夢幻空花

積 緋露雪

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十三、実念論私論

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――ソクラテス、プラトンに系譜を持つ観念実在論としての実念論とは何の関係のない「念が存在に先立つ」といふ大義名分を掲げた実念論を私は信ずる。さうでなければ、森羅万象が千変万化するこの世界の有様が説明できぬ。念が存在に先立つことでのみ、ちんけな吾からの脱出が可能で、そもそも念は自在である。自在な念に追ひ付かうとして吾は変化へんげを重ね、それでも全く追ひ付けないからこそ吾の存在価値があるともいへる。それは世界に順応するためにはどうあっても念が存在に先立ってゐなければならぬ。目眩く変化する世界に対して悠長な吾に存在を任せてゐては死滅するのが落ちである。念により吾は尻を叩かれないことには変化しやうとはしない。それは今ある世界に対して吾は順応してゐるから胡座を舁き、例へば世界が急激に変化したとき、変化する前の世界に最も順応してゐた存在がまづ、滅んで行くのは世の必然である。世界の変化に絶えず存在は先んじてゐなければ、存在はサルトルのいふやうに偶然の必然に帰すのみである。それでは存在の存続は覚束なく、激変する世界、若しくは自然の中で、存在を存続させるには絶えず変化を渇望してゐる念の存在が決定的な意味を持つのだ。念が存在に対して先んじてゐるからこそ、激変する世界の中で、生き残る存在は必ず存在してゐて、それが路傍の石であっても激変する世界には順応してみせるのだ。況して生物においては何をか況や。いづれの存在、つまり、森羅万象は互ひに念が先んじてゐることで世界の様相は渾沌の坩堝と化し、その中で、念が先んじてゐない存在は死するのみである。念が複雑に絡み合って世界の渾沌が生じてゐると考へれば、吾先を争って存在に先立つ念により、見事に変化して見せて渾沌の世界に絶えず順応するのである。そして、念は一度出現すれば、それは未来永劫に亙って存続するに違ひない。否、それは根拠薄弱だ。さうあって欲しい。念は未来永劫に亙って存続して欲しい。髑髏の五蘊場に留まるも善し、髑髏の五蘊場から解放されて、この世界、或ひは宇宙を自由自在に飛び回るも善し。
最近、死に行くもの、若しくは死したものたちが、感応してならないのだ。誰だか解らぬが多分、死に行くものなのだらう。私の五蘊場に死に行くものの念のカルマン渦が生じるのだ。それはどういふことかといふと、死に行くものの念が、多分、星が死に行くときに超新星爆発するやうに激烈な爆発を起こし、念が光速を超えて膨脹しては私の五蘊場が川に立つ杭の如くに作用して、その膨脹し行く念が私の五蘊場でカルマン渦を巻き、死に行くものの心残りの夢などが鮮烈に見えるのだ。それは不思議な出来事で、私はそれを念のRelayと呼んでゐるが、さうしたことが世界各地で起きてゐるに違ひないとも思へるが、しかし、私はその死に行くものの念に指名されたのも確かに違ひない。さうして念はRelayされ、未来永劫に亙って存続する。さう考へずば、説明がつかないことが私の身に起きてゐる。そして、これは私の死が近い徴なのだらう。死んだものたちの念が想起されて仕方ないのだ。死んだものたちは生き生きとしてゐて、此の世の春を愉しんでゐる。それを思ひ出といふには余りにも肉感的なのである。生生しいのだ。夢幻が逆転し幻の方が肉界ではないかと思へるほどに肉感的で余りにも生生しいのである。それも念のRelayの為せる業なのだらう。私の肉体が念の通り道になってゐるとしか思へぬのだ。この不思議は死に行くものや死んだものたちが私に念をRelayし、肉界での念の夢中遊行の実現をさせてゐるに違ひないのだ。イタコではないが霊が降りてくるやうに念が私を突き動かすのである。

 今度は闇尾超特有の実念論か。念が存在に先立つとは之如何。イタコのやうに霊が降りてくるが如く念が闇尾超の五蘊場でカルマン渦を巻くとは、一体、闇尾超の身に何が起きてゐたのだらうか。当然、闇尾超自身の念も闇尾超の五蘊場でカルマン渦を巻いてゐた筈である。だから、死に行くものの、そして死んだものたちの念が肉界のやうに肉感的で生生しかったのだらう。死が星の最期の超新星爆発の如く光速を超えた激烈な爆発を伴った膨脹だと。それが闇尾超の五蘊場でカルマン渦を巻いて、死に行くものの名残惜しい夢などが生生しく鮮烈に見えるといふこととは、之如何。闇尾超はある種の神秘主義に辿り着いてしまったのだらうか。仮にさうだとして、念のRelayか。憤怒のRelayと私は闇尾超に見てゐたが、それは間違ひのやうだ。精神のRelayとは埴谷雄高の言だが、闇尾超が敢へて念といふからには、確かに闇尾超の五蘊場は念の夢中遊行の場と化してゐたのだらう。念と念が出遭ふとき、既にお互ひの勝手を知ってゐて、一瞥する前にお互ひのことが心の髄まで解る不思議な体験に遭遇してゐたに違ひない。生生しい念たちの交感。その輪の中心に闇尾超の念がゐた筈である。それはさぞかし愉しかったのだらう。闇尾超をして念が存在に先立つと言はしめたことは、デカルトに反旗を翻しCogito, sic Im 'sollicitus. Et superabit.との思考に到達した闇尾超のこと、思考が吾を超えるやうに闇尾超の念も闇尾超を超えてしまったに違ひない。その奇異な体験が死期迫った闇尾超の身に起きたといふことは、闇尾超にとって強烈な体験だったのだ。それが余りにも生生しかったので、闇尾超はCogito, sic Im 'sollicitus. Et superabit.の正しさを噛み締めてゐたのかもしれぬ。これが闇尾超がデカルトを凌駕した瞬間だったのかもしれぬ。死を前にして漸くデカルトの呪縛から解放された闇尾超は、さぞかし嬉しかったに違ひない。
――祝杯だ。酔ひ潰れるまで飲まう。
と、闇尾超に念のRelayを託した念どもと闇尾超は最期の晩餐を自覚して飲み明かしたのだらうか。勝手知ったる念どもとともに心行くまで闇尾超は死が迫った残り少ない日日を愉しんだのかもしれぬ。
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