まひびとがたり

パン治郎

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真昼の残月

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 謡舞寮から少女たちの声が消えた。
 屋敷は昼でも暗く、華やかな活気が嘘のように無くなった。
 宴の凶行から三日が過ぎた。静乃は実真にその身柄を預けられ、帝を襲った大罪人として幽閉されることとなった。
 弓御前や望月たち女官は連日話し合いを重ねるなどして生徒たちの前にあまり姿を見せない。
 謡舞寮はその機能をまったく停止していた。
「なあ、これからどうなるのかな……あたしたち」
 二人部屋の自室で膝を組んで寝ころび、りつは言った。
「さあ……知らないわよ、そんなこと」
 サギリも静乃との二人部屋からこちらに来て、膝を抱えて座っている。
「静乃のやつ、どうしてあんなことを」
「……」
「サギリ、何か聞いてないか?」
「……」
「なあ」
「うるさいわね! 知らないって言ってるでしょ! 知るワケないじゃない。あの静乃が……帝を……こ、殺そうとする理由なんて……」
 サギリは自分の発言に恐ろしくなり、膝の間に顔を埋めた。
 セナは目を細めてその様子を見ていた。
(静乃も帝の命を狙っていた……私と同じ……でも)
 でも、違う――。静乃は父の仇討のために凶行に及んだのだ。
 謡舞寮は、生徒の中に刺客を紛れ込ませたことになる。帝直属の養成所が謡舞寮である。だとすれば存在意義はもう――。
(もし、アレが私だったなら……)
 巨体を誇りながら凄まじい反応速度を持つ蛾王のチカラ。そして、その蛾王の攻撃を表情を変えずに防いでみせた実真という男。
(あのとき私に、帝が殺せただろうか……わからない)
 考えてもムダだと思ったセナは、りつと同じように仰向けに寝転んだ。
「セナ……」りつが弱々しい声で名を呼んだ。
「静乃は、死ぬ」
 セナはハッキリと言い切った。りつは起き上がり、サギリも顔を上げる。
 当然だ。帝の命を狙ったのだ。誰より聡明な静乃はわかっていたはずだ。わかっていながら、あの夜、刃を手にした。
 静乃の気持ちを思い、セナは胸の奥が苦しくなった。
 静乃は、死ぬとわかっていても進まなければならない道を選んだ。
(でも私は……選んでなんかない)
 やはり、自分とは違う。セナは跳ね起きた。
「セナ、まさかお前……」
「静乃に会いに行く」
 もし、今の自分に出来ることがあるならば、一つしかない――。

          ※

 謡舞寮を出たセナと一緒に、りつとサギリもついてきた。
「決めた! あたしも行く!」
 と、りつが言い出せば、サギリもまたこう言った。
「どいつもこいつもバカばっかり! 待ちなさいよ!」
 三人は、謡舞寮を出て朱雀大路に向かった。
「でもさ、セナ。どこに行くんだ? あの水野って人のお屋敷だろ?」
「うん」
「場所はわかるのか?」
「わからない」
「アンタねぇ……まさか、聞き込みでもしようっていうの?」
 サギリは呆れ顔でセナを見る。しかし、セナの足取りは確かである。
「大丈夫、心当たりがある」
「心当たり? 何だ?」
「大学寮」
 大学寮――朝廷の官吏養成機関である。
 帝の住まう京の都の大内裏。その入り口となるのが朱雀門であり、広大な門前広場を挟んだ斜め向かいに、何町にもまたがって大学寮はある。
 ここでは主に七つの学科がある。

 一、大陸の学問である儒学を司る『明経道みょうぎょうどう』。
 二、法律である律令法を司る『明法道みょうぼうどう』。
 三、大陸の歴史学を司る『紀伝道きでんどう』。
 四、大陸の文学や詩などの教養を司る『文章道もんじょうどう』。
 五、算術を司る『算道さんどう』。
 六、大陸の語学を司る『音道おんどう』。
 七、書法を司る『書道しょどう』。

 それぞれ一名から二名の博士(教授にあたる)が置かれ、貴族の子弟など多くの学生が学んでいる。
 各学科の専門性は高く、博士も高位の人間にしかなれないため、帝の諮問機関としての性格も持っていた。
 さらに、専門職である技官を養成する機関が三つある。

 一、薬学を司る『典薬寮てんやくりょう』。
 二、陰陽道を司る『陰陽寮おんみょうりょう』。
 三、芸事を司る『雅楽寮うたりょう』。

 学生たちは卒業試験を受け、それぞれ官吏の道へと進んでいく。また、卒業後も博士を目指して大学寮に残り、教鞭をとる者もいた。
「人を探している」
 セナは、大学寮の入り口で門番の衛士に尋ねた。
「人? お前は誰だ?」
「謡舞寮から来た。ここに傀儡師見習いのシュウジンという学生がいるはず」
「謡舞寮の……少し待て」
 衛士はもう一人の衛士に警備を任せ、敷地の奥に消えた。
 中を覗き込むと、同じ形の学舎が整然と並んでいる。色鮮やかで綺麗な着物をまとった若者たちが行き交い、自由で活気にあふれた雰囲気だった。
 りつもサギリも、同じ年ごろの異性を一度にたくさん見るのは初めてだった。足を止めた学生たちから好奇の視線を感じると、途端にどぎまぎしてしまう。二人はわざとらしく目を逸らした。
 衛士が戻って来た。後ろにはシュウジンの姿が。
「やあ、セナ。どうしてここへ?」
 りつとサギリは同時にセナの袖を引っぱり、小声で同じことを耳打ちする。
「誰なのよ?」
「シュウジン」
「そうじゃなくてっ」
 友達かい? とシュウジンはニコニコしながら言った。
 セナは一瞬迷った。友達――? いや、同じ謡舞寮の生徒だ。じゃあただの同級生か? いや、他の同級生とは違う。よく話をするし、行動も共にする。一緒にいると不思議と気分が落ち着く。

 そもそも友達って何だろう――?

 鬼童丸の根城にいた頃は、同じ年頃の子供はいなかった。常に一人だった。友達ということがわからない。
 セナは思わず考え込んでしまった。
「僕は傀儡師見習いのシュウジン。大学寮の学生だよ。君たちもセナと同じ謡舞寮の生徒だね? よろしく」
 シュウジンは屈託のない笑みをりつとサギリに向けた。二人は恥ずかしくなって赤面してあうあうと何度も頷く。シュウジンはまた微笑を浮かべた。
「それで、どうしてここに?」
 セナはハッと我に返った。
「聞きたいことがある。水野実真の屋敷はどこ?」
「水野様の……知ってるよ。でも、知ってどうするつもり?」
 りつが前に進み出た。
「そこに友達がいるんだ!」
「友達? 謡舞寮の生徒かい? どうして?」
「それは……」
 サギリが言いよどむと、シュウジンは、いいよ、と言った。
「連れて行ってあげる。でも、僕に出来るのはそこまでだ」
「ありがとう、シュウジン」
 シュウジンは微笑んで頷いた。

          ※

 水野実真の邸宅は、東市に程近い六条の一画にあった。
 セナとシュウジンは慣れた様子で小路をスタスタ歩いてゆくが、りつとサギリは東市以外の京の都をゆっくり歩くこともないので、キョロキョロと落ち着かない様子だった。
「ここだよ」
 そこは普通の武家屋敷だった。謡舞寮に比べるともちろん質素である。だが、東国の鎮圧を任されるほどの武将にしては小さい。
「じゃ、僕はこれで」
 シュウジンは軽い足取りで去って行った。
「本当に何も聞かなかったな。セナ、アレは誰なんだ?」
「シュウジン」
「それはわかってるわよ。なんでアンタが大学寮の学生なんかと」
 サギリは言った。むろんセナが答えられるはずもない。
「それより……行こう」
 セナは屋敷の門をくぐる。二人は顔を見合わせて後に続いた。
 屋敷には人の気配がなかった。門番の衛士はもちろん、屋敷のあれこれを担う家来たちもいない。
「誰もいない……?」と、セナ。
「でも、門は空いてるし」と、サギリ。
 誰かいますかー、とりつが大声で呼びかけるものの、返事はない。
 屋敷の奥に進むと庭に出た。そこにある建物から、飼葉と糞のニオイが漂ってくる。馬を飼育する厩舎である。
「うっ……この独特な馬のニオイ」サギリは顔をしかめた。
 そのとき、厩舎から一人の老人が出て来た。
「何だ! お前たちは!」
 てっぺんがつるりと禿げ上がった頭に、わずかに周囲に残った白髪。立派に蓄えられたヒゲも真っ白で、相当に年を重ねているが、その意気はカクシャクとしている。声の張りですぐにわかった。
「勝手に入って来おってからに。出て行け!」
「何だよジイさん、呼んでも返事がないから来たんだろ」
 りつは老人の威勢にも負けず、正面から食ってかかる。
「なっ……なんと無礼な! 水野実真様の邸宅と知っての狼藉か!」
「知ってるよ! だから来たんだ。実真様はどこだよジイさん」
 ハゲ頭のヒゲ老人は、見る見るうちに真っ赤になった。サギリは青ざめる。
 セナが前に進み出た。
「私たちは謡舞寮から来た」
「なに、謡舞寮……では生徒か。用件は何だ!?」
「静乃に会いに」
 老人は紅潮した顔を鎮めたものの、じーっとセナたちを見すえた。
 そこに何やら巨大な気配がのっしのっしと近づいてくる。四人が振り返ると実真がいた。身の丈の二倍はあろうかという飼葉の山をその背に担いでいる。
「どうした、安長」
「さ、実真様……」
 実真は飼葉の山を担いだまま四人に近づく。その常人離れした膂力りょりょくにセナたちは唖然とした。
 それにしても、実真の格好は名の通った武人にしては何とも地味な麻の着物で、一つ間違えればどこにでもいる庶民である。
 精悍かつ爽やかな風貌――ではあるが、素朴な雰囲気の男だった。
「そなたらはたしか……謡舞寮の」
「セナ……」
「りつです!」
「サ、サギリです」
「これは失礼。私は水野実真。帝お抱えの武士ではあるが……ご覧の通り、質素な身分だ」
 実真は背中から飼葉の山を下ろした。
 厩舎に向かって、夕霧ゆうぎり、と呼ぶ。すると中から途轍もなく大きな馬がゆっくりと姿を現した。普通の馬の倍はある。黒い体毛に、額に白の一点星、炎のようなたてがみと尻尾に、鉄塊のような蹄。凄まじい威圧感である。
「こいつは気位が高い上に頭が良いんだ。決まった時間に身体を洗ってやらんと機嫌を損ねる。話は洗いながらでいいかな?」
 実真は、安長が持って来た水桶と藁束で夕霧の身体をこすった。夕霧はさも当然というように、悠々とその巨体を任せている。
「それで用件は? っと、聞くまでもないか」
 セナはこくりと頷く。
「静乃に会いに来た」
「いいだろう」
「実真様!」
 あまりの即決に、安長が大声で割り込む。
「あの娘は帝の命を狙いし咎人。いくら同じ謡舞寮の生徒とはいえ、やすやすと会わせては示しがつきませんぞ!」
「そうは言っても、こうして武士の館に乗り込んで来たのだ。帰れと言っても帰るまい――それに――」
「それに?」
「このセナという娘には大きな借りがある。そうであろう?」
 実真は微笑をたたえながらセナを見た。セナは頷く。安長は目を丸くする。
「か、借りとは」
「命を救われた」
 実真はとんでもないことをサラッと言ってのける。安長は口をあんぐり開けて石像のようにかたまった。
「どどどど、どういうことですか! 若!」
「若はよせと言ってるだろう。もう三十路も過ぎたのだぞ」
「しししし、しかし!」
「詳しい話は後でする。セナ、りつ、サギリ――しばし待つといい。ここは男所帯のむさくるしい所だが、とても静かだ」
 夕霧が、ヒヒィィインといななく。
「おうおう、お前も一緒だったな。すまない。夕霧は気高い女性だ」
 セナたちは縁側に座って実真が夕霧を洗う様子を眺めた。実真はとても楽しそうに藁束を動かす。
「こんなに呑気でいいのかしら……」と、サギリ。
「命を救ったってどういうことだよ」と、りつ。
「そのままの意味、としか言えない」
「……そうか」
 セナの胸に小さな痛みが走った。自分は鬼だ。暗殺者だ。それが真実だ。そしてりつ達は知らなくていいことだ。
 これでいい――。
「来なさい。案内しよう」
 洗い仕事を終えた実真の後を、セナたちはついて行った。
 薄暗い回廊の行き止まり。屋敷の最奥。塗籠ぬりごめ(四方を土壁で囲んだ部屋)を座敷牢した部屋。
 木戸は堅く閉ざされ、そこだけ影が濃い。
 食事用の小型の引き戸だけが外界との連絡に使われる。
「この先に静乃が……」
「酷いと思うか?」
 実真はセナたちに振り返り、座敷牢に背を向けた。
「そりゃ……思うけど」
 りつの語気は弱い。サギリは目を背ける。
「静乃は大罪を犯した。本来であれば、あの場で殺されていた」
 セナの淡々とした言葉に実真は応えず、座敷牢に向き直る。
「帝の遣いが抜き打ちで様子を見に来る。これが精一杯だ」
 座敷牢の戸の前に立った。実真は戸を叩く。
「謡舞寮生徒・静乃――面会だ。扉越しに言葉を交わすといい」
 では、と言って実真はもと来た回廊を引き返した。
 牢の中から返事はない。最初に言葉を発したのはサギリだった。
「ちょっと静乃! いるの!?」
 しばらくの間があって、中から声がした。
「その声はサギリね……ということは、セナとりつも一緒ね?」
「静乃……っ!」りつは思わず名を呼んだ。「大丈夫なのか!? メシは食ってるのか!? 心配したんだぞ! どうしてあんなことしたんだよ!」
 扉越しにクスクスと笑い声が聴こえた。
「そんなにいっぺんに答えられないわよ……ああ、おかしい。相変わらずね」
「笑ってる場合かよ! あたしたちがどんなに静乃を……!」
「ごめん、そうだね……でも、みんなと話して元気出た。ありがとう」
 その軽い調子とは裏腹に、静乃の言葉には死の予感が漂っていた。
「静乃……」セナがようやく口を開いた。
「セナ……」
「今日は、おしゃべりをしに来たワケじゃない」
 そのセナの言葉に、りつが反応した。
「そうだよ! 静乃を助けに来たんだ! 早くここから出るぞ!」
 だが、りつの言葉に誰も続かなかった。大きな沈黙が訪れる。
「……どうしたんだよ……助けに来たんじゃないのか? なあ、おい!」
 りつはセナに掴みかかり、次にサギリに迫った。
「バカね……現実……見なさいよ」
「何言ってんだよ! このまま静乃を見殺しにするっていうのか!」
 そのとき、サギリがりつの頬を打った。乾いた音がした。
「ほんっとうにバカね! 静乃は帝を殺そうとしたのよ!? アンタも見てたでしょ!? 私は静乃に真意を確かめに来たの。助けにじゃない!」
「……サギリ」
「アンタのバカさ加減にうんざりするのよ! バカ! バカ! これ以上私を悲しくさせないでよ! バカァ!」
 サギリの目から涙が止め処なくあふれて来た。りつは青ざめて、一歩下がる。
「セナ……」
 すがるように弱々しく名を呼ぶも、セナは応えなかった。
「静乃――渡すモノがある」
 そう言って、セナは座敷牢の扉の前に立った。食事用の小窓を開け、髪から抜き取った黒い笄を置く。帝を暗殺し、そして自分が死ぬためのもの。
「この黒い笄は蠱毒で鍛えた暗器。蠱毒というのは」
「知ってる。ありがとう、セナ。私の思った通りだった」
「おい、なんだよソレ……毒か!? 何でこんなもんが!」
 りつがセナに掴みかかった。セナは目をつむったまま抵抗しなかった。牢の中から静乃が止める。
「やめて、りつ。これはセナの優しさ……でしょ?」
「蠱毒はかすり傷でも人を殺せる。深く突き刺せば……苦しまずに……」
 りつはセナを突き飛ばした。
「何だよ楽に死ねるって! 何でお前がそんなもん持ってんだ! みんなして何なんだよチクショウ! ワケわかんねえ!」
 りつはその場で崩れ落ちた。目に涙を浮かべ、力なく項垂れる。
 ごめんね、と静乃が言った。
「みんなに悪いことしちゃった。でも、後悔はないの。私はじきに処刑される。ううん、ほんとはとっくに死んでた。何もかも覚悟の上のことよ」
「静乃……」
 セナは、静乃の涼やかな声に曇りを感じていた。
「私は前の参議・高階義明の娘。四年前、父はあらぬ嫌疑をかけられて陸奥国(現在の東北地方)に島流しになったの。その道中、刺客に襲われて……私は命からがら逃げ延びたけど……一夜にして、雲上人から地の底に落ちた……」
 ほんの一枚の牢の扉が、大海ほどの隔たりに感じる。
「私は物乞い同然の暮らしになった。昨日まで貴族として生きて来た人間が、それも力の弱いただの娘が、一人で生きていくことなんて出来なかった。知らない大人たちのもとでいろんなことを……させられたわ」
「もういい……もうやめろ、静乃!」
 りつが声を振り絞る。しかし静乃は、聞いて、と諭すように言った。
「あるとき私は、一人の公家に拾われたの。その方は、高階の娘である私の行方を捜していた。そう……帝をその手で始末させるために。理由はただ一つ。帝を亡き者とし、権力をその手に掴むため。利用されるのはわかってた。でも、父の恨みを晴らすためには誘いに乗るしかなかった。それから暗殺者としての修練の日々が始まったわ。刃を突き刺し、えぐる。それだけの動作をひたすら繰り返した。胆力を鍛えるために、裸で武士たちの狩りに放り込まれたり、夜伽で暗殺の機会を狙うために毎晩――」
 涼やかだった静乃の声が、はじめて湿りを帯びた。
「聞きたくねえ!」
 りつが叫んだ。涙を見せぬよう俯いたまま、その場から駆け去る。
 サギリは座敷牢とりつの去ったほうを交互に見遣り、迷ったあげくにりつを追いかけた。
 セナと静乃の二人きりになった。静寂がより濃厚に、そして重みを増した。
「静乃は……帝を殺すと決意して謡舞寮に入った」
 セナは静乃の気持ちをなぞるように言った。
「セナは?」
「同じ……でも違う――私は鬼だから」
「セナが……鬼……?」
「私はみなしごだった。愛宕の黒鬼が育ての親。だから、私も鬼」
「そっか、それで私はセナに血の臭いを」
 セナは試験会場で初めて見た静乃を思い出す。静乃は微笑を浮かべていた。セナはあの時、なぜか心臓が跳ねたのを覚えている。
 その理由は、同じ暗殺者だった――からか――。
「真夜中に御前様の部屋に忍び込んだのは、静乃か」
「そう、事前調査ってヤツ。バレてた?」
「まるわかりだった……私には」
「セナは私なんかより凄腕なんだね。何となくそうじゃないかって思ってたけど……ねえ、もし昨日の私がセナだったら、帝を仕留められてた?」
「それは無理」セナは即答した。
「あの大男、蛾王……あれを突破できない」
「セナでも勝てないの?」
「ううん、負けない。でも、勝てもしない」
「そうなんだ……」
 しばらくの沈黙の後、牢の中から笑い声が聴こえた。
「あははっ、セナでもダメなんだ。じゃあ私が帝を殺すなんて、最初から無理だったんだね……そっかぁ……私の人生、何だったんだろうね、ははっ」
 やがて、沖合から潮が満ちるように、すすり泣く声が響いた。
「あの時、斬られていればよかった。残酷ね……実真様も、セナも」
「静乃……」
「そういえば昨日は満月だったわね。私にはあれが最後の月夜のはずだった。朝どころか昼も迎えたのに、まだあの月は……沈むことを許されずにいる」
 扉の小窓から、静乃の白い手が伸びた。黒い笄を取ろうとする。
 それを、セナはとっさに奪い取る。
「セナ……? あなたがくれたんでしょ?」
「わからない……ただ、何かが違う気がする」
「ダメよ……死なせてよ……セナ……お願いよ」
 セナは黒い笄を後ろ手に隠し、後ずさった。
「セナ! お願い死なせて! あなたしかいないの! セナ!」
 牢の中から、鋭い叫びが聴こえた。小窓から伸びた白い手が青い筋を立て、物言うように動いている。
 セナは震えながら、首を横に振る。
「違う……静乃……私はお前を殺せない」
「セナ……どうして」
「殺したく……ない」
 セナは牢に背を向けて、その場から走り去った。
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