひたすら黙して時を待っているのだ。
 遠く離れた場所で、今まさに、世界が動いている。
 なのに、自分はその世界の片隅にさえいられない。
「さっさと歩け!」
 処刑人が鬼童丸の腰を蹴った。前につんのめる。
 が、鬼童丸は怒るどころか蹴られたことに気付いていない様子だった。
(冷たい……)
 足元を水がさらっていた。六条河原の川の水だった。
 首を斬られても血は海に向かって消えてゆくだろう。ここで一人の人間が殺されたことも、それまで生きていたことも、そして生まれたことも、何もかも消し去るように。
 あまりに人を殺しすぎた。おあつらえ向きだ。そう思うも、鬼童丸は上手く自分を嘲笑うことができない。
 苦しい――。
 こんなに苦しいのなら、生まれて来なければよかった。
(どうして生まれてしまったんだ……俺たちは……)
 浮世の顔が鬼童丸の脳裡に浮かんだ。どうせなら、たった一人で生まれたほうがマシな人生だった。孤独にすり潰されて死んだ方が何倍も楽だ。
 身体半分、心半分をこの世界に奪われるよりは。
 それが今日まで生き永らえたのは、空虚になった半分を憎悪で埋め尽くしたからだ。それはいつしか残りの半分を蝕み、真っ黒に染まった。
 実真を殺せば楽になると思っていた。黒のひずみから解き放たれ、何物にも縛られない究極の空へと飛び立てると。だが、その実真はもはや遠い世界の向こう側にいる。刃どころか手も届かない。この声すらも。
(もういい……何が鬼童丸だ……何が黒鬼だ……くだらねえ)
 鬼童丸は足を蹴られて跪かされ、鷲掴みで頭を下げさせられた。
 首筋に、川より冷たい処刑用の太刀が当てられた。
「なあオイ……スッパリと頼む……頼むよ」
 鬼童丸は二人の処刑人に言った。返事はない。
(どうせ浮世とは違うところに行くんだ……なんの未練もねえ……)
 水面に映った自分の顔は、笑っていた。
 浮世が見せた最期の笑顔は、こんなに歪んではいなかった。
 世界を怨み、自嘲する。そんな表情では――。
「何で、あんなに……」
 処刑人の太刀が頭上高く振り上げられた。手入れが間に合わずにガタガタになった刃が陽光を反射して鈍く輝く。その時だった。
「鬼童丸!」
 名を呼ぶセナの声がする。ばしゃばしゃと水辺を駆け抜ける足音。
 顔を上げると、セナがまさに目の前で跳躍する瞬間を目撃した。セナは処刑人の眼前で身をひるがえし、回転の勢いを乗せた飛び蹴りを顔面に見舞った。処刑人は短い呻き声とともに昏倒し、もう一人も続けざまにみぞおちに深い一撃を喰らって倒れ込んだ。あっという間の出来事だった。
「セナ……」
 ひざまずく鬼童丸をセナは見下ろす。短くも濃い沈黙。
 先に口を開いたのはセナだった。
「ようやくわかったの。私が教わった、たった一つのすべて――その意味を」
 風が吹いた。水面に細波が立つ。
「それは、生きることだった」
 眩しくもないのに、鬼童丸は目を細めた。
「舞の所作も、殺しの技も、毒の知識も文字の読み書きも、全部があって私はここにいる。そう気付いたから、私はあなたに会いに来た」
「そんなもんのためにここに来たって言うのか!?」
 鬼童丸は胸が締め付けられた。気付けば涙があふれ、嗚咽がもれた。
「あと少しで楽になれたはずなのに……どうして邪魔をしやがる! どいつもこいつも……静かに暮らしていたいだけなのに……どうして」
 鬼童丸は枷の嵌められた両腕で水面を叩いた。
「何なんだよ、お前はよォ!! 何で俺の前に……現れた……!」
 まるで駄々をこねる子供のようだった。泣き叫び、感情のままに暴れた。
 そんな鬼童丸に向かって、セナは静かに言った。
「放っておけなかったから」
 その瞬間、鬼童丸の動きがピタリと止まった。
「今までありがとう――私は行くよ、鬼童丸」
 セナは鬼童丸に背を向け、確かな足取りでそこから立ち去った。鬼童丸はその後ろ姿を見送り、しばらくしてゆっくりと項垂れた。
 ふたたび風が吹いた。鬼童丸の耳の奥。かすかな残響。
「あのね――放っておけなかったの」
 死の間際、浮世の声はそう告げた。自分の命を投げ出してまで、見ず知らずの赤ん坊を救おうとした。それだけの理由で。
 その後、赤ん坊は実真の手で村に戻され、一命を取り留めた。
 季節は巡り、赤ん坊は自分の足で歩けるようになった。そんな頃、村を鬼たちが襲った。その様子を鬼童丸は近くで見ていた。そして、駆け出した。
 放っておけなかった。それだけの理由で。
「お前は背中に傷を負っている。今日からセナと名乗れ。いいな?」
 幼いセナはこくりと頷く。鬼童丸は片手でセナを抱き上げた。
 それが――『黒鬼』のほんとうの始まりだった。
 鬼童丸はゆっくりと顔を上げた。涙は風で乾いていた。
「ざまぁねえな、まったく」
 声の方を見ると、ホオヅキがいた。ホオヅキは刀を抜き、鬼童丸に近づく。そして刀を振り上げたと思うと、鬼童丸を封じていた枷をすべて斬り壊した。
「次から次へと……何のマネだ」
「あんたの無様な姿、見たくなくてな」
「無様か……はっ、そうだな」
 ホオヅキは眉間にかすかに皺を刻む。
「……俺が付き従った鬼童丸という男は、気持ちのいい男だった。歳も大して変わらねえのに、クソみてえな連中を見事に斬り伏せる。まったく痛快だった。憧れだった。あんたはそういう男なんだ」
 そう言って懐から篠笛を取り出した。かつて鬼童丸が愛用していた竹の横笛である。かなり使い込まれている。
「忘れもんだ」ホオヅキは鬼童丸に篠笛を渡した。「根城で見つけた。捨てたもんだったら俺は拾わなかっただろう」
「……」
 篠笛が鬼童丸の手に馴染む。ホオヅキは空を見上げた。

          ※

 セナは都の道を急いでいた。
 朱雀大路を北に向かう。はやく謡舞寮のみんなのもとに帰りたかった。初めてこの道を通った時は、帝を暗殺する密命を抱いて一人きりだった。
 それがいつしか、謡舞寮への道は帰り道になっていた。
 朱雀門まで差し掛かった。ここを右に曲がると謡舞寮は近い。
 だだっ広い門前広場には人だかりが出来ていた。戦が近いとあって都の住民は外出を控えていたはずである。
 その時だった――。朱雀門がゆっくりと音を立てて開いた。朱塗りの三つの大門がすべて開放されたのである。中からぞろぞろと甲冑姿の衛士たちが早足で出て来ては整列し、女官も含めた官人たちが道を左右に並んで道を作った。
 セナは異変を感じて、思わず身構えた。
「あぁ……そんな……」
 目の前に信じられない光景が広がった。セナは呆然と立ち尽くした。
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