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つわものたち その1
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地
ああ、迦陵頻――私はあなたに――なれなかった。
どうしても、心が大地を離れることを拒んだのだ。
誰よりも自由を求めたはずなのに、そのためにずっと不自由だった。
何もわかっていなかった。私はずっと自由だったのだ。
迦陵頻――どうか連れて行かないでおくれ。
せめてこの子を――私に――。
『つわものたち』
セナは目を覚ました。
黒ずんだ梁の見知らぬ天井。見覚えのない障子窓。着ている衣もまったく覚えがない。ペタペタと顔を触る。
私はセナ――だと思う。いや、間違いない。セナだ。着物の胸をはだけ、中を見た。鬼童丸が放った黒い笄によって受けた傷痕がまだ残っているものの、かなり回復している。
蠱毒が全身に廻ったはずなのに、間違いなく生きている。
「生きている……?」
永い夢を見ていた気がする。が、砂のように消え去ってしまった。
部屋の外で二人の声がした。セナは掛け布を頭までかぶり、じっと息をひそめる。
声が近づいてくる。若い男女らしい。
「――それで、親父殿の軍勢は?」
「騎兵が五百。歩兵が二千。道中で鍛治谷殿と合流するそうですよ」
「鈴鹿の関ごときにずいぶんと慎重なことだ。ともかく今は親父殿を待つしかあるまい。志郎、密偵は絶やすなよ」
「わかってますよ、姉上。では」
姉弟らしい。足音が一つになる。部屋の戸に手がかかった。
「入るぞ」
女が入って来た。よく通る凛とした声である。女が最接近したところで、セナは掛け布を相手めがけて勢いよく被せた。不意を衝き、女が腰に差した短刀を奪うとすぐに距離を取った。
「何者。ここはどこ」
セナは切っ先を向けながら言った。女は掛け布をゆっくり剥ぎ取る。
現れたのは、かなり長身の、黒髪の艶やかな女だった。鋭い目つきで、まっすぐ通った鼻筋。新雪のような白い肌。ゾッとするような美しさだった。
「失念していた。少女とはいえ武の者だったな」
女は落ち着いた様子で言った。動揺は見られない。
「質問に答えて」
「知りたいか。ならば私を倒してみるか?」
「……そうする」
セナは短刀を逆手に構えた。女は豊かな胸を支えるように腕を組んでいる。悠然とした立ち姿。隙だらけにも見えるが、どうだろうか。
セナはとにかく一手を仕掛けようと思い、前に踏み出した。
しかし木偶人形のように、こてんっと倒れてしまう。足が動かない。身体もまったく自由が効かない。
すると女が高らかに笑った。
「はははっ、無理もない。何故なら冬の間ずっと眠っていたのだからな」
「冬の……」
「闘いの勘も鈍っている。私に挑むのはやめておけ」
そこで、別の人間が部屋に入って来た。なんと静乃だった。
「セナ! 目が覚めたのね! ……って、この状況はナニ?」
セナは短刀を握ったまま寝ころび、女は腕を組んで見下ろしている。静乃は何が何だかわからなかった。
「それは私の言い分……とにかく起こして」
「あっ、ごめん」
静乃はセナを抱き起す。短刀を握った指が硬直していたので一本ずつ解いた。衰えきった身体で戦闘を行おうとしたため、一瞬で無理が来ていた。
セナは寝床に戻された。女が掛け布を乱暴だが確かな手つきでセナに掛けてやる。
「静乃……一体どうなってる」
「ええと、何から話せば」
静乃は困って女に救いの目を向けた。女は頷く。
「紹介が遅れたな。私の名は上條祭子――元伊豆介・上條常正の娘だ。今この地において、お前たちの身柄を保護している」
「じゃあ、ここは?」
「伊勢国(現在の三重県)。渡会殿の屋敷」
「伊勢……えっ、伊勢?」
「そう――東国だ」
※
話は三ヵ月ほど前に遡る。
愛宕山で捕縛した鬼童丸を帝に引き渡し、実真は無事に帰還した。
それからしばらく――実真は突然、謀反人として告発された。
告発者は御堂晴隆。『水野実真が帝を亡き者にすべく、密かに策謀を巡らしている』との密告があったと公表した。
いわれなき罪を負わされた実真は弁明したものの、まったく取り合ってもらえず、それどころか帝の暗殺を謀った静乃をそばに置き、黒鬼党の残党であるセナの保護までしていることが叛意の証明と突き付けられたのである。
そしてついに、京の都を追われる身となった。
実真は活路を求めて東に逃げ延び、関を越え、伊勢国にたどり着いた。
伊勢国は京を中心とした畿内と隣接し、東国の西端の地でもある。
ここで伊豆の豪族であった旧知の上條氏と合流し、その庇護を受けることとなった。
「そんなことが……」
セナは愕然としていた。自分が昏睡している間にまさかという思いである。
静乃は苦悶の表情を浮かべ、話を続ける。
「それだけじゃないの。あのね、よく聞いて。尋問のために朝廷から遣わされたのは――鬼童丸だったの」
セナは驚きのあまり声を失った。静乃はつらそうに目を伏せる。
「鬼童丸は、検非違使の別当(長官)になっていたのよ」
「鬼童丸が朝廷の……そんな……ありえない」
「すべて御堂晴隆によるものよ。右大臣で近衛大将だった御堂様は、黒鬼党討伐を指示した功績を理由に、自ら太政大臣となったの」
「太政大臣……って」
「うん、太政官(役人)の最高位である左大臣よりも上の存在。しばらく空位になっていたのだけど……でも、これで完全に、御堂様が朝廷の権力をその手に握ったことになるわ。もはや並ぶ者もいない」
セナは顔を上げる。
「帝は何を」
「ぜんぶ帝がお認めになったことよ」
セナは頭の中がぐちゃぐちゃになった。思えば事の始まりは、日ノ本を支配する大妖怪である帝の暗殺だった。それが今や、ハリボテも同然ではないか。
百鬼の王だった鬼童丸も朝廷の人間に。天と地が入れ替わり、陰と陽も定かではない。
これは現実だろうか。何が何だかわからない。
あまりの衝撃に意識が飛びそうになった。静乃がセナの肩を支えた。
「じゃあ……シュウジンは……」
そこで、上條祭子が腰を上げた。
「もういい休め。精のつく獣肉を用意しよう。とにかく食べることだ」
そう言って部屋を出ようとする。静乃もセナを寝かせてそれに続いた。セナはその手をつかんで引きとめる。
「ホオヅキは……?」
「佐門――ホオヅキは都に残ったわ。ここにいるのは私たちと景平だけよ。もちろん実真様たちもね」
「そう……」
「おやすみ、セナ。今はもう少し……ね」
静乃はセナの手を掛け布の中に入れてやった。
※
お前には血が足りない――と、祭子はセナに言った。
狩りで仕留めた猪の肉や鹿の肉のほか、キジをさばいて鍋にしたり、屋敷で飼育している牛の搾りたての乳も持って来た。セナはすべて胃にかき込んだ。
そして、きわめつけは『卵』である。祭子はお椀に卵を二つ割った。
「飲み干せ。精がつく」
「助かる」
静乃はそれを、世界の終りでも見るかのような顔で見ている。
「セナ……本当に飲むの? 卵だよ? 卵を食べると祟りが起きるって」
セナは困惑気味に静乃を見る。
公家たちの間では、鶏は食用ではなく闘鶏や鑑賞といった娯楽の一種だった。また、卵を食べると祟られると言い伝えられている。静乃が嫌な顔をするのも無理はなかった。しかし、セナは公家ではない。一気に飲み干す。
「ひゃぁぁぁ」
静乃はすっかり青ざめて卒倒しそうになった。
「美味しかった。ありがとう」
セナは寝床にいたまま祭子に小さく会釈した。
「お礼ついでに頼みがある。京の都に行きたい。武器が欲しい」
「都に? 何故だ?」
「鬼童丸に会う」
「鬼童丸……今や検非違使の頭になった元・黒鬼か。ヤツのおかげで京の都はピリピリしているそうだ。罪人は白昼堂々叩き切られ、引き回される。血の臭いが絶えないと聞いている。なぜ会いに?」
「あなたに言う必要はない」
部屋の空気が張り詰めた。静乃は視線を行ったり来たり。
「一つ言っておく――私たちはお前の身柄を保護しているが、その実、人質でもある。おとなしくしてもらおうか」
「人質? 何故?」
「お前に言う必要はない。知りたければ……わかっているな?」
両者の緊張が闘気に変換されてゆく。が、祭子は小さく笑う。
「やめておこう。実真殿とは戦いたくない」
その時、部屋の外から野太い男の大声がした。祭子の名を呼んでいる。それを聞いた祭子は舌打ちして部屋を出た。セナと静乃もついてゆく。
部屋の前の庭に、甲冑姿の武者がいた。立派な黒い髭をたくわえ、稲妻のような眉毛を生やしている。腕は丸太のように太く、胸も岩のように厚い。
「おお、祭子! ここにおったか!」耳の奥まで震わす大きな声。
この男、名を鍛治谷兵衛。東国で雷名轟くつわものの一人である。熊のような風貌から『相模の鬼熊』と称されている。
「祭子! 俺の妻になれ!」
鍛治谷はひと目会うなりそう言った。飛び込んで来いと胸を開く。が、祭子はその鋭い目をいっそう鋭くするばかり。
「その求婚、何度目だ?」
「九十九!」
「では百編も言わせるな。私よりも強い男でなければ嫁ぐ気はない。私が欲しければ力ずくで犯してみせろ。ねじ切られたくなければな」
それを聞いて鍛治谷は両の拳をグッと握って震えた。
「うおおお! それでこそ祭子! いつか娶ってみせるぞ!」
「貴様にいつかなどない。それより親父殿はどこだ? 一緒のはずだが」
「常正殿なら実真に会いに行った。おや? その娘たちは?」
鍛治谷がセナと静乃を見つける。黒目の大きなどんぐり眼だった。
「この者たちは……実真殿の客人だ。粗相はするなよ?」
「おお、承知した! 野郎どもにも伝えておこう。鍛治谷党の精兵たち二千を連れて来た。どうだ祭子! 嬉しいか! わっはっは!」
「そうだな――志郎! 志郎はどこだ!」
祭子は返事もそこそこに、弟の志郎を探して何処かへ消えた。
あとに残ったのは庭で一人高笑いする鍛治谷兵衛だけだった。
ああ、迦陵頻――私はあなたに――なれなかった。
どうしても、心が大地を離れることを拒んだのだ。
誰よりも自由を求めたはずなのに、そのためにずっと不自由だった。
何もわかっていなかった。私はずっと自由だったのだ。
迦陵頻――どうか連れて行かないでおくれ。
せめてこの子を――私に――。
『つわものたち』
セナは目を覚ました。
黒ずんだ梁の見知らぬ天井。見覚えのない障子窓。着ている衣もまったく覚えがない。ペタペタと顔を触る。
私はセナ――だと思う。いや、間違いない。セナだ。着物の胸をはだけ、中を見た。鬼童丸が放った黒い笄によって受けた傷痕がまだ残っているものの、かなり回復している。
蠱毒が全身に廻ったはずなのに、間違いなく生きている。
「生きている……?」
永い夢を見ていた気がする。が、砂のように消え去ってしまった。
部屋の外で二人の声がした。セナは掛け布を頭までかぶり、じっと息をひそめる。
声が近づいてくる。若い男女らしい。
「――それで、親父殿の軍勢は?」
「騎兵が五百。歩兵が二千。道中で鍛治谷殿と合流するそうですよ」
「鈴鹿の関ごときにずいぶんと慎重なことだ。ともかく今は親父殿を待つしかあるまい。志郎、密偵は絶やすなよ」
「わかってますよ、姉上。では」
姉弟らしい。足音が一つになる。部屋の戸に手がかかった。
「入るぞ」
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「何者。ここはどこ」
セナは切っ先を向けながら言った。女は掛け布をゆっくり剥ぎ取る。
現れたのは、かなり長身の、黒髪の艶やかな女だった。鋭い目つきで、まっすぐ通った鼻筋。新雪のような白い肌。ゾッとするような美しさだった。
「失念していた。少女とはいえ武の者だったな」
女は落ち着いた様子で言った。動揺は見られない。
「質問に答えて」
「知りたいか。ならば私を倒してみるか?」
「……そうする」
セナは短刀を逆手に構えた。女は豊かな胸を支えるように腕を組んでいる。悠然とした立ち姿。隙だらけにも見えるが、どうだろうか。
セナはとにかく一手を仕掛けようと思い、前に踏み出した。
しかし木偶人形のように、こてんっと倒れてしまう。足が動かない。身体もまったく自由が効かない。
すると女が高らかに笑った。
「はははっ、無理もない。何故なら冬の間ずっと眠っていたのだからな」
「冬の……」
「闘いの勘も鈍っている。私に挑むのはやめておけ」
そこで、別の人間が部屋に入って来た。なんと静乃だった。
「セナ! 目が覚めたのね! ……って、この状況はナニ?」
セナは短刀を握ったまま寝ころび、女は腕を組んで見下ろしている。静乃は何が何だかわからなかった。
「それは私の言い分……とにかく起こして」
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「じゃあ、ここは?」
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「そう――東国だ」
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話は三ヵ月ほど前に遡る。
愛宕山で捕縛した鬼童丸を帝に引き渡し、実真は無事に帰還した。
それからしばらく――実真は突然、謀反人として告発された。
告発者は御堂晴隆。『水野実真が帝を亡き者にすべく、密かに策謀を巡らしている』との密告があったと公表した。
いわれなき罪を負わされた実真は弁明したものの、まったく取り合ってもらえず、それどころか帝の暗殺を謀った静乃をそばに置き、黒鬼党の残党であるセナの保護までしていることが叛意の証明と突き付けられたのである。
そしてついに、京の都を追われる身となった。
実真は活路を求めて東に逃げ延び、関を越え、伊勢国にたどり着いた。
伊勢国は京を中心とした畿内と隣接し、東国の西端の地でもある。
ここで伊豆の豪族であった旧知の上條氏と合流し、その庇護を受けることとなった。
「そんなことが……」
セナは愕然としていた。自分が昏睡している間にまさかという思いである。
静乃は苦悶の表情を浮かべ、話を続ける。
「それだけじゃないの。あのね、よく聞いて。尋問のために朝廷から遣わされたのは――鬼童丸だったの」
セナは驚きのあまり声を失った。静乃はつらそうに目を伏せる。
「鬼童丸は、検非違使の別当(長官)になっていたのよ」
「鬼童丸が朝廷の……そんな……ありえない」
「すべて御堂晴隆によるものよ。右大臣で近衛大将だった御堂様は、黒鬼党討伐を指示した功績を理由に、自ら太政大臣となったの」
「太政大臣……って」
「うん、太政官(役人)の最高位である左大臣よりも上の存在。しばらく空位になっていたのだけど……でも、これで完全に、御堂様が朝廷の権力をその手に握ったことになるわ。もはや並ぶ者もいない」
セナは顔を上げる。
「帝は何を」
「ぜんぶ帝がお認めになったことよ」
セナは頭の中がぐちゃぐちゃになった。思えば事の始まりは、日ノ本を支配する大妖怪である帝の暗殺だった。それが今や、ハリボテも同然ではないか。
百鬼の王だった鬼童丸も朝廷の人間に。天と地が入れ替わり、陰と陽も定かではない。
これは現実だろうか。何が何だかわからない。
あまりの衝撃に意識が飛びそうになった。静乃がセナの肩を支えた。
「じゃあ……シュウジンは……」
そこで、上條祭子が腰を上げた。
「もういい休め。精のつく獣肉を用意しよう。とにかく食べることだ」
そう言って部屋を出ようとする。静乃もセナを寝かせてそれに続いた。セナはその手をつかんで引きとめる。
「ホオヅキは……?」
「佐門――ホオヅキは都に残ったわ。ここにいるのは私たちと景平だけよ。もちろん実真様たちもね」
「そう……」
「おやすみ、セナ。今はもう少し……ね」
静乃はセナの手を掛け布の中に入れてやった。
※
お前には血が足りない――と、祭子はセナに言った。
狩りで仕留めた猪の肉や鹿の肉のほか、キジをさばいて鍋にしたり、屋敷で飼育している牛の搾りたての乳も持って来た。セナはすべて胃にかき込んだ。
そして、きわめつけは『卵』である。祭子はお椀に卵を二つ割った。
「飲み干せ。精がつく」
「助かる」
静乃はそれを、世界の終りでも見るかのような顔で見ている。
「セナ……本当に飲むの? 卵だよ? 卵を食べると祟りが起きるって」
セナは困惑気味に静乃を見る。
公家たちの間では、鶏は食用ではなく闘鶏や鑑賞といった娯楽の一種だった。また、卵を食べると祟られると言い伝えられている。静乃が嫌な顔をするのも無理はなかった。しかし、セナは公家ではない。一気に飲み干す。
「ひゃぁぁぁ」
静乃はすっかり青ざめて卒倒しそうになった。
「美味しかった。ありがとう」
セナは寝床にいたまま祭子に小さく会釈した。
「お礼ついでに頼みがある。京の都に行きたい。武器が欲しい」
「都に? 何故だ?」
「鬼童丸に会う」
「鬼童丸……今や検非違使の頭になった元・黒鬼か。ヤツのおかげで京の都はピリピリしているそうだ。罪人は白昼堂々叩き切られ、引き回される。血の臭いが絶えないと聞いている。なぜ会いに?」
「あなたに言う必要はない」
部屋の空気が張り詰めた。静乃は視線を行ったり来たり。
「一つ言っておく――私たちはお前の身柄を保護しているが、その実、人質でもある。おとなしくしてもらおうか」
「人質? 何故?」
「お前に言う必要はない。知りたければ……わかっているな?」
両者の緊張が闘気に変換されてゆく。が、祭子は小さく笑う。
「やめておこう。実真殿とは戦いたくない」
その時、部屋の外から野太い男の大声がした。祭子の名を呼んでいる。それを聞いた祭子は舌打ちして部屋を出た。セナと静乃もついてゆく。
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「おお、祭子! ここにおったか!」耳の奥まで震わす大きな声。
この男、名を鍛治谷兵衛。東国で雷名轟くつわものの一人である。熊のような風貌から『相模の鬼熊』と称されている。
「祭子! 俺の妻になれ!」
鍛治谷はひと目会うなりそう言った。飛び込んで来いと胸を開く。が、祭子はその鋭い目をいっそう鋭くするばかり。
「その求婚、何度目だ?」
「九十九!」
「では百編も言わせるな。私よりも強い男でなければ嫁ぐ気はない。私が欲しければ力ずくで犯してみせろ。ねじ切られたくなければな」
それを聞いて鍛治谷は両の拳をグッと握って震えた。
「うおおお! それでこそ祭子! いつか娶ってみせるぞ!」
「貴様にいつかなどない。それより親父殿はどこだ? 一緒のはずだが」
「常正殿なら実真に会いに行った。おや? その娘たちは?」
鍛治谷がセナと静乃を見つける。黒目の大きなどんぐり眼だった。
「この者たちは……実真殿の客人だ。粗相はするなよ?」
「おお、承知した! 野郎どもにも伝えておこう。鍛治谷党の精兵たち二千を連れて来た。どうだ祭子! 嬉しいか! わっはっは!」
「そうだな――志郎! 志郎はどこだ!」
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