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嵐の前に その2
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闇濃くはびこった洞穴の回廊に、杖突き歩くいびつな足音が響く。
右手に松明を灯し、闇を削って歩くのは背中の曲がった小さな老人――ヒザである。
光を嫌って蝙蝠が逃げ惑い、その糞を食べていたゴキブリが這い回る。
回廊の奥底に、固く閉ざされた一つの扉。古ぼけているが、重厚である。
ヒザは視線を振って見張り番を脇にどかし、扉を杖の先でコンコンと突いた。
「お目覚めですかな、鬼童丸様」
「ヒザか……」
扉の向こうはひと筋の光も入らない牢獄だった。湿りを帯びた暗闇の中、腰を下ろして項垂れていた鬼童丸の鋭い目が光る。
「この『裏切り者』が……」
鬼童丸の刺すような物言いに、ヒザはくつくつ笑う。
「もう十年以上になりますか……初めてお会いした時、あなたは手負いの熊も同然でした。それを私が知恵でお助けし、共に黒鬼の名を築いた」
「ああ……まったくオメェの策略には驚いた」
「この老いさらばえた身体では、剣を振るうことも出来ませんで。必要だったのですよ、あなたという圧倒的な牙と、何よりも情念が」
「その結果が支配……そして裏切り……か」
ヒザはニタァっと、醜い笑みを浮かべる。
「鬼どもは強い。しかし、それは一つの裏返し。生き方を選べず、己に打ち克てず、寄る辺さえも失った者たち……日輪から身を隠し、闇へと逃れてゆく……鬼どもは弱い。心弱き者たちゆえ」
「鬼の王は、誰より弱い弱者の王か?」
「然様。巨頭を失った時、弱者の群れは誰より弱くあろうとする。王の支配が緩んだ今、畿内は、鬼どもが自由を求めてうごめいておりまする。光の届かぬ場所へ潜る者、あるいは新たな王たらんとする者……」
鬼童丸が立ち上がり、音を立てて扉に掴みかかる。
「都に凶事の旗が立ちまする」ヒザは低い声で言った。
「ヤツか……ヤツなのか!?」
「黒鬼を討ち果たせる者は一人しかおりますまい――水野実真」
鬼童丸は首を落として沈黙していたが、腹の底から静かに笑い始めた。
「ヒザ……てめぇ何モンだ? 自分は鬼じゃないとでも言いたげじゃねえか」
「わしは鬼ですよ。昼にも夜にも居場所のない、薄明の鬼でございます」
鬼童丸はごつごつした岩壁をギリギリと掴む。
「ヒザァ……俺をここから出せ」
「いやいや――あなたにはここで死んでもらわねば」
※
ホオヅキは感心していた。傷の手当をするセナの手際が実にいい。
「お前が癒しの技術を学んでいたとはな」
「謡舞寮で習った」
セナはホオヅキの肩の矢傷を水でよく洗い、汚れた血を口で吸い出した。そして血止めの効果がある薬草を、葉と茎を噛んで唾液と混ぜてドロドロにすると傷口に塗り込んで手拭いでキツく縛った。
「痛むようなら麻の軟膏を作るけど」
「いや、平気だ。痛みには慣れてる」
ホオヅキは肩を回して現在の可動範囲を確かめた。
「謡舞寮はこんなことも教えるんだな」
「舞人は強くないといけない。シュウジンが言ってた」
「あいつか……」
二人の間に沈黙が流れる。ここは山林の繁みの中。獣道がかすかに見える程度で人の気配はない。風が枝を揺らす音と、鳥の鳴き声が響く。
あれから三日の間、追手から身を隠すために山に潜伏していた。
「シュウジンを……知ってるの?」
「ああ、宗人親王という名で――だがな。帝の正室の子。第一皇子だ」
「シュウジンが次の帝に?」
「帝位の継承順位からするとそうだ。正室の子で第一子となれば、ほぼ確実に帝位を継ぐことになる。永現の乱が何で起こったか知ってるか?」
「いや……」
「あれは帝位を巡った兄弟の争いだ。今の帝は兄だが側室の子だった。だから、正室の子である弟皇子を帝に推す連中がいたわけだ」
「じゃあシュウジンは」
「同じ母親に弟がいるが幼すぎる。だから、この日ノ本で帝位を継承できる唯一の人物があいつだ。そんなヤツがお前と関わりを持つとはな……」
セナは初めてシュウジンに会った夜を思い出した。帝の暗殺を止めたのがシュウジンだ。父の命を救ったと考えれば不思議ではないが――。
『死が二人を分かつまで、今宵のことは誰にも言わない』
ふと、シュウジンの言葉が脳裏にこだまする。
セナは約束通り、ホオヅキにもあの夜のことを話さなかった。
「あいつら、戸勘解衆とかいったな……さすがにまいたと思いたいが」
この三日間、ずっと戸勘解衆に追われていた。蛇のように執念深く、周到で隙がない。常に二人一組で行動するため、一人ずつ始末することも出来ず、セナといえども逃げ回るしかなかった。ろくに食事も摂れていない。
恐ろしい敵である。命がけの過酷な鍛錬を乗り越えなければ、あれだけのチカラは身に付くまい。
シュウジンを影ながら守っていたということは、帝も同じだということ。難敵は蛾王だけではなかった。
「鬼童丸は……知っていたのかな」
「何だって?」
「あんな連中がいるってことを知っていて、私を」
「そんなわけあるか。そんなわけ……」
「本当に……帝を殺す気が……」
セナの疑問が宙に漂う。ホオヅキはそれに答えることが出来ない。
「ホオヅキ、歩ける? ここから移動しないと」
「ああ――うっ」
ホオヅキは立ち上がったが、矢傷が酷く痛むようだった。セナはその身体を支えた。達人の弓には迷いがない。軌道がぶれないために同じ力でも鋭く突き刺すことができる。見た目よりもかなり深手だった。
「少し休もう。これは応急処置だから、綺麗な布でちゃんと縛らないとダメ。それに何か食べないと血が足りない」
「それなら麓に村がある。俺たちが支配している村だ」
塔村――小さな村である。黒鬼の本拠地である愛宕山から遠くない。
鬼童丸の支配がもっとも濃い地域と言っていい。村に着くとまず村長を訪ねた。
「俺たちは黒鬼党の者だ。薬草と少しばかり食い物が欲しい」
「黒鬼様の……どうぞ」
村長の家でセナとホオヅキは食事を振る舞われた。薄めた雑穀粥と少しばかり猪の干し肉だった。薬草は村長の孫娘が摘んで持って来てくれた。
「どうぞ」
孫娘は屈託ない笑みでセナに薬草の束を手渡す。
「ありがとう……名前は?」
「あやめです。他に何か必要な物があれば言ってくださいね」
そう言ってあやめは村長の所に戻った。ホオヅキがセナを睨みつける。
「何で名前なんか聞いたんだ」
「え? 何となくだけど」
「知らなくていいことだ。これでお前の頭の中にあの娘の部屋が出来た。もし部屋の主がいなくなっても、残り続けるものなんだぞ」
「そう……だよね」
「変わったな、お前。じゃあこれは気付いてるか?」
「何?」
「メシがまずい」
セナはホオヅキを睨み返す。
「違う、そうじゃない。ここは俺たちの支配下でずっと平穏だった。地盤を固めるために取り立てもキツくしなかった。それが、このまずい粥は何だ?」
粥がまずい。つまり、食べ物が少ない。この近辺の村々が不作とは聞いたこともないが。
いやあるいは、黒鬼党に出せる食べ物がない――。
その時、村長の屋敷の外がにわかに騒がしくなった。孫娘のあやめが青ざめた顔で部屋に入ってくる。
「みなさん、隠れていてください」
「何があった?」
「それは……とにかく声を出さないように」
そう言ってあやめは部屋の戸をゆっくり閉めて出て行った。
セナとホオヅキは顔を見合わせると頷き、小窓からそっと覗き見る。
「出迎えはどうした! これだけか!」
馬に乗った男の大音声が響く。その背後に太刀や弓を携え、ボロの甲冑をもまとった男たちが控えている。どうやら鬼がこの塔村にやって来たらしい。
「なんだあいつら……馬もいるぞ」
首領らしき男を含め、騎乗の盗賊が五人。徒歩の手下は十数人。規模としては小さくないが大きくもない。
だが、馬の保有は無視できない。馬は輸送手段として、さらに戦闘兵器として大きな力を持つ。鬼の強さの証明だった。
「おい村長! 約束のモノは準備できたろうな?」
首領らしき男が馬上から村長を見下ろして言った。大陸由来らしき幅広の太刀を肩に担ぐその男は、赤味がかった髪に顎鬚をたくわえている。身の丈七尺(約2メートル)はありそうな大男である。
村人たちは家から出て来て身を小さくしている。
「知らねえ顔だな。セナ、知ってるか?」
「いや……」
「ここは黒鬼の支配下だぞ……宇多村といい何が起こってやがる」
「やるの?」
「いや、俺はこんなザマだし、お前だって小刀一つじゃ分が悪い」
セナの武装は小刀と、髪に挿した笄だけである。暗殺ならば十分だが、真正面から複数人の鬼を相手に立ち回るとなると難しい。
村長が村人の男に指示を出し、鬼の首領に貢物を差し出した。
「これが、私どもが用意できるすべてでございます……」
首領は手下に顎をくいっとやって貢物の箱を調べさせた。干し肉などの保存食や綺麗な巾(織物)、そして多少の金品である。
「これだけか? これだけなのか?」
「……はい」
村長が答えた瞬間、貢物の箱を持って来た男の胸を首領の太刀が貫いた。
「いやあぁぁぁ!」
男の妻らしき中年の女が悲痛な叫び声をあげた。
「俺を誰だと思ってやがる! 天下の赤鬼だぞ!」
赤鬼を名乗る首領の怒鳴り声を合図に、手下たちが村人を威嚇し始めた。下卑た笑いで怯える村人たちを一瞥した赤鬼は、村長の後ろにいたあやめに目を付けると、馬でツカツカと歩み寄った。あやめの唇がわなわな震える。
「田舎娘にしちゃ器量が見える。仕込んで客を取らせるか……」
赤鬼の手下があやめの腕を掴んだ。
「それだけはおやめください!」
村長が赤鬼の足にすがるも、ひと蹴りで吹き飛ばされた。村長の歯が折れ、鼻からぼたぼたと血を流した。
「お前に拒否する権利はねえよ。俺がここの支配者だと忘れたか?」
「あ、ああっ……!」
あやめの顔がひきつり、突然のことで声も出ない。恐怖のあまり身動ぎも出来ずに、手下の男に一息で肩に担がれてしまった。わっと堰が切れたようにあやめの目から涙があふれた。必死に泣き叫ぶも、その声は虚しく宙に消えた。
「――殺す」
セナが腰の小刀を抜く。が、その手をホオヅキが強い力で押しとどめた。
「やめろ」
「どうして」
「お前が死ぬ」
「問題ない。赤鬼ってヤツを殺せば、あとは雑魚」
「娘を人質に取られたら?」
セナは言葉を失った。
「今の俺たちに出来ることはない。今のうちに裏から出るぞ。根城に戻ってお頭に報告するんだ。赤鬼をやるのはそれからだ」
セナは小刀を握った手に力を込めた。ホオヅキは鬼気迫る表情で、さらに強い力でそれを抑え込む。
「行くなら俺を殺してからにしろ」
セナとホオヅキは至近距離で睨み合う。二人とも殺気に満ちていた。
「恨むぞセナ……」
ホオヅキが低く抑えた声で言った。
「お前のせいで、俺の頭の中にもあの娘の部屋が出来た」
その言葉が、矢のようにセナの胸に突き刺さった。小刀を持つ手から力が抜ける。
ホオヅキは手を放し、痛む肩を押さえながら裏口から出た。セナもおぼつかない足取りでついてゆく。
塔村が遠ざかる。セナはぼそりと言った。
「あんなふうに……見えていたのか」
ホオヅキはセナのその言葉に聴こえないフリをした。
セナの耳の奥で、あやめの泣き叫ぶ声がいつまでも響いていた。
右手に松明を灯し、闇を削って歩くのは背中の曲がった小さな老人――ヒザである。
光を嫌って蝙蝠が逃げ惑い、その糞を食べていたゴキブリが這い回る。
回廊の奥底に、固く閉ざされた一つの扉。古ぼけているが、重厚である。
ヒザは視線を振って見張り番を脇にどかし、扉を杖の先でコンコンと突いた。
「お目覚めですかな、鬼童丸様」
「ヒザか……」
扉の向こうはひと筋の光も入らない牢獄だった。湿りを帯びた暗闇の中、腰を下ろして項垂れていた鬼童丸の鋭い目が光る。
「この『裏切り者』が……」
鬼童丸の刺すような物言いに、ヒザはくつくつ笑う。
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「ああ……まったくオメェの策略には驚いた」
「この老いさらばえた身体では、剣を振るうことも出来ませんで。必要だったのですよ、あなたという圧倒的な牙と、何よりも情念が」
「その結果が支配……そして裏切り……か」
ヒザはニタァっと、醜い笑みを浮かべる。
「鬼どもは強い。しかし、それは一つの裏返し。生き方を選べず、己に打ち克てず、寄る辺さえも失った者たち……日輪から身を隠し、闇へと逃れてゆく……鬼どもは弱い。心弱き者たちゆえ」
「鬼の王は、誰より弱い弱者の王か?」
「然様。巨頭を失った時、弱者の群れは誰より弱くあろうとする。王の支配が緩んだ今、畿内は、鬼どもが自由を求めてうごめいておりまする。光の届かぬ場所へ潜る者、あるいは新たな王たらんとする者……」
鬼童丸が立ち上がり、音を立てて扉に掴みかかる。
「都に凶事の旗が立ちまする」ヒザは低い声で言った。
「ヤツか……ヤツなのか!?」
「黒鬼を討ち果たせる者は一人しかおりますまい――水野実真」
鬼童丸は首を落として沈黙していたが、腹の底から静かに笑い始めた。
「ヒザ……てめぇ何モンだ? 自分は鬼じゃないとでも言いたげじゃねえか」
「わしは鬼ですよ。昼にも夜にも居場所のない、薄明の鬼でございます」
鬼童丸はごつごつした岩壁をギリギリと掴む。
「ヒザァ……俺をここから出せ」
「いやいや――あなたにはここで死んでもらわねば」
※
ホオヅキは感心していた。傷の手当をするセナの手際が実にいい。
「お前が癒しの技術を学んでいたとはな」
「謡舞寮で習った」
セナはホオヅキの肩の矢傷を水でよく洗い、汚れた血を口で吸い出した。そして血止めの効果がある薬草を、葉と茎を噛んで唾液と混ぜてドロドロにすると傷口に塗り込んで手拭いでキツく縛った。
「痛むようなら麻の軟膏を作るけど」
「いや、平気だ。痛みには慣れてる」
ホオヅキは肩を回して現在の可動範囲を確かめた。
「謡舞寮はこんなことも教えるんだな」
「舞人は強くないといけない。シュウジンが言ってた」
「あいつか……」
二人の間に沈黙が流れる。ここは山林の繁みの中。獣道がかすかに見える程度で人の気配はない。風が枝を揺らす音と、鳥の鳴き声が響く。
あれから三日の間、追手から身を隠すために山に潜伏していた。
「シュウジンを……知ってるの?」
「ああ、宗人親王という名で――だがな。帝の正室の子。第一皇子だ」
「シュウジンが次の帝に?」
「帝位の継承順位からするとそうだ。正室の子で第一子となれば、ほぼ確実に帝位を継ぐことになる。永現の乱が何で起こったか知ってるか?」
「いや……」
「あれは帝位を巡った兄弟の争いだ。今の帝は兄だが側室の子だった。だから、正室の子である弟皇子を帝に推す連中がいたわけだ」
「じゃあシュウジンは」
「同じ母親に弟がいるが幼すぎる。だから、この日ノ本で帝位を継承できる唯一の人物があいつだ。そんなヤツがお前と関わりを持つとはな……」
セナは初めてシュウジンに会った夜を思い出した。帝の暗殺を止めたのがシュウジンだ。父の命を救ったと考えれば不思議ではないが――。
『死が二人を分かつまで、今宵のことは誰にも言わない』
ふと、シュウジンの言葉が脳裏にこだまする。
セナは約束通り、ホオヅキにもあの夜のことを話さなかった。
「あいつら、戸勘解衆とかいったな……さすがにまいたと思いたいが」
この三日間、ずっと戸勘解衆に追われていた。蛇のように執念深く、周到で隙がない。常に二人一組で行動するため、一人ずつ始末することも出来ず、セナといえども逃げ回るしかなかった。ろくに食事も摂れていない。
恐ろしい敵である。命がけの過酷な鍛錬を乗り越えなければ、あれだけのチカラは身に付くまい。
シュウジンを影ながら守っていたということは、帝も同じだということ。難敵は蛾王だけではなかった。
「鬼童丸は……知っていたのかな」
「何だって?」
「あんな連中がいるってことを知っていて、私を」
「そんなわけあるか。そんなわけ……」
「本当に……帝を殺す気が……」
セナの疑問が宙に漂う。ホオヅキはそれに答えることが出来ない。
「ホオヅキ、歩ける? ここから移動しないと」
「ああ――うっ」
ホオヅキは立ち上がったが、矢傷が酷く痛むようだった。セナはその身体を支えた。達人の弓には迷いがない。軌道がぶれないために同じ力でも鋭く突き刺すことができる。見た目よりもかなり深手だった。
「少し休もう。これは応急処置だから、綺麗な布でちゃんと縛らないとダメ。それに何か食べないと血が足りない」
「それなら麓に村がある。俺たちが支配している村だ」
塔村――小さな村である。黒鬼の本拠地である愛宕山から遠くない。
鬼童丸の支配がもっとも濃い地域と言っていい。村に着くとまず村長を訪ねた。
「俺たちは黒鬼党の者だ。薬草と少しばかり食い物が欲しい」
「黒鬼様の……どうぞ」
村長の家でセナとホオヅキは食事を振る舞われた。薄めた雑穀粥と少しばかり猪の干し肉だった。薬草は村長の孫娘が摘んで持って来てくれた。
「どうぞ」
孫娘は屈託ない笑みでセナに薬草の束を手渡す。
「ありがとう……名前は?」
「あやめです。他に何か必要な物があれば言ってくださいね」
そう言ってあやめは村長の所に戻った。ホオヅキがセナを睨みつける。
「何で名前なんか聞いたんだ」
「え? 何となくだけど」
「知らなくていいことだ。これでお前の頭の中にあの娘の部屋が出来た。もし部屋の主がいなくなっても、残り続けるものなんだぞ」
「そう……だよね」
「変わったな、お前。じゃあこれは気付いてるか?」
「何?」
「メシがまずい」
セナはホオヅキを睨み返す。
「違う、そうじゃない。ここは俺たちの支配下でずっと平穏だった。地盤を固めるために取り立てもキツくしなかった。それが、このまずい粥は何だ?」
粥がまずい。つまり、食べ物が少ない。この近辺の村々が不作とは聞いたこともないが。
いやあるいは、黒鬼党に出せる食べ物がない――。
その時、村長の屋敷の外がにわかに騒がしくなった。孫娘のあやめが青ざめた顔で部屋に入ってくる。
「みなさん、隠れていてください」
「何があった?」
「それは……とにかく声を出さないように」
そう言ってあやめは部屋の戸をゆっくり閉めて出て行った。
セナとホオヅキは顔を見合わせると頷き、小窓からそっと覗き見る。
「出迎えはどうした! これだけか!」
馬に乗った男の大音声が響く。その背後に太刀や弓を携え、ボロの甲冑をもまとった男たちが控えている。どうやら鬼がこの塔村にやって来たらしい。
「なんだあいつら……馬もいるぞ」
首領らしき男を含め、騎乗の盗賊が五人。徒歩の手下は十数人。規模としては小さくないが大きくもない。
だが、馬の保有は無視できない。馬は輸送手段として、さらに戦闘兵器として大きな力を持つ。鬼の強さの証明だった。
「おい村長! 約束のモノは準備できたろうな?」
首領らしき男が馬上から村長を見下ろして言った。大陸由来らしき幅広の太刀を肩に担ぐその男は、赤味がかった髪に顎鬚をたくわえている。身の丈七尺(約2メートル)はありそうな大男である。
村人たちは家から出て来て身を小さくしている。
「知らねえ顔だな。セナ、知ってるか?」
「いや……」
「ここは黒鬼の支配下だぞ……宇多村といい何が起こってやがる」
「やるの?」
「いや、俺はこんなザマだし、お前だって小刀一つじゃ分が悪い」
セナの武装は小刀と、髪に挿した笄だけである。暗殺ならば十分だが、真正面から複数人の鬼を相手に立ち回るとなると難しい。
村長が村人の男に指示を出し、鬼の首領に貢物を差し出した。
「これが、私どもが用意できるすべてでございます……」
首領は手下に顎をくいっとやって貢物の箱を調べさせた。干し肉などの保存食や綺麗な巾(織物)、そして多少の金品である。
「これだけか? これだけなのか?」
「……はい」
村長が答えた瞬間、貢物の箱を持って来た男の胸を首領の太刀が貫いた。
「いやあぁぁぁ!」
男の妻らしき中年の女が悲痛な叫び声をあげた。
「俺を誰だと思ってやがる! 天下の赤鬼だぞ!」
赤鬼を名乗る首領の怒鳴り声を合図に、手下たちが村人を威嚇し始めた。下卑た笑いで怯える村人たちを一瞥した赤鬼は、村長の後ろにいたあやめに目を付けると、馬でツカツカと歩み寄った。あやめの唇がわなわな震える。
「田舎娘にしちゃ器量が見える。仕込んで客を取らせるか……」
赤鬼の手下があやめの腕を掴んだ。
「それだけはおやめください!」
村長が赤鬼の足にすがるも、ひと蹴りで吹き飛ばされた。村長の歯が折れ、鼻からぼたぼたと血を流した。
「お前に拒否する権利はねえよ。俺がここの支配者だと忘れたか?」
「あ、ああっ……!」
あやめの顔がひきつり、突然のことで声も出ない。恐怖のあまり身動ぎも出来ずに、手下の男に一息で肩に担がれてしまった。わっと堰が切れたようにあやめの目から涙があふれた。必死に泣き叫ぶも、その声は虚しく宙に消えた。
「――殺す」
セナが腰の小刀を抜く。が、その手をホオヅキが強い力で押しとどめた。
「やめろ」
「どうして」
「お前が死ぬ」
「問題ない。赤鬼ってヤツを殺せば、あとは雑魚」
「娘を人質に取られたら?」
セナは言葉を失った。
「今の俺たちに出来ることはない。今のうちに裏から出るぞ。根城に戻ってお頭に報告するんだ。赤鬼をやるのはそれからだ」
セナは小刀を握った手に力を込めた。ホオヅキは鬼気迫る表情で、さらに強い力でそれを抑え込む。
「行くなら俺を殺してからにしろ」
セナとホオヅキは至近距離で睨み合う。二人とも殺気に満ちていた。
「恨むぞセナ……」
ホオヅキが低く抑えた声で言った。
「お前のせいで、俺の頭の中にもあの娘の部屋が出来た」
その言葉が、矢のようにセナの胸に突き刺さった。小刀を持つ手から力が抜ける。
ホオヅキは手を放し、痛む肩を押さえながら裏口から出た。セナもおぼつかない足取りでついてゆく。
塔村が遠ざかる。セナはぼそりと言った。
「あんなふうに……見えていたのか」
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セナの耳の奥で、あやめの泣き叫ぶ声がいつまでも響いていた。
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他田皇子(オサダノオオジ)
皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。
広姫(ヒロヒメ)
他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。
彦人皇子(ヒコヒトノミコ)
他田大王と広姫の嫡子。
大兄皇子(オオエノミコ)
主人公の同母兄。
厩戸皇子(ウマヤドノミコ)
大兄皇子の嫡子。主人公の甥。
※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。
※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。
※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。)
※史実や事実と異なる表現があります。
※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。
加藤虎之助(後の清正、15歳)、姉さん女房をもらいました!
野松 彦秋
歴史・時代
加藤虎之助15歳、山崎シノ17歳
一族の出世頭、又従弟秀吉に翻弄(祝福?)されながら、
二人は夫婦としてやっていけるのか、身分が違う二人が真の夫婦になるまでの物語。
若い虎之助とシノの新婚生活を温かく包む羽柴家の人々。しかし身分違いの二人の祝言が、織田信長の耳に入り、まさかの展開に。少年加藤虎之助が加藤清正になるまでのモノカタリである。
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